庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2021年1月

14.絵本専門士アナウンサーが教える 心をはぐくむ読み聞かせ 杉上佐智枝 小学館クリエイティブ
 絵本専門士(民間資格)の日本テレビアナウンサーが、自分自身の子どもへの絵本読み聞かせとイベント等での経験を元に、絵本の読み聞かせに関する方法論や絵本読み聞かせの効用を語り、絵本紹介等をする本。
 親に向けて子どもへの絵本の読み聞かせの心得や方法、技術、絵本の選択を解説する部分と、読み聞かせ会等のイベントの実践に向けた部分、そういう活動を世間に紹介する部分などが混在し、著者の関心があちこちを向いている感じがします。読者としては、「聞き手ファースト」(24ページ)じゃなかったの?と、ちょっと揶揄したくなります。
 親が毎日毎日子どもに絵本を読み聞かせ続けても、子どもの方は大きくなったらもう覚えていないという嘆きが紹介されています(66~67ページ等)が、それは我が家でもそのとおり。でも覚えていなくても子どもの心と成長に寄与し残っているものはあるはずですし、子どもが嬉々として「読んで」と絵本を持って来たり読み聞かせているときのウキウキ感など親自身が幸せな時を過ごせたことで、それでいいじゃないかと思います。そういうことを思い出させてくれる本ではありました。

13.あたしたち、海へ 井上荒野 新潮社
 中高一貫の私立女子校に通う中学生小川有夢と木明瑤子、2人と仲良しだったがクラスのボスのルエカに刃向かったためにいじめに遭い転校して少し離れた町の公立中学に通う野方海が、脳腫瘍で死んだ歌手リンド・リンディが最後に作ったアルバム「ペルー」を偲んで、死んだリンディのいるペルーに行くを合い言葉に、つらさを耐え忍ぶ様子を描いた小説。
 有夢、瑤子、海の3人を中心に、瑤子の父孝、担任の奈緒、いじめっ子のルエカ、海の母和子らの回を交えていますが、そこはやや連載用に行き当たりばったりに振った感もあります。
 いじめ抜いて海を転校させた後に、海と仲良しだった有夢と瑤子を使って転校先まで嫌がらせを続けるルエカの執念深い底意地の悪さを描きつつ「ルエカ」の章というか回を中間に置いて、そこでルエカにもこういう境遇があったんだということを、読者がなるほどと思えるほどのルエカに同情/共感できるくらいの悲劇を書き込むのではなく、中途半端な、そりゃ人それぞれにさまざまな事情はあるだろうけど、それでこれほど残忍になれるかねという程度のエピソードにとどめた作者の意図は今ひとつ読めませんでした。世の中は、それほど劇的ではなく、いじめは不条理で救いがたいよね、と、そういうことでしょうか。

12.ブラック・ジャックの解釈学 内科医の視点 國松淳和 金芳堂
 手塚治虫の漫画「ブラック・ジャック」(1973年11月19日~1983年10月14日:「週刊少年チャンピオン」連載)での天才外科医ブラック・ジャックの診断、診療、手術を、現在の医療知識に基づいて評価し論じた本。
 医師免許は持っていたが臨床医としての経験がない手塚治虫が1970年代に書いた漫画が、現在の医療水準で見ても遜色がなく、または高い問題提起を行っていることを著者は賞賛しています。そのあたりは、私にはわからず、ただ昨今の医療はすごく細かく病状や治療法が分化しているのだなと感じただけですが。
 インターネットの普及と医療水準の向上により社会の/患者の要求水準が高くなっている現在、死ぬリスクが高ければ治療により生じるリスクがあってもリスクを取って治療するのが当然ということにはならなくなってきている、死ぬリスクがどうであれ治療介入による悪い結果の責任を患者側が医者を咎めてくる可能性があるので医者が防御的な価値判断をする傾向にあることが指摘されています(176~179ページ)。専門分野と素人の知識の増加、知ったかぶりの素人の増長と専門家の困惑、職人気質/プロ意識の複雑で微妙な切ない関係…医療のみならず様々な領域で生じていることかなと思いました。

