庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2023年9月

34.カラー図解 海底探検の科学 後藤忠徳 技術評論社
 海底資源(海底熱水鉱床、レアアース泥、コバルトリッチクラスト、メタンハイドレート等)探査を中心とする海底探査の技術と探査の実情の説明及び海底探査や海洋調査でどんなことがわかるかなどを解説した本。
 電磁波が速やかに減衰するために届かない水中で、光も届かず高圧の環境となる深海底での探査をするために技術的にどのような問題があり、それをどう乗り越えてきたかの説明は、知的好奇心に訴えるものがあり、勉強になりました。
 深海底のことは未解明のことが多く、海底探査・海洋調査によってさまざまなことがわかる期待があることは理解しますが、どうも全体としては、JAMSTEC(海洋研究開発機構)の研究活動の必要性をPRする本という色彩が強く感じられました(著者は現職は大学教授ですが、元JAMSTEC技術研究主任)。

33.恋とそれとあと全部 住野よる 文藝春秋
 男子生徒用下宿に住む友人からは「めえめえ」と呼ばれる(あだ名の由来は/なぜ羊なんだか、説明されない)テニス部所属の高校2年生の瀬戸洋平が、一応密かに思いを寄せている隣り合っている女子学生用下宿に住む帰宅部の仲良し仲間のサブレこと鳩代司に誘われて、夏休みに新幹線で北に向かって約3時間の司の母方の祖父のところに2人で4泊の旅行をする間の2人の様子・思い、共通の友人エビナ、ハンライ、ダストらとのラインでのやりとりや過去のエピソードの回想などで構成される青春恋愛小説。
 今どき珍しいくらいの純情で爽やかな恋愛小説で、そこに読み味のよさを感じる人も、物足りなさを感じる人もそれぞれにいそうです。終盤のやりとりにこだわりが見られますが、これもそれに魅力を感じる人も、あってもなくてもと思う人もいるかなというところです。

32.「ひきこもり」の30年を振り返る 石川良子、林恭子、斎藤環 岩波ブックレット
 「『ひきこもり』が問題視されない社会となるために当事者・臨床家・研究者の3人が過去を振り返り、現在を確認し、未来の構想につなげる」という長いサブタイトルにあるように、研究者と当事者と精神科医の著者3名が「ひきこもり」をめぐるメディア、行政、精神科医らのこれまでの対応について語り、あるべき姿を論じた本。
 2022年12月18日に立教大学で行ったシンポジウムの内容を書籍化したものだそうです(はじめに:2ページ)。
 3者の立ち位置が違うことは折に触れて語られています(例えばはじめに:3ページ)が、当事者団体の代表理事を務めている著者がひきこもりを病気とする者たちへの反発を語る、その語り方に私は精神疾患に対する偏見を感じてしまいました。ひきこもりが問題視されない社会を目指すということであれば、それはまた精神病患者が問題視されない社会をも目指すはずではないかと、私は思うのですが。
 精神科医の著者の、専門家で臨床実務を行ってきた立場での葛藤と気苦労に、仕事がら痛み入ります。

31.夜空に浮かぶ欠けた月たち 窪美澄 角川書店
 溝口純が死んだ父から受け継いで再開した純喫茶「純」と、カウンセラーの椎木さおりと精神科医の椎木旬の夫婦で経営する心療内科椎木メンタルクリニックを舞台に、母子家庭で母の仕送りを受けながら東京の女子大に入学したものの周りのキラキラした同級生に気後れして不登校になっている篠原澪、教材制作会社のデザイン室に勤務し仕事の締め切りが守れず上司のデザインを見て平気でダメ出ししながら雑誌社にイラストを売り込む植村直也、食品メーカーの営業でチームリーダーを務めながらダメ男に貢ぐ有馬麻美、設計事務所を辞めて専業主婦になり不妊医療をして38歳で子どもを産んだが子どもに愛情が湧かず世間から見れば協力的な夫や義母に反発し続ける春日美菜、そしてさおりのうつ病から精神科医を志した椎木旬、幼い子(芽依)を置いて夫の元を飛び出した溝口純のエピソードを綴る短編連作。
 心療内科をベースに、誰しも心を病むことはある、そこからゆっくり立ち直ればいいし、やりなおせるよというメッセージを伝える作品です。
 「ふがいない僕は空を見た」(映画を先に見て、その原作として)以来、わりと気にして読んでいる(直木賞受賞作は短編集ということで読んでませんけど)のですが、尖ったというか癖のあるところが落ちて丸くなりずいぶんとすんなりと心に染みるものを書くようになったのだなと感じるのは、私だけでしょうか。

30.認知症でも心は豊かに生きている 認知症になった認知症専門医長谷川和夫100の言葉 長谷川和夫 中央法規
 認知症のスクリーニング判定に広く用いられている長谷川式簡易知能評価スケールを開発した認知症専門医の著者が認知症を発症しそのことを公表した上で、認知症について語った本。
 著者が認知症患者となった上で認知症患者が記憶を失うということは体験の全体がすっぽりと頭の中から抜け落ち何を忘れているのかさえも思い出せなくなることであり過去の記憶がないと現在にも未来にも自信が持てなくなりイライラする、過去の話(昔話)をするときは現在につながる話をしているので不安や焦燥感がなくなり自信を持てることがある、認知症患者に過去を回想させる/それを支援することは大事だと述べている(88~93ページ)のに感じ入りました。認知症の人の心理的な欲求にはなぐさめ、愛着、帰属意識、携わること、自分らしさの尊重があり、ケアする人がやってはいけないことは急がせる、できるのにさせない、途中でやめさせる、無理強いする、無視して放っておくことだ(130~143ページ)というのも。
 認知症になった著者が心がけているのが「明日やれることでも今日手をつけること」(27ページ)というのも、最近明日やれることは明日に回そうとしがちな私は、ハッとさせられてしまいました。

