私の読書日記  2007年12月

18.名もない顔もない司法 日本の裁判は変わるのか ダニエル・H・フット NTT出版
 日本とアメリカの裁判官と裁判制度を比較して論じた本。タイトルにあるように裁判官の個性についての考えと裁判官や裁判の公開についての考えが違うことを軸として論じています。アメリカでは裁判官に個性がありそれが裁判の進め方などに現れることを前提とし、裁判官の任命の手続が公開され、陪審制度を通じて市民が裁判と裁判官を直に知る機会があり、そういった情報の公開を通じて市民の裁判への信頼が高まるのに対して、日本では誰が裁判をしても同じ結果となることがよしとされ、裁判官の任命や個性についての情報はほとんど知られず市民と接触することもほとんどない。アメリカは透明性(公開と批判による誤りの修正)を重視し、日本は統一性を重視する制度と評価され、著者は日本の裁判制度が透明性を高めることが必要だと論じているわけです。日本の裁判所は判例法主義のアメリカよりも先例を重視している(17〜18頁)という指摘もあります。さらにアメリカと同様に直接主義・口頭主義(法廷で証言されたことで判断するということ)を標榜しながら審理途中で裁判官が交代できることはアメリカ人には衝撃的(252頁)とか、裁判員制度導入に当たってアメリカで報道の影響排除のために取られている方策が日本では準備されていないことやアメリカでは陪審員に示すことが禁止されている被害者の意見や被告人の前科・性格についての証拠が裁判員は(陪審と異なり)量刑も判断するがために裁判員に示され事実認定の判断にも影響を与える危険等への懸念が示されています(306〜310頁)。有罪・無罪の判断段階での被害者の積極的参加がアメリカでなら違憲審査で認められるとはまず考えられない(310頁)とも。著者の立場は穏健で比較的保守的と見え、視点はごく実務的なもので、弁護士の目からはやや政治や裁判所への遠慮ないし目配りが感じられはしますが、説得的な内容に思えます。司法改革と裁判員制度をめぐって考えるときの、少し全体からの視点を得るのにいいかなと思いました。

17.大人が知らない携帯サイトの世界 佐野正弘 マイコミ新書
 携帯サイトと主として携帯電話でネットを利用するケータイ世代についてパソコン世代向けに紹介した本。著者によれば、10代から20代前半のケータイ世代はITリテラシーは高くなく技術には全くといってよいほど関心がなく、常に携帯電話が欠かせず、電話番号やメールアドレスについて意識が低く簡単に変更し、大多数はオタクはキモイと思っているそうです(22〜33頁)。これはこれでステレオタイプ化した見方とは思いますが、番号ポータビリティ制度なんて番号変更にこだわりがないケータイ世代にはお金がかかるだけのあまり意味がない代物(28頁)という指摘はおもしろい。パソコン世代には画面が狭くて通信速度が遅くて高い魅力のないものだった携帯サイトが、ケータイからネットに入った(親に気兼ねなくネットに入れるツールがケータイだった)ケータイ世代には最初からネットはそういうものという意識で受け入れられ、携帯サイトはケータイ世代中心で利用され、パソコン世代と住み分けられていたものが、次第に両方からネット利用する人が多数派になって携帯サイトとPCサイトの融合が進んでネット文化の違う両者が衝突する機会が増えたということがこの本の問題提起になっています。で、日本では今後携帯電話からのネット利用が優位になっていき、またケータイ世代の社会人化でケータイ世代が顧客となることからパソコン世代がケータイ世代に理解を示していく必要があるというのが著者の結論。まあネット事業者としてはそうでしょうね。携帯サイトの問題サイト対策で「魔法のiランド」がやっている「アイポリス」ってスタッフがいちいちサイトを閲覧してチェックして管理者に注意してるんですね(197〜198頁)。ご苦労様ですね。

16.アクティブレストで疲れをとる! 藤牧利昭監修 山海堂
 疲労回復のために、ただ休憩するのではなく、ストレッチングやマッサージ、軽めの運動などで体を動かすことによってより速く有効に回復しましょうという本。運動による疲労からの回復は安静にしているよりも軽い運動をする方が速く回復するそうで、近時健康維持のために推奨されている乳酸性作業閾値(LT:運動を続けても血液中の乳酸濃度が上昇していかないレベル)の運動よりも軽い運動が適当だそうです(78〜79頁)。体の部位別のセルフストレッチングやペアストレッチングが写真付きで紹介されているので参考になります。マッサージは体の先から中心に向かってやるんですね。どうも凝ったところをまず、往復でさすりたくなるんですが。