11.ネーデルラント美術の宇宙 今井澄子責任編集 ありな書房
 15世紀のネーデルラント美術(絵画)がイタリア、フランス、神聖ローマ帝国等に拡がり影響を与えていった様子を、①「ポルティナーリ祭壇画」の制作の経緯とその後の移動、②ネーデルラント絵画収集家となったハプスブルク家の娘マルグリット・ドートリッシュ、③ルネサンス期の芸術家の移動、④フランソワ1世の肖像画、⑤イーゼンハイム祭壇画の成り立ちとその利用と影響といった5つのテーマ/切り口で論じた本。
 一応統一テーマが設定されてはいるのですが、実態は学者さんがそれぞれの専門分野・研究対象について書いた論文集という感じで、つながりやストーリーのある読み物ではありません。北方近世美術叢書というシリーズで5冊+番外編1冊の構成なんですが、全冊がネーデルラント美術というのも、著者の好みが勝ちすぎている感じがします。
 ネーデルラント美術というと17世紀のオランダ風俗画と呼ばれるもの(フェルメールとか、ヤン・ステーンとか、ピーテル・デ・ホーホとか)がまず思い浮かぶというか、それしか知らなかったのですが、15世紀や16世紀の祭壇画・宗教画、肖像画が多数紹介されていて、初めて見る作品の高い技術/技巧に驚き感心しました。

10.行政判例ノート[第4版] 橋本博之 弘文堂
 最高裁判例を中心に行政訴訟の判例を項目別に紹介し解説した本。
 行政判例を素材として行政法それ自体を学ぶ新しいタイプのテキストとして使われることも期待していることがはしがきに書かれています。行政訴訟の判例紹介で通常見られがちな行政訴訟特有の概念(通常の民事訴訟では見られない行政側に有利な入り口論)を後回しにして、実体法的な部分から入っているところは、新しい感じがしますし、そういう意味で入りやすいかなとは思いますが、行政法には基本法令もなく法体系ができているとも言えないため判例も必ずしも統一的でなく揺れていたりばらけていたりして、なかなか初学者には読み通したときになるほど感が持ちにくいと思います。
 最高裁が、行政訴訟については、かつての硬直した概念での門前払いを避けて柔軟な解釈を示す傾向があるということは、業界での近年の一般的な理解だと思いますが、それでもものによっては最近でも理念的な一刀両断の判決もあり、また大阪空港訴訟で国の敗訴を避けるために民事訴訟では飛行差し止めはできないという判決を書いてしまったことが今だに後を引きずって(原発や高速道路では民事訴訟での差し止めも可能とされるのに)飛行差し止めは民事裁判ではできず行政事件訴訟法の改正で設けられた要件がとても厳しい行政訴訟としての差し止めしかないという著者が「本判決の意義を論理的に説明するのは困難というほかはない」(144ページ)という事態に陥っているなどの状況がわかります。
 そういったことも含めて、行政事件に興味がある者には、最近の判例も含めて様々なものをおさらいできてお得感がある本のように思えます。私には大変興味深く読めました。

09.か「」く「」し「」ご「」と「 住野よる 新潮社
 周りの同級生たちの頭の上に記号が浮かぶのが見えてそれによって相手の感情などを察知できる超能力を持ちながら、すべては見通せずにやきもきし、それが自分だけの特殊な能力と思って隠し合っている5人グループの高校生たちの友情・恋愛・青春小説。
 頭の上のはてなマーク、びっくりマーク、句点、読点で人の機嫌・不機嫌、納得などがわかる恥ずかしがり屋の大塚京、心臓のあたりに見えるバーの傾きなどで感情などがわかる直情径行・猪突猛進女子のミッキーこと三木、心に浮かぶ数字で人の鼓動がわかる盛り上げキャラのパラこと黒田、頭の上のスペード、ダイヤ、クラブ、ハートで人の喜怒哀楽がわかるモテ男子のヅカこと高崎博文、人の体から出ている矢印で人の感情の向けられた相手がわかる内気なエルこと宮里の5人が、互いの好意・恋心等微妙な感情に揺さぶられながら友達への支援を試みたり遠慮したりしながら過ごし関係を進めていく短編連作になっています。
 可愛く清々しく微笑ましい。この作品の次に「青くて痛くて脆い」が書かれたとは思えないほどに…