29.「健康」から生活をまもる 最新医学と12の迷信 大脇幸志郞 生活の医療社
 病気と健康について世上言われていること/迷信について、医師である著者の意見と著者が考える対処方法を語る本。
 著者がこの本で一番言いたいことは、たぶん、最初の方で酒、タバコについて取り上げた上で言う「人の指図は要らない。一事が万事、私たちには自由に生きて不健康になる権利がある」(40ページ)というところだろうと思います。
 解説されている研究データで驚いたのは、高血圧等の予防・対策のために勧められる減塩食について「研究によれば、食塩11.1gを3.6gに減らすことで血圧は白人なら1ぐらい、黒人なら4ぐらい下がる。アジア人だと、なんと下がらない」(62ページ)って。
 近年流行というかスタンダードになっている Evidence Based Medicine : EBM(証拠に基づく医療)のエビデンスについて日本では「根拠」「科学的根拠」と意訳されがちだが、そうするとメカニズムの解明とか理論が重視されることになりおかしいと指摘しています(132~134ページ)。その薬がなぜ効いたかがわからなくても臨床試験で効果があればそれがエビデンスで、EBMはある意味でメカニズムのことは忘れるという思想だというのです。私は、EBMというのはもともと著者のいうようなものと受け止めていたのですが、違う風潮もあるのですね。
 EBMについて、「エビデンスという言葉はなぜか『科学的根拠』と訳されているが、もともと法廷に提出される『証拠』という意味でも使われてきた歴史がある。法廷は意見を戦わせる場であり、そこでは弁護士が頭を使って物語を考える。どんな弁護士でも証拠=エビデンスは参照するが、同じ証拠から引き出す物語は弁護士によって違うだろうし、訴訟に勝つか負けるかも弁護士によって違う。このたとえで言えば、ガイドラインは弁護士だ。間違わない弁護士はいないし、負けない弁護士もいない。ガイドラインを絶対と思うのは迷信だ」と説明しています(147ページ)。医療にかかわる専門家団体のガイドラインを弁護士の訴訟活動にたとえるのが適切かは、私にはわかりませんが、含蓄のある文章に思えます。

28.世界金玉考 西川清史 左右社
 キンタマについての雑学を綴った本。
 冒頭に「全人類の半数が所持しているにもかかわらず、これほど等閑にふされてブラブラしている臓器はないのではないか。悲しいほどの日陰者である」そんなことでいいはずがないということが執筆の動機とされています(7ページ)。いや、臓器のほとんどは、全人類の半数ではなく全人類が所持してるんですけど。体表に見えるキンタマよりも、体内で見えない臓器はもっともっと意識に上らないと思うんですけど…
 専門家ではない元雑誌編集者の著者は、外国語では、「睾丸」のような医学用語ではなく俗語的な「キンタマ」に当たる言葉は何かについて、文献調査ではなく、知り合いやレストランの人に聞いてそれを書いています。学術性ではなくバイタリティを感じ、ある意味で圧倒されますが、これだけのネタのためにそんなに引っ張るなよというテレビのバラエティ番組を見たときのような感想も持ちました。
 文学系のエピソードが多いのですが、終盤に去勢に関する記述が集中し、そこはマニアックなほどに書かれていて、ちょっとお腹いっぱい感がありました。

27.殺した夫が帰ってきました 桜井美奈 小学館文庫
 都内のアパレルメーカーにデザイナーとして勤め一人暮らししている主人公が取引先の男につきまとわれ自宅にまで押しかけられたところに、5年前に仙台で崖から転落したDV夫を名乗る人物が現れて助けられ、記憶を失っていたという相手を訝しく思いつつ、優しく紳士的に振る舞う様子からビクビクしながらもともに暮らし始め安堵しつつあったがそこに不気味な手紙や警察からの連絡があり…という展開のミステリー小説。
 今ひとつ重みを感じさせない描き方ではありますが、虐げられた女たちの人生の選択に涙します。
 ストーリー、設定については、つじつま合わせはされているものの、まぁミステリーとしてはそういうのもありなのでしょうけれども、私には反則気味に思えました。

26.孤独という道づれ 岸惠子 幻冬舎文庫
 パリ暮らしが長い(近年は日本在住だとか)女優岸惠子のエッセイ集。
 最初の方は、小説「わりなき恋」とその次に書いた「愛のかたち」がどれほど苦労して書いたか、その割に思ったほど売れなかったという愚痴が書き連ねられています。その後、大怪我をした話や詐欺に遭いかけたとか泥棒の被害の話、装い(和服・洋服等)、言葉などの話題で経験や思いが語られています。
 概ねそういう話で終わるのかと思っていたところ、終盤に、昔の国際結婚と離婚、長期の外国暮らしと近年の帰国に絡んで、離婚や娘の戸籍記載とビザ・入管の扱い、母の葬儀と住民票などに関して法律の不合理を述べる文章が続きます。法律、特に戸籍や入国管理などに関するものは、市民の立場ではなく国・行政が管理しやすいこと、役所の都合が優先される度合いが強く、とりわけ著者のように外国暮らしが長いと日本の役所の姿勢・取扱の頑なさ・異常性が目に付くものと思います。ふだん忘れがちではありますが、そういったことは気にとめておきたいところです。

25.六畳間ミステリーアパート 河端ジュン一 新潮文庫
 父親が母親に対して言う言葉が陰湿であると感じて14歳の時から両親に別れるべきだと言い続け、大学卒業を機に両親が離婚したが父親からは「自分が正しいことをしたと思っているのか」と聞かれ、母親はより憔悴したのを見て、自分の心に化け物が住み着いたと信じ、長年付き合っている恋人へのプロポーズに踏み切れないフリーライターの田中が、松山市にある「言葉の呪い、祓います」という売り文句のことだま荘という古いアパートに、狐の面を付けた二宮と名乗る管理人の下、1年間にわたって相談役として他の住人の悩みの解決を手伝い、管理人が与えた謎解きをすることで自分にとりついている化け物が祓えると言われて、他の部屋の住人の悩み・トラブルにかかわるという短編連作小説。
 そういった設定だと田中の方がさまざまな住人と積極的にかかわっていく展開が予想されますが、それぞれのエピソードはむしろ住人側の語りで話が進んで、途中に田中が出てくるという形を取り、田中と二宮を狂言回し役にしてつなげられてはいますが、今ひとつ全体としてのまとまりを感じにくく、最後に語られる二宮のストーリーにも今ひとつ説得力というかなるほど感が私には感じられませんでした。もともと「呪い」がテーマですし、田中の人物設定に共感ができないので仕方ないかなとも思いましたが。

