庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2021年2月

18.現代日本を読む ノンフィクションの名作・問題作 武田徹 中公新書
 著名なノンフィクションを素材として、現代日本においてノンフィクションが果たしてきた役割、可能性と限界を論じた本。
 「Web中公新書」に2年近くにわたり30回連載された「日本ノンフィクション史 作品篇」を再構成したと紹介されていて、一貫した論考と言うよりは、作品紹介の性格が強く、また時期によって評価の変化が見られるように感じました。
 著者の検討/視点の中で立花隆の評価が定まらずブレを生じ、躓きの石になっているように思えました。第4章では、大宅壮一ノンフィクション賞の選考委員である立花隆をノンフィクションのなんたるかがわかっていない者と道化役に使いながら、第8章では立花隆と利根川進の「精神と物質」を科学ノンフィクションとして持ち上げ、第9章では沖縄返還交渉と密約を明らかにした若泉敬の「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」をノンフィクションが「物語」としての性質を持ち「物語」と読まれてしまうが故に告発力が弱く影響を持ち得なかったと評価しながら、事実記載に徹して強い影響力を及ぼした立花隆の「田中角栄研究」はノンフィクションとしての価値が低いという趣旨の記述(102ページ)にとどめています。全体として読むと、著者は何を言いたいのか、今ひとつわかりません。まぁ立花隆が嫌いなんだろうなというのは感じますが。

17.古代マヤ文明 栄華と衰亡の3000年 鈴木真太郎 中公新書
 古代マヤ文明について、幅広い時期と地域を対象としつつ、著者の専門領域の考古人骨研究の成果を中心に研究の現状を解説した本。
 ストロンチウムの同位体が、ストロンチウム86は(全世界・全時代で)一定の割合で存在するが、ストロンチウム87は基盤岩中のルビジウム87によりその存在量が変化することに着目して、地域によるストロンチウム86とストロンチウム87の同位体比をマッピングし、発掘された人骨の第一大臼歯(乳児期に形成)の同位体比でおおよその出生地を、第三大臼歯(親知らず)の同位体比で幼少期に過ごした場所を特定して、人物の移動を推定する(68~71ページ)方法によって、古代マヤ文明の各都市/遺跡の建設・維持を担った人たちがどこから来たのかを推定し(73~84ページ)、考古学的な検討から言われてきた他の文明からの影響や征服などの諸説が覆されたという説明がなされています。さまざまな知見/技術が新たな知見/知識を生んでいく様子に驚かされます。
 マヤ人の身長は古代から時代を追って小さくなっており、その原因は、社会格差の拡大にあり、それが集団としての栄養状態を低下させたと評価されています(128~129ページ)。文明の発達が、社会全体の利益につながらず、持たざる者の不幸を増大化させていることは、実に嘆かわしい。
 まえがきでは、「21世紀の現在、古代マヤ文明はおそらくもう謎の古代文明ではない」「かつて神秘のヴェールを纏っていた謎のマヤ文字も、今や言語学に基づいた碑文学研究によって、その大半が読める歴史文書になっている」と書かれているのですが、本文を読み進んでも残された謎が多く、マヤ文字についても180~190ページで具体的な解説はあるのですが読んでもほとんど理解できなくて「お手上げ」感があり、今ひとつ、マヤ文明を理解できたという満足感を持ちにくく思えました。

