庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
福島原発全交流電源喪失は津波が原因か(その8)
ここがポイント
 専門家でも疑おうとしない者の目には真実が見えない
 政府事故調は、東電の発表を何一つ検証せず引き写して、誤った津波到達時刻を記載したまま
 原子力規制委員会は、事故進展中に電源復旧のために電源盤が操作された可能性をまったく検討もせずに、「事故3年後に現場検証した電源盤を電源喪失の瞬間とまったく同じ状態」という前提で議論している

 津波の写真と波高計の測定データという動かぬ証拠からは、少なくとも1号機A系の非常用交流電源は津波の敷地遡上前に喪失したと解するのが合理的
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 福島原発事故の損害賠償請求の集団訴訟に、弁護団からの依頼を受けて、『福島第一原発1号機の電源喪失と津波との因果関係についての意見書』を提出しました。ここでは、その全文をそのまま掲載します(裁判所向けなので、年号がすべて元号です)。
第1 はじめに
 1 この意見書の構成
 私に課せられた課題の福島第一原発1号機の電源喪失と津波との因果関係(の不存在)について意見を述べるに当たり、まず第1において、この意見書と私の立場、姿勢についてお話をさせていただき、次いで、その意見書の姿勢につながり、また意見の導入にも当たることとして、私がこの問題に関わるに至った経緯とこの問題の調査を通じてわかったことをお話しさせていただきたいと思います。導入部ではありますが、この問題をご理解いただく上で重要な情報を含んでいますし、事実上、意見の内容に及ぶ部分もあります。その後、第2で、福島第一原発1号機A系の非常用交流電源の喪失時刻に関する検討を行い、第3で、平成23年3月11日に津波が福島第一原発1号機の敷地に遡上した時刻に関する検討を行います。基本的には、この2つの検討により福島第一原発1号機の、特にA系の非常用交流電源の喪失が津波を原因とするものではあり得ないことは論証できると考えます。第4で、B系のことやその周辺の若干の事情をお話しして、この意見書を終えることにします。
 2 この意見書と私の立場、姿勢について
 (1) この意見書の姿勢について

 最初にお話ししておきたいのは、ある意味で言うまでもないことですが、私は弁護士であり、裁判官の方々と同様に、証拠を読み解きそこにある情報を解釈して事実を判断し認定していくということについては、経験を積み、またある程度の専門的能力を有しているつもりですが、工学的な分野の専門知識があるわけではなく、そのことは十分に自覚しているつもりです。ですから、私が、述べるのは、証拠があり(あるべき情報が不自然に存在しないなどの状況証拠も含めて)そこから判断認定できることがらだけで、証拠がないことについて、身の丈を越えた、ありもしない専門的知識があるかのようなふりをした推論をすることは差し控えさせていただきます。
 その点からも、この意見書が結論として述べることは、福島第一原発1号機敷地に津波が遡上したのは、少なくとも1号機のA系非常用交流電源が喪失した後であり、したがって福島第一原発1号機のA系非常用交流電源喪失の原因は津波ではあり得ないということ及びB系についての考察に限定いたします。私がこの問題について論じる度に原発推進側から非難を込めて、あるいは反対派からは期待を込めて、津波が原因でないとしたら何が原因かという問いかけがなされてきましたが、それについては私はそれを特定するに足る証拠を有していないため答えることができません。その原因は、本来はといいますか、通常の事故であれば、遠の昔に東京電力が復旧の過程で調査して原因究明をしているはずです。ところが、この事故では、1つにはいったん壊れてしまった原発というシステムがここまで脆いものかとあきれていますが、これほどの長い年月の後もなお非常用交流電源のあるタービン建屋地下が汚染水で水浸しのためにきちんとした現場調査ができず、また東京電力側も廃炉が決まっていることやもし調査して自分の主張と異なる原因が発覚したらという恐れもあってかモチベーションがなく、非常用電源系統全体の調査が行われていないため、未だに真の電源喪失原因が究明できていない(原子力規制委員会の『中間報告書』の立場でさえ、所詮は非常用交流電源全体ではなく1階の電源盤のみの調査による推定に過ぎません)という異常事態が、今も継続しているのです。非常用交流電源喪失の真の原因の調査は、施設を占有管理し、また所有者で事故の責任者でもある東京電力が、責任を持って、公開の場で公正に行うべきものです。

