庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2006年12月

29.「挫折しない整理法」の極意 松岡英輔 新潮新書
 家庭の物の整理法の本。冒頭に「使わない物は整理しない」とあるのは、納得。で、使う物は消耗品は新しい物を一番奥に置き消費期限の近い物から使用する、道具類はよく使う物を手前に置き使わない奥の方にたまった物は処分(「超」整理法ですね)、愛着物は関心度に応じて置く場所を決めて無関心の表れの見えない場所に置かれるようになった物を処分、だそうです。これも、理屈としては、新しい物を一番奥に置くというのが現実的にはすごい手間ということを除けば、理解できます。でも、著者の主張では、実行のために大事なポイントは物を見える状態にしておくことと動かしやすい状態に置くこと。そのためには置く場所のキャパシティの8割までにとどめておくことが必要。そうすると、少なくとも都会の家庭では、やっぱり最初の段階でかなりの物を捨てることが必要になり、「使わない物は整理しない」とかいうのは無理。プロフィールによれば、著者は日高山脈の麓で暮らしているそうで、そういう人にとっては収納場所の余裕があるんでしょうけどね。それに後半の心の整理編では、成長すれば物は要らなくなるって、そりゃそうだけど、それは整理法の話じゃないでしょう。

28.人口が変える世界 日本経済新聞社編 日本経済新聞社
 人口問題をキーワードにした日経新聞の連載をまとめたもの。人口問題も、単純な人口増加や少子高齢化だけでなくて、民族・宗派間の人口バランスや較差問題も含んでいて、間口が広いとも雑多な問題を扱って焦点が絞れていないとも評価できそう。イスラエルの占領地からの撤退はユダヤ人の少数派転落の悪夢を避けるため(12〜15頁)とか、アメリカの人口が西部・南部で増大していることの政権への影響(86〜90頁)とか、人口バランスの政治への影響の指摘は興味深い。でも、こういう視点って人を個性ではなくてグループで判断してしまい、そういう世間の見方がその傾向をさらに進めてしまうのが、悲しい。中国が1人っ子政策の影響で今後急速に高齢化が進み、若者が急増して人口1位となるインドに世界の工場が移る(32〜35、130〜134、184〜186頁)とか、ロシアで少子高齢化と人口減少が進み、極東・シベリアの過疎化とそこへの中国系移民の増加でロシア政府が神経をとがらせている(116〜120頁)とかいう指摘も興味深く読みました。

27.蝶か蛾か 大道珠貴 文藝春秋
 46歳〜48歳の設定のおばさん猿飛満々子の日常を描いた小説。元気な母親とか、母親の友達の隣人、癌で手術後の友人とか夫の浮気で別れたり戻ったりの娘やゲイの息子との間での掛け合い漫才的なやりとりが続きます。ごくごく気楽に流し読みする作品です。ただ、この主人公、ちょっと羞恥心なさ過ぎ。年齢設定が私と同じくらいなんですが、まわりを見回して、この年頃でこういう感覚で動くかなあ、ちょっと疑問に思います。作者も、あえて自分より数歳上の年齢にしているのは、自分の年頃じゃあちょっとここまではと思うからなんでしょう。その辺、自分と同世代ではここまではなあと思いながらもう少し上の年ならって思うのは、共通の幻想なんでしょうか。そのあたりの無責任さというか不思議な年齢幻想を、ふと考え込んでしまいました。

26.エリオン国物語U ダークタワーの戦い パトリック・カーマン アスペクト
 ウォーヴォルドの死後1年が過ぎ、ウォーヴォルドからの手紙を受け取ったアレクサが、ダークヒルズと針の谷を越えて伝説の巨人の下で人々を支配する闇の王子グリンドールと対決するというストーリーのファンタジー。Tのアレクサと秘密の扉からずいぶんとスケールアップして、アレクサは世界の創始者エリオンから選ばれた者として冒険に挑みます。でも、アレクサは象徴的な存在で、現実の戦いはまわりの男たちが行うので、ちょっと主人公として食い足りない感じが残ります。最後になって死んだはずの人達が次々と生きて登場するのも、子ども向けのファンタジーではありますが、ちょっと掟破りの感じ。Tで町の防壁は破壊したはずなのにUの地図でまだ防壁が書かれているのも、本の作りが雑に思えます。