16.騙し絵の牙 塩田武士 角川文庫
 出版大手の薫風社が発行するカルチャー月刊誌「トリニティ」の編集長速水輝也が、編集局長からは黒字化しないと廃刊と脅しつけられ、大御所作家や新人の有望作家、社内の広告局やテレビ局、編集部内の仕事も気配りもできない副編集長、感情的なベテラン女性編集者、腕がいいがわがままで速水と愛人関係の若手編集者、家庭内別居状態の妻と小学生の娘などに挟まれ、せめぎ合いとさまざまな思惑の中を泳ぎ続ける出版業界内幕的なサラリーマン哀話小説。
 最初から主人公を俳優大泉洋に設定して書かれ、そのとおりに大泉洋主演で映画化されました。映画の公開は、新型コロナウィルス感染症の緊急事態宣言等での客の減少を見込んですでに2回も延期されているという、観客ではなく、制作者の黒字化の欲望のみを考えた「薫風社」幹部と同じ思考に支配された状態ですが。
 映画化されたために読んでみる気になったのですが、映画の予告編ラストの高野(松岡美優)の「人を騙してそんなに面白いですか」、速水(大泉洋)の「めちゃくちゃ面白いです」という決め台詞は原作にありませんし、原作は映画のキャッチの「騙し合いバトル」という性格ではないように思えます。原作が、速水の小説への愛情を基本線に置き、速水の術策も、無理を強いられ様々な利害・思惑・圧力の渦巻く中での生き残り策と位置づけているのに対して、映画は相当な書き換えをして臨むように見えます。登場人物も、クセの強い編集局長を亡き者とした(関西弁の適役がいなかったのか?)のをはじめ、いろいろ変更しているようです。見終わった後に、儲かれば、客が入れば何でもいいってことだよね、ではなくて、作品への愛とか、映画への愛が感じられたらいいのですが。

15.むらさきのスカートの女 今村夏子 朝日新聞出版
 いつも近所の公園の一番奥のベンチに座りクリームパンを食べている「むらさきのスカートの女」日野まゆ子を観察し続けている黄色いカーディガンの女権藤が、むらさきのスカートの女と友達になりたいと思い、策を弄して行く様を描いた小説。
 語り手からは、しばらく働いては無職になることを繰り返すむらさきのスカートの女の社会性のなさ、特異さが描写されますが、語り手自身が勤務先がありながら家賃を長期間滞納して自宅に寄りつかず逃げ続けている上、何よりもむらさきのスカートの女を追い続けるストーカーぶりが目に付きます。他人の異常性をあげつらいながら、その人よりももっと異常な自分に気がつかない/自分の異常性は気にならない人のありようを考えさせられます。
 この作品では、ホテルの清掃(芸能人がよく利用して30階建て以上で、ホテルメイドの生チョコが1粒980円という設定なので、かなり高級なホテル)の仕事、バックヤードの話が出てきますが、作者自身がホテルの清掃の仕事をしていたそうなので、そのあたりは、業界の実情、なんでしょうね。そうだとしたら、参考になります。

14.あひる 今村夏子 角川文庫
 父親が職場の同僚からもらい受けたアヒルを庭で飼ううちに近所の子どもたちが遊びに来るようになり、のりたまと名付けられたそのアヒルが病気になって父親が動物病院に連れて行き、その後業者に連れられた元気なアヒルが来てのりたまとして受け容れられるということが続く表題作、敷地内の別棟に住むおばあちゃんと小学生のみのりと弟の交流を描いた「おばあちゃんの家」、何かに夢中になると掌にたくさん汗をかく不器用な少年モリオと妹モリコとビワの実がたくさんなっている家に住むおばあさんとの交流を描いた「森の兄妹」の3編からなる短編集。後の2編はおばあちゃんと通じて、あるいは「クジャク」を通じてリンクしています。
 アヒルが入れ替わっていることをみんなが見て見ぬふりをしますが、それが何の/誰のためなのか、3輪車にまたがった女の子の問いかけを機に考えさせられます。「こちらあみ子」「ピクニック」から続く問いかけというべきでしょうか。

