私の読書日記  2012年10月

17.厳重に監視された列車 ボフミル・フラバル 松籟社
 ナチスの敗色が深まる1945年のナチス支配下のチェコを舞台にナチスの支配に反発する駅員たちがナチスの軍命の「厳戒輸送列車」を厳重に監視して(チェコ語では厳戒輸送列車と厳重に監視された列車は同じ言葉だそうな)爆破する様子を描いた小説。理論武装した、あるいは確信を持ったパルチザンではなく、駅長事務室で女性とセックスし、一緒に夜間勤務していた車掌と没収遊びをしてパンティも没収した挙げ句に尻に公印をべたべた押して懲戒されるフビチカ(チェコ語で口づけの意味だそうです)操車員や、恋人の車掌マーシャがソファに潜り込んできたときに萎えてしまってそれを苦にリストカットしマーシャから明後日に来てと誘われて女性を見るとセックスのやり方を教えて欲しいと言い募る童貞のフルマ(チェコ語で女性器の意味だそうです)見習員という普通(?)の若者があっさりと爆破計画を引き受け遂行するというというところに、誰もが反発を感じレジスタンスに参加したことを読み込ませようとしていることが感じられます。レジスタンス側のモラルの低さと読むことも可能ですが、たぶん作者の意図はそちらではないでしょう。敵兵たちもそれぞれに故郷で待つ人がいることに思いをはせつつ、侵略してこなければこういうことをする必要もなかったのにというメッセージが送られ、そこが落としどころになっています。やるせない気持ちになりますが。一文が長く、訳文で普通なら切って句点を打つところを読点でつないでいることが多く、読んでいて原文が一文なら訳文も一文にすることにこだわっているのだと感じられます。訳者あとがきを見ると、それでも訳文では適宜調整した部分があるとされていますが。

16.からまる帯 吉沢華 幻冬舎アウトロー文庫
 入社2年目の宮沢衣里歌が、48歳の局長江崎との不倫に溺れつつ、恋人の大野との関係に物足りなさを感じ、大野は江崎の妻泉美と不倫の関係になるという官能小説。全編のほとんど、たぶん8割くらいが濡れ場。ただただHし続ける小説で、48歳の江崎って絶倫とか、そういう感想しか出て来ません。主人公の衣里歌が、自分は江崎との不倫に酔いしれ江崎の自宅でさえ妻の目を盗んで関係を持ちながら、江崎と妻のHを覗き見て嫉妬にもだえたり、大野が江崎の妻とHするのを覗き見て「人の恋人と知りながら、その目を盗んで男に跨がる泉美に虫酸が走った」(220ページ)というのはあまりにジコチュウだと、私は思うんですが。不倫にひた走る当事者の感覚はそんなものなんでしょうかねぇ。江崎とのHで子宮を刺激されて感極まった衣里歌は、それは江崎のような長大なイチモツでなければかなわぬ技で、大野とのHでは「いくら腰を密着させても大野の棹は掠りもしない」(72ページ)と不満だったはずですが、終盤では「一気に子宮まで押し込まれ」(242ページ)悶絶しています。大野クン急成長?

15.恋都の狐さん 北夏輝 講談社
 彼氏いない歴=年齢の女子大生が、節分に東大寺二月堂の豆まきで出会った着流しに狐の面をかぶった謎の青年と年上の美女揚羽のコンビと引退した元医者の飯田さんと奈良の街で度々で会いながら、謎の狐さんに心惹かれていく恋愛小説。マジックが上手で大道芸で稼ぐこともできるがわがままで博学のようでどこか抜けたところがあり引きこもり気味の狐とさっぱりした性格でなにかと狐の世話を焼く揚羽のコンビの正体を一つの謎とするミステリーの体裁ですが、軽めの文体で顔も見たことがない狐さんに思いを寄せる主人公のドタバタっぽい心情描写が続き、実質的にはコミカル系の恋愛小説+奈良の観光・行事案内として読んだ方がよさそうです。

