庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「Ark アーク」
ここがポイント
 不老不死が実用技術となったら、それを選択するか
 この作品では選択しなかった人の方に温かい目が注がれているように思う
  
 遺伝子操作技術により不老不死を達成した社会で、最初に治験者となった女性の人生と選択を描いた映画「Ark アーク」を見てきました。
 公開2週目日曜日小雨の都議選投票日、新宿ピカデリーシアター9(127席)午後1時10分の上映は、8割くらいの入り。

 17歳の時産んだばかりの新生児を見捨てて放浪しショーダンサーとなっていたリナ(芳根京子)は、観客のエマ(寺島しのぶ)に見いだされて遺体の体液を交換して死亡時の姿を保つ「プラスティネーション」施術を行う企業「ボディワークス」に勤め、エマの指導の下で頭角を現して行く。ボディワークスは、アメリカに留学していたエマの弟天音(岡田将生)が開発した遺伝子操作技術により人間を不老不死化する事業を開始することになり、これに反対するエマはボディワークスを去った。リナは葛藤を抱えつつもボディワークスに残り、天音とともに自ら不老不死の施術を受け、30歳の姿で生き続けるが…というお話。

 細胞分裂の回数を制約するテロメアを初期化する技術ができたとして、その細胞を体液交換でどうやって元の細胞と置き換えて行くのか、免疫系をどうかいくぐるのか、注入された細胞はたまたま注入された先の臓器に合わせた細胞になれるのか、その後の細胞分裂の過程でのがん化のリスクにどう対応するのかなどの疑問を持ちますが、それはおいて、老化しないという場合、子どもは成長しないのか、施術後も成長はするとすると何歳までは成長するのか/どこで老化が止まるのかもなかなか興味深いところです。また施術を1回すれば永遠の命が得られるということでもないようで、リナが施術後にもインスリン注射のように自分で腹部に注射をする場面があります。そうすると、遺伝子操作した細胞を施術後も作り続けなければならない(当然、汎用の細胞というわけにはいかないはずですから各人の細胞を採取して遺伝子操作をする必要があるはずです)わけで、かなり大がかりなシステムを常時稼働させ続けないといけないことになりそうです。

 タイトルの Ark は、原作のタイトルが「円弧」と訳されていて、映画の公式サイトのイントロダクションでも「人生の軌跡=円弧(Ark)」と書いています。しかし、通常は、聖櫃(失われたアーク:インディ・ジョーンズ!)か方舟と訳される用語ですし、天音が人類が舟に乗れる人と乗れない人に二分されると述べるシーンが置かれていることからも、むしろ方舟が意識されているように思えます。
 この作品では、リナが不老不死の施術を受けた後の大部分を、その後不老不死が一般化した社会で不老不死の施術を受けなかったごく少数派の人たちを受け入れる施設「天音の庭」でのできごと・描写に割いています。圧倒的多数派の不老不死となった人々の社会の方は、出生率が異常に低くなった(たぶん、合計特殊出生率のことでしょうけれども、0.2になった)と報道されたくらいです。
 リナの子ハルや孫エリは別として、不老不死の施術を選択したリナや天音はどこか人工的な美しさの中に哀しさをはらんで描かれ、他方で施術を受けないエマや芙美(風吹ジュン)とその夫(小林薫)は人間くさく描かれ、後者の方が魅力的に思えます。天音の庭の入所面接で、なぜ施術を受けなかったのかと聞かれて費用が高くて250年ローンならと言われたが払えないと思ってと答えた老人がいて、逆に、そんな費用を払っても大多数が施術を受けるのかと驚きますが、そういう状況も含め、不老不死を選択しなかった者の方に温かい目が注がれているように感じました。
 新たな技術や選択肢をめぐって、個人の選択が問われる場面が増え、他人の選択に干渉・非難する人が目に付く傾向があります。ごく近いところでは、新型コロナウィルスのワクチンの接種でもワクチン接種を選択しない/拒否する人への攻撃が表面化しています。個人の選択を尊重し、少数派の人々の選択に理解を示せるような寛容性のある社会を維持することが、大切だと思います。
(2021.7.4記)

**_**区切り線**_**

 たぶん週1エッセイに戻るたぶん週1エッセイへ

トップページに戻るトップページへ  サイトマップサイトマップへ