24.青い春を数えて 武田綾乃 講談社文庫
 高1のときにNHK杯全国高校放送コンテストで県大会1位になって全国大会に出場した部長と同級生でそのとき自分は本番では頭が真っ白になって結果を出せなかった高3の放送部員の宮本知咲と人見知りをして他の部員と話せていなかった高1の森唯奈、宮本の同級生で受験科目でない生物はまったく勉強せず赤点を取って補習を受け続ける辻脇菜奈と模範的な成績優良児の長谷部光、辻脇の個別指導塾での担当教師の大学生の妹で料理好きで手作り料理をSNSにアップして好評を博している高1の森崎真綾と同級生で男子の制服で登校する吹奏楽部の米谷泉、米谷と電車の中で絡んで知り合った他校の高3の清水千明、学校をサボり続けて放校寸前の清水と同級生で学校に行けなくなった学級委員長の細谷の5組の高校生たちの悩める姿を描いた短編連作青春小説。
 第4話の清水千明を別の高校の生徒として第5話もそちらの話で終わっています。清水千明を同じ高校の3年生にして第5話で絡む相手を放送部長の三浦有紗にするというパターンを、普通の作家なら目指すと思うのですが、そこはどっちがよかったのか…
 私のサイトで書いている小説「その解雇、無効です!」の主人公(狩野麻綾)と同じ読みの登場人物(真綾)が登場するのを見て、読んでしまったのですが、森崎真綾も含め、慕われるあるいは普通にやっていると見える女子高生の内心の鬱屈・ひがみ・やさぐれを描きながらフッと力を抜いて前を向けるという展開で、爽やかなというか安心できる読後感です。

23.マインドエラー 永山千紗 文芸社文庫
 埼京線戸田公園駅西口から歩いて15分くらいの住宅街に住みレンタルビデオ店でバイトする大学生の豊平章教が、はす向かいに住む幼なじみで小学生の頃同級だったが高校生のときに母親が7つ年下の弟が通う小学校でPTA会長とともに自殺したためにひっそりと暮らしつつ今は美容師になるために専門学校通いをしている友成果瑠が自宅内で殺害された事件に翻弄されつつ真相を探ろうとするミステリー小説。
 狭いコミュニティを舞台としているということはあるけれども、それにしても関係者の地縁・血縁が濃すぎるというか都合よすぎる印象を持ちます。
 また、親の育児放棄なり無責任さが子の人格・犯罪性向を決定づけるという意識、中学生の犯罪の凶悪性・残酷さを非常に強調する傾向が見え、そういう主張ももちろんあろうかと思いますが、私はちょっとイヤな感じがしました。

22.サンズイ 笹本稜平 光文社文庫
 元総務事務次官で参議院議員に転身した議員の公設第1秘書大久保俊治を汚職事件の容疑で追及していた警視庁捜査2課の刑事で、かつて代議士の秘書を務めていた父親が代議士の指示を受けて行った不正を一身にかぶって自殺したことから警察官を志した園崎省吾が、検察庁からの圧力で警視庁としては手を引いた後も上司の黙認の下で相棒と2人で潜行捜査を続けていたところ、妻がひき逃げされて意識不明の重体となり、千葉県警捜査1課の刑事から殺人未遂の容疑をかけられ…という展開のサスペンス小説。
 一貫して園崎の側からの語りになっていて、真犯人は誰か、園崎がやった可能性はないかという疑問は呈されることはなく、その意味でメインの「謎」はないのでミステリーではなく、また警察組織の構造・力関係についても若干の言及はあってもその特殊な組織の論理のようなものが前面に展開されるというものでもないので「警察小説」の印象もそれほどはなく、警察を舞台としたサスペンス小説と位置づけるべきかと思いました。そういう点でもシンプルな構造での敵との戦いの物語で、わかりやすく入り込みやすい作品です。

21.ジューンドロップ 夢野寧子 講談社
 母親が不妊治療中で、自らは「閃輝暗点」と診断された偏頭痛を伴う眩い光が見える症状に苦しむミルキー好きの高校生椎谷しずくが、駅前の親水公園の一画にある縛られ地蔵で知り合った「ウメモトタマキ」と名乗る高校生と、地蔵に願う事情を背景としつつ言葉と心情を交わす様子を描いた小説。
 しずくの光視症と偏頭痛、口内炎が折々に姿を現しますが、これはストーリーのアクセントなのか、心象を示すものか…
 タイトルは、植物が梅雨の時期に1本の木が育てられる果実の限界を超えた若い果実、種の入っていない果実や弱い果実を小さいうちに落とす「生理的落果」から(73ページ等)。しずくの母が不妊治療にかける期待と情熱、しずくの立ち位置と感情が反映されているものと読めます。ちょっとせつないですが。

20.リボルバー 原田マハ 幻冬舎文庫
 パリ大学で19世紀フランス美術史を学び、そのままパリでゴッホとゴーギャンの関係での博士論文をものにしようと、パリの小規模のオークション会社「キャビネ・ド・キュリオジテ」(通称CDC)に勤める37歳の高遠冴が、フィンセント・ファン・ゴッホの腹部を撃ち抜いたリボルバーだとして持ち込まれた拳銃を調査するという設定で、ゴッホとゴーギャンの関係、ゴッホの死の真相を推理するというミステリー小説。
 史実についてはわかりませんが、さまざまな資料・文献が引用され、作者のゴッホとゴーギャンへの愛情が感じられます。ゴッホとゴーギャンの絵に、これまでとは違う価値を感じられる、これまでとは違う見方ができるように思えるのが収穫だと感じました。