25.失われた町 三崎亜紀 集英社
 ある日突然町の住民が消える原因不明の町の消滅という現象をめぐって、家族や恋人を失った者や例外的に消滅を免れ差別されて生きる者、消滅対策をする「管理局」の者たちの生き様や思いを描いた小説。町の消滅が何を象徴してるのかは、必ずしも明らかではありません。「町の意志」により住民が消滅に順化し自ら従って消滅していく姿は、無謀な戦争に向かっていく国家とその教育に慣らされていく国民のようにも見えます。失われた町の遺物が「汚染物質」と扱われ関係者が差別される姿は放射線被曝をも連想させます(人が殺されて建物が残るのは中性子爆弾を連想させますし)。他方、中央政府も住民もコントロールできない点では自然災害のようにも・・・。町の消滅が何を意味しているにしても、この小説で描かれているのは、基本的には、原因不明のコントロールできない現象の対策に取り組む役人たちの生き様だと思います。消滅を「穢れ」とし、消滅に関する情報を隠蔽するとともに原因不明でその対策が正しいのかわかりもしないのにきまりだからと国民を従わせる姿は、まさしく「知らしむべからずよらしむべし」です。町の消滅の機構を探るために、消滅を免れた人をその町に近くに誘導して追加消滅させたり(218頁)、消滅耐性を持った同窓生を騙して薬物を吸引させたセックスの実験をしたり(326〜327頁)、消滅耐性を持った少女を追加消滅の危険のある実験台にしたり(336〜337頁)。「管理局」の役人たちは、町の消滅の機構の解明のためには人の命も心も平然と踏みにじります。この作者の前作の「となり町戦争」では、そういった役人の姿は戯画的に描かれ、行政の横暴さ・非人間性に対する問題提起と読み取れました。しかし、この作品では、その「管理局」の行為は、より多数の人間を救うためという文句で正当化されています。失われた人々の想い出の品を没収する者は、その行為を「優しいことかもしれない」「いっそ奪われた方があきらめがつくだろう」(52頁)と自己を正当化しています。「管理局」の役人由佳は「例えば、百人を犠牲にすることで、一万人の命を救うことができるんだったら、私はその百人の犠牲を生み出すのに躊躇はしないわ」(322頁)と言い切ります。しかも、相当な字数に及ぶこの小説の大部分は、消滅に関わった者、特に「管理局」の役人になった者たちのエピソードです。管理局の役人たちの個人的・人間的な部分を延々と描き、仕事中は汚染防止のために「感情抑制」していると設定することで、非人間的な行為をする役人も本当は感情を持った親しむべき人間なのだと描いているのです。そうして管理局の役人側に親近感を持った読者が、多くの者を救うためには一定の犠牲はしかたないという思想を受け入れていくように、この物語は描かれていると、私は感じてしまうのです。現役の公務員でありながら、「となり町戦争」で役人の非人間性を戯画的に描いた作者に様々なリアクションがあったことは想像に難くありません。しかし、それでこういう方向転換は、読者としては納得できません。物語の舞台は、近未来のような、しかし高射砲塔や防空演習が描かれて戦時体制が暗示され(203地点は、やはり203高地を象徴しているのでしょうか)、文語体でしゃべる統監や古奏器の登場で時間感覚をぼかした設定です。「いつでもない時」「どこでもない場所」の設定だと思うのですが、それなら香港の九龍城砦を連想させる場所を設定するときに「西域」「居留地」「南玉壁」なんて中途半端な言い換えの固有名詞はやめて欲しいと思いました。

24.テレビはインターネットがなぜ嫌いなのか 吉野次郎 日経BP社
 テレビ業界には密かに築き上げられたおいしいビジネスのしくみがある、他の先進国と比較して日本のテレビだけが突出して成功している、テレビ局としてはこのしくみを少しでも脅かす領域には踏み出せないということを、テレビ局がインターネットを嫌う7つの理由という形で答えるという本。結局のところ、書いていることは、テレビ局は電波の独占の保護の下で少ないチャンネルで高視聴率の番組を武器に全国的に大量のCMを流したい企業に高額のCM料を出させて儲け、地方局を系列化し、家電メーカーの仕様にも口出しし、制作会社から番組の著作権を奪い(買い取り)人気番組をテレビ以外のメディアに流させないようにするとともに芸能人も高額の出演料でテレビに専念させ、他のメディアに魅力的なコンテンツが流出しないように縛り付けて、他のメディアの成長を妨げて高額CM料の独占を図っているということ。もったいぶって書いているけど、さして目新しいことは書かれていません。家電メーカーや芸能プロダクション、制作会社は、より儲かれば、テレビ局にいつまでも拘束される理由もないのでネットの発展を見据えた新たな動きが出てきているというレポートが、まあ読みどころでしょうか。でも、私は、最近テレビってスポーツ中継くらいしか見なくなってしまいましたので、ここで言われているドラマやバラエティ番組の人気とか魅力なんて、ほとんど理解できません。テレビ番組にそんなに魅力なんてあるんでしょうか? 

23.ミステリアスセッティング 阿部和重 朝日新聞社
 本能に任せて唄うと意味不明の音痴な唄となりまわりに不快感を与えてしまうにもかかわらず吟遊詩人になると宣言し挫折して作詞家を目指している専門学校生で、1つ違いの妹から侮られ罵られ続け、「友人」からは裏切られたかられてきたシオリが、スーツケース型核爆弾をもたされてどうしたかという小説。普通なら、人生を誤りいじめられ続け周囲に恨みを持つ主人公が、復讐に核爆弾を使うかどうかで葛藤するという展開になりそうです。しかし、シオリはそういう考えにも至らず、最後まで性善説的に行動するところが、切ない。核爆弾を持たされたことも、究極のいじめに見えてきます。そのシオリの姿を、友人が、シオリの果たせなかった吟遊詩人のような語りで伝えるラストがしみじみと感じられます。携帯サイトでの連載だそうで、文章は読みやすく、スッと入ってきます。前半存在感の強かった妹のノゾミがどうなったか書かれていないのがちょっと心残りですけどね。