13.こちらあみ子 今村夏子 ちくま文庫
 悪意なく純真な対応をする/それが過ぎる少女あみ子が周囲から疎外されていく様子を描いた表題作、売り出し中のお笑いタレントと交際中と言い張る七瀬さんを気遣い話を合わせるより若者の同僚たちを描いた「ピクニック」、近所のおばあさんの様子を描いた「チズさん」の3編からなる短編集。
 あみ子が小学5年生のときにようやくできた夫と自分の間の子が死産で悲嘆している継母に、プランターに「金魚のおはか」などと並べて「弟の墓」の木札を挿して見せ、それを見た継母が泣き崩れ、以後継母はやる気を失い、兄は不良になるというエピソードをどう考えるべきでしょうか。無邪気さ・純真さが、今では鈍感さ・空気の読めなさを意味し、王様は裸だと指摘した子どもは、かつては大人たちに気づきをもたらしたが今では大人たちに無視され疎外される、そういうことをいいたい作品なのでしょうか。小学生が悪意なく「弟の墓」と書いた木の札を立てたくらいで泣き崩れてそのままうつ状態になるというのも極端だし気弱に過ぎると思えますが、近年は、そういう人が増えているようで、そういうことを認め予期して人に対応すべきことが次第に世の習いとなりつつあるように見えます。作者はそういう風潮に疑問を投げかけているのかというと、あみ子ののりくんへの対応のしつこさ・無神経さ(我慢を重ねていたのりくんがついにキレてあみ子を殴りつけて前歯を折る)、同居している継母が入院したことにも気づかない無関心ぶりなど、あみ子の「純真さ」の行き過ぎぶりが目に付く描写は、あみ子が疎外されるのも当然としているとも読めます。
 それと並べられた、見栄を張る同僚を傷つけないように気遣う若者たちが、空気を読めずに真実を突きつけようとする新人をたしなめて取り込んで行く「ピクニック」を合わせ読むと、無邪気さが残酷さを意味し、人を傷つけないように気遣う優しさが求められているように感じられます。必ずしも2つの作品が同じ方向を向いていると読む必要はないかも知れませんが。

12.彼女たちの場合は 江國香織 集英社
 高校を中退して両親の提案でアメリカ留学しニューヨークに住む叔母夫婦の下で大学附属の語学学校に通う17歳の三浦逸佳が、従妹の14歳の木坂礼那とともに旅立ち、礼那の読む小説「ホテル・ニューハンプシャー」の舞台やボストン、湖水地方を経て西部を目指し、さまざまな人と出会いアクシデントがありながら旅していく中で、さまざまな経験をして気持ちが移ろいで行き、親たちの思い、関係にも変化を与えていくという小説。
 人付き合いが苦手で内向きだが芯の強い逸佳とオープンで明るく人なつこい礼那の組み合わせがうまくかみ合い、シリアスで重くなりがちな局面を軽く流しています。礼那が「チーク!」と言って逸佳に頬を寄せ、逸佳に手を腕を絡める場面が度々出てくるのが微笑ましい。
 やきもきする礼那の母理生那と焦り苛立つ父潤、娘を頼もしく想い密かに応援する逸佳の父新太郎と立ち位置がやや不明の妻(名前も出てこず語り手となる場面もない)の心情の変化も、変化したのは理生那だけかも知れませんが、サブテーマになっています。
 逸佳(いつか)という名前(礼那の語りの場面ではいつも「いつか」とひらがなで表記されます)が、全然関係ないのですが、辻仁成の「サヨナライツカ」を連想させ、その語呂合わせで、小説の設定や進行と別に感傷的な心情を持ってしまいました。登場人物の名前を決めるとき、そういうことも考慮するのかなと、ちょっと思いました。

11.夜はおしまい 島本理生 講談社
 人数集めで駆り出されたミスコンで自分より劣ると思っていた相手より低い最低点を付けられてプライドを傷つけられて、声をかけてきた軽薄なたかり男に貢ぐ神学部の学生琴子、小さな新興宗教団体の教祖となっている母葉子に反発し、複数の男の愛人となって男にたかり続けそれをホストクラブで吐き出す結衣、夫と子どもを持ちながら次々と男を作り長年の愛人を困惑させる作家の「私」、男性に興味が持てず女性に惹かれながらも体では受け容れられないもどかしさを引きずるカウンセラーの更紗が、性の悩みを持ち、神父の金井先生に告解し相談し語らう短編連作。
 バラバラのような、しかしどこかでつながっているような登場人物たちが、神父の金井先生と話すこと、父親かそれに近い関係の大人の男性による幼少期の性的虐待があるいは明示されあるいは暗示されていること、中国との軍事的緊張・戦争体制に向かう社会の暗示というあたりが、全体に漂っています。
 どの登場人物も、伸びやかさや楽しみ・喜びとは対極の悲しい苦しい性行為を持ち続けたり、性に絶望し悲しく虚しく思うさまが描かれています。その原因に思いを致し、またその悲しみを偲ぶ作品なのでしょう。
 「群像」の2014年から2015年にかけて掲載された作品が2019年になって単行本になったのはどういう事情なのでしょう。