14.キノコの教え 小川眞 岩波新書
 キノコについてのさまざまな解説をした本。植物の大半はキノコやカビと共生していて根毛では入り込めない隙間に菌根菌の菌糸が入り込んで水分やミネラルを吸収して植物に送っていること、最近増えている松枯れは大気汚染や土壌汚染によるものと見た方がよく松と共生する菌類が増殖しやすいように下草や落ち葉を掃除した上で炭を撒くことで樹勢回復することが多いこと、大豆栽培で炭に肥料を少量混ぜて撒くと驚くほど根粒がついて収量も化学肥料とを与えた場合と変わらなくなりこれは大発見だと思ったが調べてみると元禄時代の農業全書にその教えが記載されており本来は古くからの農民の知恵であったことなど、興味深く読めました。食べられるキノコかどうかの見分け方については、色も「茎が裂けるかどうか」も当てにならず、「ルールがないのが唯一のルール」だとか。少し話が細切れであちこちに飛ぶ感じがすること、最後はキノコのことではなくやや観念的な現代文明・政治批判でまとめられていることで、ちょっと読みにくくなっているかなと思います。「災害に強いマツ林を造るためには、できるだけ小さな苗を植えて、マツが自力で根をはり、菌根を保ち続けるようにしなければならない。大きなものを植えた方が、人の目には立派に映るが、かならず枯れるだろう」(183ページ)とかいう批判は実践的な知識を伴うもので納得ものですけど。

13.武曲 藤沢周 文藝春秋
 幼い頃から殺人刀と言われ真剣勝負を言う父矢田部将造に防具も着けずに木刀での地稽古でしごき続けられて父親の剣道に反発し剣道は殺し合いじゃないと言い続ける剣道5段の矢田部研吾が、父親と木刀で立ち会って頭を叩き割り植物状態にして、アルコール中毒になった後に、師匠となる僧光邑雪峯8段に見いだされて高校の剣道部のコーチをするうち、部員が駅での小競り合いの怨みから勝負を挑んだ元陸上部現帰宅部の高2羽田融の自己流の古武道ふうの立ち会いを見てその素質を感じ、剣を通して通じ合っていく剣道小説。剣の世界の描写には引き込まれるものがありますが、将造と研吾のかつての「巨人の星」をも超える大時代的なスパルタ親子関係の陰惨さ、研吾がアルコールに逃げ溺れる姿など、重苦しい叙述が多く、読んでいて暗い気持ちになります。また羽田融については、特に練習したこともないのに天才的な剣の使い手扱いで重めの物語にしては軽い設定がそぐわない感じが残り、さほど獰猛な性格ではないむしろ軽めのタイプなのに後半は将造が乗り移ったかのような殺人刀に走るという描かれ方にも違和感というか作り手の迷いまたはブレを感じました。

12.空中都市 小手鞠るい 角川春樹事務所
 かつてフィギュアスケート選手だった39歳の可奈子が、自分の人生は自分で決める一人で何でもできると啖呵を切ってその実思いを寄せる映画助監督の使い走りの21歳男の気を引きたくて高校には行かないと言い張っている中3の娘晴海をニューヨークで置き去りにして、スケート選手時代の恋人流との想い出をたどって単身ペルーに旅行するという設定の恋愛・ペルー紀行小説。可奈子サイドと晴海サイドを交互に書いて進行していきますが、おじさんにはいかにも未熟でさほど誠実でもない寺内に晴海が夢中になる様子の危うさは「ふ〜ん、そういうもんかね」としか感じにくく、可奈子のペルー旅行中心の展開で晴海の恋はおまけくらいに思えます。あとがきによれば、この作品は、作者のデビュー作「ガラスの森」(1992年)の続編「ふれていたい」(2006年。2009年の文庫本化の際に「はだしで海へ」と改題)の続編で完結編なのだそうです。10代の可奈子と流の物語を読んでいないためか、切れ切れに触れられる流は少し像が結びにくく、可奈子がペルーそしてマチュピチュを訪れた目的・きっかけとラストの関係にはちょっとそれでいいのかと疑問というか違和感を感じました。この作品だけ読む限りでは、むしろペルー紀行が書きたかったのかもと思ってしまいます。