19.雪ぐ人 「冤罪弁護士」今村核の挑戦 佐々木健一 新潮文庫
 有罪率99.9%という弁護人にとっては絶望的な日本の刑事司法の下で無罪判決14件を獲得した今村核弁護士(2020年8月没)の刑事弁護の実践、生い立ち・経歴等を描いたノンフィクション。NHKで放送した番組の制作過程での取材を元に出版したものだそうです。
 私自身、刑事事件を(刑事事件も)やっていた頃は、弁護士会内では刑事弁護についてそれなりに評価されていたと思いますが、刑事事件を(刑事事件も)やっていた22年間(1985年~2007年)で全部無罪は1度も取ったことがなく、一部無罪が1件あるだけです。私は、公判請求された後に無罪を取ることは絶望的と認識して、刑事弁護は起訴前弁護の方に力を入れて不起訴を取ることを目指してやっていました。無罪判決14件というのは、弁護士の世界では、とてつもないことです。
 無罪判決獲得に向けた今村弁護士の執念と取り組みに感銘を受けるとともに、弁護士としての経験上わかっていることではありますが、そこまでやらないと無罪判決が取れない日本の刑事裁判って何?と改めて思います。
 著者であるNHKのディレクターが、インタビューで専門は何かと問いかけた(当然聞いている方は冤罪事件が専門と言わせようとしている)ときの今村弁護士の応答が、弁護士の目からは実に切なく、また共感します。「『専門は、冤罪事件です』って言ったらさ、その瞬間に、俺の商売生命は終わりだから。…他の依頼が来なくなるから。いちばん困るような質問なんだよ!」(11~12ページ。133~134ページも同趣旨)。弁護士にとっては当たり前のことなんですが、労多くして報酬がほとんど得られない経済的に割に合わない事件について、専門の弁護士なんて報道されたら営業的にはマイナスにしかなりません(そのあたりはこちらのページで書いています→「弁護士の専門分野」)。そのことを報道側がわかっていない(弁護士は自営業なんだから報道されれば宣伝になっていいだろうくらいの姿勢でいる)ことの方に、私などは驚きます。
 マスコミの人の認識に関して、「巨体、ボサボサ頭、くたびれたスーツ、ヨレヨレタオル、ボソボソ声、無口――――。それも、凄腕弁護士のイメージからかけ離れていた。テレビドラマなどで観る『できる弁護士』と言えば…」(23~24ページ)いうのも、ノンフィクション・ドキュメンタリーやる人なら取材してわかるでしょ、テレビドラマの方がいかにいい加減で現実離れしているか、そちらをテレビ人として反省すべきでしょうに。また、「法律家が自ら『法知識だけでは勝てない』と断言していた」(184ページ)と何か意外なことのように書いていますが、刑事事件だけじゃなくて、民事事件でも、実際の裁判ではほとんどは事実認定の争いで勝負が決します。法解釈以前に証拠・証言をどう評価するかが重要です。そこでは法律以外のさまざまな領域の知識経験がものを言います。そんなこと当たり前なのに、ドキュメンタリーをやる報道人がその認識もないのか…
 そして、同業者としてさらに哀しいのが、冤罪事件で無罪判決を取った場合でさえ、依頼者(の一部だと思いますが)からは「『もともと無実なんだから、勝って当たり前』と言われるので、喜びは意外と少なくて、苦しみばかり多いんですよ」(195ページ)というところ。そして、痴漢冤罪事件で否認を続けるなら妻を逮捕すると言われて妻を守るために虚偽の自白をした夫が妻も支援活動を続けて3年以上かけて無罪判決を得ても夫は拗くれ妻との間に溝ができ結局離婚したというエピソード(111~114ページ)も、弁護士として哀しいところです。今村弁護士はそういうところも怒りに変えてエネルギーにしていたというようですが、大変な労力をかけて勝った場合でさえ報われないこういう事情が、理想に燃えていた弁護士の多くを潰しているのだと、私は思います。

18.優等生は探偵に向かない ホリー・ジャクソン 創元推理文庫
 前作「自由研究には向かない殺人」で判明した5年前のアンディ・ベル失踪事件とサル・シンの死の真実と、その過程で明らかになったレイプ事件の裁判について、「グッドガールの殺人ガイド」のタイトルでポッドキャスト配信を始めたピップが、友人コナーの兄ジェイミーが行方不明状態となっていることについてポッドキャストで捜索をして欲しいとコナーに懇願され、逡巡した後にそれを引き受け、「グッドガールの殺人ガイド」シーズン2としてジェイミーに関する情報を配信し始め、前作で恋人になったサルの弟ラヴィに励まされながら、事件の真相に迫って行くというミステリー小説。
 警察もできなかった真相解明を成し遂げた者(高校生探偵)は、賞賛され尊敬を集めるかというと、自分の事件も解決してくれるものと一方的に期待し、少しでも期待に添えないと感情的になるわがままな者に言い寄られ言い募られる、周囲には陰口をたたき何か足を引っ張れる材料があればと機会を窺う者が溢れ…という哀しい状態。そのあたり、とても共感し身につまされながら読みました。
 前作の原題 " A Good Girl's Guide to Murder " そのままのポッドキャスト番組タイトルを、さすがに邦題にした「自由研究には向かない殺人」とは訳せずに、そこは素直に「グッドガールの殺人ガイド」としています。出版社の思惑で原題とかけ離れた邦題が付けられることが多々ありますが、もう少し考えて欲しいなと思います。

17.自由研究には向かない殺人 ホリー・ジャクソン 創元推理文庫
 イングランド南部の小さな町リトル・キルトンで5年前に発生した17歳の少女アンディ・ベルの死体なき殺人事件とその直後に森で自殺したと見られ犯人と断定されているボーイフレンドサルについて、サルが殺人を犯したとは思えない高校生のピップが、「2012年、リトル・キルトンにおける行方不明者(アンディ・ベル)の捜索に関する研究」というタイトルで学校の自由研究を開始し、関係者へのインタビューを続けて事件の真相を解明するというミステリー小説。
 高校の課題という名目で怪しまれずに、相手が断りにくい環境をつくったのが斬新で、ピップの人柄と語り口で重いできごとを比較的明るく読ませ、読み味はいいです。
 ミステリーとしては、わりといいできばえと思いますが、1人目の犯人の心情なり人物設定はもう少し作り込んで欲しかったなぁと思いますし、ラストでもうひとひねりと頑張っているのはいいですがその前に使ったネタをもう一度使われると少しシラケます。