 (2) 私の原発問題に関する立場
 次に、国あるいは東京電力から、私は原発反対派で偏った立場から発言しているという指摘がなされると予想しますので、私の原発問題についての立ち位置についても説明しておきます。
 私は、弁護士登録後すぐの昭和60年に東海第二原発設置許可取消訴訟について控訴審から住民側の代理人となった後、六ヶ所村核燃料サイクル4施設の行政訴訟、柏崎刈羽原発の行政訴訟の控訴審以降、福島第二原発3号機の運転差し止め訴訟等多くの原発訴訟で住民側の代理人を務めてきましたし、今も今だに続いている六ヶ所村核燃料サイクル施設の行政訴訟と福島原発事故後に新たに提訴された柏崎刈羽原発の差止訴訟の代理人をしています。その意味で、国と東京電力にとっては相手方になります。
 しかし、原発訴訟の中でも、私自身はイデオロギー的な反原発といいますか無前提に原発反対という立場をとったことはなく、安全性が確保されない以上原発を運転すべきではないという立ち位置です。本当に安全であるのなら反対する理由はないが到底安全とは言えないということが、原発問題に取り組んだ最初からの変わらぬ姿勢です。もっとも、福島原発事故後はそれまで原発推進派が言い続けていた原発がなければ江戸時代の生活水準などの言説がまったくの虚偽であったことがまさしく立証されたため、原発なしでも停電することもなく生活できるのに原発を再稼働することには、安全性の問題が仮にクリアできるのだとしても、強い疑問を持つようになっています。
 そして、各種の原発裁判の過程でも、私自身は、根拠のない主張はしないという姿勢を貫いてきたつもりです。長くやってきましたので、行政訴訟で国側の代理人として私と対峙した方が多く裁判所に戻っておられます。私が根拠のない反対のための反対のような主張はしていない(もっとも、他の方が担当している書面をチェックする余裕はなく、またその担当者のお考えもあるのでそれを否定するのもはばかられ、私の名前が連名で記載されていても、私が書いていないものは、そうは言えないものも多々ありますが)ことは、相手方となった方々にもご理解いただけていると思います。

 3 私がこの問題に関わるに至った経緯
 福島原発事故後、私が、非常用電源喪失の原因が津波だという原発推進側の主張に疑問を抱いたきっかけは、東京電力が平成23年5月19日に公表した写真でした。この写真は、福島原発の一番南側に位置する4号機のタービン建屋付近をそのさらに南側の廃棄物処理建屋4階から撮影したというもので、その近辺に津波が遡上してくるところで、撮影時刻は午後3時42分頃と発表されました。
 右側の写真は、東京電力が同月25日の記者会見資料として配付したもので、「2011/3/11 15:42」というキャプションが右下に入っています。このキャプションは私が入れたものではなく東京電力が入れたものだということをご記憶願います。
 この写真を見ると、津波がまだ来ていない地面が濡れていないことがわかります。つまり、津波が4号機付近の敷地に遡上したのは、このときが初めてだということです。その時刻が、東京電力が公表した写真という、本来であれば『動かぬ証拠』により午後3時42分と特定されました。
 他方、当時公開されていた運転日誌で1号機については「15:37 D/G1Bトリップ→SBO(A系はいつ?)」と記載されていました。これは15時37分に1号機B系の非常用ディーゼル発電機が停止して全交流電源喪失(SBO:Station Black Out)に至ったが、A系はいつ停止したかわからないということです。B系の停止で全交流電源喪失(両系統とも停止)となったのですから、A系は15時37分以前に停止していたことを意味しています。
 この2つの情報を見れば、ごくふつうに、非常用交流電源の喪失の原因が津波だという東京電力や政府の説明はおかしいと思うでしょう。ところが、これに誰も疑義を呈さないという状況に、私は、強い問題意識を持ち、だれも言わないのでしかたなく発言するようになったのです。私の問題意識が、素人目にも明らかな動かぬ証拠でわかることを専門家たちが原発推進に不都合な事実を見過ごしあるいは見て見ぬふりをしているのではないか、というところにあることがおわかりいただけると思います。