11.煙とサクランボ 松尾由美 光文社
 幽霊を見抜くことができるバーテン柳井が経営するバーの常連客の幽霊炭津と兼業漫画家立石晴奈の、晴奈の幼い頃に起こった自宅の放火事件をめぐる「立石家の謎」の解明に向けたミステリーと淡い恋愛感情を並行させた小説。幽霊は、心残りがあればこの世で漂い、その人物が死んでいることを知っている人には見えないが、それ以外の人には普通の人のように見える、軽い物は持つことができ、煙草は吸えるが飲食はできないという設定で、この設定がストーリーの展開にうまく絡められています。晴奈のおじさま世代の炭津に対する淡い恋心とそれを受け入れられない炭津のダンディズムが、おじさん読者には切なく、そういう世代がターゲットの作品かと思います(「小説宝石」だし・・・)。連載の単行本化で前提が繰り返されるところを含めちょっとくどさが気になりました。

10.ハチミツ 橋本紡 新潮社
 さして2枚目でもなくだらしなく約束が守れずビックリするほど大金持ちでもないけど絶えず新しい女性と関係を持ち続けるモテモテのエコノミストのお父さんと、いずれも母親が違う料理好きで芯が強い17歳高校2年生の杏、美人で男に誘われると断れず次々と肉体関係を持ってしまう気配りが苦手で女性の友達ができないうっかり者の27歳の派遣社員改め大手飲料メーカー広報の環、有能でまわりから頼りにされてしまう37歳の大手通信会社勤務のキャリアウーマン澪の3姉妹が同居するという設定で、3姉妹の恋愛と家族愛を描いた小説。さして2枚目でもないけど女性にモテモテのお父さん、料理上手のしっかりした女子高生杏に思いを寄せられる無精ヒゲが残りくたびれたスーツを着ている英語の倉田先生、澪とホテルで不倫を楽しむ白髪のたくさん交じった会社の上層部の男と、中高年男性の願望にマッチする登場人物というか展開が見られるのは、女性を描いている形でもターゲットは中高年男性というところでしょう。澪が環に嫉妬を感じるとか、澪が愛人の津川にしてやられるというあたりも、女性の視点よりも男性の願望に奉仕してる感じがしますし。父親がまったくわからない子を孕み学生時代からゼミの男子学生全員と肉体関係があったし避妊しないことも多かったとかそんなのは序の口だと口走る環をめぐって、産むべきじゃないという野地とそれを聞いた上で引き受けることにした香川の対比部分は、男性読者向けじゃないかもしれませんが。そういいながらも、しっかり者の高校2年生の杏の倉田先生への思いや父親との関係に、高2の娘を持つ私としては、萌えてしまいました。

09.まちがい 辻仁成 集英社
 経営危機に陥ったエステチェーンの経営者芹沢秋声が大学時代の知人榊原大悟から支援の条件として榊原が妻と離婚して若い愛人と結婚できるよう妻の冬を誘惑して榊原との別れを決意させることを求められ、最初は躊躇していた芹沢が冬にのめり込み、その後思い直した榊原との間で対立するという設定の恋愛小説。男性作家で40近い男性芹沢の視点で書かれていることもあり、のめり込みながらも迷う歯切れの悪さと男のプライドが前に立つ印象です。芹沢の側では、誘惑し肉体関係を持ち将来を誓い合うことにはあっさり成功したものの、その後も夫と肉体関係を持ち、大悟からは婚姻中のそれ以外の男との関係を示唆され、さらにはその後も他の男と肉体関係を持ったと見られる冬の態度への嫉妬・憤慨にもだえ苦しむ様が繰り返し描かれます。このようなパターンでは、冬は「魔性の女」として描かれ、とりわけ芹沢があまりにも短期間に冬のことをよく知らないうちにのめり込み会社経営まで捨て去る決意をしたことを、熱に浮かされたあやまちとされるのが通常だと思います。タイトルもそういうものですし。普通の読者なら元カノで別れを言い渡されたにもかかわらず会社で右腕として支え続け芹沢が冬を選んだことを知ってもなお芹沢を思い続ける早苗とよりを戻すのが芹沢のベストチョイスと読むところでしょう。私もどう見てもそうだと思います。それをそう描かないところがこの作品の新しさだと思います。好きになるのに理屈はいらない、好きになっちゃったらもう仕方ないじゃないってだけですけど。「恋は期待をするもの、でも愛は期待をしちゃいけないもの」(60ページ)という言葉に殉じて愛を選ぶわけですが、ちょっと観念的に過ぎて上滑りしてる感じがぬぐえないなぁ。最初は冬を誘惑する不純な動機への罪悪感、次は愛してしまった冬への猜疑心とその男性関係への嫉妬、大悟への対抗心とそれを支えるプライド・意地と、モテモテ男が美女に囲まれる展開を書きながらずっと重苦しさが続き、大悟の思い直しとかアルゼンチン編は連載で気が変わったような唐突感がにじみ、読後感はいまいち。

