庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2023年10月

33.自分広報力 金山亮 イースト・プレス
 会社などの組織の中で評価されていないと感じている人が、周囲に認められながら自分の価値を発揮して着実に評価を上げるために、周囲のメンバーが抱える課題・関心事や困りごとに自分の知識やスキルを活かせるようなテーマを見出して自己の立ち位置(ポジショニング)を固め、相手に意図した評価や行動をとらせるような働きかけを考え(メッセージ思考)、多くの人の共感を得る志・大義(アスピレーション)を持とうと論じた本。
 著者は、読者に「自分株式会社」のCEOとして自分を売り込む方法を考えようというのですが、それは組織の一員として動きまた動こうとしている読者を想定し、組織の中での売り込み方を論じているもので、この本の大半は組織内での泳ぎ方に関するものです。私のような自営業者がどのような発信をすべきかという点では、ごく一部に企業が顧客/世間に向けて発信するときのことが書かれているだけで、それは成功した大企業の事例である上に、ジェフ・ベゾス(アマゾン創業者)やホリエモンだったりするので私の好み・信条上そこから学ぶ意欲が湧きません。
 自分が言いたいことを言うのが発信力・広報力ではない、相手が困っていること、求めていることを探り、相手が自分の話をどう評価しどう受け取るか、さらにどう行動するかを考え、相手に話を聞かせ自分の提案を受け容れさせるやり方を見出して実行しろというメッセージは、肝に銘じておきたいと思いますが。

32.ガンディーの真実 非暴力思想とは何か 間永次郞 ちくま新書
 ガンディー(モハンダス・カラムチャンド・ガンディー)の青年期からの日常生活における食(菜食主義)、衣服(伝統的な衣装・スーツ→クルタ・腰布)、性(禁欲)、宗教、家族関係(長男との対立、妻との関係)について検討し、それらとガンディーの集団的不服従運動や非暴力思想の関係を論じた本。
 著者は、ガンディーの54年の政治的生涯のうちドラマティックな抗議行動が行われていた期間は合わせて4年に満たなかったと強調し(60ページ)、それ以外の期間は何をしていたのだろうかと問いかけ(52ページなど)、目立たない日常の諸実践が大規模な集団的不服従運動を成功に導くための欠かせない重要な自己修練だったと述べています(61ページ)。
 しかし、著者の分析も、ガンディー自身の文章や他の者の文章等に表れたガンディーの長い人生のいくつかの局面での言動を捉えてのもので全体を通じた分析と言える保証もなく、その日常的な実践に常人には理解しがたい点や不快に思える点があるとか一貫しているとか矛盾しているということにどれほどの意味があるのか、長男との関係がうまくいかなければ、妻が複雑な思いを持っていれば(それも最近発見された妻の日記でガンディーが釈放された日の記載に、会えて喜んだと書かれているが、同時に「泣かなかった」「とても弱っているように見えたが」と書かれていることが根拠とされている:244~249ページ)ガンディーの「非暴力思想」の評価を下げるべきなのか、私は疑問を持ちます。
 ガンディーも人間として限界があり過ちを犯したり判断を誤ることは当然にあるし現実にあった、その判断も理論だけで行ったのではなく、理論的には一貫しなくても当時の情勢と条件の下で運動上の効果を検討評価して戦略的あるいは戦術的に行って来たはずで、それが功を奏した場面もあれば、うまくいかなかった場面もあるという、そのことをあるがままに見て評価しそこから学べばいいということだと思います。
 著者は「はじめに」で「読者にとって最もショッキングな事実は『平和の使徒』として有名なガンディーが生涯に四度も従軍していたことであろう」(18ページ)と述べています。ガンディーの従軍の事実は特段隠されているわけでもなくガンディー自身「自伝」で明記している、読者が「自伝」を読んでいれば知っていることです。こういった書き方がなされているのですから、「ガンディー研究を一新する新鋭の書!」(表紙カバー見返し)なら当然に従軍の事実と非暴力思想の関係を解明してくれるのかと期待したのですが、インド人がイギリスに忠誠心を示せばイギリスが南アフリカの人種差別撤廃に動いてくれると考えていた(142~143ページ)とし、公益のための奉仕であるが命がけの体験から個人的・私的な願望を充足させることと両立しないと考え、ブラフマチャリア(禁欲)の決断に至ったとか2度目の従軍活動(1906年)の後にイギリス政府に裏切られ不服従を思いつき演説した(142~146ページ)という以上のことは書かれていません。こと1906年のできごとに関しては動機なりきっかけとして説明できる部分もあるのでしょうけれども、理論的関係の説明・解明には至っていませんし、その後ガンディーが第1次世界大戦で従軍していることをどう考えるべきなのか何も語られていません。
 ガンディーについて、日常生活面を中心に新たな事実を知り、通常とは異なる視点の存在を知るという点で勉強になりましたが、サブタイトルと表紙カバー見返しの記載から持った期待にはあまり応えていただけなかったかなと思いました。

31.何が投票率を高めるのか 松林哲也 有斐閣
 投票所数の増減(投票日当日の投票所数は削減傾向、期日前投票の投票所数は増加傾向)、投票日の降雨や降雨(台風)予想、投票啓発活動(広告)、議員定数(不均衡)の是正、新政党の参入、女性議員の増加が投票率にどのように影響するかを検討し論じた本。
 投票所の増減では人口1万人あたり選挙当日投票所数が1つ減ると投票率が0.51ポイント下がり、人口10万人あたり期日前投票所数が1つ増えると投票率が0.16ポイント増える、悪天候が予想されても前もって投票する機会が確保されれば投票率は下がらない(2017年衆議院選挙投票日に台風が来ても投票率は下がらなかった)、投票啓発活動は著者のフィールド実験では効果を見出せなかった、1票の格差是正で都市部と地方の投票率の格差は縮小した、新政党の参入で投票率は上昇した、女性議員が増えると投票率は上昇するということが、統計データ等により確認できたとされています。
 著者の分析の多くはデータの統計処理に基づいていますが、例えば62ページの図(下図)は台風が上陸した2017年衆議院選挙投票日の午前午後の降雨量差からそうでない2014年衆議院選挙投票日の午前午後の降雨量差を差し引いたものを横軸に、2つの衆議院選挙の投票日午前投票率の差を縦軸にとったグラフですが、著者はこれを「2014年と比べて、2017年で午前午後の降雨量差が大きくなるほど午前投票率が上がっているという傾向が見られます」(61~62ページ)、「統計的に有意に0と異なります」(62ページ)としています。コンピュータのデータ処理はそうなのかもしれません(読者にとってはそれはブラックボックスです)が、このデータを右肩上がりの直線で代表させてほんとうにいいのでしょうか。直感的な物言いですが、私は、このデータから右肩上がりの傾向を見ることに疑問を持ちます。