22.蒼路の旅人 上橋菜穂子 偕成社
 タルシュ帝国に屈したサンガル王国の仕掛けた罠と新ヨゴ皇国内の王族の抗争からサンガルに向かい捕らえられたチャグムが、タルシュ帝国内で新ヨゴ皇国征服を主導するラウル王子とその下にいながら複雑な思いを持つヨゴ出身の密偵ヒュウゴの間で帝国の実力と内情を知り、新ヨゴ皇国が民とともに生きのびるため悩み、チャグムを利用しようとする勢力に従う様子を見せつつ、逃走を選ぶまでを描いたファンタジー。守り人・旅人シリーズの中では比較的単純に国家間、王族内の抗争と陰謀を中心に進めていて、ストーリー展開はおもしろいけど少し深みに欠けるように感じました。ラストシーンも完結せずに、天と地の守り人に続くという形になっています。また、この作品では、しっかり者の女性は海賊船の頭セナだけと言ってよく、守り人・旅人シリーズでは珍しいほど男中心の展開になっています。話の位置づけとしては、虚空の旅人→蒼路の旅人→天と地の守り人と続く展開の中にしっかり位置づけられてはいるのですが、ちょっと異色な感じです。

21.虚空の旅人 上橋菜穂子 偕成社
 新ヨゴ皇国の皇太子チャグムが、隣国のサンガル王国滞在中に、サンガル王国征服を企む南のタルシュ帝国の陰謀に巻き込まれ、同道していた星読博士シュガやサンガル王国の王女たちや第2王子らと協力してサンガル王室の危機を救うというストーリーのファンタジー。精霊の守り人に始まる女用心棒バルサを主人公とする守り人シリーズに派生して、サブキャラクターだったチャグムを主人公にして作られたものです。重層的な設定、王国と王族の構想を描きながら常に目配りされる巻き込まれる庶民の哀しみや苦しみへの共感、大自然と太古・神秘を感じさせる異世界とのつながりなど、その構想力と深みは、守り人シリーズと変わりません。バルサは登場しませんが、王国と王室を陰で操る/支える王女たちの力量、カリーナの知恵と決断力、サルーナの人間愛と人間に対する洞察力と知恵、そして巻き込まれた海を漂う民の少女スリナァの勇気など、女性陣の存在が光っています。守り人シリーズ同様に女の子が楽しく読める本に入れられそうですが、純然たる読み物としても、かなりいい線行っていると思います。

20.エリオン国物語T アレクサと秘密の扉 パトリック・カーマン アスペクト
 壁に囲まれた町ブライドウェルの危機を12歳の少女アレクサが活躍して救うファンタジー。エリオン国には、創始者ウォーヴォルドが、北の都市エインズワースの囚人たちを使って壁(城壁)を張り巡らして作った4つの町(ブライドウェル、ルーネンバーグ、ターロック、ラスベリー)があるが、町を作った後荒野(ダークヒルズ)に放たれた囚人たちが復讐・征服の機会を狙って密かに多数のトンネルを掘り、スパイを送り込んでいました。ラスベリーの町長の娘アレクサは、壁の外へ興味を持っていましたが、ウォーヴォルドの死後、壁の外に通じる扉を見つけて外に出て、動物たちに導かれて冒険をし、その過程で囚人たちの計画を知ります。ブライドウェルに戻ったアレクサは、スパイを警戒しながら囚人たちの計画へを町の主だった人に知らせますが・・・というようなストーリーです。アレクサは好奇心が強くファンタジーや冒険物語の好きな12歳の普通の少女ですが、老人たちと仲良しです。ウォーヴォルドは「友だち」ですし、図書館の管理人のおじいさんグレーソンは一番の親友です。大人たちのたまり場の喫煙室がお気に入りというところは、きっと作者がヘビースモーカーなんでしょうけど。読書好きなアレクサが退屈な本としてあげているのが「法律関係や条約の本」(53頁)なのは・・・やはり世間ではそうなんでしょうね。
  女の子が楽しく読める読書ガイドで紹介

19.身近な“液体”Q&A 日本液体清澄化技術工業会編 工業調査会
 飲食品や医療、農業、生活等で水が関連することがらについてのQ&A100問。著者は液体の清澄化、つまり精製技術に関する団体ですが、必ずしもそのことと関係ない項目が多くなっています。木綿豆腐は布でこして作るけど絹ごし豆腐はこさないとか。やかんの内側に付く白色の固体は、炭酸カルシウムが温度が高くなるほど溶けにくい性質を持つので火の当たる部分で過飽和になって析出する(62〜63頁)とか、海が青く見えるのは水が赤色付近の光をよく吸収するからだが、不純物がごく少ないと光が散乱しないから黒く見える(黒潮は不純物が少ないから黒く見える。202〜203頁)とか、勉強になりました。