16.黄昏の百合の骨 恩田陸 講談社文庫
 「麦の海に沈む果実」の釧路湿原内の学園を出てイギリスに留学していた水野理瀬が、祖母が死にその遺言で祖母と義理のおば(祖母の夫の連れ子)の梨南子・梨耶子姉妹が住んでいた周囲の住民から白百合荘とも魔女の家とも呼ばれる長崎の坂の上の洋館に6か月居住することとなり、祖母が生前説明してくれなかった「ジュピター」なるものの秘密をめぐって、隠された財宝の存在を疑う義理のおばたち、従兄弟で大学病院の勤務医の稔と起業した大学院生の亘、近所に住む理瀬の同級生やその弟、幼なじみらが錯綜するミステリー小説。
 りりしく逞しく育った理瀬が、16歳の高校生ながらに同級生はもちろんのこと、年上の者たちを超えた洞察力、胆力を示して謎や事件に取り組んでいく姿に好感します。
 正義と悪で割り切れない、暗闇の「こっち側/そっち側」を飲み込む覚悟、それに対して「自覚していない悪」をどう受け止めるかなどを考えさせられました。

15.麦の海に沈む果実 恩田陸 講談社文庫
 釧路湿原内の閉鎖された領域に建てられた寄宿制の広大な学園に入れられた14歳の少女水野理瀬が過ごす学園生活とそこで起こった事件を描くミステリー小説。
 閉鎖的な学園、寮ごとに分けられ「ファミリー」単位での生活、主人公を特別扱いする謎めいた校長、聡明で周囲から一目置かれ賞賛される一方で妬まれ疑惑をかけられて孤立する主人公、その中でも絆を結ぶ数少ない友人の存在、時として幻覚・悪夢とも思われる脳内映像に悩まされる主人公、学園内で催されるさまざまなお祭り的行事と生徒が巻き込まれる悲惨な事件、そしてハロウィーンに起こる特別なできごと…といった設定・展開は、私には「ハリー・ポッター」との共通性を感じさせます。「終章」がなければ、私には、この作品はハリー・ポッター類似の読み物と受け止めたでしょう。
 水野理瀬の人物像が、当初からの聡明ではあるが自信のない不安定な少女から終章で一変するところが、この作品の肝ではありましょうけれども、私はそこに馴染めない気持ちがあります。どちらかといえば最初から終章のような人物像であればそれをより肯定的に評価できたのに、という思いがあるのです。
 文章については、情景描写の巧みさに感じ入りました。

14.図解で早わかり 人事労務・社会保険から経理、契約事務まで 最新 会社の事務と手続きがわかる事典 林智之、武田守 三修社
 会社の総務部(人事・労務・経理等)が行う事務について、項目分けして説明した本。
 幅広い事務の基本的なことが説明されていて、会社の総務の仕事が思ったよりもいろいろとあって大変なんだなと思いました。
 私の専門分野の労働法関係では、著者の法律知識に疑問を感じました。例えば「有期契約労働者を期間途中で解雇するときは、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合、解雇権の濫用として無効となります」(95ページ)と書かれていますが、これは期限の定めのない労働者(無期契約労働者)の解雇の有効性(解雇権濫用)の基準(労働契約法第16条)で、有期契約労働者の期間途中での解雇の場合は「やむを得ない事由がある場合」でなければ無効となります(労働契約法第17条第1項)。この「やむを得ない事由」は無期契約労働者の解雇権濫用よりも狭い、つまり解雇のハードルはより高いものとされています。パートタイマーと正社員の処遇についての記述(98ページ)も、「通常の労働者と同視すべき短時間・有期労働者」(パート・有期法第9条:差別的取扱禁止)とそうでない場合(パート・有期法第8条:不合理な差別の禁止)の区別を理解して書かれているのか疑問に思えます。
 また、誤植、変換ミス、法律用語の使用法に違和感を持つ点や誤り、設例の不整合や同一項目内での無用に思える繰り返しなどが、ものすごく多いとまではいいませんが、けっこう目に付きました。

13.安倍・菅政権vs.検察庁 暗闘のクロニクル 村山治 文藝春秋
 安倍政権が黒川弘務(当時東京高検検事長)を検事総長にするために黒川の定年後も勤務を延長することを閣議決定し、それを後付けで正当化するために目論んだ検察庁法改正案を提出したことで世間の注目を集めた(結果的には黒川弘務の賭け麻雀が暴露されて目論見は潰えた)事件に至る検察幹部人事をめぐる安倍政権と検察庁の暗闘・駆け引きを描いたノンフィクション。
 その対象事項とタイトルから受ける印象とは裏腹に、この本のスタンスは、(安倍はさておき)菅義偉は悪くない、黒川弘務はいい人で安倍政権に便宜は図っていない、むしろ黒川の検事総長就任を潰すために早期の勇退を拒み検事総長に居座り続けた稲田伸夫にこそ問題があったというものです。菅義偉については、日本学術会議の候補者中の6名の任命拒否はまずかった(ここだけは批判的:26~27ページ)けれども、それ以外の人事(官僚の人事)は内閣が任命するのが当然という書き方で、検察幹部の人事も菅が主導したものではなく、杉田官房副長官の意向や法務省側の意向によるもののように書いています。
 著者は、毎日新聞社会部記者、朝日新聞社会部記者を経てフリージャーナリストとなっています。読売新聞や産経新聞ではなく、また政治部でもない記者が、こういう見方の本を書くことは、私には驚きでした。そして、この本が出版されたのは菅政権発足直後で、菅義偉が現役の総理大臣の時期です。官僚の人事を壟断することで権力を維持し強めてきた菅義偉をこのテーマで批判追及せずに、実は菅は悪くなかったなどと賛助賛美するのでは、現在の権力者に媚びを売るものと見え、ジャーナリストとしての姿勢に大きな疑問符を付けざるを得ません。

