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たぶん週1エッセイ◆
映画「パリ20区、僕たちのクラス」

 2008年カンヌ映画祭のパルムドール受賞映画「パリ20区、僕たちのクラス」を見てきました。
 細々と上映の続く封切り11週目日曜午前の上映、現時点で東京で唯一の上映館新宿武蔵野館は8〜9割の入り。観客層は中高年が多数派でした。

 パリ20区にある中学校で4年目の国語教師フランソワは、生徒たちに美しく正しいフランス語を教えようと奮闘するが、生徒たちはなかなか静かにせず、教師に反論し、反抗する。素直に自己紹介を書く中国人ウェイの母は不法滞在で逮捕され、以前はよい関係を保てていたアフリカ系のクンバは朗読を拒否して対立、度々問題を起こしては対立していたスレイマンは許されない言葉を使ったとしてフランソワが校長室に連れて行ったのを機に懲罰会議に、懲罰会議の内容を生徒代表のルイーズとエスメラルダがクラスに暴露したのにキレたフランソワがエスメラルダの態度の悪さを娼婦のようだと言ったのをエスメラルダが告発と、様々な事件をはらみながら学校での日々が過ぎ、国語の授業が続き・・・というお話。

 国語の授業という性質、対話を教材にしていこうというフランソワの姿勢が相まって、フランソワと生徒のやりとりに重点が置かれ、かつそれが見せ所の映画です。
 ある意味でカンヌらしい興行性を気にしない映画というか、ストーリーは整っておらず、ストーリー展開としての見せ場や落としどころ、泣かせどころという構成がなされていない映画だと思います。ウェイの母親の逮捕はどうなったのかその後の展開はありませんし、対立したクンバやエスメラルダとフランソワは特に事件も儀式も展開もなく何となく仲直りしています。考えてみたら、通常の人間関係はそういうもので、他の人が巻き込まれた事件についてその後聞かなくなってそのままだったり、あえて手打ちをしなくても何となく仲直りしたりするものです。そういう映画としてではなく、日常生活としての感覚、風景に近いところでのやりとりや雰囲気を味わうという作品なのでしょう。

 フランソワは、生徒との対話を重視する姿勢ですし、ある程度民主主義的というか生徒にため口で話しかけられても気にしないという感じですが、あまりに汚い言葉には我慢できずキレたり、生徒の反抗にもキレることもあるし、エスメラルダに懲罰会議での発言を暴露されて「娼婦のような」と言ってしまったりと、決して理想の教師でも熱血教師でもない普通の教師と描かれています。
 そういう普通の教師と普通の生徒たちという路線に踏みとどまり続けることで、明確な主張は見えないけれども、リアリティと共感を感じやすい作品となっていると思います。

 フランソワがキレるきっかけともなったのですが、生徒の懲罰や成績判定会議に生徒代表を参加させているのがヨーロッパらしい。そして教室でも職員会議でも多数の人が様々な意見を持ち、自己主張するところも。そういう日常生活のレベルでの異文化に接することに、この作品を見る価値があるような気がします。

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