18.偽ブランド狂騒曲 なぜ消費者は嘘を買うのか サラ・マッカートニー ダイヤモンド社
 ブランドと偽造・コピー商品をめぐるメーカー・デザイナー側と消費者側の論理や行動などをあれこれ論じた本。著者の姿勢は、読んでいて今ひとつよくわかりません。偽造商品の購入は犯罪者集団に資金提供することになるかのように論じてみたり、そうでもないように論じてみたり、偽ブランドは本当に悪いのかと問題提起してみたり、偽ブランドに手を出す人は(ファッションに関する限り)高いブランド品は買わないのだからブランドに被害を与えていないのではと論じてみたり。サブタイトルの「なぜ消費者は嘘を買うのか」にストレートに答えているようにも思えません(偽ブランドの品質もよくなってきているとか、とんでもなく高いブランド品より安くてそこそこもつ偽ブランドの方が魅力的とか、本で読まなくてもわかりきったことは時々出てきますが)。アメリカやヨーロッパの高級ブランド企業は極東(特に日本)でブランド・ロイヤルティを育むことに成功した、自国の市場では顧客のロイヤルティの多くを失ってきたという指摘(70〜71頁)は、欧米の高級ブランドをいまだにありがたがっているのは日本人だけと読めます。また、1980年代のサッチャー主義がよくいえば「懸命に働いて自力で成功すれば欲しいものは何でも手に入る」悪くいえば「他社のアイディアを盗んでなぜ悪い、ぼろ儲けできるならいいじゃないか」となり、自分さえよければという風潮となって偽造マーケットを成長させたという指摘(147〜151頁)は、へ〜〜っと思いました。私はもちろんサッチャー主義とかきらいですけど、そこまでは思ってませんでしたけどね。

17.クリスマス・トレイン デイヴィッド・バルダッチ 小学館
 41歳の記者トム・ラングドンが、アメリカ国内の飛行機に搭乗禁止となったことをきっかけに紀行文を書くという口実でロスアンゼルスのガールフレンドのところまで大陸横断鉄道での旅に出たところ、10年あまり前に別れた恋人のエレノアもその列車に乗り合わせ、様々な事件が起こるうちに最初は頑なな態度だったエレノアも軟化し・・・というようなストーリーの中年男女の恋愛小説。軽いミステリー部分もつけられていて最後に謎解きがありますが、恋愛小説がメインなので、これはあってもなくても大して・・・という感じ。最後はクリスマス・プレゼントって感じですけどね。登場人物で一番の悪役が集団訴訟王の弁護士っていうのが、作者が元企業側弁護士だけに、弁護士時代の敵方をモデルにしてるんだろうなというのが透けて見えて、ちょっと浅ましい。

16.逃げる ジャン=フィリップ・トゥーサン 集英社
 主人公の「ぼく」が、恋人のマリーのビジネス上の知人の中国人チャン・シャンチーを尋ねて上海に行き、そこでチャン・シャンチーの恋人らしきリー・チーと3人で北京に行って、リー・チーとのアバンチュールに溺れながら麻薬取引らしきものに巻き込まれて逃走し、その間にマリーの父が死んだことを知らされて予定を切り上げて北京からパリ、マリーの父の葬儀が行われるエルバ島へと戻ってマリーと再会するまでを描いた、基本的には恋愛小説。テーマを、マリーの、近親の死に直面しつつ恋人も不在の不安定な心情とその理解におく限りは、巧みな展開と描写と感じられます。しかし、最初から3分の2までは、舞台は中国でマリーは携帯電話の向こう側、主要にはぼくのリー・チーとのアバンチュール、異国での言葉がわからない中での宙ぶらりんで苛立つ心情などが中心で、これは何だったのだろうという思いが残ります。中国でのできごとは決着もつけられず/示されずに放り投げられたままですし。そして、この小説で結局理解できないのはリー・チーの気持ち・考え。恋人のチャン・シャンチーと同行しながら、初対面のぼくとアバンチュールを楽しみ、その内心の描写もなく、チャン・シャンチーとの関係でどう位置づけているのかも全くわかりません。リー・チーはぼくにとって異国のエキゾチックな理解不能なアバンチュールの道具としてあるようで、東洋人がそういう道具として出てくることに、ヨーロッパの批評家たちは何とも思わないかも知れませんが(訳者あとがきによればすべての書評がこの作品を高く評価しているそうです)、私はどこか差別的/コロニアルな価値観を感じてしまい、ちょっと不愉快でした。後半のマリーとの関係での描写でも、主人公をぼくと表記し続けつつ(ぼくを名前のある存在にしたくなかったのでしょうけど)マリーの視点で書いているページがしばらく続くのは、文学的な技法かも知れませんが、ちょっと落ち着かない感じがします。

15.水辺にて on the water/off the water 梨木香歩 筑摩書房
 イギリス(カナダもあるけど)と日本の湖沼・川や山・森を舞台に著者がカヤック(組み立て式の小舟)「ボイジャー」とともにあるいは歩いて旅しながらの情景と思いをつづったエッセイ。水辺や森の風景の描写が美しく、眺めの瑞々しさや靄や風なんかをふと感じ、心洗われる思いがします。できれば少しゆったりとした読書環境で読みたかったような・・・。湖沼や森の生物へのいとおしさ、旅と孤独への思い。さらにはそこに紛れ込ませた自然と人生への洞察も、うるさくなく染みてきます。全体が「水辺」をキーワードにしているので、連載の単行本化にありがちなバラバラ感もあまりなく仕上がっています。ただ、日本の地名になると唐突に「B湖」とか「S湖」とかの白々しい仮名表記がなされるのが、せっかくの美しい文章の中で目障りに思えました。