12.火山 地球の脈動と人との関わり 藤井敏嗣 丸善サイエンスパレット
 火山の成り立ち、噴火の種類、機序、火山災害の実情、火山の調査観測の実情と防災などについて説明した本。
 火山研究の第一線で活躍してきた(著者紹介)著者が、噴火の危険性を指摘しつつ、2013年からの西之島の噴火で旧島が溶岩流に飲み込まれた時点で海上保安庁が航行規制を行ったためJAMSTEC(海洋開発研究機構)が調査船の島への接近を拒否し、研究者が仕方なく漁船をチャーターしたが船主が海上保安庁に忖度してチャーターを拒否されて調査ができず、火山研究者として悔しい思いをしたと嘆く(105ページ)姿に学者魂を感じました。
 これまでの日本の主な噴火を紹介する第3章では、2003年から2014年まで火山噴火予知連絡会の会長を務めていた(著者紹介)著者が、噴火予知がいかにできなかったかを語り、予知が成功した例として報じられている2000年の有珠山の噴火も地下のマグマの動きを捉えて予知したのではなく、有珠山の過去7回の噴火ではいずれも群発地震のすぐ後に噴火していたために有感地震を伴う群発地震で緊急火山情報が発信された、「言うならば、理屈はよくわからないものの、古老の言い伝えを守って避難したら被害を免れたことに近い」(82~83ページ)と述べているのが、とても印象的です。その著者が、横軸に噴火年代(期間)、縦軸に累積噴出物量をプロットした「階段ダイヤグラム」による次の噴火時期・噴出量予測は個々の噴火について正確に知られていることが前提で、間隔が数千年から数万年の「カルデラ噴火」(大規模噴火)の噴火年代の誤差はとても数十年以内には収まらない、原子力発電所の稼働期間40年間に発電所に影響を及ぼすような噴火活動を起こす火山が160km以内に存在しないことを階段ダイヤグラムで示すように示唆する原子力規制庁の火山マニュアルはそれが「議論できると思うこと自体が間違っている」(195ページ)と言っていることも。

11.会社法入門 第3版 神田秀樹 岩波新書
 会社法について、機関(ガバナンス)、資金調達(ファイナンス)、組織再編(リオーガニゼーション)の3点を中心にして、概要と近時の改正、方向性を解説した本。
 会社法という法律が、世間では会社というのは働く場と受け止められているけれども従業員に関すること、労働関係については定められず(そちらは私が慣れ親しんでいる「労働法」の分野)、出資者(株主)と法人である会社と債権者(金融機関等)の関係を定め利害を調整するものだということが、一般市民には馴染みにくいところだという説明(はしがき)には、なるほどと思います。
 一般の市民のみならず、私が学生だった頃のまだ「商法」の中に会社法の規定があったときにはシンプルだった会社の機関や組織再編関係の定めは、経済界の要請に従い複雑怪奇になり、弁護士になってから「会社法」という独立の法律になって教科書類を読んでもどうにも頭に入らなくなっています(私が、会社関係の事件をやる気がないために、真剣に読まないという事情によるところが大きいとは思いますが)。
 この本では、会社法の規定の詳細は、複雑だとかわかりにくいとして説明を省いていますが、わりとシンプルにそれぞれの分野での目的と傾向(方向性)を解説しているので、なんとなく全体像を見るのにはいいかなと思えます。

10.即効!電子帳簿保存法対応マニュアル 大山誠 秀和システム
 電子帳簿保存法が要求する電子帳簿保存について解説し、電子化のメリットを強調する本。
 初心者の田口さんの疑問で始まり、それに対する小田切さんの回答から展開する形でわかりやすく説明するというのが売りで(はじめに:3ページ)、最初の方はそれなりに功を奏していると思いましたが、1-3で「電子帳簿保存法はなぜわかりづらい?」という項目を立てざるを得ないように、法律自体がわかりにくいために、中盤あたりから結局説明を読んでもわかりづらいところが多くなり、文字を追えても隅々まで頭に入らなくなりました。
 読んで思ったことは、電子帳簿保存法の要求に従うためには、改ざんがないことを確保するために保存する電子データの大半について「タイムスタンプ」を付す必要があり、かつ税務調査の際の税務職員の要求に応じるために「検索性」を確保しなければならずそのためにcsvファイルなどで保存したデータの一覧表をつくる必要があるということです。ただ電子データで保存するのなら個人事業者でもやれるかなと思いますが、そういう事務作業が増えるというのです。パソコンとインターネットには親しんできたものの、暗号とか電子署名あたりでついて行けなくなっているおじさん(私)には、荷が重く、モチベーションが湧きません(慣れたら大したことないのかもしれませんが)。
 税務署がやりやすくする、納税者に対する管理を強めるということのために、今でも事業者に多大な会計事務・税務事務の負担を負わせている税務当局が、さらに大きな負担を課してきているのだと、私には見えます。
 それを、会社・事業者にもメリットがあるというより、メリットの方が大きいかのように書かれると、それ自体どうよと思います。

08.09.救急蘇生法の指針2020(市民用)(市民用・解説編)(改訂6版) 日本救急医療財団心肺蘇生法委員会監修 へるす出版
 心停止を中心に、容態が急変した人に対して、市民が行える対応を解説した本。
 「市民用」が本文というか、説明で、「市民用・解説編」はこれにQ&Aと市民に対する一次救命処置教育についての提案・説明を追加しています。
 心停止していない場合に胸骨圧迫をしてもそれで大きな害を与えること(肋骨の骨折、さらには臓器への障害)は稀なので、迷わず胸骨圧迫を開始すべきこと、近年急速にあちこちで見かけるようになったAED(自動体外式除細動器)についても迷わず使用すべき(やり方はスイッチが入ればAED自体が教えてくれる!)ことが強調されています。
 早急な対応が復帰率を大きく高めるという中で、毒物を飲んだときについては、飲んだ毒物によって初期対応が異なるので水や牛乳を飲ませたり吐かせたりしないで119番通報するか医療機関を受診するように勧めています(市民用52ページ、市民用・解説編77ページ、83ページ)。そうなのか…
 AEDの使い方には紙数を割いていますが、使い終わったAEDはどうすればいいのかは全然説明がないので、どうするんだろう(消毒とかしないまま元に戻しておくのもまずいんじゃないか…)とちょっと思ってしまいました。