08.泣くほどの恋じゃない 小手鞠るい 原書房
 29歳バツイチの学習塾教師有島凪子が元生徒の父親黒木陽介との間で2年半にわたって続けた不倫の日々と陽介がいない夜に自分の心を落ち着かせるために手紙を書き始めそれから小説を書き始めて作家になるまでを描いた恋愛小説。電話の声に一目惚れし、柔らかなカーディガンに触りたい欲求から決意が崩れてゆく恋の始まりはロマンティックで、そういうこともあるのかなと思わせてくれます。また前半の一途に恋し狂おしくも無邪気に逢瀬を楽しみ陽介を繰り返し求める凪子の姿は、おじさん世代にはうらやましく微笑ましいといえますが、何よりも夢のような話。破綻する後半も陽介や妻と凪子の間での修羅場もなく、不倫の話としては男の側に都合よすぎる展開。こういうことをあわせて考えてみると、47歳の妻子ある男が容姿や財力等の描写なく18歳年下の女性から恋い焦がれられるという設定は、ごく普通のさして取り柄もない少女が学園一の人気者から愛されるという少女漫画の典型と同じで、中年男の読者が幻想・妄想を持って作品に入れるように計算したものと考えるべきなのでしょうね。タイトルの「泣くほどの恋じゃない」は、会えない夜が寂しいと泣く凪子に対して陽介が明日の朝にはまた会えるのに泣くほどのこととちゃうやんかとなだめ、後日凪子があれは泣くほどの恋じゃなかった、世にも幸せな恋だったと振り返っていることに由来しています。でも、世にも幸せな恋は「泣くような恋じゃない」ならわかりますけど、「泣くほどの恋じゃない」っていうのはかなり違和感があります。恋愛小説であればこそ、恋する心情のニュアンスには気を遣って欲しいと思うのですが。

07.有罪捏造 海川直毅 勁草書房
 立件された5名(成人2名、少年3名)が最終的に全員無罪となった大阪地裁所長襲撃事件の弁護人による裁判過程のレポート。鮮明ではないとはいえ防犯カメラに犯人が映っていて体格が明らかに違うという事情があり、検察が地裁所長である被害者に遠慮して十分な取調を行わず被疑者の面割・面通しさえせず、最終的には自分はやっていないと供述を覆した少年の供述や共犯者がくるくる入れ替わる少年の自白に基づいて公判請求されたという事件であり、その自白も次々と覆されていったにもかかわらず、無罪判決を獲得するまでには長い道のりとさらなる決定打(後日判明したアリバイなど)を要したというあたりに現在の日本の刑事裁判の実情がよく描かれています。弁護士の目には、現役の若手弁護士の手になるところから、弁護士の業務の実情や裁判の進展や尋問、証拠に対する弁護士の見方・感じ方が非常にリアルで、弁護士の仕事について理解してもらうという観点でもいい本かなと思いました。おそらくはそれなりに控えたのだとは思いますが、検察官、裁判官、そして相弁護人に対する見方・評価にもリアリティを感じました。そういう刑事裁判や弁護士の仕事について理解するという点でお薦めしたい本だと思います。なお、被害者の大阪地裁所長の名前は仮名にしていますが、勾留状の記載では氏は仮名になってますが名の方は実名になっています。あえて仮名にする必要があったのかなという気もしますけど。