14.Run!Run!Run! 桂望実 文藝春秋
 エリート家庭で何不自由なく育った超高ビーな天才長距離ランナー岡崎優が、遺伝子操作疑惑に悩み、箱根駅伝を欠場して不器用な苦労人ランナー岩本君のサポートに回るハメになり、それを通じてその葛藤と成長を描いた小説。読んでいて主人公のジコチュウぶりとか、結局主人公の走る大きなレース本番がないとかいうあたり、ちょっと「バッテリー」(あさのあつこ)の陸上版かというイメージを持ちました。でも、嫌々ながらサポートしていた主人公が最後に成長を見せますので、読後の印象はだいぶ違います。当初の幸福そうな家庭が崩壊し、対照的にとげとげしかった大学のチームメイトが友情を見せる展開は、巧みではありますが、遺伝子操作の話もあわせちょっと作りすぎた感じで、不自然な感じが残るのが残念。岩本君や小松コーチ、保健師の水野あさ美といった脇役キャラがいい味を出して補っていますけどね。

13.マグヌス シルヴィー・ジェルマン みすず書房
 第2次大戦末期5歳の戦災孤児だった「マグヌス」が、ナチスの戦犯の家庭の養子とされ、逃亡生活、養親の失踪と死亡、親族(ナチス批判勢力)家庭への引取、旅先で知り合った文化評論家の女性との同棲とその女性の死亡、かつての憧れの女性との同棲と戦犯の養親の発見と女性の死亡を経て隠遁生活に入るというストーリーを展開しながら、マグヌスの自分探しを追い描いた小説です。「マグヌス」は、実は本名もわからない主人公が持っていた、そしてその後の旅の同伴者のクマのぬいぐるみに書かれていた名前です。テーマは重く、やや観念的で、200頁ほどの比較的薄い本なのに読むのに時間がかかります。文章自体は美しく、観念的な表現の部分も重苦しくなくむしろ流れるようにつづられています。文体だけ見ればすぐに読み切れてしまいそうに見えるのに、なかなか読み飛ばせませんでした。どう表現してよいのか言葉に困るのですが、久しぶりに作品の質というか品というか、あるいは格というか、そういうものを感じる作品でした。おもしろいかと言えば、そうは言いがたいし、方向性について共感するということでもないので、人にお薦めという感じもしないのですが、テーマと文章の美しさは一読の価値ありと思います。章の代わりに「断片」としてナンバリングされ、その間を解説文と詩的な文章がつないでいます。「断片」が2から始まるのに最初とまどい、誤植かとも疑いますが、後で時を遡った断片1が登場します。最後の方で断片0が登場しますが、これは時を遡っておらず謎めいたナンバリング。この種の作品を読むとき、いつも自分が何者か(出身、ルーツ)がそれほどまでに重要なのかと考え込んでしまいます。ラストはそこからの解放かさらなるこだわりか、自由な読みを残すものと思います。私は前者と読みたいですが。

12.アメリカの民事訴訟 第2版 モリソン・フォースター外国法事務弁護士事務所 有斐閣
 アメリカ(サンフランシスコ)の弁護士事務所の東京オフィスが、日本の依頼者向けにアメリカの民事訴訟の手続について説明した本。手続中心の説明で技術的なこともあって企業の法務担当者や弁護士以外にはかなり取っつきにくい本ですし、法律用語の訳がちょっとしっくり来ないところがあるのが難点。また、主な読者をアメリカで訴訟リスクを抱えるあるいは訴訟を希望する日本企業の法務担当者(顧問弁護士も含む?)と想定しているので、説明に使われる事例が企業間の特許紛争のケース中心というのも、一般読者にはなじみにくいと思います。しかし、そこを乗り越えることができれば(けっこう高いハードルですが)、アメリカの訴訟手続に興味がある読者には有益な本だと思います。このサイトで裁判手続について書いているページで時々アメリカとの比較を書いていますが、アメリカの裁判を支えているディスカバリーという証拠開示手続は弁護士にとっては(有能な弁護士にとっては、かも知れませんが)極めて魅力的です。証拠を隠す当事者(企業)に対して裁判官が関与して強い制裁の下に証拠提出を強制している事例は、日本の庶民側の弁護士にはうらやましい限り。この本で紹介されている事例では、訴訟に関連する電子データの保全を怠った企業に100万ドルの罰金が科されたとか、保全命令に違反して電子メールを破棄した企業に対して2750万ドルの罰金が科されたそうです(70頁)。読んでて、桁間違えてるんじゃないかと思うほどすごい額ですね。ただ同時に、ディスカバリーの最も重要な手続のデポジション(証人尋問)では裁判所の速記官の立ち会いの下で証人予定者を尋問できて、これがあるから弁護士は審理前に証人の証言内容を知ることができる上に証人にはデポジションと違うことを言えない(言ったら前には違う話だったでしょうと指摘できる)よう拘束をかけられるという尋問を行う弁護士には楽園のような条件が得られるのですが、この裁判所速記官の日当が1日1000ドル以上(82頁)、ビデオ録画者の日当や専門家証人の日当もあって、かなり費用がかかるのは、庶民側には辛そう。そういう費用の問題は感じますが、アメリカの訴訟手続は、手続上の公正さ・公平さということに関しては、かなり気を遣っていると思います。アメリカの法律は自由競争重視の弱肉強食的な部分が多々ありますが、同時にこと手続の公正・公平に関してはかなり徹底しています。昨今の日本の政治は、法律をアメリカ型の弱肉強食型にどんどん変えていますが、手続の方は見習っていません。こういうやり方ではアメリカ以上の弱肉強食社会になると思います。今のような法改正を進めるなら手続の方もアメリカ型にするべきだと私は思うのですが。そういうことを考えるのにも役に立つかも知れません(著者はそういう視点では書いていませんが)。