15.11センチのピンヒール LiLy 小学館
 見栄っ張りで人に弱みを見せたくないために友だちにも嘘ばかりついているアパレルショップ店員24歳女が、身から出た錆でショップも首になったりして追い込まれる中、6歳年下のひたむきな男子高校生の愛にほだされて素直になれて幸せをつかむというストーリーのケータイ小説。安月給なのにブランド品を買い続けて借金漬けになり、そのことも含めて友だちにも嘘ばかり言うわ、小金持ち男に振られても未練がましく連絡し冷たくされると高校生に電話して呼び寄せてセックスするわと、見栄えはよくても軽薄でダメな女を絵に描いたような主人公で、前半はいかにも嫌な感じ。終盤で、追い込まれて開き直り友だちに本当のことを打ち明けたところから急転直下素直になってハッピーエンドへという展開が、安直ですが、まあエンタメとしてはわかりやすくていいかというところ。でも借金で悩むなら、ご利用は計画的に、相談は早めに弁護士へ・・・コマーシャルでした(^^ゞ

14.やりたいことがわからない人たちへ 鷲田小彌太 PHP文庫
 やりたいことがわからないと悩む若者に向けた人生論。基本的に著者の言いたいことは、やりたいと思わなかろうがつまらないことだと感じていようが、今やっていること、今与えられている仕事、課題を全力でやれ、それにより力が付き評価も上がり、やりたいことを見つけてやり抜く力が身に付く、つまらないと思いながら人生を過ごしているとやりたいことも見つからないしやりたいと思ってもやる能力がないとあきらめることになるということ。一面の真理ではありますが、元マルクス主義者が転向してPHP研究所から出版している本だということを前提にすると、使用者に使いやすい都合のいい労働者を作り出すための奴隷の哲学とも読めてしまいます。こうだと論じては、例外に目を配りたいからか違うことを論じという調子で、論理の運びが今ひとつスッキリしない感じがしました。連載エッセイをとりまとめて一冊にしたのかと思って読んでたら、最後に書き下ろしって書いているし。そこここに書いていること自体は、使用者に都合がいいなあとは思いつつも、わかるのですが、全体を通じると、なんかわかったようなわからないような読後感でした。

13.もっと深く「知りたい!」フィギュアスケート 阿部奈々美 東邦出版
 フィギュアスケートについてのQ&A形式の入門書。スケートを習う人用の入門書ではなく専ら見る人向けだと思います。フィギュアスケートを見ていていつもわからないジャンプの種類の違い(でもルッツとフリップって跳ぶ前に体重が靴の外側のエッジにかかっているか内側のエッジにかかっているかだけの違いなんですね:28〜32頁。それがわかっても見ていて区別できないでしょうね)とか、ルール(ジャンプが何回スピンが何回とか。宙返りも禁止されているんですね)とかが初心者向けに解説されていて、参考になりました。ジャンプもスピンも日本選手は左回りばかりなのは、民間のスケート場の大半で右回りが禁止されている影響だとか(64頁)。スポーツをめぐる文化の制約というか影響が意外なところで出てくるのですね。

12.眷族 玄月 講談社
 大阪でゴム工場と不動産で財をなした在日朝鮮人の家系と、裸一貫からその家を切り盛りした日本人妻トメと、その子孫たちという設定で、血族の確執と結束、馴れ合い、不義、近親相姦等を描いた小説。純血と血の穢れということが、トメが見知らぬ男に強姦されて産んだ次男の家系を穢れた血としてその子孫が淫乱で不義の近親相姦を繰り返す宿命のように描かれているのですが、大黒柱のトメ自身が日本人ですし、不義の子ではないはずの孝治も異常性欲者ですから、何をもって穢れた血と言っているんだかという気にもなります。「穢れた血」(103頁)なんて単語を見ると松岡訳ハリー・ポッターをイメージしてしまいますし。登場人物が多くて、近親間での不義密通が続くので関係を覚えきれなくて、ちょっと読むのがしんどい。えぇ〜っと、この人の父親は誰だったっけとか読み返すことが多くなって・・・。あえて日本人のトメを一家の大黒柱に据え、不義の子たちを中心に描くことで、金持ちの血族へのこだわりと財産への執着をパロディ化したのだろうと思います。それを、在日朝鮮人の家系という設定でやる必要があったのか、それが適切なのかについては、読んでいて疑問を感じましたけどね。