 4 この問題の調査を通じてわかったこと
 (1) 専門家でも疑おうとしない者の目には真実が見えない

 私が、この問題の調査を通じわかったこと、実感(痛感というべきかもしれません)したことで、まず裁判官に認識していただきたいことの1つは、(原発推進の)専門家たちに、いくら専門知識があっても、疑おうとしない、不都合な真実を見ようとしない目には、真実は見えず、素人レベルの過ちを犯していてもわからないということです。
 よい例として、この意見書のテーマである福島第一原発1号機の電源喪失と津波の到達時刻の問題について、専門家集団であるいわゆる政府事故調(正式名称は東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会)がどのように報告書に記載しているかをまず紹介します。
「3月11日15時27分頃及び同日15時35分頃の2度にわたり、福島第一原発に津波が到達し、遡上して、4m盤に設置された非常用海水系ポンプ設備が被水し、さらに、10m盤、13m盤の上まで遡上して、R/B、T/B 及びその周辺施設の多くが被水した。津波到達の時点で、1号機から6号機はいずれも非常用DGから交流電源の供給を受けていたが、津波の影響で、水冷式の非常用DG用の冷却用海水ポンプや多数の非常用DG本体が被水し(2号機用の2B、4号機用の4B、6号機用の6Bを除く。)、ほとんどの電源盤も被水するといった事態が発生した。このため、同日15時37分から同日15時42分にかけての頃、1号機から6号機は、6号機の空冷式DG(6B)を除き、全ての交流電源を失った。」(政府事故調中間報告90〜91ページ)
 政府事故調は「中間報告後の調査・検証の結果を記述」したもので「中間報告と同一の内容は改めて記述していない」という最終報告(平成24年7月23日公表)ではこの問題にまったく触れていませんので、中間報告(平成23年12月26日公表)の記載がこの問題についての最終的な結論となります。
 政府事故調の中間報告では、福島第一原発に津波が到達した時刻は、第1波は15時27分頃、第2波が15時35分頃で非常用電源喪失の最初は15時37分、非常用電源喪失の原因は海水ポンプか非常用ディーゼル発電機(DG)本体あるいは電源盤の被水だというのです。この結論は、政府事故調のみならず、東京電力の中間報告書(平成23年12月2日公表)及び平成24年6月20日公表の報告書、原子力安全・保安院の技術的知見についての報告書(平成24年3月公表)でも判で押したように同じです。
 しかし、津波第1波が15時27分頃、第2波が15時35分頃に到達したのは福島第一原発の敷地ではなく、沖合1.5km地点に設置された波高計です(そこから敷地到達まで2分から3分かかります)し、1号機A系の非常用交流電源喪失の時刻は15時37分より前で(現在はこの裁判でも主張されているように東京電力や原子力規制委員会の見解でも15時36分台とされています)、また海水ポンプの被水停止による非常用ディーゼル発電機の停止は、1号機A系ではその信号自体が設定されていませんから、少なくとも1号機A系については海水ポンプの被水停止によってその後すぐに非常用電源が喪失することはあり得ません。これらの記述は、今ではまったくの誤りだということが明らかになっています。
 これらの報告書は、専門家たちの手によって作成されていながら、東京電力が発表していた津波の到達時刻(沖合1.5km地点の波高計への到達時刻)を根拠さえ確認せずにそのまま引き写して誤り、運転日誌上「(A系はいつ?)」と記載されている1号機A系の非常用交流電源喪失時刻を特定しようとさえせずに15時37分と勝手に決めつけ、それで説明できない1号機A系の非常用電源喪失の原因を1号機A系では海水ポンプの被水停止による非常用ディーゼル発電機の停止信号が設定されていないことも知らずに(確認しようともせず)海水ポンプの被水停止の可能性を挙げておけば足りるという浅はかな誤りを犯したのです。
 そして、これらの誤りは、国会事故調で、素人ではあるが問題意識を持つ私が調査して誤りであることを指摘するまで、すべての政府機関による報告書でまさに判で押したように繰り返されてきたもので、おそらくは国会事故調報告書が指摘しなければ、今でもなお、その過ちが放置され、それが福島原発事故の真実として扱われ続けたと考えられるのです。私には、津波の敷地到達時刻について、東京電力が発表した時刻の根拠を何故誰も確認しようとしないのか、それも東京電力自身が公表したそれと矛盾する写真があるにもかかわらず、ということ、そして公表されていた運転日誌に「(A系はいつ?)」という記載がなされていて、1号機A系の非常用交流電源喪失時刻が空白になっているのを何故特定しようとしないのか(勝手にB系と同じ15時37分に決めつけられるのか)、不思議に思えます。
 こういうことからも、専門家であっても、問題意識を持たない者、おそらくは原発推進に不都合なことには目を塞ぐ者には、真実は見えず、誤りを正す自浄能力はないのだと、私は強く思ったのです。
 この点に関して、もう1つ例を示したいと思います。原子力規制委員会は平成26年10月に公表した中間報告書で、1号機の電源盤の状態から、「A系非常用電源系統が機能喪失した原因は、津波による浸水であると考えられる」としています(同報告書6ページ)。原子力規制委員会(規制庁)が非常用電源盤の現地調査をしたのは、事故から約3年の年月が経過した後です。その間に東京電力が原子力規制委員会が根拠とするスイッチやリレー等をまったくいじらなかったのかという問題について、この報告書は、何らの検討も加えていません。まったく何らの検証もしないままに、電源喪失の瞬間と現地調査時の電源盤の状態が同じということを前提に論じているのです。私は、原子力規制委員会があれこれ論じている電気や機器に関することがらについて専門的な知識はありませんので、その内容についてはわかりません。しかし、一法律実務家として、現場が事故時のままかということに関しては、強い疑問を呈しておきます。東京電力が自己の主張に沿うように現場をいじった可能性も、否定はできません。この会社がこれまでやってきたことを考えれば、それは疑うべきです。しかし、この事故ではそれ以前に、事故の進展の過程で電源盤を操作した可能性を当然に検討すべきです。福島原発事故は、電源喪失事故です。電源が喪失して原子炉の操作制御ができなくなったことが大事故に至った原因で、事故の進展中、電源の復旧が関係者の最大の関心であり至上命題でした。現場には多くの作業員、東京電力だけでなく多くの協力会社の作業員がおり、電源復旧のために何かできないかと必死の努力をしていたのです。他方、電源喪失後、PHS等も使えなくなり通信手段も途絶え、現場でそれぞれの作業員らが何をしているのか、中央操作室や免震重要棟の緊急対策本部から把握できない状態でした。また福島原発事故後そのまま辞めていった作業員がかなり多数います。東京電力は、事故の進展中、1号機の非常用電源盤を誰も触らなかったなどとどうして言えるのでしょうか。そのための調査をしたのか、どれくらいそれが徹底できたのか、新潟県技術委員会で、田中三彦委員からその点に関して質問がなされましたが、東京電力は調査の実施や程度ははぐらかし、操作はしていないと考えるが客観的な証拠はないなどと答えていると聞いています。
 私は、原子力規制委員会が、事故の性質上、電源喪失後に電源盤を操作した可能性が相当にあるにもかかわらず、そのことを何ら検討しないままに現地調査時の電源盤の状態が電源喪失時と同じということを当然の前提として議論をしていることに、呆然としました。このことも、専門家であっても、疑いを持たぬ目、あるいは不都合なことは見たくないという目には、真実は見えないのだということを示すよい例だと考えています。