10.問題発見力を鍛える 細谷功 講談社現代新書
 従来の教育や価値観ではすでにある「問題」を効率よくうまく解決することが重視され尊ばれてきたが、そのような問題はAIの方が得意であり向いているから今後は問題解決は大部分がAIに取って代わられ、人間に必要な能力は何が問題なのかを発見する問題発見力にシフトし、それに適した人物はこれまでの教育や常識に囚われない非常識な少数派の問題児だというようなことを論じた本。
 問題提起としては面白く、またものの見方、評価についてオルタナティブ(他の選択肢)を意識させることは有意義だと思いますが、その問題提起の先のどうやって「問題発見力を鍛える」かは今ひとつ深められていないように思えます。著者の指摘は、従来の教育では問題発見力がある人物は育たないというところまでで、積極的にどうすれば問題発見力のある人物を育てられるかに関しては、「実は問題発見力は鍛えるのではなく『必要以上に抑圧しない』ことの方が重要なのかも知れません」(189ページ)としています。
 著者は、「問題発見」の意義の説明を「自動車運転の最新情報について調べてくれないかなあ」と言われたという例を挙げて、本当に解くべき問題は何かを問題を疑ってかかり「Why」を問い続けることで真の問題を発見すべきだとしています(40~46ページ)。弁護士が相談者・依頼者から何かを問われたとき、その最初の質問・問いかけをもってそれにだけ答えようとすることは(新聞・雑誌などの「紙上法律相談」やQ&A形式の解説書のような、現実の法律相談とはかけ離れた「読み物」の世界以外では)およそありえません。素人がいきなり本質を突いた核心的な質問をすること自体あり得ませんし、法律相談は、相談者・依頼者が何か解決したいことがあってなされるものですから、最終的にはその解決したい問題をどう解決するかがポイントで、そこに向けて考えを進めていかなければ相談者・依頼者の真のニーズに応えることはできません。ですから、通常、法律相談は、相談者・依頼者の簡単な説明の後は、弁護士側からの質問が続きます。その中で弁護士が相談者・依頼者が置かれている状況と問題点を把握し、相談者・依頼者が何を求めているかを聞き取って、それから答を考え始めるのです。著者が言うような「問題発見」は、弁護士の仕事の中で言うと、弁護士が日常的に行っていることであり、また原因を求める「Why」よりも、相談者・依頼者が「本当は何を求めているのか」「最終的にどういう形で解決するのが望ましいのか」というクエスチョンを発して行っているものです。それは、著者の言う常識に囚われない(非常識な)少数者の問題児が得意なということがらではなく、(著者の評価でもおそらく従来の教育上のエリートであり常識的な人物が多いであろう弁護士の)業務上の経験に基づく専門知・経験知に属しています。
 そういう意味で、どこまでの領域で著者の指摘が当てはまるのかは、具体的に検討するとよくわからないようにも思えますが、通常パターンの思考の見直しを促す点で刺激のある読み物かなと思います。

08.09.ミレニアム4 蜘蛛の巣を払う女 上下 ダヴィド・ラーゲルクランツ 早川書房
 2005年から2007年にかけて話題を巻き起こしたが作者スティーグ・ラーソンの死によって第3巻で発刊が途絶したスウェーデン発のサスペンス小説「ミレニアム」シリーズを、別の作者が書き継いだ続刊。
 前巻から数年後、花形ジャーナリストミカエル・ブルムクヴィストはスクープを取れず衰退を感じさせ、雑誌「ミレニアム」は経営が苦しくなり大手メディア企業セルネル社の支援を受け方針について圧力を受けるようになり、天才ハッカーリスベット・サランデルは行方をくらませたままという中で、人工知能研究の世界的権威フランス・バルデルが暗殺され、目撃していた自閉症の息子アウグストをめぐり警察と殺し屋が奪い合いをしているところにリスベットが現れてアウグストを連れ去り…という展開を見せます。
 キャラ設定や世界観、女性に対する虐待や差別者に対する抗議・憎しみといったところは、スティーグ・ラーソンの著作を引き継いでいます。リスベットのハッカーとしての能力、数学・物理等の知識(知識欲)がより向上し、神業の域に達しようとしているのも、傾向としては前作の延長と見ることもできるでしょう。他方において、敵対者として前作ではたいした存在ではなかったリスベットの妹カミラを大きな存在に描き上げたことが、この巻ではカミラと権力の関係が必ずしも明らかでないことからどこに向かうのか判然とはしませんが、敵対者を権力から一個人に移して全体の構図を「ザラチェンコ一族の紛争・抗争」、さらには「女の敵は女」というようなものにしてしまうとすれば、スティーグ・ラーソンが目指していたものとは大きく変質してしまうと思います。
 スティーグ・ラーソン作のシリーズの愛読者には、継承されている部分と違うタッチや方向性を感じさせる部分が微妙に気になるところではありますが、ラストシーンは前作からの愛読者の心をくすぐっています。すでに第5巻、第6巻が出版されていますが、続きは、何かの折に読んでみようと思います。