08.教員という仕事 なぜ「ブラック化」したのか 朝比奈なを 朝日新書
 教員の長時間労働化が進み、その原因としては様々な事務仕事(報告書の作成等)の増加が挙げられ、教育改革・教員改革の名の下に画一化・同質化が推進されていることなどの問題提起をし、改善を提言する本。
 前半は公的文書と報道された事件を材料に、後半は著者の個人的なつながりのある少数の人の経験・インタビューに基づいて書かれています。
 定年後再任用の教員が生徒指導の力を見込まれて担任を任されて、保護者との初顔合わせのときに「まさか、担任をやるとは思っていなかった」と言い、それを聞いた保護者が「この先生は担任をやる気がないのだ」と非常に不安になったというのを著者が個人的に聞いて、それを取り上げて「無神経な言動が目立つ教員がいることも気になる」と批判する(190ページ)とか、「合理的配慮って何ですか?」と聞き返した教師がいるとか、マララ・ユスフザイを知らない、カカオ栽培が児童労働で支えられていることを知らない、プラスチックが海洋生物や大気に与える悪影響を知らないなどと言って「教育界や社会の動きについてあまりにも知らなすぎる教員がいることも気になる点だ」と批判する(191~192ページ)のは、それこそ紋切り型で言葉尻を捉えた非難ではないのかと思います。
 教師の犯罪の場合には必ず職業が教員であることを報道するマスコミの姿勢に疑問を提起し(41~42ページ)、国や教育委員会が「聖人君子」を求めていることに対しても批判的な記述をしている(76~81ページ)著者が、「おわりに」の中で、「未成年者と性行為に及んだ中学校教諭」を挙げて「あきれ果てるような事件」「教員としてだけでなく人として許されない行為であり、犯人は相当の罰に処すべきである」と述べている(220ページ)ことに、私は大きな違和感を持ちます。自分の勤務する学校の生徒、ましてや自分が受け持つ生徒と性行為に及んだというのであれば、職業倫理として、許されないと思いますが、業務とまったく無関係の場合に、そこまで言うべきでしょうか。それこそが教師聖職論、教師に「聖人君子」を求める行政やマスコミと同根の考え・感性なのではないかと、私には思えてなりません。
 提言は、悪くないようにも思えます(ただし、その根拠が客観的なものかは不明です)が、論説としては、前半は紋切り型に過ぎ、他方で後半は客観性に欠け、全体としては統一感に欠けるように感じられました。

07.揺籠のアディポクル 市川憂人 講談社
 難病のために最新鋭の完全自立型無菌隔離病棟に収用されている13歳の少女コノハと13歳の少年タケルが、担当医師柳と看護師若林がいない夜間に到来した大嵐のために一般病棟からの唯一の通路を遮断され、2人だけが閉じ込められた中で、タケルが目を覚ますと病室外の通路には血の付いたメスが落ちておりコノハが病室のベッド上で胸にメスを刺した跡がありさらには病衣の下には下着も着けず股間から精液が垂れた状態の死体となっていて、驚き怒りに震えたタケルが犯人探しに奔走するというミステリー小説。
 私には謎は解けず予想外のものでしたが、読み終わったときに、あぁやられたという感想ではなく、そこまで特殊な設定を作る?そういう設定にすればそりゃ矛盾は特にないと思うけど、ちょっとねぇという感じを持ちました。
 13歳の若者2人の淡い恋心をはらんだ青春小説的な部分を味わうことに目を向けた方が心地よいかも知れません。

06.傑作はまだ 瀬尾まいこ ソニー・ミュージックエンタテインメント
 暗い小説ばかり書いている引きこもり作家が、26年前に飲み会で初めて会った女性と酔った勢いでセックスしてできた子どもとは一度も会わないまま20年間毎月10万円の養育費を送り続けていたところ、突然その息子がやってきて近くのコンビニでバイトすることになったからその間住ませろと言ってきて共同生活を始めるという設定の小説。
 引きこもりのおっさんとふつうに暮らす若者、周囲の人とのギャップ、周囲との付き合いなく一人で生きてきたおっさんの人間関係回復等がテーマですが、いちばんの驚きは、10冊以上出版していたということで30歳の小説家が書斎が20畳もあり2階に5つ部屋があるような家を一括払いで買えると書いてしまうところです(18~19ページ)。ふつう、いやぁ小説家なんて儲からないですよ、小説書いて食っていける人なんてほんの一握りですよとか、小説家は言うものだと思うのですが、こんなこと言えちゃう作者は、どういう人なのかと、そちらに興味を持ってしまいました。