11.獣王 黒史郎 メディアファクトリー
 現実の団体とは関係ありませんといいながらどう読んでも上野動物園を舞台に、飼育係の男性が、動物を擬態して見つめ続けその後には決まってその動物が死ぬという不思議な女性客「キョウコ」を寮に招き入れて住まわせながら飼育し続けるというストーリーの怪奇小説。見つめ続けた動物に次第に変身していく人間の言葉を話せない女性に恋して一方的な会話を続ける飼育係の姿は、幻想というか妄想というか、それ自体哀しくもあり怪奇でもあります。終盤には輪廻・転生なのか、主人公のアイデンティティ自体が崩れるというか入れ替えもあり、幻想感というか不思議感が強まりますが、B級ホラーっぽい展開のため哲学的なムードにはあまりなりません。設定からして、場所が明らかに上野動物園であること以外は、全然現実感がないのですが、私としては主人公とキョウコのコミュニケーションの行く末で最後まで展開した方が読ませたかなという気がします。

10.青色賛歌 丹下健太 河出書房新社
 28歳フリーターでホステスと同棲中の主人公が、就職活動と出ていった猫探しをするというストーリーの小説。フリーターをこっち、勤労者をあっちと捉えて、あっちをうらやんでいた主人公が、あっちの世界もあまり居心地がよくない、あっちの住人もこっちをうらやんでいたということに気づくということがメインテーマになっています。そういったことを、日常的なことに若干のハプニングが起こる程度の展開で、驚きの展開はなく重くなくかったるい感触で語り進めています。結論は、いかにものラストが示すように、まあ吹っ切ってか開き直ってか、自分らしく生きればってことなんでしょうね。それにしても横領して警察に追われながらでもサラ金なんかから逃げたらどんな目に遭わされるかってサラ金にはきちんと返す大西(122〜123頁)って。一般人はサラ金にそんなに恐怖を感じているんですね。サラ金はもちろん、ヤミ金融だってサラリーマンに貸してくれるようなところは「そんな目」に遭わせることもないと思いますが・・・

09.人口学への招待 河野稠果 中公新書
 人口の変化とその社会経済等の要因との関係を研究する人口学についての解説書。かつては人口爆発が心配されていたのが嘘のように、今や世界人口の43%を占める国・地域で出生率は人口置換え水準を下回り少子化が進行しているそうです(109〜110頁)。他産他死社会から少産少死社会への転換は、ヨーロッパでは産業革命により途上国では衛生教育の普及によりまず死亡率が下がるという形で進んだそうです(116〜117頁)。乳幼児死亡率が下がることでたくさん産む必要がなくなり、長生きすることになりよき計画的な人生を考えるようになって出産をコントロールする(120〜121頁)って、わかりやすいけど、人間ってそんなものなんでしょうか。戦後の少子化の原因についてはいろいろ論争中だそうですが、伝統的な家族志向の制度を維持して男女役割分業制が残っている国ほど出生率が低い、ヨーロッパで出生率が高いのは自由主義的・個人主義的志向を持つ国で、出生率が低いのは全体主義を経験した国、1980年代以降世界で非常に出生率の低い国は日独伊三国同盟の国で現在の低出生率は女性のリベンジ(これは小話)なんて話(203〜207頁)は、考えさせられます。東アジアでは受験競争の厳しさが教育費負担の増大等から出生率低下を招いているのではという著者の仮説(207〜210頁)も興味深いところです。OECDの研究で、日本については育児費用の負担を減らすために減税や児童手当の増額をするとか正規の保育施設を増加するという施策で合計特殊出生率を2.0くらいまで回復できる可能性があるという指摘がされている(258〜260頁)ことは初めて知りました。是非ともそういう施策はケチらないで実行して欲しい。