 統計データによる論証は、それが具体的にどうなされているのか、きちんと論証されているのかが素人の読者には直接検証できません。この本の論証は、自ら立てた仮説が成り立つかのみに向けられ、別の仮説・反対仮説が成り立たないかは論じられていません。女性議員が増えると投票率が上がるかに関する仮説と論証は、当落ギリギリの議員のうち女性が当選したときと男性が当選したときを基準として評価していますが、そのような全体への影響が小さな事象を基準にその際の投票率の増減を女性議員が増えたときと扱って評価することがどれほどの正当性を有するのか私は疑問を持ちました。そして、著者の統計の使い方は問題によって異なっています。問題ごとに自分が好ましいと思う仮説の論証ができるやり方を選択しているということはないのでしょうか。議員定数の是正による都市部と地方の投票率格差の縮小は、著者の論証を見る限り、1票の価値が下がった地方で投票率が下がる(1票の価値が高くなった都市部の投票率は上がっていない)という形で実現していますが、著者はそこには注目しないままで格差が縮小されたことだけを指摘しているという姿勢を見ると、素人にはわからないところを著者がどれだけ誠実に対応しているのかについて、私は何となく疑念を感じてしまうのです。

30.マンガ原作バイブル 77&感動の法則 大石賢一 言視舎
 漫画原作者を目指す人に向けて漫画原作の方法論を解説した本。
 漫画では、主人公のキャラクターの設定が最も重要であり、読者が応援したくなる、(人生の・仕事の)目的を自分で語る、他人と違う個性を持つ、生活や行動で好き嫌いがはっきりしている、正義感や優しさを持っているという5つの特徴を持つ主人公にやりたいことをやらせ(読者は主人公に感情移入し、主人公が自分にはできない欲望に忠実な行動をすることに快感を持つ)、終盤に当たり前のことを力強く言わせる(読者は感動したい)というのが王道というか、コツであるということのようです。そうか…わかりやすさは、漫画のみならず、エンタメの王道ですね。
 次に小説を書くときには(書くことがあれば)心がけてみようかと思いました。

29.やる気になる糖尿病患者さんのための“歩き方”処方せん 熊谷秋三監修 日本医学出版
 糖尿病患者に対する運動療法指導のためというか、生活習慣病指導管理料をとるため、医師が運動処方せんを出す際の考え方や方法を解説した本。
 「監修のことば」では、「本書を、糖尿病を指導されている専門医のみならず、糖尿病の方とそのご家族および一般の方々の糖尿病への理解や運動の効果・役割を理解する際の養生訓として読んでいただきたく」と(3ページ)、一般人も読んで欲しいと書いています。柔らかい解説も心がけていることは感じられますが、内容は次第に難しくなり後半・終盤は一般人にはとても無理と思います。
 最初の項目でも、「確かに食後の運動はインスリン作用が不足している糖尿病患者さんでも血糖改善が期待できます。しかし、血糖コントロールが悪い状態のときは運動でかえって高血糖状態になったり、急激な低血糖が運動中、運動後、あるいはその日の夜間に起こることがあるため十分な注意が必要です」(10~11ページ)と書かれ、その後も脈拍数等を測って運動量を調整すべきことが繰り返され、素人が自分だけでやっちゃダメなのねという印象を持ちます。
 17ページに糖尿病患者向けの「誘惑カレンダー」が掲載されていて、夏はそうめん、ぶどう・もも、アイス・ジュース・ビールに運動不足、暑気払い、夏休みと誘惑がてんこ盛りですがHbA1c(糖尿病の指標)は夏場に下がっていたと説明されています。微笑ましいような怖いような不思議な感じがしました。

28.浄土思想 釈尊から法然、現代へ 岩田文昭 中公新書
 浄土思想・浄土教について、物語の生成という観点で解説するという本。
 「教義・教学もその前提となっている物語の力を感じ、体得することができなければ、たんなる抽象的な概念の体系となってしまう。日本で浄土思想が多くの信者を獲得していったことを理解する鍵は、浄土教の物語が動的に関連していったさまを知ることにある」(はじめに:ⅱページ)という問題意識が中心となっています。その中で親鸞については「他の浄土教の思想家に比べ、親鸞は感覚的で実体的な浄土は否定的に取り扱っている。親鸞の教説の大きな特徴は、仏や浄土を感覚的・現実的なイメージではなく、抽象的・原理的に表現することにある」(155ページ)としつつ、「親鸞伝絵」等の親鸞伝による新たな物語が新たな信者獲得につながっていった(167ページ)とされています。そうすると、浄土思想と言うよりも教団の戦略と言うべきかもしれませんが。
 この本の問題意識からはズレるかもしれませんが、法然の弟子や信徒には念仏を信じることで往生できるとして道徳的な悪を犯しても構わないと吹聴するものも現れ、それも弾圧(元久の法難)の原因となり、法然が七箇条制誡の中で「念仏の教えには戒律が不要だといって飲酒・肉食を勧め、悪を造ることを怖れるなと説くのを止めること」を挙げた(78~86ページ)というエピソードがあるのを見ると、悪人正機説で有名な親鸞はそのような問題には悩まされなかったのか、どう対応したのかが気になりましたが、そこはまったく触れられていない(親鸞の項で悪人正機説への言及自体がまったくない)のが残念でした。

27.東京建築さんぽマップ 最新改訂版 松田力 エクスナレッジ
 東京の近代建築物を散歩がてらに見て回ろうという形で紹介した本。
 著者自身、特権を駆使して中に入ったりしているのではなく、門扉の外から少ししか見えないと書いているものもあり、読者が実際に見に行ける範囲で紹介している点、「本書は散歩の本である」(はじめに:4ページ)という趣旨が貫かれていると思います。ただこの本は2011年の初版のあと2015年(最新版)と2022年(最新改訂版)に改訂されているというのですが、現存しない建物や現在は見ることができない建物もそのままになっている(現存せずとか現在は非公開とかの記載はありますけど)のは残念です。
 採り上げられている建物は戦前の建築が多いですが、かなり最近のものもあり、また写真で見る限りごくふつうの日本家屋やビルもあって、かなり著者の好みが反映されているのだと思います。
 紹介の際の論評も、絶賛から酷評まで、また設計者に対する著者の意見/好き嫌いを含めバラエティに富んでいます。例えば、霞ヶ関の法曹会館の外装改修が「偽りの化粧」(スクラッチタイルに似せた白のタイル、石に似せたアルミパネル)が腹立たしいとして、「法曹とは裁判官、検察官、弁護士などのこと。正義を貫こうという姿勢に疑問を持っちゃう」(66ページ)というコメントは、少しビックリするけれども忖度なく言いたいことをいう姿勢は清々しいかも。
 青山/神宮前の建設当時話題を呼んだ狭小住宅「塔の家」について、「あしたのジョー」に熱くなった若き建築学生はこぞって「少年マガジン」片手に見に行った建物ものであると紹介している(150ページ)のですが、その塔の家がどうしてあしたのジョーと関係するのか、この本を読んでも、さらに言えば少し調べても、全然わかりませんでした。何か内輪ネタがあるのか、もう少し説明して欲しいと思いました。