03.04.05.レディ・ジョーカー 上・中・下 高村薫 新潮文庫
 就職差別で娘婿と孫を失った薬局主の老人の競馬仲間たちが、ビールメーカーのトップ日之出ビールの社長を誘拐し流通するビールを人質に恐喝を実行し、それを受けた日之出ビール内と社長の葛藤、捜査に当たる警察官、取材に走る新聞記者らの動きなどを描いた小説。
 犯罪小説としては、犯人側の設定や描写が今ひとつスリリングさに欠け、人間関係が「もし日本が100人の村だったら」くらいのそんな偶然あり得ないでしょうな設定なのが違和感を残しました。
 むしろ日之出ビール側の人間関係、企業の論理・動き、社長の心の動き等に力が入れられ、そちらの方が読みどころの企業小説という趣です。
 様々なテーマについて取材の跡が見られ、ディテールへのこだわりが感じられますが、なぜ1995年3月に設定したのかに疑問を持ちました。書かれた時点では、まだオウム真理教の一連の事件の記憶が生々しかったはずですが、あの時期ならば仮にトップ企業の社長が誘拐されてもそれが新聞の一面トップ扱いとなったでしょうか。社長が誘拐された翌朝の1995年3月25日未明の午前6時台に春の雪が降ったという設定になっています(上巻418ページ)が、気象庁のデータベースで見るとこの日の東京の午前6時の気温は9.9℃、もちろん降雪量は0です。「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」でルーピン先生が狼男に変身した日時を月が出ていない1994年6月6日午後11時過ぎとしてJ.K.ローリングが墓穴を掘った(そんなこと指摘してるのはお前くらいだって?ま、そうですけど)ように、そういうことは調べずに書くものなのでしょうか…

02.若い読者のための『種の起源』 レベッカ・ステフォフ編著 あすなろ書房
 チャールズ・ダーウィンの「種の起源」を若者向けに書き直して要約した本。
 ダーウィンの紹介から、ダーウィンが約5年に及んだビーグル号の航海以外はイギリス国内で研究に没頭していたことがわかり、「種の起源」は研究論文で紙数の多くは自説の論証というか反対意見への説得・反論に費やされていたことが読み取れます。
 特に種の中間的な生物があまり現存せず化石でも見つからないことにダーウィンが悩みその説明に苦しんだことがわかります。そこのところは、ダーウィンの説明を読んでも、今考えてもそうストンとは落ちないのですが。
 ダーウィンの主張が「進化論」と名付けられたことからか、その生物・種自体の生存戦略というような説明がなされることが多いのですが、まるで生物・種の意思や本能で形質の変化が進められるかのような議論は自然淘汰・性淘汰(性選択)の理論には馴染まないと思います。あくまでも偶然に生じた微小な変異が生存に有利、生殖に有利であればそれが多数を占めていくということで、そこには意思は働きません。そこに意思を見るのは、創造説の「神の意思」に引きずられた考えだと、思うのですが。さらに、種が変化するのは、生存に有利な方向とは限りません。その世代の話ではなく後の世代の話なので、ポイントはその微小な変異が「生殖に有利」かの方になります。もちろん、生き延びられなければ生殖の機会が少なくなりますから、生存に有利であることは生殖にも有利となることが多いでしょうけれども、個体が生き延びられても、その個体が生殖の機会に恵まれなければ、子孫段階で増える(繁栄する)ことはできません。生存に有利でなくても異性に好まれる形質は次代に受け継がれていくことになります。「性淘汰」の結果、モテない者は子孫を残せず滅びゆくのですね。自然淘汰よりも、こちらの方が思考上、残酷かも…

01.寝てもとれない疲れをとる本 中根一 文響社
 鍼灸師の著者が東洋医学の観点から体質と疲労のタイプに応じた疲労回復法を説明するという本。
 体質を「木」「土」「金属」「水」の4タイプに分けてそれぞれの体質に応じた疲労解消法、体質管理法、食事、ツボ等を説明しています。そう言われると血液型で性格が違うとか言うのと同じように聞こえるのですが。
 「はじめに」の特製チャート(6~7ページ)で体質を判断するというのですが、私はそれで行くと「金属」になります。「金属」の特徴は「場の空気をよく読み、ロマンチストで、相手を喜ばせるサービス精神も旺盛」(69ページ)、体質に合った味は「辛み」(122~123ページ)…いや、違うだろ。特徴の説明から見たらどう見ても「木」タイプだと思うし、辛いものは苦手。こういうときは、どちらを信用したらいいのか…
 胃が空の時間を保つ→1日2食でいいとか、夜遅くに食べないとかは、心がけていることを肯定してもらえたような、寝だめはできない、寝過ぎはかえって疲れるとか、夕食より先に入浴とかはなかなか難しそう。結局は、言われても習慣は簡単には変えられないと再認識するだけという感じではありますが。

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