 (2) 東京電力の体質
 この問題に関わる過程で実感したことで、やはり予めお話ししておきたいことは、東京電力という会社の体質です。
 先に紹介しました東京電力自身が公表した津波の敷地遡上の写真は、東京電力自身が自ら撮影時刻を午後3時42分と特定して公表したので、それを前提に非常用電源喪失は津波の遡上前じゃないかというと、カメラの内蔵時計の時刻が正しくないと言い出しました。この時刻はこちらが言ったことではなくて、東京電力がそう発表したからそれを前提に議論したのです。それが都合が悪くなると事実ではないというのです。そういうところを見れば、東京電力の公表する資料というのがいかにいい加減かがわかります。公表前に何も確認していないということになりますから。そうなると東京電力に都合がいい間違いも多数あるはずですが、それは放置されるのでしょう。
 東京電力が国会事故調の要求を受けて提出した資料は、大半が「本資料には、東京電力株式会社またはその他の企業の秘密情報が含まれている可能性があります。当社の許可なく本資料の複製物を作成すること、本資料の内容を本来の目的以外に使用すること、ならびに第三者に開示、公開する行為を禁止します。」というスタンプが押されていました。ところが、そういうスタンプが押されている資料の中に見覚えがあるものがあったので確認してみると東京電力のサイトで公開されている資料でした。さすがにひどいじゃないかと抗議しましたが東京電力は平気な顔で謝罪の言葉もありませんでした。
 国会事故調で私が東京電力に対して保安院に提出した津波再現計算報告書の詳細版の提出を求めた(概要版のみが公開されていました)際、東京電力から核物質防護上の機微情報が含まれているとして提出を拒否されました。国会事故調の調査上初めての資料提出拒否だったと記憶しています。国会事故調は法律上東京電力が資料提出を拒否した場合には国会両院の委員が審査して再度提出を要求すれば東京電力は提出を拒否できないことが定められており、その伝家の宝刀を行使するかという議論にまでなりましたが、それが伝わるうち東京電力から、コピー厳禁、要返却の文字が浮き出た見づらい(解像度の低い)コピーが提出されました。その際に東京電力が何を核物質防護上の機微情報と主張したかというと、建屋の浸水経路を示す図面がテロリストに侵入経路を教えることになるということでした。私は、本当かねと思いながらも、東京電力がそこまで言うのだからと、国会事故調終了後の議論でもそういう情報は使用しないでいました。実際のところ、東京電力が秘密だと主張するのでそこには触れないでおこうと遠慮している情報は他にも多々あります、私は、そういうところ、それなりに気を遣っているつもりです。しかし、東京電力の平成29年12月25日の報告書にその核物質防護上の機微情報だと言っていた図面(右図)が掲載されていて、びっくりしました。東京電力は、国会事故調など敵対勢力に使わせたくない資料は秘密だと言って圧力をかけ、自分に有利に使えるとなるとそんなことは一切気にせずに出してくるのです。核物質防護上の機微情報だとか秘密だとかいうこと自体が嘘なのかも知れませんし、いずれにしてもずいぶんと軽い判断なのだと思います。
 国会事故調で質問をしても、最初は見当外れの回答をし、再質問をしてようやくまともな回答が来るとか、運転データなどについて資料要求すると、最初は提供できないと答え、再度請求すると東京電力の施設内の部屋(東新ビル1階の部屋があてがわれました)の中での閲覧なら認めると言い、運転データなどただ見ても何もわかるはずがない、エクセルでグラフにしないと分析できないのだからデータ自体を出せ、出さないと国会から要求するぞと言ってようやくデータを出すというようなことが多々ありました。制度上、最終的には出さざるを得ないことがわかっていて、時間稼ぎをしているというのがありありでした。国会事故調は発足時点で6か月間と時限を区切られていましたので、引き延ばせば逃げ切れると踏んでいたのでしょう。国会事故調は6か月間存続しましたが、最初の1か月くらいは事務方の不慣れ(官僚を使わずあちこちからの寄せ集め部隊でした)と協力調査員も勝手がわからなかったことから東京電力のレクチャーとそれに対する質問に終始し、終盤の2か月は報告書作成に追われましたので、実質的な調査期間は3か月程度でした。私の実感としては、東京電力の引き延ばしで調査しきれなかった課題が山積で、もしあと3か月調査期間があったらかなりいい報告書が書けただろうと思っています(あと6か月あったら身が持たなかったと思います)。
 後で述べる非常用交流電源の停止時刻に関係する過渡現象記録装置のデータも、国会事故調が要求したのに対して、提出したデータ以外は存在しないと言われて提出されなかったものです。より正確に言うと、平成24年2月22日に私が国会事故調事務方経由で「1号機の過渡現象記録装置データ及び(中略)プロセス計算機データで回収できたデータ全部(後略)」の提出要求をしたのに対し、東京電力が回答予定とした平成24年3月5日には「調査中」でスルーし、同月22日になってようやく東新ビル1階で閲覧しろと答え、最終的にCDで提出したデータには、後日公表された過渡現象記録装置の1分周期データは含まれていませんでした。それが平成25年5月10日になって突然、私の主張に対する反論の根拠として公表されたのには驚き、また呆れました。
 このように、この問題を調査する過程で、東京電力がデータをあると言ったりないと言ったり秘密だと言ったりし、それが自分の都合で間違っていたとかやっぱりあったとか秘密じゃなかったと前言を翻すことを何度も経験しました。国会事故調が1号機原子炉建屋4階の現地調査をしたいと申し入れた際に、1号機4階は昼間でも真っ暗で電気もなく行っても見えないと騙され、それでも行こうとしたら事故調が行く場合でも東京電力は案内の職員を出さない、高い線量の中暗闇で自力では戻って来れないだろう、暗闇で見えない開口部から落ちたら十数m落下して命の保証もないとまで言われて現地調査を妨害されたことも含め、私は、国会事故調での経験に照らし、東京電力に対しては、信用できないという思いを強く持っています。