06.ショージとタカオ 井手洋子 文藝春秋
 布川事件(1967年に茨城県で発生した強盗殺人事件)で再審無罪判決を勝ち取った2人の元被告人の支援闘争と仮釈放から再審無罪確定までの長い道のりを収めたドキュメンタリー映画「ショージとタカオ」の監督による撮影経過のレポート。逮捕から仮釈放までの身柄拘束が29年、再審無罪判決確定まで44年。逮捕当時20歳と21歳だった2人は仮釈放時点で49歳と50歳、再審無罪確定時点では64歳と65歳。この本は、著者が初めて関わりを持った1994年の支援コンサートに始まり、実質的には仮釈放のところから綴られ、29年も外界から隔離されていたおっさんが普通の生活を確立するまで、生活しながら無罪をアピールする運動を続ける様子、仮釈放されているが故に支援者の抱いてきたイメージとのズレや周囲との摩擦に悩む姿などを描き続けています。きれいごとで済まない生活の確立や家族との関係など、そして仮釈放の際に獄中で出して棄却された第1次請求では諦めずに改めて再審請求することを宣言しながら実際に第2次再審請求書を提出するまでその後5年かかっていることに見られるような弁護人らの苦しみとおそらくは当事者の焦りなどの容易ではない状況を、本人の何気ない言葉や表情、家族や伴侶のインタビューで感じさせていくところにこの本の真骨頂があるように思えます。布川事件は、私が司法修習生になった年に、第1次の再審請求がなされ、青法協の弁護士たちが支援を訴えていた記憶があります。その頃から数えても28年。この本を読んでも再審開始までの弁護団の努力は並々ならぬものがありますし、改めて再審無罪の実現の厳しさを感じます。私が小学生の頃に道徳の授業で学校の先生から無罪だと教わった狭山事件はその後40年あまりを過ぎた今でも再審開始に至らないわけですし。

05.人工疾患 仙川環 朝日文庫
 別荘にこもって執筆中のミステリー作家が、近所の洋館に引っ越してきた小学生の頃の友人に生き写しの7歳の少年と世話をする高齢の家政婦と知り合い、少年と関わっていく過程で、少年の出自への疑問を感じて調査しその正体に行き着くミステリー小説。少年の正体、ミステリー作家の小学校時代の友人「ユウ君」との関係にすべてが収斂するミステリーですから、シンプルな構成で、作者の狙いにうまくはまって読めるか、早々に先が読めてしまうかが勝負の作品かなと思います。書き下ろしだけあってブレのない運びで、私は好感を持てましたが。ミステリー作家の書けない悩みが序盤で延々と語られるのはやや閉口しますし、医療技術面でこういうミステリーが成り立つのかは私には判断しかねますが、医師の倫理への問いかけ、先端技術の発達とその被験者・患者の思いには考えさせられます。もちろん、それ以前にあるDVからの救済がもっと何とかできないかという問いかけの方も悩ましいところですが。

04.犯罪に挑む心理学ver.2 現場が語る最前線 笠井達夫・桐生正幸・水田惠三編 北大路書房
 犯罪捜査・矯正(少年院、刑務所等)で犯罪心理学がどのように用いられているか、それらの現場で働く心理学系の人々の紹介をした本。警察の科学捜査研究所(科捜研)の技官や少年鑑別所・刑務所勤務経験者、学者の分担執筆で、科捜研や矯正現場の人が書いた第1部は心理学を学ぶ学生向けの心理学専攻者の職場紹介的なニュアンスの記述が続き、それぞれの現場では一生懸命やっているうまく行っているという建前的な解説が続きますが、主として学者(矯正現場等を経験して学者になっている人もいるでしょうけど)が書いた第2部では各専攻領域間で意見が異なり他のやり方の限界の指摘や自己の領域の優越性の主張が目についたりして、分担執筆の短所(執筆者によって記述の深さや質のばらつきが大きい、全体的な一体性・統一性がない)と長所(さまざまな視点が入り個別執筆者の利害や建前を乗り越えられる)双方がよく見える本になっています。「心理学は一般的傾向として、他者の行動の原因を行為者の属性、特に性格に求める傾向があります。たとえば犯罪行動があると、その原因をその人の性格に求め、それゆえ犯行を再度くり返す傾向があるように見がちです。しかしながら、私たちはそのことを少し割り引いて、他にも原因があることを考えなくてはなりません。また、一般的にも人は犯罪行動を単純でわかりやすい原因に求める傾向があります。」(138ページ)という指摘や、従来の「社会心理学」を批判して「極論を言えば犯罪者に特徴的なパーソナリティはない」「行為者の動機や心的メカニズムはきわめて主観的なものであり、犯罪のトータルな解明にとって多くは有益ではない」(173ページ)という指摘、さらには多くの性格についての研究が現在多方面で混乱を呈しておりその原因の大半は性格概念の曖昧さと測定の精度の低さにあり犯罪・非行を扱う人ひとりの一生を直接に左右する重大領域でその轍を踏むことはないか現在の研究を見ていると危惧される(200ページ)などという指摘が、いまだにロンブローゾやクレッチマーを引用したり犯罪者プロファイリングの有効性を声高に言う第1部と共存するところが、良かれ悪しかれこの本の特徴といえるでしょう。犯罪者プロファイリングについては、典型的な見込み捜査の手法を科学的なものに見せることで冤罪の危険性を高めるリスクがあると私は懸念しますが、心理学として扱うのならば公表される成功した例の陰にいったいどれだけの失敗例があるのか、要するに的中率がどれだけなのかをまず明らかにすべきだと思います。それ抜きにたまたま当たった例だけを紹介して有効だというのは、役人の予算取りのためと怪しげな予言者の自己満足レベルにとどまるのではないでしょうか。この本で的中率が紹介された「地理的プロファイリング」では、連続放火犯で「円仮説」(連続犯の犯行か所の最も遠い2点を直径として描いた円内にすべての犯行か所と犯罪者の住居がある)が成り立ったのは約5割(29ページ)だそうで、そうすると拠点犯行型(円仮説成立)か通勤犯行型(円外から通ってきて犯行)かは五分五分になってしまい、捜査方針を立てるのに役立たないことになると思うのですが。