07.悩め医学生 泣くな研修医5 中山祐次郞 幻冬舎文庫
 「泣くな研修医」シリーズの第5巻。雨野隆治が研修医になるまでの学生時代を描く、いわばエピソード0の作品です。
 医学部で医学生がどのような勉強と生活をしているのかがイメージできるように、医学生が歩む道のり・ステージを順を追って書かれていて、部外者には興味深く読めますが、小説としては、大きなあるいは劇的な展開がない感じです。特に、雨野隆治がなぜ医者になろうと決意したのか、なぜ消化器外科を選んだのかが、釈然としません。シリーズ第1巻の冒頭、幼い隆治の兄が病死するエピソードが置かれていて、そうであればふつうは隆治は兄を病気で失ったことから兄のような、あるいは兄を失った家族のような不幸をなくすために医者になることを決意したという展開を予想します。しかし、この作品では、第1巻の終盤でそうではないような描き方をし、第5巻では医者になりたいと思った「はっきりとしたきっかけはわからないが、小さい頃から漠然と思っていた。目指す職業として決めたのは高校一年生の頃だった」(21ページ)としています。きっかけはわからないと書くくらいなら、どうして兄の病死を第1巻の冒頭に書いたのか、不思議です。ましてや外科医を希望した動機に至っては、カッコいいから(277ページ)って…そういう軽い動機で医者になってもちゃんとやっていけるんだって、(実際、学生のときは多くはそうでしょうし)言いたいのかもしれませんが…

06.やめるな外科医 泣くな研修医4 中山祐次郞 幻冬舎文庫
 「泣くな研修医」シリーズ第4巻。30歳になった医師6年目の雨野隆治の日々を描いています。
 ほぼ第3巻と同様の環境(指導医岩井、先輩医師佐藤玲、後輩の研修医西桜寺凛子とともに日常の診療・手術をこなしつつ、第1巻の合コンで知り合ったはるかと交際し、第3巻で登場した21歳の胃がん患者向日葵の容態を気にし続けている)で、さまざまな面で悩む雨野がテーマになっています。
 手術になれてきて、困難な手術をやり遂げ誇らしく思ったところで、思わぬ失敗をして落胆する姿、慢心からの暗転が象徴的です。本人は、手技のレベルが上がる一方で自分が患者の人間としての生活や人生への共感を忘れているのではないかと反省しているのですが、そこへその技術も未熟と思い知らされるというのは強烈です。やっぱり大変な仕事だなと思います。

05.走れ外科医 泣くな研修医3 中山祐次郞 幻冬舎文庫
 「泣くな研修医」シリーズ第3巻。医師になり5年「後期研修医」2年目の雨野隆治の姿を描いています。
 第1巻と第2巻はすべて雨野隆治を視点人物としていましたが、この巻では、ところどころ佐藤玲、西桜寺凛子を視点人物とするパートが登場し、同じ場面を別の視点で振り返る場面が登場します。私には、それはそれでいいと思えたのですが、第4巻はまた雨野隆治のみを視点人物とする語りに戻していますので、作者としては手応えがなかったということでしょうか。
 ステージⅣの胃がんで肝臓に転移、CTを撮ったらさらに腹膜播種、肺転移も発覚という21歳の患者向日葵が、やりたいことリストの1位に富士登山を挙げ、それを実現する様子が描かれています(3つのうち残りのスカイダイビングと屋久杉を見るはどうなったか不明ですが)。現役の医師の作者がこういう作品を書いているのだから、こういうことも可能なんでしょうか。そうだとすれば、患者には励みになりますが…作品の中でいえば、それに付き添うのなら、雨野医師、ヘッドライト忘れたとか、栄養補給用のお菓子が足りなかったとか、注射器と静脈注射用のブドウ糖を持ってこなかったとか以前に、前夜に午前3時まで酒飲んでる(322ページ)って、何だよ(仮に健康でも富士登山舐めてる)と思います。

04.逃げるな新人外科医 泣くな研修医2 中山祐次郞 幻冬舎文庫
 「泣くな研修医」の続編(シリーズ第2巻)で、27歳になり医師3年目の雨野隆治の様子を描いています。
 この巻から後輩として研修医の西桜寺凛子が登場し、コミュニケーション能力と飲み込みの速さ・吸収力で雨野を凌駕し、雨野の危機意識が煽られる展開になります。
 このシリーズでは、一部の患者を除いて、登場人物に悪意の人物がいないのですが、この第2巻では例外的に、雨野が苦手な意地悪な看護師佐久間が登場します。もっとも、佐久間が登場するのは1つの手術だけで、その後は既刊の第5巻まで見ても出てきませんから、シリーズ全体としては基本、悪い人が出てこない清々しい読み物となっています。
 第1巻で登場する主要な患者の1人、交通事故で腹部を損傷して腸が飛び出した状態で搬送されてきた子どもの山下拓磨の年齢が、第1巻では5歳と明記されている(第1巻37ページ等)のに、第2巻では3歳児になってる(第2巻17ページ)のは、どうよと思いました。そして、雨野が勤務する病院名が、第1巻では「牛ノ町病院」(第1巻228ページ、233ページ)だったのに、第2巻では「牛之町病院」(第2巻12ページ等)になっています。第3巻でも(第3巻5ページ等)、第4巻でも(第4巻6ページ等)、第5巻でも(第5巻278ページ等)また「牛ノ町病院」になっていますので、第2巻は気の迷いだったのでしょうけれど…えっ、あっ、うるさい読者ですね、私。