07.徒然草 無常観を超えた魅力 川平敏文 中公新書
 「徒然草」について、主として近世以降の紹介本・解説本の評価・解釈等を紹介して、現代の読み方・評価とは違う読み方があることを紹介し論じた本。
 最初と最後で「つれづれ」の意味を、退屈・することがないと解するか、寂しさ・寂寥・静寂と解するかを相当な執念を持って論じています。タイトルでもあり重要性があるということなんでしょうけれども、それがどうしたという感じもします。
 教科書に特定の段だけが掲載され学習されることもあって、徒然草を段ごとに分解して読むことがならいとなっているけれども、近世には順序を考え、まとまったものとして読む方が通例であったことが紹介されており、それはそうだろうなと思います。
 女性を想い惑うことは老いも若きも賢者も愚者も止められない(かの惑ひのひとつ止めがたきのみぞ、老いたるも、若きも、智あるも、愚かなるも、変る所なしと見ゆる:第9段)というのと、恋愛の情を解さない男はつまらないものだ(万にいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉の巵の当なき心地ぞすべき:第3段)というのは、そぐわないのか、ことの両面・ありようを説いているのか、兼好は悟りを説いているのか、粋・楽しみを説いているのかなど、一筋縄ではいかないところに読みがいがあるのだろうと思いますが。

06.嗜好品の社会学 統計とインタビューからのアプローチ 小林盾編 東京大学出版会
 公益財団法人たばこ総合研究センターの委託研究として行われた2018年嗜好品と豊かさや幸福に関する調査(有効標本数2678、有効回収数1137の訪問面接調査)及びその回答者中のインタビュー調査同意者のうちの24名に対するインタビューに基づく、コーヒー、茶、スイーツ、酒、たばこの5種の嗜好品に関する日本人の摂取傾向、摂取目的、社交性や幸福感等の関係について論じた本。
 摂取頻度についての種別の関連性では、スイーツ・茶グループとコーヒー・酒・たばこグループに分かれ(1章)、男性では高学歴・高収入層に5種の嗜好品を幅広く摂取し、低学歴層に紙巻きたばことビールを好み、低収入層にコーヒー・茶・スイーツを好み酒・たばこを摂取しないクラスがそれぞれ存在することがわかった、女性ではやはり高学歴・高収入層に5種の嗜好品を幅広く摂取し、低収入層にコーヒー・茶・スイーツを好み酒・たばこを摂取しないクラスが存在することがわかった(2章)などとされています。統計を用いたあれこれの分析によるもので、私には計り知れないところですが、学歴・収入と嗜好品の相関については、本当かねという思いと、この調査とこの分析でそう判断していいのかねという疑問を、私は感じました。
 それぞれの章はそれぞれの執筆者がどこかに発表した論文なのでしょうか。この本のどこにもそういう紹介はないのですが。それぞれの章で、元にした2018年の調査とインタビューの概要の説明が繰り返され、同じ質問項目と結果が何度も掲載されたり、それ以外でも同じような議論が繰り返されています。学者さんの共同執筆にありがちではありますが(弁護士の共同執筆のQ&A形式の解説本にもありがちですが…(-_-; )、1冊の本として通し読みする読者の存在やその苦痛を全然考えていない自己満足ぶりがプンプンしています。編者が1章と8章を執筆していますが、同じ人物が1冊の本で書いた文章で、元にしたインタビューの概要について書いた箇所、1章の「2.3」(27~28ページ)と8章の「2.3」(195~196ページ)は8章で第1段落末尾の「その結果、質的データでありながら、代表性もある程度あるものとなっている。」の1文がカットされている、第2段落終わりから2文目末尾のインタビューが1人あたり90分から2時間「使用された」が「だった」に変えられている、第4段落の「典型的な2人に注目し」が「特徴的な2人にフォーカスし」に変えられている以外はまったく同文を掲載しています。もう少しなんとかならないものでしょうか。