第2 1号機A系の非常用交流電源停止時刻について
 1 1号機運転員へのヒアリングと国会事故調報告書

 1号機では、国会事故調の調査中、東京電力の回答によってもコンピュータ記録は15時17分までしかないとされていましたし、当直員運転日誌には「15:37 D/G1Bトリップ→SBO(A系トリップはいつ?)」と記載されています。国会事故調が行った運転員に対するヒアリングで運転員は、1つめのD/Gが停止して、なぜ停止したのかを調べているうちに次のD/Gも停止してSBOとなり、2つのD/Gの停止時刻の差はものの1、2分、長くて2、3分であったと答えました 。このことから、国会事故調は「A系のトリップは15時35分か36分と考えられる」と判断しました。
 ところが、国会事故調が、平成24年5月10日付で、この運転員の証言を示した上で東京電力に対して1Aの非常用電源喪失時刻について他に認定資料があるかを質問したのに対し、東京電力は、東電が再度確認したところ当該運転員を含め数名から1Aと1Bの停止時刻は「ほぼ同時」という証言が得られたと同月30日付で回答しています。
 国会事故調のヒアリングは、東京電力の管理下のJビレッジで、地震当時1号機中央操作室でパネルの監視や機器の操作を直接担当していた運転員4人と東京電力側の立ち会い者が同席して行われ、問題の証言は次のようなやりとりでした。
【運転員】1個目がこけたっていうのは聞こえて、何でこけたんだろう、って言っているうちに、もう一つがこけてSBOになったっていう、話です。
【調査員】あー、そうなんですか。ただ要するにほら日誌にはどこにも1Aがいつ飛んだって話は書いてなくて、かつ、ほらわざわざこう、あの、かっこして「1Aはいつ?」って書いてあるので、たぶんじゃ皆さん分からなかったのかな、と思ってお聞きしている。
【運転員】あぁそれは、中操内では、こけてったというのはわかってました。はい。
【調査員】それは、その、それからしばらくしてというのは、「しばらく」はどれくらいの時間でしょうか。
【運転員】そんなに大きな時間差はないです。本当に何でだろうって言ってる、何が理由でトリップしたんだろうって言ってるうちに、止まったっていうイメージですね。ほんと、ほんとものの1、2分とかいうそういうオーダーですね、はい。
【調査員】ものの1、2分くらい?
【運転員】10分、20分とかいうそういう時間差はなかったですね。
【調査員】逆に言えば何秒という話でもなくて、まぁ1、2分ぐらいの感じ?
【運転員】そこの時間感覚は、ちょっと、わかんないですね、はい。
【調査員】もちろん、あの正確な話を今聞いているのではなくて、まぁオーダーというか、それは分のオーダーですね、1分2分の。
【運転員】まぁ、まぁ長くても2、3分かな、っていう、それ以内ですね。
 この証言の中で、「ものの1、2分とかそういうオーダーですね」「長くても2、3分かな」という言葉は、運転員側から出てきたもので調査員側で示唆したものではありません。ヒアリングが行われたのも東京電力の管理する施設内で東京電力側の方が多人数でした。まさしく自由に出た証言だといえます。また、ここで答えている運転員は同一人物ですが、同席した他の3人の運転員から違和感も異論も表明されませんでした。そういうことから、国会事故調では、この証言は地震当日現実に1号機の中央操作室で直接にパネルの監視や機器の操作に当たっていた運転員の共通認識と判断しています。
 このような証言が、後日、東京電力の「再度の確認」によって簡単に覆されることは大変ゆゆしき問題だと思います。この問題からも、東京電力という会社の体質がよくわかると私は思います。そしてこういうことがあると、東京電力の支配下にある事実について東京電力がいうことは、東京電力に有利に歪曲されたものではないかという疑いを持ってしまいます。