26.ヘルメス 山田宗樹 中央公論新社
 2029年に直径10kmを超える小惑星2029JA1が地球に接近したが辛くも衝突を免れたことを契機に地下3000mのところに建設された地底実験都市eUC3での居住実験が10年目を迎えた2050年代、eUC3が運営会社から切り離され「ヘルメス」と呼ばれるようになった後地上への連絡がなくなって18年後に1人の青年が地上に現れて大きな騒動となった2073年、再び2029JA1が地球に接近し衝突の危機が迫る2099年の3つの時代に生きる人々の思いと様子を描いた小説。
 貧富の差が拡大する中で、人類の危機に対して人々が何を考えどのように生きるかがテーマとされているようです。庶民の弁護士である私には、貧困層の怨念をも許容したいという気持ちがありますが、自分の未来に希望が持てないからといって人類がそろって滅亡すればいいみんなが平等に地獄を見ればいいと呪うという姿は好ましくは思えません。(多村がほんとうはそういう気持ちを人に抱かせない社会を作らなきゃいけなかったのにと言い、理解を示したにしても、レンが後悔の念を示したにしても)そのような描き方はむしろ貧困者への敵対心、民衆の分断を煽るものではないかという危惧を感じます。
 SFであるかのように始まって、結局はカルトないしオカルト、それを好む人たちの物語として展開します。最初の段階で巨大小惑星の衝突の危機が5日前に初めて発見された上に衝突確率100%と計算されていたのになぜか衝突しなかったという設定がされていること自体、すでにSFとも言えなかったと見るべきでしょうけれど。

25.おまえの罪を自白しろ 真保裕一 文藝春秋
 埼玉県内の橋の建設予定地が変更され総理のお友達が経営する会社が持つ計画変更前は1億円の評価だった土地が8億円で買い上げられ、元建設官僚で埼玉県内の公共事業を牛耳っていると言われる6期目の衆議院議員宇田清治郎がそれを差配したとの疑惑が報じられる中、その長女緒形麻由美の3歳の娘柚葉が誘拐され、犯人から宇田清治郎のサイトに匿名化ソフトを用いて、明日の午後5時までに会見を開いておまえの罪を自白しろという要求が書き込まれたという設定のサスペンス小説。
 テーマ設定から当然に予想されるように、政治家とその家族の生活の過酷さ、政治の世界の冷酷さと打算と駆け引きが描かれ、そこが読みどころとなっています。
 青年期から父に反発し政治の世界から逃れて起業したが失敗し破産状態で父に救われて父の秘書となって5か月の次男宇田晄司が主人公という位置づけで書かれています。この宇田晄司が、序盤では感情的で小粒な人物と見えるのに、事件の途上でさまざまな相手とやりとりする中で大胆になり深読みをするようになってわずかな期間に急速に政治家らしくなっていくことに、感嘆するか、無理があると感じるかが、評価を分けそうです。
 犯人は、名前だけは冒頭から明らかにされているのですが、それが何者で犯行の動機は何かは伏せられ、その正体と動機はまったく意外でしたが、それが気に入るかどうかも読者それぞれでしょうね。
  映画を見ての感想は→映画「おまえの罪を自白しろ」

24.ChatGPTと法律実務 AIとリーガルテックがひらく弁護士/法務の未来 松尾剛行 弘文堂
 2023年時点のChatGPTをはじめとする文書生成AIの実情と法律実務での使いで、学習系AIが本質的に持つ技術的制約、2023年時点でのChatGPT使用に関する法律問題(個人情報保護、著作権、秘密保護、名誉毀損、使用結果の責任等)、2040年頃のChatGPTの使いでと法律実務、弁護士や企業法務のありようなどを論じた本。
 生のChatGPTは基本的にインターネット上の情報を多数読み込んで要求(コマンド、プロンプト)に応じたキーワード検索等で関連する情報を選択して多数派となるそれらしい回答を生成するので、その信用性はネット上の情報の質に依存し、その信頼性に問題があり間違えなくなることは将来的にも期待できず、回答の根拠も明示・説明できず、また一般的な回答しかできないことから、2040年頃を想定しても、リサーチ(情報収集)、アイディア出し、たたき台・ドラフト作成、文書校正、翻訳等には使えるけれども、ChatGPTの回答が間違っていないかのチェックや、当該事案でそれをどう使うか、どうするかの判断はやはり人(弁護士)が行わなければならず、法律実務の支援には用いられる/なしではやっていけなくなる(今どきパソコンやメールなしに法律実務が回らないのと同様に)けれどもChatGPTが弁護士に代替することはできないというのが著者の見通しです。AI活用が支援にとどまるのは「そのAIを利用して実施する業務が自分自身ができること」である場合に限られる、「自分自身ができないこと」をやらせる(能力拡張型の利用)と「AIが間違えれば、弁護士が提供する成果物も間違ったものとなる」(259~262ページ)、どこかで専門知識のある法務担当者の目を入れて確認・検証する必要があり、法務知識のない現場の人たちにAIを利用させて本来法務部門の実施するべき業務を最初から最後までやってもらうということは通常は許容できないリスクを発生させかねないだろう(340~342ページ)という指摘はもっともだと思います。にもかかわらず、ChatGPTの力量を過大評価し、というよりも幻想を持って、ChatGPTを使えば素人が弁護士並みのことができると思い込む人が増えそうなのは頭が痛いところです(弁護士の商売としてもですが、そういう誤解をして敗訴するケースが増えるのは残念です)。
 私のようなふつうの弁護士には、自ら生のChatGPTを業務に使うということよりは、弁護士向けにインターネット情報ではなく判例データベースや法律書を学習させたAI製品が普及したところで(判例データベースが普及して価格が下がったような状態に近づいて)リサーチが今より大幅に簡単迅速になるという利益を享受する、弁護士としての仕事はその上での個別事件での事案の個性に応じた主張の組立や証拠検討に集中するという形になっていくというあたりが、今後のChatGPT・AIの影響ということになりそうです。