03.泣くな研修医 中山祐次郞 幻冬舎文庫
 子どもの頃に兄を亡くし医師となって鹿児島市内でさつま揚げ屋を営む両親の元を離れて東京の下町にある総合病院牛ノ町病院で研修を始めたばかりの25歳の研修医雨野隆治が、4年先輩の後期研修医佐藤玲、外科医の岩井らの指導の下、消化器外科、救急外来などの仕事をこなす様子を描いた小説。
 研修医、そして外科医の激務というか、過労死がよく話題になる労働の実情が実感されます。単に長時間であるだけでなく、緊張感とストレスが強い仕事であることもまた実感できます。
 弁護士も、人の人生を左右しかねない判断を求められ、行うことが少なくなく、1年目であっても自分の責任で答え、行わなければならないという場面を経験するのですが、弁護士の場合は、通常はある程度の時間というか、裁判なら基本月単位レベルのむしろゆったりとした時間で対応すれば足りるのに対し、医師の場合、とりわけ救急の場面では人の命がかかった判断を極めて短時間に即決することを迫られる、場合によれば1年目の研修医がほとんど知識経験なくそれを迫られるというのですから、本当に大変だと思います(しかも、私たちの業界が訴訟リスクの圧力で、判断ミスを責め立てるのですし…)。
 ほとんど技術も知識もない研修医の立場から先輩の診療・手術を見るというスタイルで、業界外の読者が医師の世界、病気と手術について垣間見ることができるようになっています(それでも専門用語が飛び交い、よくわからないところが多々ありますが)。

02.それってパクりじゃないですか?2 奧乃桜子 集英社オレンジ文庫
 中堅飲料メーカー月夜野ドリンクの知的財産部に所属する藤崎亜季が、法務部出身の熊井部長、弁理士資格を持つ切れる上司北脇雅美の下で、製品開発部から求められた類似商品の排除(販売停止)、新規開発商品が他社の特許権を侵害していることの対策、藤崎自身が考案し特許申請した案件(メロンのワタ案件)の審査対応などに取り組む様子を描いた知財部お仕事小説。
 この巻でも、北脇は、月夜野ドリンクの製品には何ら必須ではない技術でも相手の製品に使われるだろうなら特許を取得して妨害することを提案し、かつて法務部で知財を担当していた常務から「そんな技術の囲い込みみたいな真似をしていいのか」と眉をひそめられても、「まったく問題ありませんよ」「飲料業界はわかりませんが、他業界では一般的に行われている戦略です。我々が行っているのはビジネスですから、善悪もありません。もちろん法的にはクリアです」と述べています(34ページ)。これが知財ビジネスに従事する者の多くの感覚なのだと思いますが、それは正当化すべきことなのでしょうか。
 ラストは、典型的に、続編書くぞという様子です。第1巻から第2巻まではほぼ3年半かかっていますが、すでに第3巻のネタは思いついたということでしょうか。

01.それってパクりじゃないですか? 奧乃桜子 集英社オレンジ文庫
 中堅飲料メーカー月夜野ドリンクで製品開発をしていた藤崎亜季が、新設された知的財産部に異動となり、親会社から送り込まれた弁理士資格を持つ上司北脇雅美の下で奮闘するというお仕事小説。
 軽く読みやすいタッチで世間には取っ付きにくい知財のお仕事をわかりやすく解説しています。もっとも、読み物としてみると、まったくのド素人(弁理士を便利士と書くような)で慌て者の設定の藤崎亜季が、猛勉強の末にあっという間にしっかり者のできる知財部員になる姿は、スポーツ漫画なんかでよく見るあまりに都合のいい展開に思えます。
 使いもしない商標を登録してライバル社に使われないようにする(22~23ページ)、通りそうにない特許申請をしておいて他社が類似の技術で特許を取れないようにする(47~48ページ)など、要するに他社への嫌がらせのため、妨害のために知的財産制度を利用している企業の知財部門の実情が描かれています。それにもかかわらず「みんなの努力の結晶を守るのが私たちの仕事です!」(裏表紙)というのは、知財ビジネスをあまりに美化する言い回しに思えます。
 大きな企業の味方をしないことにしている私には、知財ビジネスというのは、著作者や発明者の権利を守るというのはお題目/口実で、(著作者や発明者の権利を守っている場合もあるでしょうけれども)たいていは著作者や発明者から格安で権利を譲り受けた(買い叩いた、奪い取った)自分自身は著作も発明もしていない汗も流さず努力もしないで儲ける企業の権利を守っているように思えます。この作品の中でも北脇が訴訟になったら勝てる可能性が低いのに弁護士に相談もできないためにそれがわからない小さな企業を威嚇して商品の販売中止に追い込み、藤崎が特定の商品の販促用に描いたもので他の商品のキャンペーンにしかも勝手に一部改変して使うことはまったく想定していなかったイラストレーターに対し、契約書では使用範囲は限定しておらず改変にも文句はつけられないとされていると説得しているのは、まさにそういうことだと思います。作品では、北脇がWin-Winの案を出したとか、イラストレーターが理解してくれたという展開にしていますが、企業の知財ビジネスの現場はそうなるとは限りませんし、むしろふつうはそうならないんじゃないでしょうか。企業が作る契約書の条項はもちろん企業側に徹底的に有利につくられるのがふつうです(そのために企業は会社側の弁護士に依頼してるんです)。多くの場合、著作権に関しては、企業に有利に、著作者が文句を言えないようにつくられているでしょうから、この作品でも藤崎のいうとおりになるでしょう。しかし、契約書の条項をきちんと検討すればそうだとして、イラストレーター側がそうは理解していない、契約の際に素人でも内容をきちんとわかるように説明していないのであれば、その金額で折り合ったことがイラストレーター側には騙された、そういうことまで制約されるのならもっと高い額でないと契約しなかったという気持ちを残すでしょう。そして、それこそが知財ビジネスの実態じゃないかと、私は思います。
 これだけ書いているところからして、もちろん、プロが監修しているんでしょうけれども、業界と企業知財部がやっていることを何でも正当化するのではなく、せっかく書くのなら、そういうところまで書いて欲しいなぁと思います。

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