 2 過渡現象記録装置の1分周期データの公表
 国会事故調報告書が出て10か月あまりたった平成25年5月10日、東京電力は、国会事故調に対して「存在しない」と回答していた1号機の過渡現象記録装置の1分周期データが15時36分59秒まであった(1分おきのサンプルデータで、各分の「59秒」のデータが残っていた)と公表しました。
 東京電力の公表したデータに従えば、1号機A系の非常用交流電源は15時35分59秒時点では定格運転状態にあり、15時36分59秒時点では電圧も電流も0となっていて、15時36分台のどこか(15時36分00秒から15時36分59秒までのどこか)で機能喪失したということになります。
 しかし、国会事故調の報告書が出るまで何度聞いてもないと言っていたものが、国会事故調の報告書に反論する根拠として突然出てきたこと、データに連続性がなく1分おきのごく少ないデータであり捏造することも容易である性質のものであること、東京電力が平成14年に発覚した炉心シュラウドひび割れ隠し問題の際には運転管理専門官に虚偽の点検記録を見せたり捏造ビデオを見せてきたことなどを考えると、このデータが真実のものであると認めてよいか自体に疑問が残ります。

 3 とりあえずの評価
 東京電力が過去に行ってきたこと、福島原発事故調査の過程で行ってきたことを考えると、東京電力が平成25年5月10日に公表した過渡現象記録装置の1分周期データが真実のデータであるかどうかについては相当な疑問が残ります。
 国会事故調が行ったヒアリングの際の1号機運転員の証言は、後日東京電力の手により歪められたようではありますが、B系の非常用交流電源喪失(15時37分)よりも1、2分のオーダーは早かったという証言がなされたことは消えません。そして、原子力発電所の運転を長くやってきた運転員たちの時間の感覚は、通常人よりも優れていると評価してよいと考えます。その運転員が自ら「ものの1、2分とかそういうオーダーですね」「長くても2、3分かな」と証言したことを考えると、B系の電源喪失よりも1分以上、2分に近い時間差があったと解するのが相当であろうと、私は思います。
 仮に、東京電力が平成25年5月10日に公表した過渡現象記録装置の1分周期データが正しかったのだとしても、そこからは15時36分00秒から15時36分59秒までのどこかはまったくわからないのですから、1号機運転員の証言を踏まえれば、A系の非常用交流電源喪失時刻は15時36分台のかなり前の方であると見るべきでしょう。
 したがって、次に検討する1号機敷地への津波の遡上時刻が15時37分以降であれば一見明白に1号機A系の非常用交流電源の喪失は津波によるものではなく、1号機敷地への津波遡上時刻が15時36分台と評価される場合であっても15時36分台の後半である場合には、1号機A系の非常用交流電源の喪失の原因が津波と言えるかには相当な疑問が残るというべきでしょう。