23.星屑 村山由佳 幻冬舎
 強大な芸能プロダクション「鳳プロダクション」に勤務して10年以上になるが裏方役しか任されないことを不満に思っている樋口桐絵が、福岡のライブハウス「ほらあなはうす」で演奏するバンド「ザ・マグナムズ」のボーカルの16歳の少女篠塚未散の歌声に痺れ、会社に黙ってスカウトして上京させ、歌手デビューさせようと目論むが、会社が総力を挙げて社長の孫にして専務の娘14歳の有川真由を売り出そうとしていることと被るためさまざまな抵抗を受け…という展開の芸能界サスセス小説。
 30女の樋口の視点で語られ、上司の峰岸、大御所歌手の城田万里子、専務などの登場場面が多く、大人の事情がいろいろ出てくるなど中年層主体の作品なのですが、16歳と14歳の少女の言動を親目線で見てグッとくることが何度もありました。意外に純な感動も味わえる作品だと思います。改めて、作者が「ダブル・ファンタジー」(2009年)以前は青春小説の旗手であったことを思い起こしました。

22.アナログ ビートたけし 新潮社
 デザイン事務所で飲食店等の設計や内装の仕事をしている水島悟が、担当した喫茶店「ピアノ」で出会ったみゆきと名乗る女性と、連絡先を伝え合うことなく、何もなければ木曜の夕方には来ているというみゆきの言葉を頼りに木曜夕方に「ピアノ」に通い、みゆきへの思いを募らせて行くが…という恋愛小説。
 映画を先に見てから読みました。映画は大筋は原作に沿っていますが、原作では悟は勤務先の同僚吉田ひかりと以前付き合っていたとか、定食屋「よしかわ」に通い看板娘のひろこの様子を気にしていたり、高校時代からの友人の高木、山下は下ネタを連発し、など女の影が見え隠れするのに、映画ではジャニーズタレント(二宮和也)のイメージを落とさないという配慮からか、最初のシーンからしてエコな朝食を作り(電気炊飯器ではなくご飯を炊き、糠漬けもしている)、他の女性の影はまったくなく、高木や山下にさえ下ネタは言わせず、上品で一途な設定に変えています。みゆきとのデートも原作では海へ行くのは夜に湘南の海へ行くだけですが、映画では(夜の海は場所は明示されていませんが)さらに羽田空港付近と岡本桟橋(南房総市)でのデートもあり、経過がいろいろ変えられています。デートの映像は映画で設定を変えて正解だと思いますが。
 映画を見てから原作を読むと、映画の印象よりはずいぶんと泥臭い印象で悟もより親しみが湧く感じです。映画の方が美しく爽やかですが、原作の方が微笑ましいように思えました。

21.ザ・ブラック・キッズ クリスティーナ・ハモンズ・リード 晶文社
 ロサンゼルスで生まれ育った17歳の高校生で黒人のアシュリーは、幼なじみの白人の同級生ヘザー、キンバリー、コートニーらと遊び暮らしていたが、無抵抗の黒人青年ロドニー・キングを警官が4人がかりで半殺しにした事件とその警官らに無罪判決が言い渡されたことから街では暴動が発生し、家族や知人らが巻き込まれて行く中で考え交友関係にも変化が生じていくという小説。
 正義感が強く「共産主義者」と自己規定する姉のジョーに対し、アシュリーは黒人に対する差別や迫害を知りつつそこにあまり目を向けようとせず、同級生の貧しいスポーツ奨学生の黒人ラショーンがエアジョーダンを履いているのを見て「ラショーンの靴って、なんか、貧乏なはずなの人にしてはずいぶんと高級だよね」と口走り、暴動で略奪してきたかのような噂を立ててしまうという意識の低い軽率な人物と設定されています。
 そういったふつうの、どちらかといえば恵まれ、白人との交友を求めてきた者の目から黒人が置かれている事情を見て考えさせるという趣向で、黒人でない人種差別に問題意識をあまり持たない層に読ませ考えさせようとしているのでしょうね。

20.女囚たち ブラジルの女性刑務所の真実 ドラウジオ・ヴァレーラ 水声社
 ブラジルで30年以上にわたり刑務所に通って診察を続けた著者が、州立女性刑務所での7年間の勤務の過程で見聞きしたことを記した本。
 数ページごとのエピソードで、前半はテーマを立てて総論的な解説をしようとしているようですが、断片的な叙述になっています。後半ははっきりと出会った受刑者から聞いたエピソードの羅列となっています。そういう構成ですので、体系的な論述というよりは思いつくままに書かれたエッセイという読後感です。
 登場する受刑者たちの収監に至る事情を読んでいると、薬物の悲劇を痛感します。その流れで著者は違法薬物との戦いを正当化しようとしているのかと思っていたのですが、何と、著者は終章で、禁酒法が社会を腐敗させ密売や犯罪を助長させたとして、同じようにドラッグの使用と密売を違法にする法律が「我々を最悪の状況に導いている」と主張していて(282ページ)驚きました。
 著者の経験で、男性の囚人には女性(母、妻等)が列をなして面会に訪れる(ブラジルでは面会時に同衾さえ許されるそうです:40ページ)(もっとも、それは面会に行かないと報復・暴力が待っているからということであるようですが:42~43ページ、286ページ等)のに、女性の囚人は見捨てられ夫や愛人はほとんど面会に来ない、それはその女性がその男のために収監された場合でも同じ(42ページ等)というのが、悲しいですね。

