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たぶん週1エッセイ◆
映画「ダンケルク」
ここがポイント
 戦争の無意味さ、兵士たちの徒労感を描いた厭戦的な映画とも、その中でも英雄的な行動を賞賛した映画とも見うる
 「40万人」という数に埋没した一人一人が生き抜きたいという気持ちを持った存在であることを再確認しておきたい
 第2次世界大戦初期のダンケルクからの撤退(救出)劇を描いた映画「ダンケルク」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、新宿ピカデリースクリーン1(580席)午前10時35分の上映は、9割くらいの入り。

 ドイツ軍に追われてダンケルクの街にたどり着いたイギリス兵トミー(フィオン・ホワイトヘッド)は、海岸で時折ドイツ空軍の爆撃を受けながら救出船の到着と乗船を待つ多数の兵士たちの姿に呆然としつつ、優先的に乗船を許される負傷兵を担架で運び同乗しようとして追い出され、港ですぐ爆撃を受けて沈没した船からの脱出兵たちに紛れて次の船に乗り込むが、その船もまたドイツ軍の攻撃を受けて沈没してしまう。イギリスでは、民間船も救出作戦に徴用され、空軍パイロットの長男が戦死した民間船の船長ドーソン(マーク・ライランス)は、次男らとともにダンケルクを目指し、途中の海で兵士を一人救出し、ダンケルクには行きたくない、行けばみんな死ぬぞ、戻れと叫ぶその兵士を尻目にダンケルクに向かう。イギリス空軍パイロットのファリア(トム・ハーディ)は、隊長機と友軍機が墜落・不時着し1機だけ残されて、ダンケルクで爆撃を続けるドイツ空軍機を追い続け・・・というお話。

 陸のトミーの視点では、反撃の手段/武器もなくただ無防備にドイツ軍の攻撃/射撃を受け続け、救出も国(イギリス軍優先、フランス軍等は後回し)、所属部隊別等の優先順位が定められて順番を待っていてはいつまでも船に乗ることさえできず、あれこれ策を弄して船に乗り込んでもその船がまたドイツ軍の攻撃で沈没してそこからまた命からがら抜け出して海岸に戻り振り出しに戻るという徒労感/絶望感と、しかしそれでもただ生き抜いてみせるという執念がテーマになります。同乗者を助けようという行動も見られますが、どちらかというと自分が助かるために他人を蹴落とそうというエゴの方が目につきます。その点から見ると、戦争の無意味さ、「英雄」の無内容さを描いた反戦というか厭戦の映画にも受け取れます。
 しかし、他方において、従軍し危機に陥った兵士を救出するために強い志を持ってダンケルクに向かい海中の兵士たちを救助する民間船の船長、ダンケルクの桟橋で救出の最後まで自分が居残る海軍中佐、燃料がつきるまでドイツ空軍戦闘機を追い続けるイギリス空軍パイロットといった、観客が共感できる英雄的行為も描かれていて、全体として厭戦的と評価できるかは微妙な感じです。
 私たちが、歴史的なできごと・事件を受け止めるときに、あまりに多くの人数(ダンケルクでは40万人)を聞いて感覚が麻痺してしまいがちですが、その中の一人一人に命があり、生きたい、生き抜きたいという強い気持ちがある(さらには、この作品ではそちらへの言及は見られませんが、一人一人に家族や愛する人がいる)ということを、無名の兵士たちの生き残るための懸命な行動/執念を通じて、再確認させられます。その無様で愚直な姿と、帰還した際に出迎え支援する人たちからの労い/英雄視とのギャップ、ここは、英雄の実情と見るべきか、従軍しただけ/生き残っただけで立派なものだ、卑下するんじゃないと見るべきか、見る側の信条で分かれるかもしれません。そして最後に、政治家(チャーチル)の勇ましい強硬姿勢の演説をかぶせるところも、政治家のエゴ/一将功なって万骨枯ると見るか、トップたる者こうあるべきと見るか、見る側の価値観で分かれるのかもしれません。
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(2017.9.17記)

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