庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2015年4月

08.妻は最高の投資物件である。 間川清 自由国民社
 人生の危機や老後を考えた時、妻、特に共稼ぎで協力的な妻がいることで、経済的にも精神的にも有利になり支えとなること、妻の存在や単純に各種の制度を2人で(2口)利用できることが財テク上有利なことなどを説明し、妻と円満な関係を持つことが人生の上で有利であることを論じる本。
 著者が言うように、弁護士として離婚事件をはじめさまざまな案件を取り扱っていると、離婚事件での離婚するためと相手への憎悪に向けるエネルギーとストレスの凄まじさを見て、離婚はしない方がいいという思いを持ちます。私も、結婚する以上、妻と良好な関係を保つことが幸せにつながると思いますし、そのように心がけています。しかし、弁護士がみなそう思っているか、あるいはそう思っていたとして実践しているかというと、そう言えそうにありません。多くの弁護士は、血で血を洗う(比喩です)凄惨な離婚劇を繰り広げる先輩・知人弁護士を少なからず知っています。
 昔から一人口は食えぬが二人口は食えると言うように、夫婦で暮らした方が何とかなるという面はありますが、この本が妻とともに暮らした方が経済的にこんなに得と論じているところは、いいとこ取りの感があります。確かに夫婦共稼ぎで妻との関係が良好に保たれて妻が協力的な姿勢を持ち続けていれば、経済的にも精神的にもメリットが圧倒的に多いと思いますが、共同生活のコストや扶養家族となる場合や関係が悪化するリスクとその場合のデメリット、関係の悪化について言えば夫が浮気した場合ではなくても関係が悪化するリスクはある訳で、そういった場合については言及がないなど、話半分くらいに読んでおいた方がいいかなと思います。途中からメリットを強調するために、それほどのメリットとは思えない細かい財テク話が続くのもなんだかなぁと思いますし。
 タイトルに合わせて経済的なメリットにこだわりすぎた感があり、そこらは読み流して、全体として、冷静に考えればせっかく結婚したのだし夫婦仲良くやった方が楽だし気持ちいいし幸せでしょ、というところを押さえればいい本かなと思います。
 ところで、弁護士が書いた本として、弁護士の目にはとても気になるのが、ずっと独身で台風が近づいた時に屋根に登って工事中に強風に煽られてバランスを崩し頸椎損傷で車椅子生活となった職人が雇い主が弱小のため賠償も取れず疎ましく思われて解雇されてしまい、生活保護の相談に来たのだが、妻がいれば生活はだいぶ違っただろうというくだり(236〜238ページ)…ちょっと待って欲しい。それ、労災でしょ。弁護士が雇い主だの解雇だの言ってるわけで、建築工事中に屋根から落ちたのなら、雇い主に金がなかろうが雇い主が協力しなかろうが、労災申請すれば休業補償とか障害補償が取れるでしょう。生活保護の前にそっちを追求して欲しい。