19.回転寿司からサカナが消える日 小平桃郎 扶桑社新書
 回転寿司チェーンが格安で寿司を提供できてきた仕組みと事情について説明し、それが近年大きく変化し危機が近づいていることを論じた本。
 生鮮魚介の買付の段階で、これまでは日本は主要な需要先であった(特に生魚を食べるのは日本人くらいだった)が、近年は中国を始め生魚の需要が増え、漁業者からすれば注文がうるさく小口で買い付ける日本の業者よりも緩い条件で大量に買ってくれる他国の方が上客となっている、加工業者は寿司ネタなどの生魚加工では冷温下で衛生のために重装備で手洗い等も厳守の厳しい労働条件で働く者の確保に苦しみ、現状では厳しい日本の要求に対応できていることが業者の高評価にもつながるので対応しているが、より条件の緩い他国に売りたいと思うのが当然であり、かつて人件費の安さを理由に海外に加工工場を造ったもののアジア各国の人件費が上がり(今では日本の方が低賃金ということさえある)、海外での加工のために輸送・冷蔵保管の工程が増えるが、原油高と円安、電気代高騰でこれらのコストも増加しているという状況が具体例を示して説明されています。
 当時から産業空洞化と懸念されていた様々な施設・工程の海外移転のツケが返ってくるということですね。消費者として安い商品の提供はありがたいことです(消費者が安い商品でなければ買えない原因は、賃金が上がらないことにあって、結局は、財界・企業経営者の強欲に問題があるのだと、私は思いますが)が、それが目先の利益に踊らされた無理な構造に依拠するものでないかということは考えておきたいですね。

18.ルポ大学崩壊 田中圭太郎 ちくま新書
 独立行政法人化と運営費交付金の削減、国立大学法人法改正による学長選考方法の自由化などによって独裁化と政府による支配が進む国立大学の惨状、私立学校法の改正で(学長・総長ではなく)理事長がトップとなり理事長の思うがままに運営できることになったことで私物化が促進された私立大学の惨状、多発するハラスメント、有期雇用職員の雇止め、非常勤教職員の雇止め等の雇用破壊、文科省役人の天下り等の実情を報じた本。
 最初に紹介されているのが、吉田寮自治会に対して訴訟提起して立ち退きを求め、タテカン(立て看板)を一方的に撤去して学生・教職員組合と対立している私の出身校京都大学です。私が在学していた頃には、まだノーベル賞受賞者輩出などよりも「反戦自由の伝統」を誇りに思う風潮があったのですが、落ちぶれ変わり果てた姿に悄然とします。
 有期雇用の職員や教職員の雇止めに関しては、裁判上、雇止めが有効とされる(労働者敗訴)ケースが相次いでいます。それは、労働契約の条項や規則、担当業務の差替えなどを工夫して、おそらくは使用者側の弁護士の入れ知恵で大学側がうまく立ち回っているためです。判決文を読んでいるとため息が出ますが、裁判所にはそういった大学側の小ずるい手法が今のところ効いています。こういったやり方は、短期的には大学側=使用者側の勝利となっていますが、このような状態が続けば、大学での有期雇用が、「大学」という言葉/ブランドが与えるイメージとは異なり、極めて不安定な労働者・研究者にとって割に合わないものだということがいずれは世に知れ渡り、大学は有能な人材を確保できなくなると、私は憂いているのですが。

17.イット・スターツ・ウィズ・アス ふたりから始まる コリーン・フーヴァー 二見書房
 イット・エンズ・ウィズ・アス(1つ下の記事 ↓ )で、離婚してシングルマザーとなったリリーと、リリーが16歳の時の初恋の相手で当時はホームレスだったがボストンで成功したレストランのシェフとなったアトラスが、改めて関係を作っていくラブ・ストーリー。
 前作の読者へのファンサービスという色彩が強く、前作でのエピソードを繰り返し拾いながら、一面で純情に、一面で大胆に恋愛のステップを踏んでいきます。前作同様、DV被害者へのメッセージとエールを送る目的で書かれているものと思いますが、前作よりそのニュアンスを薄め前向きの楽しさの方を打ち出している印象です。
 私には、脇役ですが、アトラスの相談役の12歳のゲイのセラピストが微笑ましく好ましく思えました。

16.イット・エンズ・ウィズ・アス ふたりで終わらせる コリーン・フーヴァー 二見書房
 メイン州プレソラ(架空の市のようです)市長であるDV男を父に持ち、高校の時に近隣の廃屋に住み着いたホームレス青年アトラスに恋したが引き離され、大学入学時にボストンに移り勤務先を辞めて花屋を起業することにした23歳のリリー・ブルームが、父の葬儀後に気分転換のために忍び込んだ高級マンションの屋上で偶然出会い一夜の関係を迫ってきたイケメンの脳神経外科医ライル・キンケイドと恋に陥ってという設定で展開する小説。
 作者の問題提起が典型的に示されているのは、リリーが元彼のアトラスと再会したことに疑念を持ち嫉妬するライルに対して「そうよ。わたしは昔、アトラスからもらったマグネットをずっと捨てずにいた。彼との出来事を書いた日記も捨てなかった。タトゥーのことも秘密にしていた。そうよね、話すべきだった。自分がまだアトラスを愛していることを、そして死ぬまできっと彼を愛し続けるだろうってことも。なぜなら彼はわたしの人生の大切な一部だから。それをきいたら、きっとあなたは傷つくと思う。でも、だからといって、手をあげていいはずがない。たとえ寝室で、わたしとアトラスがベッドにいるところを見つけたとしても、それがわたしを殴る理由にはならない」(384~385ページ)と言い放つところです。確かに、殴ることを正当化する理由にはならないでしょう。しかし、このリリーの振る舞い、開き直りに共感できるか…作者は読者にその点で踏み絵を迫っているように思えます。

12.~15.探偵の探偵Ⅰ~Ⅳ 松岡圭祐 講談社文庫
 高2のときに、ストーカーにつきまとわれたために遠縁の親戚宅に避難させていた中学生の妹咲良がそのストーカーに殺害され、警察でストーカーが所持していた咲良の所在を探り当てた探偵の無記名の調査報告書を見せられ、復讐心と悪徳探偵への敵愾心を募らせた紗崎玲奈が、探偵養成スクールに通い、事情を聞いた所長の須磨康臣の下で悪徳探偵の被害者の被害を調査し対応する「対探偵課」員として、配属された妹のような峰森琴葉とともに、悪徳探偵と対峙し、妹の所在をストーカーのために調査した探偵を探すという小説。
 もともと新体操で国体出場の運動神経に暴力団系のテコンドー道場でしごかれ、違法な手口も含めた調査技術をたたき込まれた紗崎は、DV男やストーカーのために働く探偵たちめがけて野に放たれた狼のように噛みついていきますが、度々相手に襲われてボロボロに傷つきます。読み味はミステリーやアクションというよりはバイオレンスものです。「あしたのジョー」で、プロデビュー後の矢吹丈が毎回ノーガード戦法で散々相手のパンチをもらってからクロスカウンターで相手を仕留めてくるのに、なんで格下相手にそんなにパンチをもらわなきゃならないんだと叱責し嘆く丹下段平のような感想を持ちました。毎回危険にさらされる女性の探偵としては、V.I.ウォーショースキー(サラ・パレツキー)が有名ですが、それをさらに過激にしたイメージです。暴力、特に女性への暴力の描写を好まないもので、読むに堪えないというか苦痛に思えるところが多々ありました。
 調査/情報収集の方法(一部適法、違法なもの多数)、住居侵入の方法(違法)、手近なものを武器にした戦い方(ほぼ違法)などについてのトリビアに読みでがあります。実際に試すわけにはいかない(よい子はマネしないように!)ものが大半ですので、その実効性を実感・検証できるわけではないのですが…
 2015年に北川景子主演でテレビドラマ化されたとかで(例によってテレビ見ないもので知りませんでしたが)、1巻から3巻まで統一したイメージのイラストだった表紙が4巻では違うイメージの写真になっています。販売政策上の判断でしょうけど、どうかなと思います。