08.キャベツ 石井睦美 講談社
 父親が死んで母親が働きに出るようになって中2にして主婦の役割をすることになった少年が大学生になったときの高校生の妹・妹の友だちなどとの人間関係を描いた小説。主人公が飄々と主婦の役割をこなしてしまったがために仕事から帰ると何もしなくなった母親、食器の後片付けしかしない妹に囲まれながら、それでも特段恨みがましくも思わず友だちと遊びにも行かずに家事をこなし続けるお兄ちゃんという設定。子供は泣いていいけど大きくなった女の子は泣いちゃいけない、それはご飯を作らなきゃいけないからという母親の言葉(11〜12頁)を糧に泣かないように決め、妹を怒らないことに決めた(42〜43頁)主人公は、淡々とその役割をこなしていきます。これ、女の子に都合よすぎの優しい兄願望を絵に描いたようで、ちょっと読んでいて気恥ずかしい感じ。まあ、そういう感じを持つ男性読者には、妹の友人の美人のかこちゃんとのロマンスでサービスしてなだめ、妹側で読む女性読者には勝ち気の妹と大金持ちのぶっ飛んだおばあちゃんのコンビに爽快感を持たせて、そのあたりは作者の読者あしらいがうまいというか気を遣っている感じはしますけどね。父親が死んでもおばあちゃんの持っているマンション(いくつも持っているマンションのうち一番小さいやつ:149〜150頁)住まいで、おばあちゃんの世話になればそもそも母親が働かなくちゃ生活できないわけでもない設定なもので悲壮感もなく、いろいろな意味で現実的でない設定ですが、だから安心して読めるほわっとした小品になっているといえるのでしょうね。

07.肝心の子供 磯ア憲一郎 河出書房新社
 ブッダの青年時代、ブッダの息子ラーフラの青年時代、その息子のティッサ・メッテイヤの青年時代を描いた小説。ブッダ自身のその後には関心を向けず、幼くしてブッダに見捨てられた息子、その息子にまた幼くして見捨てられた孫が、しかし特に父親を恨むこともなく淡々と独自の道を歩む姿を追っています。この3代の男たち、特にそう育てられたわけでもないのに、殺生は嫌いで獣にも虫にもさらには器や道具にも命があると考え、しかし人間関係には執着がなく簡単に家族を捨て去るところが共通点。これを軸に、他方に隣国の武力に走る野心家のマガダ国王に親子間の相克の悲劇を演じさせることで、ブッダ親子の執着心のなさを際だたせています。しかし、そのブッダ親子も栄達の姿は描かれず、どちらかといえばラーフラ、ティッサ・メッテイヤと次第に落ちぶれていく様が描かれ、その先にラストの解放された心象風景があるとはいえ、生き方については考え込んでしまいます。3代を見てティッサ・メッテイヤが一番無我の境地で(無我夢中というべきか)極楽に近づいたという評価なんでしょうかねえ。少し一文が長めの古いのか新しいのかちょっと不思議な感じの文章。その文体と相まって、軽い非日常感に浸れます。

06.社員10人までの小さな会社の資金繰りがよくわかる本 税理士法人上坂会計編 明日香出版社
 小規模会社の経営者が投資や借入等の判断をする際の会計上のポイントを解説した本。お金の借り方の本じゃなくてどうお金をやりくりするかの本です。利益が出ることとお金があることは違う(減価償却とか、在庫とか、売掛金回収と仕入代金支払の期間のズレとかが原因になるわけですが)とか、バランスシートの右側はお金をどうやって調達してきたがで左側はお金がどういう状態にあるかとか、設備投資のための借金の返済は減価償却の範囲内、お金が入ってくるのは銀行からと得意先(売上先)からの2つしかないとか、簡単に言い切っていく説明がわかりやすく小気味よい。税金は払った方が経営上もプラスという指摘は、税理士としての建前論にも見えますが、節税と称して不必要に経費を使って利益を減らす行為を戒めているのは、自営業者としては日頃の実感としても納得します。節税対策とか言って言い寄ってくる人たちっていかにも怪しげだし。会計の本にしては、とても読みやすい。あくまでも会計の視点からの指摘ですので、経営者からは会計のことばかり考えてたら経営判断にならないと言いたくなるでしょうけどね。