07.会計不正はこう見抜け ハワード・シリット、ジェレミー・パーラー 日経BP社
 アメリカを中心とする著名企業で現実に行われたケースを取り上げながら、企業経営者が、市場に向けて経営状態が良好であるように見えるように、当期の利益を拡大するために将来の利益を早期計上したり架空利益を計上したり一時的な原因による利益を恒常的なものと誤認させたり当期の費用を将来に繰り延べしたり費用を隠蔽したり、逆に当期に過大な利益がある時に利益を隠して翌期以降に回して順調な成長を装うなどの会計トリックの手法を解説した本。
 会計のルール自体に経営者の裁量の余地を残す曖昧さがあり(曖昧なところが多く)それを利用して収益計上の時期や計上費目を都合よく「解釈」してごまかしたり、従来通りのやり方では営業利益や営業キャッシュフローが小さくなったり赤字になる時にやり方を恣意的に変更したりして損益計算書やキャッシュフロー計算書の見栄えをよくする手法が多数紹介されています。それを著者の言葉でも「アグレッシブな」「クリエイティブな」と言っていたり(皮肉として言っている場合が多いと思いますけど)、当の企業は「収益に費用をより的確に対応させるため」(126ページ)と説明していたりします。このあたり、福島原発事故以前に従来の基準に問題があったから改正してもそれは認めずに「より安全性を高めるため」と説明し続けた原子力関係の規制当局や原発の主要機器や建屋にはまったく耐震補強工事をしないで(耐震補強工事は配管のサポートを増やすくらい)解析の方法を変えて「より適切に評価した」ところ耐震裕度があるなどといって基準地震動の数値を引き上げてさもより大きな地震にも耐えられるかのようにいう電力会社の言いぐさとそっくりです。ごまかしをしようとする連中の思考方法は同じということでしょう。
 紹介されている会計トリックの中で、企業がリストラをする際に、必要以上のリストラ計画を立てて過大なリストラ費用を営業外の一時的費用や「特別損失」として計上し、その中に営業費用や営業損失を紛れ込ませて営業外の数字に押し込んで(111ページ、187〜194ページ)市場に損失は「一時的なもの」、「営業外のもの」として深刻に評価させず、将来の営業費用を抜き出して当期の営業外の数字に追い出すことで将来の期の利益を数字上膨らませることができ(その結果リストラが功を奏したように見える)、もともと過大な計画のため使わなかったリストラ費用は引当金として将来の期で利益が少なかった時に取り崩して数字を調整できるなど、営業成績を粉飾したい経営者にとってはリストラ(過大なリストラ計画)が魅力的な手口だということは、とても勉強になりました。労働者が整理解雇(リストラ)されたときに、整理解雇の必要性(業務上の必要性)があったという使用者の主張に対して、より厳しいチェックが必要だなと痛感しました。

06.偏差値35でも有名大学合格! 落ちこぼれの逆転受験術 碓井孝介 朝日新聞出版
 高1の時に受けた全国模試の偏差値が35で一念発起して受験勉強に没頭し、関学(関西学院大学)の法学部に合格し、在学中に司法書士試験に合格、その後公認会計士試験に合格した著者が、勉強慣れしていないビハインド状態からの受験勉強のやり方を解説した本。
 じっくりこつこつと知識をインプットしてから問題を解いていくという「正攻法」は時間がない後れをとっている受験生には向いていないとして、試験に出るところに力を入れるために、教科書は大枠をつかむために薄いものをサラッと一読して、直ちに問題集に取り組み、そこでわからないところを教科書等でじっくり調べるべきだと提唱しています。その理由は、教科書はストーリーのある物語で試験に出題されない情報も多いが、問題集は試験に出る(可能性がある)情報しか載っていないから、問題集に出てくる問題を中心に情報をインプットすべきということに求められています。そして後れをとっている受験生は、問題を解く時も、正解を得ることではなく、そのタイプの問題を解く思考回路を身につけることに意味があるのだから、解答を見ながら解いて「解説」を頭に入れることが大事だと説明しています。教科書を読むにしても、1ページ目から読む必要はなく、受験する大学の過去問数年分の出題範囲を見てそこを中心に読む、目次を見てページ数が多い項目(重要項目だからページが割かれている)から読むべきだとも。「正攻法」で育った私には、マニュアル世代向けの書きぶりに少し釈然としない思いもありますが、限られた時間での勉強という条件からすれば、そういうものかなとも思えます。
 もっとも、著者のプロフィールから見ると、著者の大学受験は10年以上前。現在の大学受験にも当てはまるか、自身の記憶の鮮度は、という問題は、読む上で念頭に置いた方がいいかなとも思います。もちろん、私のような、大学受験なんて37年前(共通一次以前)のおじさんが昔を懐かしんで言う戯言とは全然次元が違うと思いますが。