10.11.偽りの楽園 上下 トム・ロブ・スミス 新潮文庫
 スウェーデンに農場を買って引っ越した父母から相次いで連絡があり、父からは母が精神病院に入院したが脱走した、母からは父の言うことはすべて嘘だと言われて戸惑うロンドンで11歳年上のゲイのパートナーと同棲中のダニエルが、ロンドンにやってきた母の訴えを聞き取りながら真相を考え探るミステリー小説。
 お話の大部分は、私にはデジャヴ感があります。「嘘 Love Lies」(1つ前の記事 ↓ )の場合とは違って、作品を読んだことがあるという意味ではなく、ダニエルの母ティルデが話す話のパターンが。弁護士をしていると、特に私のように「庶民の弁護士」を名乗り、控訴の相談をよく受ける立場にいると、十分な証拠があると言うのですが聞いてみると証拠とされているものがその人の主張する事実を「十分」裏付けるどころかどうしてそれがその主張の証拠といえるのだろうかと思う訴えを聞くことが少なからずあります。自分が正しいと思っているから何でも自分に有利に見えるのかもしれませんし、ものごとの評価や価値観の基準がかなり偏っているということかもしれません。第三者の目からは、十分な証拠があると言われれば言われるほどとてもそうは思えず無理な話だと感じられ、ですから当然、裁判でそう振る舞えば負けてしまいます。しかし本人にはそういう自覚はなく、正しい主張をし、証拠も十分あるのに裁判官が異常なあるいは不公平な判断をしたと思い込み、そう主張します。この作品のダニエルの聞き取りとティルデの語りの形で続くティルデの長い長い話を読んでいると、そういう人の話を見ているようです(ティルデも、自分はきちんと証拠に基づいて整然と説得力のある話をしていると自己認識しているのですが:下巻162ページ)。本人訴訟をして負け、裁判官が異常な判決をしたと憤っている方には、自分の主張はこの作品のティルデの話のように見えていたのではないかと一考して見ることをお薦めしたい…そう言われて冷静になれる人はまだ望みがあるのだろうと思いますけど。
 ミステリーとしては、そのティルデの話がようやく終わったあとの最後の100ページないしは60ページの展開で読ませるのですが、そのために全体の85%、約480ページにも及ぶ十分な証拠があるなんてとんでもないと感じるティルデの話を読み続けられるかが、作品の評価を分けるでしょう。訳者あとがきでは、延々と続くティルデの話を「これが読ませる。語りの妙にページを繰る手が止まらなくなる」(下巻282ページ)とまで言っていますので、それに同感されるのであれば高い評価の作品となるでしょう。

09.嘘 Love Lies 村山由佳 新潮文庫
 左官だった義父が死んだあと母が連れ込んだ男に殴られ続けて11歳の時に暴力団幹部の九十九誠に目をかけられて柔道を教えられるなどするが九十九の言いなりにならざるを得なくなっていく刀根秀俊、秀俊に密かに思いを寄せる同級生で神主の娘桐原美月、秀俊が密かに思う中村陽菜乃、陽菜乃に好意を持つクラス委員長の正木亮介が、中2の時に遭遇した事件を機に傷を抱え過去に縛られつつ生きた苦悩に満ちた20年を描いた小説。
 私の個人的な問題ですが、この小説、過去に確実に読んだと思えるのですが、私が2002年からエクセルにつけ続けている読書記録に記載がない。出版時期を考えてもそれ以前に読んだことはあり得ない。それでも拭えないこのデジャヴ感は何?ついにボケが…いや読んだのを忘れるのならわかるが、読んでないものに見覚えがあるって…美月の直接目の当たりにしていない事件が見えてしまう能力が、私にも降りてきたのか…

08.民事裁判手続のIT化 山本和彦 弘文堂
 民事訴訟のIT化(訴え提起等のIT化:e提出、期日等のIT化:e法廷、事件記録に関するIT化:e事件管理等)に関する民事訴訟法の2022年改正、民事訴訟以外の民事執行、民事保全、倒産手続、労働審判等のIT化に関する2023年改正について解説した本。
 裁判手続等のIT化検討会座長、その後の法制審議会の部会長として民事訴訟のIT化を推進してきた著者(議論が始まった2017年当時は携帯電話等も使っていないIT弱者だったと自ら語っています:はしがき)の本ですが、その旗振り役の著者の目から見て民事訴訟のIT化は、個々の制度の問題点に係る改善を積み上げていって最終的な改正案が形成されていく通常の民事基本法の改正とは異なり、一種のトップダウンとして最終目標がまず設定されそれに向けて改正案が構築されていくという経過をとったように思われるとされています(13ページ)。端的にいえば、現状で誰かが困っているということからではなく、例えば諸外国より遅れていると評価されることが沽券に関わるというような動機からか、とにかくIT化するという結論ありきで進められてきた話のように感じます。
 IT化のニーズがあることは明らかだ(サイレントマジョリティなんだそうです:4ページ。安保闘争で群衆に国会を包囲されたときの岸首相みたいな言い草ですね)というのですが、例えば事件記録のIT化(基本的に2025年施行予定)は現状と比較して情報漏洩のリスクを高めます。営業秘密とDV被害者等の個人情報秘匿の場合はその部分は改正法施行後も電子化せずに紙で扱うこととされています。立法者は現在の紙による取扱の方が情報漏洩防止上有利であるとはっきり意識しているのです。国民がIT化を求めているという人は、そういう事情が十分に説明された上で人々がIT化を支持しているというのでしょうか。
 私は、民事訴訟のIT化についてあまり好ましく思っていないので、辛辣な物言いをしますが、現実にはIT化は否応なく進められますので、一定の対応をせざるを得ません。そういう動機で読みましたが、改正の内容がひととおり説明されているので、食わず嫌いしていてよくわかっていなかった私には勉強になりました。しかし、実務家向けには、より正確な条文というか要件と、それぞれの改正の経過措置についても書いておいて欲しかったなと思います。そういうことを考えると弁護士向けより一般読者向けなのかなと思いますが、一般読者が読み通すのはまた辛いだろうなと思います。 