11.暮らしの中の面白科学 花形康正 ソフトバンクサイエンス・アイ新書
 鉛筆で字が書けるしくみとか、スタッドレスタイヤが滑らないしくみだとか、日常生活で使っているものの機能を科学的に説明した本。特に「へ〜、驚いたなあ」というようなことは書かれておらず、比較的地味に解説されています。普通に知っていることに少し知識を追加するくらいの感じですね。詳しいきちんとした説明は、別の専門書を見る必要がありますが、軽い教養本としては手頃なところでしょう。

10.股間 江本純子 リトルモア
 劇団毛皮族を主宰する作者の、たぶん自伝的な、小説。最後にフィクションと断られてはいますが、主人公の名前が重信ジュリ(作者はジュンリーと呼ばれているそうです)、主人公の主宰する劇団が「毛布教」、スター女優の名前が港乃マリー(毛皮族の主演女優は町田マリーというそうです)という具合では、自伝的小説と読むしかないでしょうね。文体も、本職の作家でないせいでしょうか、小説というより手記っぽいし。それ以外の登場人物の名前のつけ方はかなり投げやり。どうでもいい男子・堂出本伊井也(18頁)とか、そういうネーミングを見ただけで作者の意欲とセンスを疑ってしまいます。お話は、主人公が劇団の女優ら身近な女性に次から次へと恋愛感情を持ち肉体関係(レズの)を持ち、その人間関係のこじれと劇団の盛衰・経済的逼迫が延々と語られています。それが今ひとつストーリーとしてまとまらないまま、エピソードとして積み重ねられ、なんとなく締まらないままに終わっています。そういう点からも、劇団と作者自体に興味のある読者がどこまでが事実だろうという好奇心で読むための読み物なのでしょう。純然たる小説として読むには相当辛いと、私は感じました。

09.世界は単純なものに違いない 有吉玉青 平凡社
 1963年生まれ、有吉佐和子の娘の著者がここ10年間にあちこちに書いたエッセイを集めたもの。過去に書いたものを編集して、第1章が子どもの頃の世間の風俗・事件の想い出、第2章が青春時代、第3章が自分と家族を中心としたもの、第4章が文化・芸術関係の評論という感じに仕分けしています。前半は著者と概ね同世代の私にはなつかしく思えるところが多くありました。さくらももこ(ちびまる子ちゃん)が出てきたときに似たノスタルジーというところでしょうか。最後の方の文明論というか環境問題的なものも含めて、そうだよねと思うところは結構ありますが、どうも寄せ集め編集のため、強い印象や強い共感は感じにくいですね。ごくゆるい読み物として読むのが適切でしょう。

08.ダメおじさんでも目からウロコ インターネット情報検索 阿部信行 講談社
 初心者向けのインターネット情報検索の解説書。この種の本では、どうしても技術的なことや専門的なことを書きたくなって結局初心者には難しく思えることがありがちですが、この本では高級なことは書かずに大胆に初心者向けに絞って書かれています。その意味で日常的にインターネットを利用している人には新情報はありませんが、初歩のところだけ押さえたい人には読みやすいでしょう。著者が参加している情報サイト「All About」への誘導が何度かあるのがちょっと目につきますが。

07.セブンパワーズ アレックス・ロビラ ポプラ社
 闇の王ヌルに奪われた伝説の聖剣アルボールとハノ王子を取り戻すために若き騎士が「運命の地」での冒険に挑むお話。騎士の前に立ちはだかるのは「失敗への衝動/恐怖」を体現したドラゴン、うぬぼれの霊薬を抱く魔女、欲望の玉座・・・そして騎士を導くのは知恵者のフクロウや「目的の泉」の守護者ダーム、信じる気持ちを持つ者を救うオオワシら。繰り返し語られるのは、チャレンジの大切さ。セブンパワー=7つの力とは、勇気、責任、目的、謙虚さ、信じる気持ち、愛、協調・・・。童話の形式を踏んではいますが、どう見ても自己啓発セミナーのテキストですね、これ。最後のシーンで王が協調の大事さを教えるのに、1本の矢なら折れるが40本の矢は折れないというのは、どこかで聞いたような・・・

06.夏の魔法 北國浩二 東京創元社
 老化が異常に進行する「早老症」に罹患し末期癌患者の22歳の老婆早坂夏希が、中2の夏を恋人と過ごした想い出の島で最後を迎えようと旅行したところ、そこでかつての恋人と相手が気づかぬままに再会し、気づかれないようにしながら一夏を過ごすという設定の小説。冒頭から滅多に見れない伝説のグリーン・フラッシュ(夕陽が沈む瞬間に緑色に輝く現象だそうです)が、当然予期できたかのように登場するのに象徴されるように、ちょっとできすぎの設定が続きます。それを気にせずに楽しめば、前半はそれなりに楽しく読めます。ただ、それでも夏希の心の揺れの振幅が大きすぎて、人物像の把握にとまどいました。菩薩のような穏やかさと、ときおり噴出する若い女性への激しい憎悪。とんでもない病気だからなあと思いつつ読むのですが、終盤で、いろいろな意味で夏希の独りよがりが露わになり、話も暗くなってしまいます。エンディングでは病気も吹っ飛んでいますし、これで終わられると、病気の設定の意味は何だったのとも思えます。前半・中盤で積み上げてきたものが、終盤からラストで崩れるというかうまくつながらない感じで、暗くなることもあり、読後感は今ひとつ。