03.原発と原爆 「日・米・英」核武装の暗闘 有馬哲夫 文春新書
 日本の政治家と官僚たちが、核武装能力を持ち維持するために、原発の導入に際して原発の運転で生じるプルトニウムの返還を求めるアメリカをイギリスやさらにはソ連と競争させることで妥協させ、東海再処理工場の建設でもプルトニウムの混合抽出を求めるアメリカに対して粘り強い外交交渉で事実上の単体抽出を認めさせた(混合抽出が技術的に有効と日米が合意すれば混合抽出に切り替える→日本政府が無効と言い続ける限り単体抽出継続可能)などの経緯をレポートし、原発と原爆・核武装が深く結びついていることを論じる本。著者の主張は、核武装カードがあったからこそ日本政府は60年の安保改定を有利に進められたし、核武装カードがなければ沖縄返還交渉や日中国交回復も今とは違った形になったかもしれない(後2者は第5章の終わりでそう書いているだけで具体的なことは紹介されていませんが)、先人が努力して確保してきた核武装カードを、反・脱原発の世論に迎合して簡単に捨てるべきではないというものです。外交を含めた交渉にはさまざまな交渉材料があるのは当然で、核武装カードを重視しそれに頼る外交は、国際社会での日本の地位を北朝鮮のようにするリスクを抱えることになります。現に北朝鮮やイランなどが核拡散防止の観点から批判されるときに決まって持ち出されるのが日本の余剰プルトニウムや再処理工場・ウラン濃縮工場という事態が繰り返されています。現代社会では、核武装や戦争などの「脅し」系の材料以外での交渉こそが求められているのだと私は思います。こういった核武装カードに頼る冷戦時代的発想との訣別こそが求められているのではないでしょうか。この本の中では、核武装カードの話以外にも、アメリカの被爆者治療センター構想が共産主義者のプロパガンダの材料を消し放射能の人体への影響を調査研究することが目的で被爆者の救済など目的ではなかったこと(36〜56ページ)、東海原発(1号機:コールダーホール型)の建設をイギリスのGECは将来を見込んで格安で落札したが耐震設計が未知数の上日本側が契約を楯にすべてをその価格内で修理交換させ嫌気がさしたGECは原子力事業から撤退し建設が終わると人員を引き上げ運転開始後はトラブルが続発して国際社会でイギリスの原発の評判が地に落ちたこと(119〜142ページ)、アメリカが日本や同盟国に供給してきた濃縮ウランの製造を一部ソ連に下請けさせていたこと(176〜191ページ)など大変興味深いことが書かれています。日本政府が田中・ニクソン会談でアメリカから輸入を決めた濃縮ウラン1万作業トン、GEがソ連に外注した濃縮ウラン100作業トン等の評価で、作業トンと濃縮ウラン量、その規模について正しい理解をしているかやや疑問が感じられます。作業トン(tSWU)については製品濃縮度と廃品(ウラン)濃縮度によって数字が変わってややこしく私もよくわからないのですが、天然ウラン(原料ウラン7トン)を製品濃縮度3.5%の濃縮ウラン1トン(廃品濃縮度は0.25%)とするときの分離作業量は4.8tSWU、製品濃縮度を同じ3.5%としても廃品濃縮度が0.3%の時(原料ウランは7.8トン必要)は3.5%の濃縮ウラン1トンを得る分離作業量は4.3tSWU、天然ウラン(原料ウラン10トン)を製品濃縮度4.7%の濃縮ウラン1トン(廃品濃縮度は0.27%)とするときの分離作業量は7tSWUだそうです(ATOMICAより)。そして現在の標準的な原発といえる110万キロワット級原発の炉心の燃料中のウラン量は約30トンです。こういう数字を念頭に読んでみてください。