07. フェルディナント・フォン・シーラッハ 東京創元社
 妻に先立たれて生きる意欲をなくした78歳の健康体の男性が安らかな死を希望して医師にペントバルビタール剤の致死量処方を求めているという設定で、医師はそれに応じるべきかという問題について公開の場で論じるという劇の戯曲。
 倫理委員会の委員長の司会の下、医師による自死幇助に反対の意見を持つ委員と自死を求めている本人とその依頼を受けた弁護士が、参考人として招かれた憲法学の教授、医師会の役員、司教に対して質問・討論をする形で、法律、医学、神学の観点からの問題点が整理して示されるという構成です。
 著者( F.v.シーラッハ)は、「テロ」(2015年)で緊急避難(より多数の被害を避けるための加害)について論じている(それについて、私のサイト「モバイル新館」で「『テロ』( F.v.シーラッハ)を題材に刑事裁判を考える」というブログ記事を書きました)際と同様、シンプルで力強い問題提起をしています。同種の問題提起をしている本は数多あり、情報量は専門家が書いた本の方が多いのですが、構成の妙というか、より心に残るというか、考えさせられるように思えます。
 ただ、普遍的なテーマが論じられてはいるのですが、当然にドイツでの事情が前提となっており、相当に事情が異なる日本では、ここで論じられていることがそのままには当てはまらず、そこで入り込みにくいところがあります。

06.70歳からの正しいわがまま 平野国美 サンマーク出版
 終末期に在宅で過ごす患者の訪問医療を行う著者が、訪問医療での自らの経験を語り、死にゆく姿ではなく、他人の考えに従うのではなく、自らの考えに基づいてギリギリまで生きたいように生きて行く患者たちの姿を見て、そのような生き方、死のあり方を勧める本。
 70にして矩を踰󠄁えよ、70歳になったら人として分別ある行動をとる、なんてことにとらわれる必要はもはやないのではないか。わがまま三昧、他人に多少眉を顰められたとしても、やりたいことをやりたいようにやっていい、やるべきだと私は思う(187ページ)というのが、この本の基本メッセージとなっています。周りの人は迷惑かもしれないけれど、死が迫っているのだし、構わない、そんなこと構ってられないということでしょうね。
 ただ、時折思うのですが、死ぬときに幸せか後悔しないかが、それまでの人生がどうであったかを打ち消してしまうほどに決定的なものなのか、それもまた悲しいなという気がします。

05.アジアを生きる 姜尚中 集英社新書
 熊本生まれの在日韓国人2世で初の「在日」東大教授とされる政治学者の著者が、自らがたどった思想・思索の来歴を語った本。
 「近くて遠いアジア」と題する第1章と「西欧とアジアの二分法を超えて」と題する第2章は、著者の学問的関心、傾倒した思想にかかわる記述が中心となり、社会学ないしは政治哲学の業界での大家の考えや著作の紹介とその批判が続き、門外漢の目には専門用語/業界用語と小難しい「概念」が羅列されたペダンティックな文章と感じられます。「地域主義と『東北アジア共同の家』」と題する第3章は、扱う時代と事実が馴染みやすいものであることもあって比較的読みやすいというか、耳に馴染んだ話が続きますが、「個別的『普遍主義』の可能性」と題する第4章はなぜか江戸時代から明治にかけての国学的な考察に迷い込みまた読みにくくなる印象です。
 アジア的な文化・思考の価値をいうこの本で、著者が駐日アメリカ大使館の政務担当者が「干戈を交え、悲惨な戦争で多大な犠牲者を出しても、やがては親密な友好国となれるものなんです」とベトナムや日本の例を挙げてうそぶくのに「国家理性の狡智によって戦争が避けられるとしたら、その乾いたザッハリッヒな(非人格的で即物的な)ロジックを闇雲に否定しようとは思わない」(126~127ページ)と述べ、たとえどんなにそぐわなくても我々は異質なものとも共存しなければならないということを、イギリスの哲学者やドイツの外交官らの言を挙げていう(166~168ページ)著者のスタンスはどう見ればいいのでしょうか。前者に関して「それでも私は、その冷厳なロジックによって切り捨てられていく人々のことを思わざるを得ない。なぜなら、『在日』とは、そうした『国家理性』によって切り捨てられた人々のことを意味しているからだ」としている点に著者のアイデンティティーの一環が感じられますが。

04.全検証 コロナ政策 明石順平 角川新書
 主として公的な機関の発表資料と統計に基づいて、コロナ禍の実情と推移、ワクチン・マスク・行動制限・PCR検査の感染・死亡抑止効果、医療崩壊の実態と原因、コロナ予算の規模と使途、無駄と使い残し、コロナ対策・コロナ予算の日本経済への影響・後遺症について評価し論じた本。
 著者は私の同業者で、「はしがき」で「私の本業は弁護士であり、『門外漢』と揶揄されることが多いのですが、門外漢であるからこそ、このような分析が可能になりました」(4ページ)と述べています。私は、証拠資料に基づいてどのような事実があったか/認定できるかを論じるのはまさしく弁護士の本業で、弁護士が専門的力量とセンスを示せる場であると考えています。もちろん、論証に用いる資料の取捨選択、資料の読み方は幅があるものですし、見落としている資料の存在、資料の読み方の誤り、資料の性質についての知識などで対象分野の専門家から異なる指摘があり得るでしょうし、別のより説得力のある見解が提示されることもあり得るでしょう。そういう意味で、弁護士が提示する議論・意見は唯一のものとか確実なものとは限らず、その論旨の説得力を評価して読むべきものです。そういう限界があることを前提として、資料に基づいて弁護士が提示するものは、対象分野について専門家でないとしても一定の価値があるものと思います。
 著者の評価は、ワクチンは接種後一定期間は死亡・重篤化予防効果があり、デルタ株までは感染予防効果もあったがオミクロン株では感染予防効果はなかった、マスクは特に感染者がマスクをすることに周囲の感染を予防する効果が見られ、行動制限にも感染予防効果があった、日本で医療崩壊が顕著に起きたのはほとんどが民間中小病院という日本ではしかたがなかったなどで、ブラック企業被害対策弁護団事務局長が書いたものとしてはずいぶんと穏健なものに思えます(財政問題とかアベノミクスは批判していますが)。
 2022年は2020年と比べて感染者も死亡者も圧倒的に増えているのに、2023年5月からは感染拡大防止に一定の効果が見られたマスクも行動制限もなされなくなりました。このまま元々感染が拡大する冬を迎えたら感染が確実に拡大する(106~107ページ、175~176ページ)という著者の指摘には同感します。