05.公園 荻世いをら 河出書房新社
 公園を雑多な人々が雑多なことをする世界の縮図と捉え(16頁とか)、近くの公園からたぶん公園的なものとしてのニューヨークへ行き、居住地の歌舞伎町へと戻るぼくの過去と旅行(河出のコピーでは「終わりなき移動」、「冒険」だそうですが、私の感覚では、そうは書きにくい)の小説。ぼくは、すぐにめんどうだなあと思うけど、流れに任せて動くしわりと話し好きの学生。ぼくは、高校生の頃の想い出では友人のバックにヤクザがいてしかも2人を相手に数十人でやる自分は絶対安全なリンチには参加する卑怯な高校生、学生の今は足を洗って映画オタクになり下田で遭遇したヤクザが運転手をリンチする場面からは走って逃げつつ警察に電話するというようにスタンスを変えています。それでラストは歌舞伎町に帰ってきて、やっぱり公園(象徴としての公園)が好きって印象でまとめていて、今ひとつ過去と現在のつながりをぼくがどう捉え消化しているのか読み取りにくく思いました。場面もニューヨークは象徴としての公園なんでしょうけど、そこではただ白人と話をするくらいですし、下田への展開は狙いも見えませんし、行かなかったけど行きそうなところでチベットなんて出てくるのも、公園というテーマとのつながりが見えません。なんか、取って付けたように場所を移すことでストーリーが展開しているような効果を狙っているのかなと感じました。文章でも、冒頭の1文が「で、ぼくは公園にいる。」であるように、前後の脈絡なく「で、」で始まるパラグラフが度々登場します。「で、」っていうのは順接の接続詞でそれ以前の展開を受けて用いられる言葉と思っていたのですが、この作者には、単に場面を切り替える言葉のようです。この「で、」があるとそれまでの展開はなかったように忘れられていくような使われ方です。その結果、ストーリーもぶつ切りになってただのエピソードの羅列のように読めてしまいました。たまたま2006年の文藝賞(河出の新人文学賞)受賞作を連続して読みましたが、2作とも弁護士が登場した(ヘンリエッタの方は正確にはドラマで弁護士役を演じる俳優ですが)のは、若者(なんせ作者はヘンリエッタが高校生、公園が大学生ですからね)に印象がいい仕事だということなんでしょうね。

04.ヘンリエッタ 中山咲 河出書房新社
 一方的に恋して恋した男の数だけ魚(金魚とか)を飼っている騒々しいみーさん、落ち着いているけど時々なぜか三輪車を盗んできたり子どもを拾ってくるあきえさんと一緒にあきえさんの家で暮らしている引きこもりの少女まなみが、3人で暮らすうちに少し外に出られるようになり前向きになる様子を日常生活の中で描いた小説。放浪癖のある父親と戻っておいでという母親のありがちな家族像と、あっけらかんとした女たちの微妙な距離感、牛乳配達の高校生を対比的に描いて、まなみに後者の居心地のよさを選ばせています。時代の雰囲気は、そうなんでしょうけど、なんだか最近はそういう話、小説以外でよく聞かされる感じがして、ちょっと食傷気味。家に「ヘンリエッタ」なんて名前をつけて、みんなが、「行ってきます、ヘンリエッタ」「ただいま、ヘンリエッタ」と挨拶しているのが、3人の生活に少し不思議な感覚を持たせています。また、それがなんとなくリズムを作っているような印象もあります。それを除くと引きこもりで幻視のあったまなみが立ち直っていく話を、日常生活のエピソードを交えながら少しほわっとさせたお話というところですね。