05.紙の月 角田光代 角川春樹事務所
 今の自分に違和感を持ち続けカード会社の営業から専業主婦に逃げ込んだがそこでも違和感を持って銀行にパートで勤め契約社員となりそれでも経済的優位を確認したがる夫への違和感から学生の男と関係を持ち贅沢なデートを続けて客の金に手をつけて巨額の横領に至った梅澤梨花の過ごした日々をメインストーリーに据え、節約に励む専業主婦の同級生岡崎木綿子、裕福だった少女時代を振り返って自分の娘にも同じようにしてやりたいのにできないとこぼし続ける専業主婦の妻の愚痴に嫌気がさして後輩の若い女性との不倫に逃げ込む学生時代に梨花とつきあったことのある山田和貴、浪費が原因で離婚に至り娘の親権を夫に取られて編集者として働きながら店員の勧めや娘の賞賛に踊らされてついブランド品を買い込んでしまう料理教室で梨花と知り合った友人の中條亜紀の3人の日常をサイドストーリーとして展開する小説。
 それぞれの生活を通じて、金の力で何でもできる、金があればしたいことができるという、万能感と、それが瞬間的な幻想であり刹那的な浪費の後には後悔が待っている現実、しかしその現実・羨望・卑屈な思いが現実であって欲しくない/現実であるはずがないという願望といっとき味をしめた万能感・恍惚感の中毒性が次なる錯覚とその後のさらなる後悔を生んでいく様子と、それをめぐるそれぞれの考えと感覚・反省と惰性・開き直りがテーマとなっています。
 食品会社の販売促進を担当する梨花の夫正文の、それほど悪意があるわけではない、むしろ梨花に対して怒りもせず不満も言わない、世間的に見ればいい夫でありながら、梨花が働いて稼いだ金で夫にプレゼントをしたり食事代を奢ろうとする度に自分の方が稼いでいて経済的に優位なのだと知らしめようとして梨花をしらけさせ幸福感を萎ませる言動が哀しい。妻がデートをしたりいちゃついたりセックスしたりして楽しい相手ではなく、一種に住んでいるライバルのような心情なのでしょう。梨花の方もいろいろなこと、セックスレスな理由も含めて、あけすけに聞ければいいのに聞けないと、コミュニケーション不足を悩んでいるわけですが、夫婦なんだからもっと一種に楽しもうよという気持ちがもっとあったら、と思ってしまいました。たぶん、人のことは言えないのだろうと思いますし、また梨花が何度も自分に問いかけているように、人生の何度かの分岐点での「もし」で違う選択をしたら結果は変わっていたのかということの一つに過ぎずそこでも結果は変わらないということかもしれませんが。
 和貴の気持ちは、男性読者の多くは、読めば共感し身につまされるだろうと思います。しかし、この作品の出色は、愚痴をこぼし続ける妻の元に帰りたくない思いで愛人宅に泊まってしまった和貴が帰宅して妻子がいない場面でふと妻があんなふうになってしまったのは自分が悪いのではないか、もっと話を聞いてやり、同意し、子ども時代を一緒になって懐かしがってやっていたら「自分たちは今のようではなかったのではないか」(192ページ)と考えるところにあると思います。ここでも、妻は今のようではなかったのではないか、ではなく、自分たちは今のようではなかったのではないかとしている点がいいと思います。
 弁護士の目で見ると、中條亜紀が娘の親権を夫に取られたこと(205ページ)、平林光太の父が2年前に解雇されて訴訟の準備を始めたが裁判が始まらないままに時間をお金ばかりがかかっているというくだり(143ページ)には違和感を持ちます。ふつうはこういう条件でも、妻が子どもを置き去りにして出ていったのでなければ、妻(母親)が親権者とされるでしょうし、弁護士にも相談しないで自分でどうしようか迷って時間が過ぎるのならともかく、労働側の弁護士としては解雇されて無職の労働者から依頼されたら何か月も放っておくことなど考えられません。