02.認知症の人のつらい気持ちがわかる本 杉山孝博監修 講談社
 認知症患者の不安・落胆・苛立ちと、家族・介護者の心構えや対応についてイラストを中心に解説した本。本人が記憶していないことは、本人にとっては現実でないのだから、まわりで否定したり怒ったりしてもそれで本人が反省したり行動を改めるわけではない。しかも記憶はなくなっても感情はあるので、否定したり怒ったりすると悪感情だけが残る。本人が困ったことをしたり言い出しても、否定しないで、本人の言葉を繰り返すなどで共感を示すなどしたり、他の話に誘導したり、お茶を飲ませたりして気持ちを落ち着かせるなどの対応をする。近所の人々には事情を話して理解してもらうようにする。悲観的になっても仕方ないので、今でもできることを考え、プラス思考で乗り越えた方がいいというようなことが、具体的な事例に応じた対応策にも触れて書かれています。やりきれない気持ちになりますが、現実的にはこういう本を読んでおくことが必要な時代と世代になってきたのだという実感を強めています。

01.認知症 「不可解な行動」には理由がある 佐藤眞一 ソフトバンク新書
 認知症患者の状態について記憶・認知機能の障害を説明するとともに臨床例を題材に本人の心理を説明する本。認知症では、時間・場所・人の見当識すなわち「今はいつ?」「ここはどこ?」「あなたは誰?」の認識が失われる、記憶の「記銘」ができなくなるために今言ったこと・したことが覚えられない(覚えたことが思い出せないのではなく、そもそも覚えられない。逆に昔の記憶は残っており思い出せるし、思い出せる時期に生きていると錯覚したりする)、多数の情報の一部を選択して注意を向けるとか複数の物事に同時に注意を払うことができなくなって車の運転や料理ができなくなったり、多くの情報を処理して評価判断することができなくなり人の顔がわからなくなったり音楽が雑音に思えたりするというようなことが説明されています。その上で、認知症患者は、見当識が失われた結果不安に思っているし、一気に認知能力がなくなるわけではないから「本人は何もわからない」のではなく自分でも困惑し情けなく思い思い通りにできないことに苛立っていることを理解する必要があると説いています。認知症で情報処理能力が落ちると会合で多くの人の意見を聞いて落としどころを考えたり、相手の出方を見て自分の対応を考えるというような情報の記憶と過去の記憶の照合判断といった作業がうまくできなくなって、会合で意見を言ったりゲームをすることが負担になるばかりでおもしろくなくなり、その結果、趣味や外出が減り、新聞や本を読むことが苦痛になる、家族は本人が既にいやな思いをしてやらなくなりそのことで気分が落ち込んでいるのを無理にやらせようとするのではなく、散歩とかシンプルな美しいものを見るとか現状でもできる気分転換を勧めた方がいい・・・というような解説と対応案が多数書かれています。根も葉もない疑いを持たれたり深夜に起こされたり徘徊されたりコンロに火をつけられたり胸やおしりを触られたりする家族・介護者が、そう言われてもどこまで対応できるかに疑問はありますが、患者の側の気持ちをできるだけ知り・考えようという姿勢とその説明には感心しました。

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