03.女性不況サバイバル 竹信三恵子 岩波新書
 コロナ禍の下で、元々低賃金・不安定雇用を強いられてきた女性労働者が、夫セーフティネット(働けなくなっても賃金が下がっても男性に扶養してもらえるだろうという偏見から対策がサボられる)、ケア軽視(ケア労働は家庭で女性がただでやっているような労働だから高い賃金を払うなどの必要はない)、「自由な働き方」(フリーランスは自己責任だから労働者並みに保護する必要はない)、「労働移動」(失業しても転職して別のところで収入を得ればいいから手厚く保護する必要はない)、世帯主主義(コロナ禍の下での給付金等は、「迅速な支給」のために世帯主に支給する)、強制帰国(技能実習生は妊娠したら雇止めとなっても技能実習ができないから在留資格が更新されず強制帰国となって雇用終了)という6つの仕掛けによって、さらに苦境に追い込まれたことを批判的に紹介するとともに、それと闘って成果を上げた事例を紹介する本。
 昨今の日本政府の政策や企業の姿勢への批判、それと闘うことを諦めるな、闘って勝っているケースがあるというメッセージはいいと思います。
 ただ労働者側の弁護士としては、実際にはもう少し労働者側が闘えているところがあると感じています。第1章で中心的に論じられているシフト制の労働では、近時の裁判例でも、私の実感でも、契約書上労働時間が明記されず時給だけしか定められていない場合でも、現実のシフト指定(週の労働日の日数、1日の労働時間)が数か月程度概ね一定であれば、その後に使用者側の都合でシフトを減らされたら、減らした指定が無効でその分の賃金を払えと裁判所は判断すると思います。使用者の好き嫌いでのシフト削減なら賃金全額、コロナ禍での業務縮小が合理的と考えられる場合でも労働基準法第26条の休業手当6割分は十分にいけると思います。それは裁判ではということではありますが、裁判をすればそうなるのだからという交渉も可能でしょう。
 フリーランスについても、契約書上は自営業者への業務委託でも労働の実態によっては労働者と判断されることがあります。有期契約労働者の雇止めに対しても、近年使用者側の巻き返しが強く裁判所も揺れ動いていますが、過去に数回更新しているケースでは民間なら十分闘えるケースが多くあります(公務員:会計年度任用職員と、派遣労働者については、裁判所が頑なに救済を拒否しているのでかなり厳しいですが)。
 そういったところで、労働者側の弁護士の目からは、この本のニュアンス以上に労働者側が闘って勝利できる場面も多いと感じていますので、諦めないで欲しいなぁと思います。

02.報道弾圧 言論の自由に命を賭けた記者たち 東京新聞外報部 ちくま新書
 容疑者の殺害も辞さない「麻薬戦争」を推進するドゥテルテ大統領と次いで大統領となったマルコス・ジュニア政権下のフィリピン、プーチン政権下のロシア、習近平政権下の中国、内戦下のイエメンとシリア、エルドアン政権下のトルコ、皇太子(現首相)がジャーナリスト殺害を指示した疑惑が報じられているサウジアラビア、国軍によるクーデター後のミャンマーでの政権に都合の悪い報道をした記者の殺害や逮捕、いわゆる民主主義国での機密情報やフェイクニュース規制を理由とする記者・報道機関への捜索などの状況をまとめた本。
 昨今の世界の状況をおさらいするにはいい本だと思いますが、あらゆることがらについて上には上がというか下には下があるわけで、記者が次々殺されたり逮捕されている事例を並べてしまうと、少なくとも表立った形では殺されたり逮捕されていない日本の状況はまだましじゃないかという印象を与えかねません。最後に日本の状況についても、国境なき記者団の報道の自由度ランキングで安倍政権以降いわゆる先進国で例外的なほど低迷している事情を情報公開のお粗末さ、特定秘密保護法、高市発言等を挙げて述べているのですが、いかんせん迫力不足というか及び腰に見えてしまいます。もっとも、それは、日本ではまだ殺されたりするわけじゃないんだからこの程度の政権の圧力でビビったり忖度しないでもっと頑張れるだろうという形で報道側に返っていく話かと思います(映画「妖怪の孫」「分断と凋落の日本」で、ニューヨークタイムズの記者が指摘していることです:映画「妖怪の孫」についてはこちらで、「分断と凋落の日本」については読書日記2023年6月.06で紹介しています)が。

01.Zero to IPO 世界で最も成功した起業家・投資家からの1兆ドルアドバイス フレデリック・ケレスト 翔泳社
 ベンチャービジネスを起業し拡大し上場させるに至るまでの経営者の心得について語る本。
 起業家の資質について、「成功者」としてもてはやされる起業家と「詐欺師」と面罵される人物は紙一重(日本語版序文:朝倉祐介、9ページ)、これから10年間仕事しかしなくていいと思えなければこの道を進むのは考え直した方がいい(41ページ)などと書かれていて、自分も自営業者である身には考え込まされます。
 企業文化について、最近の企業の大半がコアバリューを策定するが、最も重要なのは経営者が有言実行しなくてはならないことだ、社員はあなたが掲げたことではなくあなたの行動を見ている(160~161ページ)というのも、なるほどです。労働者側の弁護士としての経験では、ご立派な社是等を掲げながら労働者(従業員)に対して全然違うことをしている経営者をよく見ます。
 第13章まであるのですが、一番長いのが「資金調達」の第4章で、さらに「大失敗」の第9章で、ビジネスにおける唯一の許されざる罪は資金の枯渇である(241~242ページ)と追い打ちをかけています。経営者としてもっとも厳しく苦しいのはやはりそこですよね。
 読んで一番有益だったのは第7章の「リーダーシップ」かなと思います。「宛先」が2つ以上あるメールだけでなく自分がCCに入っているメールもすべて消す、午前と午後に各1時間ほどメールを遮断する、そうすれば受信箱でどんな問題が持ち上がっていたとしても自分がメールを見る頃にはたいていすでに解決している(182~183ページ)って、素晴らしい。個人自営業者の私にはマネできないことではありますが。

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