04.エボラ出血熱とエマージングウィルス 山内一也 岩波科学ライブラリー
 致死率の高い新興の(エマージング)ウィルス感染症であるエボラ出血熱を中心に、マールブルグ病、ラッサ熱の発生と治療などの対応、原因究明の経緯を紹介した本。
 エボラ出血熱では、これまで1976年のザイールのヤンブク村を中心とする最初の発生で318名の感染者中280名を死亡させ(致死率88%)、その後も2014年のコンゴでの発生まで度々猛威を振るっているザイール・ウィルス、1976年にヤンブクと並行して発生したスーダンのヌザーラ等を初めとしてやはり度々猛威を振るっているスーダン・ウィルス、1989年のアメリカでのカニクイザルの感染死亡から発見されたレストン・ウィルス、1994年のコートジボアールでのチンパンジーの死亡から解剖を担当した女性が感染して分離されたコートジボアール・ウィルス、2007年にウガンダで発生したブンディブジョ・ウィルスの5タイプが発見されているそうですが、発生する度に90%前後の致死率となるザイール・ウィルスからこれまでの発生例では死者0のレストン・ウィルスまで、ウィルスの性質がずいぶんと違うように見えます。症状でも、2014年のシエラレオネでの発生でケネマ政府病院入院患者で経過観察された44名での分析では、発熱と頭痛が中心で、下痢が51%で下痢の症状があった患者の致死率が高く(94%)、出血の症状がはっきりしている患者は1名だけだと言います(73ページ)。「エボラウィルス専門家からは以前から、エボラウィルス出血熱の名前自体が間違いという意見が出されていた」(73〜74ページ)とかで、世間で流布されているイメージと実像はだいぶ違うかも知れません。1995年のザイールでの発生をテーマとしたノンフィクション「ホット・ゾーン」がベストセラーとなったのをエボラウィルス研究者は複雑な気持ちで受け止めていた、「エボラ出血熱は事実きわめて恐ろしい病気だったが、プレストンは、『人間の肉体のあらゆる器官を、ドロドロに消化された粘液状(原文ではメルトダウン)のウィルス粒子の巣に変えてしまう』というように、現実にあり得ない異常な描写により、一般大衆にエボラに対する恐怖を植え付けた。しかしこの本により、エボラウィルスなど出血熱ウィルスの研究費は大幅に増額されたのである」(61ページ)という指摘も、考えさせられます。
 この種の話を読むといつもですが、発生の度に繰り広げられる多数の人々の感染、死者を弔おうとした親族と、そして医者、看護師、研究者の感染、死亡のエピソードに涙します。致死的な感染症患者を前にして危険を認識しながら治療と看護に従事する人たちの勇気と使命感。同業者から見れば災難・災厄としか思えないであろう裁判も少なからずやってきた自分自身の経験から考えると、現場では、そういう事態に/被害者=患者に出会ってしまったのだから仕方ないという、わりと淡々とした気持ちかも知れないとは思いますが、私などが取り扱う事件・裁判とは違って、命の危険が現実的にある場面でのその勇気には、やはり強い感銘を受けます。

03.運営からトラブル解決まで 自治会・町内会お役立ちハンドブック 水津陽子 実業之日本社
 自治会・町内会の実情と、規約・会計などの運営についてコンサルタントの視点からのアドバイスをまとめた本。
 自治会・町内会は、(地方自治法に「地縁による団体」という位置づけがあり、不動産の所有主体となるために認可を受けて「認可地縁団体」になると地方自治法上運営の規制を受けることになりますが、そうでない限りは)特に法的な根拠や規制がなく、基本的には任意の団体として自主的に定めた規約に従って存立し運営されていくものですが、自治体からさまざまな補助金・助成金を受け、行政の下請的な役割を果たす部分もあり、法的な性格は玉虫色というかはっきりしません。
 タイトルには「トラブル解決まで」とありますので、弁護士としては少し期待したのですが、第5章「知っておきたい自治会・町内会の素朴な疑問」に11のQ&Aがあるのが唯一それに関する部分のように思われ、いずれも設問も回答もごく抽象的で、「トラブル解決」というには心もとない感じです。
 横浜市での調査によると、自治会・町内会に加入しない理由のトップは「班長や役員になりたくないから」(37ページ。ちなみに同じページの「佐世保市の場合」は、次のページの記載と合わせ読むと鹿児島市の間違いではないかと思われます)とされます。これについてどういう解決法があるのかなとみていきますと、終盤で、単発的なイベントで終わるのではなく継続的に地域の絆を深めるような場を作っていくことが大事だとして、例えば夏休み父子アウトドア料理教室→男の料理教室(月1回)→○○町オヤジの会とステップアップしていく(122〜123ページ)、会報誌やホームページのほとんどがすでに終わった行事の報告では誰が真剣に見るか(124ページ)など、コンサルタントらしい視点でアドバイスがあり、なるほどなと思いました。