第3 福島第一原発1号機敷地への津波の遡上時刻について
 1 はじめに

 国会事故調の調査が開始されてすぐの平成24年1月14日、私は東京電力に東京電力の中間報告書記載の津波第1波が15時27分頃、第2波が15時35分頃到達したとする根拠について質問し、東京電力が所持する津波を撮影した写真動画すべての提出を求めました。それに対する回答で、東京電力の報告書の、そして政府事故調等の報告書の津波到達時刻がすべて実際は沖合1.5kmの波高計位置での到達時刻であって、敷地到達時刻としては明らかな誤りであることを確認しました。東京電力にひと言確認すれば誤りとわかることを、これまで誰も確認していなかったのです。また写真についてはカメラの内蔵時計が正しくないという東京電力の見解にも接しました。
 国会事故調報告書で津波の福島第一原発1号機敷地への遡上時刻を推定するために、私は、@推定のスタートとなる沖合1.5km地点の波高計への津波の到達時刻すなわち波高計の時計(それ自体は福島第一原発のサイト内にある)の正確性を確認する、A波高計位置から津波の連続写真に写る津波位置までの写真がない区間の進行に要する時間は津波速度と水深についての一般式を用いて計算する、B津波の連続写真がある間の進行は当然に写真によるという手法を考案し、波高計位置を通過した津波が後の議論では「写真11」と呼ばれる右下の写真の津波として福島第一原発敷地(この場合4号機敷地)に着岸するまでの所要時間を約2分(70〜80秒+56秒)と評価しました(国会事故調報告書参考資料65〜69ページ)。
 なお、国会事故調の報告書作成の過程で、東京電力に波高計位置から福島第一原発敷地までの津波の進行所要時間についての見解を求めたところ、東京電力は「波高計測定記録に基づいて推定される敷地への津波到達時刻は、15時35分の約2分半後、すなわち15時37〜38分頃であったと考えられます」と回答していました(国会事故調報告書参考資料77ページ)。これもまた、後日都合が悪くなると翻されるのですが。
 国会事故調報告書が出された後、というよりも、私が平成25年8月発売の雑誌「科学」2013年9月号に「福島原発1号機の電源喪失は津波によるものではない」という論文を寄稿した後、東京電力及び原子力規制委員会から津波の福島第一原発敷地への到達・遡上時刻に関する考察がなされましたが、いずれも私が考案して国会事故調報告書で公表したのと同じ手法によるものでした。
 根拠とする資料(証拠)を沖合1.5km地点の波高計の津波実測データと1号機敷地(4号機南側)から撮影した連続写真に限定した場合に、その証拠に基づいて津波の進行所要時間を認定する手法は、結局のところ、私が考案した手法しかない、もしくはそれが最も合理的な手法であるということなのだと思います。その意味でも、この問題は、証拠に基づいて推論し認定するということで解決できる問題、言い換えれば私たち法律実務家が対応可能な問題なのだと考えます。

 2 津波の1号機敷地への遡上時刻の直接証拠
 国会事故調報告書での間接証拠に基づく推定・認定の説明をする前に、実は1号機の敷地に津波が遡上した時刻についての直接の証拠があることを紹介しておきます。
 国会事故調でのヒアリング(事情聴取)の終盤で、1号機北側にある事務棟・免震重要棟に通じる「汐見坂」と呼ばれる坂道を上って避難した人が、汐見坂下の駐車場、すなわち1号機のすぐ横にいたときに、海側エリアにある重油タンクが津波で流されるのを目撃し、その際にPHSを見たら15時39分であり、その後津波が敷地に遡上してきたので汐見坂を上って免震重要棟まで避難したという証言を得ました。
 この証言を採用すれば、直接証拠ではない沖合1.5km地点の波高計での津波の実測データや内蔵時計が正しくないとされる連続写真などの間接証拠からの推定などしなくても、1号機敷地への津波遡上時刻を直接認定することが可能です。
 私は、この証言を受けてすぐ東京電力に、福島第一原発構内でのPHSが自動校正されるしくみになっているかを照会しました。それに対し、東京電力からは、予想どおり、自動校正されないという回答がありました。自動校正されなくても、だからそのPHSの時刻が狂っているという証拠はありませんが、国会事故調報告書ではこの証言に依拠することはせず、波高計データと連続写真からの推定をしました。国会事故調報告書がどれほど手堅い認定をしているかをご理解いただけると思います。
 ここでは、この証言が間違っているとか信用性がないという判断はしていません。ただ東京電力も文句が言えない手法を採用しようということにこだわっただけです。裁判上の事実認定としては、この証言の存在も、有力な根拠となり得ると私は考えています。