05.土地評価現地リポート 下坂泰弘 税務経理協会
 土地評価に特化した相続専門の税理士事務所を開いた著者が、相続税申告の際の不動産評価に関して自ら取り扱った16の事例でさまざまな減価要因の適用の工夫・実例について解説した本。
 冒頭に著者が土地評価に際して行っている、まず法務局で登記簿謄本(全部事項証明書)と公図の他に地積測量図(当該地のものがなければ隣接するすべての土地につき確認)、必要に応じて建物図面、隣地の土地要約書を取得、次いで役所で都市計画上の規制・制限の有無・内容、道路指定・接道要件等の確認、建築計画概要書の取得、道路査定図の取得、埋蔵包蔵地の確認(該当する場合、本掘事例の確認)等の評価対象地に関する資料で入手できる限りのものの入手、それらの情報からCADで土地平面図を作成、その後現地調査での確認(作成した図面との異同、道路との高低差:測定、敷地内や隣地の崖、上空の高圧線等、隣地の墓地、神祠等)、現地調査後に縄伸び・縄縮みの反映、セットバックや高低差があるときの造成費、現実の利用状況を反映した地目や不整形等を考慮した評価を書き込んでいくといった作業工程が紹介されています。実例の中でその具体的作業がさらに紹介されています。私は、不動産の事件も扱いはしますが、その領域が得意とか専門というわけではないので、そういうところ、そういう資料にも注意を払う必要があるのか、また書類上のチェックのみならず、CADでの図面作成と現地調査も確実にやっていく必要があるのかと、読んでいて、プロの仕事はこういうものかと感心しました。やっぱり得意分野以外は、その道の専門家に任せた方がいいかなと、改めて思いました。