05.司法通訳だけが知っている日本の中国人社会 森田靖郎 祥伝社新書
 研修生・実習生という形で実質的には低賃金単純労働者として来日している中国人たちの実情と送り出し側の中国の実情などをレポートした本。著者は日本人ルポライターで、司法通訳もしている中国人組合活動家の話を聞いてそれをまとめたもの。経験談の多くは、司法通訳としてのものではなく、中国人労働者の日本での受け入れ組織としての組合を作りそこでの活動によるもの。主人公とも言える中国人の立場は、基本的には中国人労働者の権利を守るための代理人・活動家ですが、日本人経営者側寄りの行動もしてみたり、ちょっと微妙。司法通訳としての経験談も、事件について独自の立場で調べたり説得したり、通訳としての仕事をかなりはみ出しています。司法通訳が本業ではなくて、組合活動家がたまたま司法通訳もしているという感じだからなんでしょうね。まあ、中国語でしゃべってたら被疑者・被告人と何話してるのかわからないんですが、本当に日本語訳しない部分でこういう話してるとしたら、法律家業界としてみれば困りものです。都市と農村で激しい格差のある中国人社会、研修生・実習生から中間搾取する違法・合法の送り出し組織、労働基準法も最低賃金法も無視して低賃金長時間労働させる日本の経営者たち、夢と日本の現実の落差に失踪したり犯罪組織に飲み込まれていく来日中国人たち。やるせない現実が綴られています。ちょっとストーリーというか本の流れはごちゃごちゃしている感じですが、一つ一つのエピソードは興味深く読めると思います。

04.ネット君臨 毎日新聞取材班 毎日新聞社
 ネットでの集団中傷やいじめ、児童ポルノの氾濫などのインターネットの負の側面をレポートした毎日新聞の連載の単行本化。タイトルや書き手側の意識はわりと大仰ですが、提言していることは、プロバイダーや掲示板管理者にログ(通信記録)の保存を義務づける、児童ポルノは単純所持も禁止、ネットが子どもの非行やいじめの温床にならないようにリテラシー教育を充実と、意外におとなしめ。匿名性などをめぐる議論は、構えた議論同士でかみ合わないありがちなパターン。あえてそれをやって、取材班は被害者の視点で見て欲しいだけだと言ってシンパシーを買おうとしてるのかも知れませんが。匿名だろうが実名だろうが、ネットだろうがオフラインだろうが、弱い者いじめや嫌がらせはやめるべきだし見ていていやらしい。それを何か大上段の議論でネットの自由だとか内部告発だとか実情にあわない例で正当化しようとするのは見苦しい。他方、新聞や週刊誌もよくやる警察に挙げられたら書きたい放題のメディアスクラムを棚に上げて「祭り」をネット特有であるかのように言うのも白々しい。ただネットの匿名性を必要なことと言いながら、相手が政治家や権力者ならともかく市井の一般人の実名を暴いて喜んでいる姿にはネット特有の嫌らしさを感じます。せめて匿名性が必要と論じるのなら他人の匿名性も尊重すべきだと、それは最低限のルールだと、私は思うんですが。

03.欧州連合 統治の論理とゆくえ 庄司克宏 岩波新書
 市場統合、単一通貨を始め国境を越えた統合をめざす歴史的実験のさなかのEUについて、統合や意思決定の実情、歴史等を解説した本。各国の利害と国民感情を抱えながらEUが合意を作っていく枠組みには、国際社会のあり方を考える上でも、通常の組織論としても大変興味を持ちます。合意形成の枠組み自体が、当初は理論でつくられ、交渉での妥協により種々の段階・例外が作られていく様は、理論的にはスッキリしませんが、実務的には納得できる、そういう世界です。理論を貫くとわかりやすいけど、きっと合意できずに、連合自体が崩壊していくのでしょう。拡大の過程で、加盟の条件として民主主義、法の支配、人権を含むコペンハーゲン基準の達成を求め、加盟が認められない場合にも同様の基準を要求しつつ欧州経済領域協定(EEA)等を通じて域内市場への参加を認める等の交渉を進め、それによって周辺の国を同一の価値を持つ国に変えていくというEUの戦略には、平和の確保のために軍事ではなく経済・外交を優先する着実さ・したたかさを感じます。こういうことが大人の政治だと思うんです。共産主義が崩壊し、北欧の高福祉社会も今ひとつ元気がない状況で、自由競争・弱肉強食に突き進むアメリカとそれに追随する日本という色あせた国際情勢の下で、ねばり強く人権の尊重を主張し続けるEUの姿勢には共感を覚えます。もちろん、うまくいかない現実も多々ありますが。欧州議会の事務局の所在地が「ルクセンブルク(ドイツ)」となっている(26頁)のは、たぶん単純なミスでしょう(ルクセンブルクはドイツの植民地と主張したい訳じゃないでしょう)が、岩波新書にしてはお粗末。