03.天と地の守り人 第1部 上橋菜穂子 偕成社
 「精霊の守り人」に始まる守り人シリーズの完結編と位置づけられた3部作の第1部。30代半ばとなった短槍使いの女用心棒バルサが、タルシュ帝国の侵略の危機を前に新ヨゴ皇国の危機を救うために隣国との同盟を求めて単身奔走する青年皇太子チャグムを追ってロタ王国内に潜入してチャグムの危機を助けつつ旅に同行するというストーリーです。これまでのシリーズが王家・政権内の諸グループの陰謀とそこに巻き込まれた皇族とさらに巻き込まれたバルサ(とその愛人のタンダや師匠のトロガイ)というような構図だったのですが、この作品では数カ国間の戦争とそれぞれの国の政権内の各グループの思惑が入り乱れ、より重層的な構造になっています。鎖国・籠城の戦争(迎撃)方針を固めた新ヨゴ皇国で防波堤役に徴兵される「草兵」たち(タンダも徴用されています)の姿も描かれ、戦争で犠牲になる庶民の様子も意識させています。全体として、シリーズの総決算という思いがあるのでしょう。かなり大きな構想で描かれている感じがします。主人公のバルサの強靱な肉体と精神力は相変わらずで、このシリーズの魅力はそこにあると私は感じていますが、同時にバルサももう30代半ばで次第に体の衰えを感じ、子供を産む体だとか腰を落ち着ける時期とか言われて少ししんみりとタンダのことを考えたりもしてしまいます(すぐにまた自分は用心棒稼業を辞めることはできないと考えるのですが)。このあたりのバルサの迷いにも、私は、作品の深みを感じています。若くて超人的な主人公ではなく、あえて30過ぎの女性を主人公にした以上は、強さと戦いだけでない人生のあり方を考えさせ・考えざるを得なくなります。作者がこの完結編でそれをどう描くのかも(もう原稿は書き終わっているようですが)見どころだと思います。第1部がバルサがチャグムと再会できたところまで書いているのは、読んでいてホッとします。3部作と決まっているわけですから、売りたい気持ちが前に出る作者・編集者だったらその直前で第1部を切る(例えば319頁で止める)なんてやり方だってあり得るわけです。それをしないのは作者の良心(自信かな)なんでしょうね。
 女の子が楽しく読める読書ガイドで紹介

02.美の20世紀4 ミロ スーザン・タイラー・ヒッチコック 二玄社
 カタルーニャ生まれの抽象画家ジョアン・ミロの解説付き画集。抽象画家として知られるミロですが、抽象画を始める前の風景画も意外にいけますね。ヘミングウェイが買ったという「農園」(21頁)なんかわりと気に入りました。若い頃は極貧生活で、有名な「アルルカンのカーニバル」(15頁)のアイディアは飢えがもたらす妄想から着想したとか(35頁)。庶民の弁護士としては、親近感というか共感というか、同情してしまいます。スペイン内戦の際には共和政府支援のために絵を書いたりとかも。ミロの絵って抽象の中に喜びとより多くの哀しみを見やすいのですが、私は、意外に黒の使い方が巧みだなと感じます。「女の頭」(40頁)とか「古靴のある静物」(41頁)とかの黒が基調の作品はもちろん、全体が明るめの色調の絵でも黒が絵を引き締めているように感じます。

01.夜遊の袖 吉野光 作品社
 70歳近い信州出身で元国立博物館勤務で現在は京都で大学教授だけど売れない小説も書いている純一と幼なじみの芸妓まり子とその娘未緒が京都と過去の信州・東京で織りなす人間関係を中心とする小説。前半と最後で出てくる能と京都の風景・風俗の描写の雰囲気は、悪くなかったのですが。この主人公の設定が、まるっきり作者のプロフィールと一致していて、たぶん、自伝的作品なのでしょうけど、これが全編、自分は立派で正直で粋、他の男は皆無粋で傲慢と言い続けていて、とても見苦しい。しかも、敵と位置づけて貶めている大館の方が、私にははっきりと純一より器が大きく読めます。時々相談者が一方的に相手が悪いと言い続けているのにそれを聞いていてさえ相手の方がまともそうと思うときがありますが、そういう感じ。大館が悪者に見えるのは最後にまり子に手を出そうとしてまり子が嫌がるシーンが置かれていることによるのですが、それだってそれまでのまり子の態度とそぐわず、取って付けた感じ。この作品で登場する女性は、雅や侘びの雰囲気を出すためと、純一を慕わせ敬わせて純一が偉いという形を作るとともに他の男を嫌わせて貶めるためだけに存在するようです。まり子の態度もそうですし、未緒にしてもお話の前3分の1と後3分の1は未緒の視点から語られているにもかかわらず未緒の人物像や思想はほとんど見えません。純一への「父殺し」と「復讐」のために未緒は2度犯されるのに、怒りも悔しさも描かれません。ただ未緒の立場から純一を理解し、敬う心情が書き連ねられていきます。また、純一は父親を恨み続けますが、それも父親が脱走兵を追わせてその結果身の危険を生じたことが理由になっています。普通、そういう場合恨むのなら危害を加えた脱走兵でしょう。なんか、この人自分以外の権威ある人物を貶めたくてこじつける理由を探している感じがします。しかも、普通、父親との葛藤を描く小説は、成長した後どこかで父親を理解したり許すものですが、70近くなった純一がいまだに既に死んでいる父親を恨み続けているなんて、滑稽だし、かなり異常。作者はそういうふうに感じないんでしょうか。まあ、自分と同じプロフィールを設定して、それを慕う女の視点から純一は立派と語らせて恥ずかしく思わない感覚ですからね・・・純一の敵として貶めている宮脇を「自分なりの世盛りの錯覚を他人の是認の形で味わう仮構の舞台が欲しい。それを欲する資格は俺にもある筈だ」(233頁)なんて描いていますが、そのまま純一にこそ当てはまるように読めます。自己満足の色彩がかなり強い作品だと、私は思いました。なお、66頁に「名誉毀損は立派に傷害罪なのだ」とかいう法律的には意味不明の記載があります。言うまでもなく傷害罪は身体に傷を負わせる犯罪ですから、名誉毀損が傷害罪に当たることは概念上あり得ません。法律用語を使うのなら調べてから使って欲しいなあと思います。

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