04.図解不祥事の社内調査がわかる本 プロアクト法律事務所 中央経済社
 企業側の弁護士の立場から、不祥事が発覚した際の当該企業自身が行う社内調査について解説した本。
 第10章の「不正行為の類型別の留意点」での架空取引、キックバック、各種ハラスメント、データ漏えい、情報セキュリティ事故、会計不正、有価証券報告書虚偽記載、品質不正、検査データ偽装、外国公務員贈賄に関する解説は少し具体的にイメージでき、参考になりした。
 他の部分は、書かれていること自体はそうだろうなと思いますが、どうしても抽象的な説明のため、現実の調査でどこまで指針になり、また実施されているのかは不明です。
 「本当の絶対的真実は誰にもわかりません」(118ページ)、「不正発覚後の初動調査では数日から1週間程度、その後に行われる本格調査でも数週間から1ヶ月程度というような調査期限が設定される場合が多いのではないでしょうか」(46ページ)、「調査期限は通常動かしがたく、会社のリソースには限界もあります」(48ページ)など、事実そのとおりだと思います。しかし、そのような制約を前提として「経営判断の前提となった事実認識に不注意な誤りがなく、判断の内容が著しく不合理なものでなければ、経営陣は、その判断が結果的に誤りであったとしても、善管注意義務違反を問われない(免責される)という判例法理」(経営判断原則)があり、社内調査による正確な事実関係の把握は事実関係に不注意な誤りが生じないようにすることで会社と経営陣を守るという意味がある(10ページ)、他に同種の不正がないかについては存在しないことの証明は悪魔の証明で困難、「ここまで調査を尽くしましたが、見つかったのはここまでです。したがって、他に不正がないことが合理的に推認されます」と説明する(26~27ページ)などの説明がなされると、真実の解明と問題の根本的解決を言いながらも、実際には会社と経営陣の責任回避のための調査にとどめる(調査の目的はそこ)というところに流れていくのではないかと思えます。
 この本では、社内調査でも適正な手順により相当な努力をして調査すべきことを求めていますが、そのとおりに実行するためには調査担当者の高い志と能力が不可欠だと思います。多くの企業でコンプライアンス部門にそういった人物が配置されているかは、かなり疑問に思え、現実にはあるべき社内調査が実施されているとは言いにくいのではないでしょうか。
 といって、社外の専門家に委託して「第三者委員会」を作るなどしても、そこで多用される弁護士も所詮は経営陣から依頼された立場にあり、この本で紹介されている日本取引所自主規制法人のプリンシプルでも「第三者委員会という形式をもって、安易で不十分な調査に、客観性・中立性の装いを持たせるような事態を招かないよう留意する」と書かれてしまう(184ページ)ような問題をはらんでいるわけですが。
 調査チームはあくまでも会社のために調査を行うものであり、通報者や被害者の味方ではなくそのことを誤解させないようにという注意(90ページ)は、社内調査の現実はそのとおりで会社や担当者の目的は被害救済ではないことをよく示しています。社内調査で「中立的な立場でヒアリングする」と説明した弁護士が後日その不正に関する法的手続で会社の代理人となって懲戒請求された例を挙げて説明で誤解させないよう注意し、アメリカでは弁護士が会社の代理人であってヒアリング対象者の代理人でないこと、ヒアリングの内容について会社は秘密保護を受けるがヒアリング対象者は保護を受けないことの警告をなすべきとされていることが紹介されています(90ページ)。その点は、会社の代理人であることを説明すればそれでいいのか、調査に関与した弁護士はその事件で会社を代理すべきではないのではないかという疑問を残します。私の感覚では、顧問弁護士が調査に関与し、その後法的手続で会社を代理するというのは、企業側弁護士が脇が甘くルーズだという印象を持ちますが。
 社内調査での証拠検討や関係者のヒアリングで、オンライン調査のやりにくさ、不十分さにも触れられており、特にヒアリングでテレビ会議でも表情は見えても挙動が読み取れない、画面外に助言者がいてもわからないなどが指摘されている(18ページ)のは、なるほどと思いました。
 デジタルフォレンジック(パソコンやサーバーのデータを保全・解析して整理すること)を業者に依頼すると数百万円からときには数千万円になる(65ページ)って…業者ボリ過ぎと私には思えるのですが…解雇事件で、労働者が使用していたパソコンのネットの閲覧履歴とかメールの送受信一覧表とか作成ファイルの一覧表が提出されて、業務時間中に業務外のことをしていたとか、残業時間中に仕事をしていなかったとか主張されることを時々経験しますが、そういうのもこんなにお金をかけているんでしょうか。それならその費用を解決金に充てて和解した方が会社にとってもいいと思うのですが。

03.無意味な人生など、ひとつもない 五木寛之 PHP研究所
 人の人生は、理想の自分・本当の自分を追い求める必要はなく、悩み苦しむ今の自分のままでいい、人生は試行錯誤だ、なるべきようになるしなるようにしかならないなどを基調とした人生論。
 どんな生き方をしようとも、それでいい。もし人よりすぐれた野心やエネルギー、才能などを持ち合わせたなら、それを十分に発揮して世のため人のために尽くせばいい。それはその人自身の幸せなのであって、他人に自慢することでもなく、周りが賞賛しなければならないことでもないというまえがき(1~4ページ)に、著者の姿勢が表されています。
 人生は歓び上手でありたい(64~67ページ)。感情豊かにいろいろなことに敏感に反応し続けることは、そのまま人生の豊かさにつながるとして、成功に歓び、失敗に思い切り残念がり、感情を揺り動かすことが柔軟な心をつくりだすのではないかとも述べ(102~105ページ)、悲しみの効用をも説いています(76~79ページ)。もっとも、怒りは毒とも述べているのですが(72~75ページ)。
 自分の力ではどうにもならない、そうしたことに気づくことは、他者への尊敬や他者の立場を慮るような想像力の豊かさにも転じるのではないか。20世紀から現代に至るまでに起こった問題の多くが、人間が傲慢になりすぎたことに起因しているのではないか。人間は偉大だ、他の動植物とは違う優越した存在だ、そう考えた人間の傲慢さが環境問題などの問題を引き起こしてきたのではないか。うつ病などのこころの病もそうした傲慢さから生まれたひずみではないか(136~141ページ)。大いなる力・自然の脅威への畏敬と他者への感謝…昨今、言葉としてはよく言われることですが、私たちはその内実をどれだけ噛みしめているのか、改めて考えさせられます。