02.相互確証破壊 石持浅海 文藝春秋
 それぞれの作品ページ数の半分からへたをすると8割くらいがセックスシーンの、一応ミステリーの形で謎解きを付けた官能小説短編集。
 装丁も内容も、通勤電車で読むとか、家人の目前で読むのはかなり憚られる、1人でこっそり系の本です。
 雑誌(「オール讀物」等)掲載時は、数か月おきだし、そもそも単行本化も予定していなかったのかも知れませんが、単行本でまとめて読むと、別人なのにセックスシーンの行動や反応がほぼ同じパターンに見えて、もう少し工夫しろよと思ってしまいます。同じ作家では、経験にしても想像力にしても限界があるということか、そもそもそういうものなのか…
 本来は殺人系のミステリーが好きな作家なのだと思うのですが、私は、事件・犯罪が絡まない表題作の「相互確証破壊」と最後の「男の子みたいに」がむしろきゅんと来ていいなと思いました。

01.移行化石の発見 ブライアン・スウィーテク 文春文庫
 進化論を実証するための生物種の進化の隙間をつなぐ化石(ミッシングリンク、移行化石)の発見をめぐる歴史と近年の情報について、さまざまな分野、特に魚と両生類、恐竜と鳥、哺乳類、クジラ、象、馬、人などの領域を横断して解説した本。
 もともとダーウィンの進化論は、現生種間での進化など論じておらず、現生種はいずれも共通の祖先から枝分かれして枝分かれした後にもそれぞれに進化を続けてきたと論じていたのだから、そもそも現在の種の間の中間種などは議論する必要もないのですが、進化論にそういった誤解を持つ人も少なくないので、そういったことから説き明かし、しかし、化石で見つかる過去の生物とそれを祖先とする現生種との間の移行化石が見つからないことはやはり進化論の弱みとなり得るので、それがこれまでどのように発見され、どのように同定され(少なくない発見が誤り/インチキとわかり)てきたかを執念深く論じています。
 この本は、進化論に反対するキリスト教原理主義者(この問題にはイスラム教原理主義者も同調)への反論という動機もあり、恐竜・鳥にしても哺乳類の祖先にしても象にしても馬にしても、そして人にしても、さまざまな多数の種が同時併存的に存在し進化し続け、そのほとんどが絶滅した結果現生種が生き残り繁栄していること、その進化も絶滅も極めて偶然的なものである(「優れた」「高等な」方向に進化が直線的に進むわけではない)ことが強調されています。終盤でまったく同じ大腸菌12群を20年にわたり4万4000世代以上培養を繰り返した実験(よくもまぁ飽きもせずというか、根気よく…)において大腸菌群はクエン酸塩を含む物質を付与されていたが、クエン酸塩を利用できるように進化した個体群は1群だけでその進化には10年以上、3万世代以上を要し、他の11群ではまったく同じ先祖と環境にもかかわらずその進化は生じなかったことを紹介し、進化は毎回同じプロセスをたどるものではないことが語られます。「この事実が物語っているのは、わたしたちヒト族はこうなるように運命づけられていたのではなく、レンスキーの研究室の細菌と同じく、偶発的なプロセスから生まれた珍しい産物であり、進化をもういちどやり直しても、おそらくふたたび生まれることはない、ということだ」(473〜474ページ)というまとめが印象的です。
 かつて習った理科・生物での比較的少数で単純な種と系統とは比べものにならない近年の種と化石の発見状況を読み、驚き、勉強になりました。

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