02.インド、チョーラ朝の美術 袋井由布子 東信堂世界美術双書
 南インドの古代王朝チョーラ朝時代の寺院建築と彫像についての解説書。石造りの巨大な門や塔とその側面等に彫り込まれた彫像に圧倒されます。美術研究書としてはもう少しカラー写真が欲しいと感じますし、解説も美術的な部分より、その前提としての王朝の歴史やヒンドゥー神話が大部分を占めています。ヒンドゥー教で民衆の信仰を集めるシヴァ神の像でも両性具有のアルダナーリー(右半身が男性のシヴァ、左半身が妻のパールヴァティ)の形をとるものや踊るシヴァ神ナタラージャの像がチョーラ朝時代の美術の中心をなしていることや、男女が一体となる姿が生命の誕生を意味し、またシヴァの恐ろしい踊りが宇宙を創造したというヒンドゥー神話などの解説に興味を引かれました。でもやはりヒンドゥー美術では、キリスト教や仏教系の美術では見られない豊満でありつつ優美な人間らしい神像がとても魅力的です。ギリシャ彫刻やルネサンスのような、しかしオリエンタルな表現が10世紀のインドで発展していたことに思いをはせるのは、ちょっとぜいたくな時間。まあ、私が高校生の時から古代インドに憧れてたからでもありましょうが。

01.真夜中に戸をたたく キング牧師説教集 クレイボーン・カーソン、ピーター・ホロラン編 日本キリスト教団出版局
 1950年代〜60年代のアメリカの公民権運動(黒人解放運動)の指導者だったマーティン・ルーサー・キング2世の説教集。日本語版では2003年発行の「私には夢がある」の続編。「私には夢がある」の方がキング牧師の指導した非暴力抵抗運動を語る説教・講演が比較的多かったのに対して、この本ではキリスト者としての生き方や信仰告白的な説教が多いように感じられます。その中でも「あなたの敵を愛せよ」と「アメリカの夢」は、運動的にも優れた説教だと感じます。「あなたの敵を愛せよ」で、敵をも愛すべき理由としてキング牧師が語ったのは、憎しみには憎しみをという考えは憎悪の連鎖・憎悪の悲劇を招く、破滅を避けるためには憎悪の連鎖を断ちきる強さが必要である、憎悪は憎悪の心を持つ人の人格を歪める、そして愛こそが/愛だけが人を/敵を変える力を持つこと(82〜87頁)。この苦しくも美しい論理とともに、被抑圧者が抑圧に対処する方法としては、憎悪ではなく愛を持ってしかし譲歩せずに非暴力抵抗運動を行うことこそが唯一の方法でありまた現実的であるという認識が、このキング牧師の説教を裏打ちしていることは見逃せません。「アメリカの夢」では非暴力抵抗運動と愛を語った上で、キング牧師が1963年に行った「私には夢がある」の説教の後、その黒人と白人の共存の夢が度々悪夢に変わり粉砕されたことを告白しながら、しかし、なお「私には今朝、まだ夢がある」と聴衆に語りかけるキング牧師の言葉(135〜137頁)の悲痛さ、せつなさとたくましさに感じ入りました。説教を続けて読むとどうしても同じエピソードが何度か使われていることに目が行きますし、全体としては、キリスト教会的な関心での編集が目につきますが、それでもなお素朴な感動に打たれる1冊だと思いました。

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