02.ノーベル平和賞の裏側で何が行われているのか? ゲイル・ルンデスタット 彩図社
 1990年から2014年まで25年間にわたりノルウェー・ノーベル委員会事務局長を務めた著者が、ノルウェー・ノーベル委員会の委員選任(ノルウェーの議会である「ストーティング」が選任)、ノルウェーでのノーベル委員会(平和賞)の運営、関連行事、スウェーデン側(平和賞以外の各賞関係)との確執、著者在任中の各年の平和賞受賞者の選考とその反響、授賞式でのできごと等について回顧した本。
 委員の選任や言動、スウェ-デン側との確執などは、ある種内幕の話もあるように思えますが、聞いたこともない委員長や委員の話はあまり興味が持てません。受賞者の選考に関する話は、興味深くは思えますが、そこはそれほど突っ込んだ話はなく(2010年の劉暁波への授賞に関して中国との対立を避けたいノルウェー政府が圧力をかけてきたなどの話は、まぁ「裏側」といえるかも知れませんが、驚くほどの話でもないですし…)邦題の「裏側で」は言い過ぎかなという感じはします。
 選考に関しては、毎年10月に決定されるのに、2月1日がノミネートの期限で、その時点でノミネートされていないと、10月時点でどんなにふさわしく思えても受賞者に選考できないとされています。各年の受賞者についての説明の中で、このテーマであれば、よりふさわしいと思われる、また共同受賞させた方がいいと思われる人がいたがなぜ受賞できなかったかの説明として、そのことに何度か言及されています。ルールとして破ってしまうと箍が外れるということだとは思いますが、選考側には悩ましいことだろうなと思います。
 読者には、各年の受賞者の選考とその受賞者のエピソードが読みどころと思います。選考の際の検討事項や選考側の思惑・意図、選考後の受賞者の言動の評価と委員会側の思いなど、全然レベルも趣旨・目的も違うけれど「多田謡子反権力人権賞」という賞の選考に関与している身としては、賞を選考する者は、相当程度同じようなことを考えるものだなと大変興味深く読めました。

01.小さなことで感情をゆさぶられるあなたへ 大嶋信頼 PHP文庫
 ちょっとしたことで動揺したり、怒りや不安に駆られることへの対象方法について論じた本。
 この本の基本的な考えの第1点は、人は他人の表情などから相手の感情を読み取り、その感情を共有してしまいがちだという点に基礎を置いています。怒っている人を見ると自分も怒りの感情、イライラした感情を持ち、逆に笑顔や落ち着いた表情を見ると怒りが薄れていくといった具合です。感情は伝染するといってもいいでしょう。
 第2点は、人の感情が、自分の本心というか、自然な感情だけではなく、周囲の期待や常識に拘束されがちだということです。周囲の目からここは怒らないと馬鹿にされるとか、悲しまないと非常識と思われるというような状況が、怒りや悲しみの感情につながっているというのです。
 そこで、著者は、基本的に極端な笑顔を作る、怒りその他の悪感情を持ったときはそれを極端な表情に表してみることで自分はそこまでの感情を実は持っていないと脱力する(気づく)、自分が本当に思っていることは、したいことは何と問いかける、第1次的に浮かんだ答にはそれは「常識」でそう思い込んでいるのではと疑いさらに本音を探求する、「やらなきゃ」と思っていることを無理にやらずにしたいことをする、といったことで自分の心を穏やかにする、それでその穏やかな気持ちが伝わることで相手の態度からもトゲが抜かれるというようなことを提唱しています。終盤では、「みんなの心が穏やかになる」とか「人は無意識に協力している」などの呪文を唱えることを勧めているのも、第1次的には、そういうことで自分の心が静まることが相手にも伝わることを述べているのでしょう。
 一見、催眠術的にも感じられますが、表情から感情が伝わるということ自体は、ありそうなことで、うまくできるかどこまでできるかはともかく、心がけておきたいなとは思わせてくれます。

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