 3 波高計の時計の正確性問題
 この問題の調査を始めて驚いたと言いますか、あきれたこととして、原発サイトには正確な時計がきわめて少ないということがあります。先に述べたように、東京電力は自ら公表した写真の時刻を後で都合が悪くなると、カメラの内蔵時計の時刻が正しくないと言い始めました。そして、波高計も、なんと事故当時、沖合の波高計からの信号を受ける側の装置の取替作業中で取替は終わっていたけれど時刻の校正は終わっていないことが判明しました。さらに中央操作室のコンピュータの時計も自動校正はされていないといいます。ちなみに、原発の中央操作室のコンピュータというと、高級な最新のものが使われていると、思うでしょう(私も事故調査を始めるまではそう思っていました)が、福島原発事故当時作動していた福島第一原発の中央操作室のコンピュータはすべて昭和60年代に取り替えたままのものでした。それを聞いたとき、私は唖然としましたし、そういう運用をしていた東京電力が柏崎刈羽原発の再稼働の審査でサイバーテロ対策は十分できるとか主張しているのには開いた口が塞がらない思いをしました。さらに先ほども述べたとおり、構内のPHSも自動校正されていないというのです。
 事故原因調査のために厳密な時系列を確認しようとすると、次から次へとあの時計も不正確この時計も不正確と東京電力が言い出すのです。本当に不正確なら、それこそこんな連中に原発など運転させるべきでないとつくづく思います。
 結局、福島第一原発構内で時計が自動校正されているものとして敷地北側と南側にある地震計の時計があるということで、それを基準に、地震計が東北地方太平洋沖地震の本震を感知した時刻と波高計が同じ地震を感知した時刻を比較して、地震計の時計と波高計の時計のズレがどれだけあるかを確認しました。波高計業者の説明によれば、波高計は、福島原発沖合1.5kmの海底のコンクリート製架台に据え付けられていて、その圧力を測定することで波高計の上にある水の重さ、つまり水深を測定し、それが水面高さのデータとなり波高がわかるというしくみですが、同時に測定している水圧波データから地震波を検出できるということでした。
 国会事故調報告書では、その手法により、波高計の時計は、自動校正はされていなかったものの時刻のズレは数秒レベルと判断しました(国会事故調報告書参考資料66〜67ページ)。
 その後、東京電力はまったく同じ手法により波高計の時計のズレを4〜10秒と評価し、原子力規制委員会も東京電力の報告書をそのまま引用しています。

 4 津波の進行所要時間問題
 沖合1.5km地点の波高計位置を通過した津波が、その後福島第一原発敷地から撮影した写真に写る地点に達するまでの所要時間については、国会事故調報告書では、後に「写真7」と呼ばれる防波堤先に津波が見えるところまでを距離約800mとし、沖合1.5km地点の水深が約13m、写真7地点の水深を約9m(これは海図で確認しました)、津波の速度と水深の一般的な関係式(津波速度=(水深×重力加速度)0.5)(0.5乗は平方根です。コンピュータが根号をうまく書けないので0.5乗の表記をします)を用いてこの間の津波速度を毎秒11〜10mとして、70〜80秒を算出し、写真7から写真11までの撮影時刻差56秒(カメラの内蔵時計が正しくないとしても数分レベルの短時間で何秒も狂うことは考えがたいので時刻差は正しいと評価しました)を加えて数字を丸めて約2分としました(国会事故調報告書参考資料67〜69ページ)。計算上126秒から136秒を丸めて約2分としたのは、私が示すのは津波の敷地遡上が言われているより「遅い」ことですので、所要時間はより少なくしておいた方が論証に余裕があることになるからです。なお、国会事故調の報告書では、波高計位置から写真7の位置までの水深が約13mから約9mへと変化する平均的な水深をとるという程度の大雑把な把握をして水深11mに対する速度計算値毎秒10.38mに幅を持たせて毎秒10〜11m程度見ておけばいいと考えました。
 東京電力は、平成25年以降の報告書では、私が採用した手法に対して、写真7は津波と防波堤が接していないので距離がはっきりしないとして写真8を基準とすべきであるとか、波高計位置から写真8の津波位置までの距離は本来は900m、長めに見積もって1000mである、水深は波高計位置で約13m、写真8の位置で約6mで水深(静水深)を均等に浅くなっていく仮定で計算すべきである、津波速度は静水深ではなく波高を加えた全水深で計算すべきである、その際波高が水深が浅くなるに応じて高くなることをグリーンの式で計算すべきなどの細かい指摘をしていますが、東京電力の指摘をすべて入れて写真11までの所要時間を計算すると、距離を1000mとして141秒、本来の距離という900mとして121秒になります。
 私が国会事故調報告書で出した126〜136秒、丸めて約2分と差はほとんどありません。この説明をイメージしやすいように図示すると右の図のようになります。
 原子力規制委員会は、基本的に東京電力の報告書をなぞりつつ東京電力が余裕を見たところをいずれも短い方に見て(つまり東京電力よりも東京電力に有利な数値を採用して)います(原子力規制委員会中間報告書32ページ参照)が、やはり波高計位置から写真11の津波の状態までの所要時間に直すと111秒〜121秒で、結果的に大きな差は出ません。
 写真7〜写真12の津波が、後述の私の読み方のように、波高計位置を15時35分に通過したとした場合、写真11の着岸は、原子力規制委員会の最も早い数値を用いても15時36分50秒頃になって、原子力規制委員会の主張でもその1分06秒後と評価されている1号機敷地への遡上はやはり15時38分近くになってしまいます。
 結局、波高計位置から連続写真に写る津波の位置までの所要時間については、基本的に私が採用した手法が用いられ、東京電力及び原子力規制委員会から細かな差異の指摘はありますが、波高計位置から写真11に写る津波の位置までの所要時間を見ると、ほとんど差はなく、どちらの数値を採用しても、後で述べる写真7〜12の津波が波高計の実測データのどの波かについての意見が同じならば、結論に差が出ないということになります。私の主張と、東京電力・原子力規制委員会の主張の差は、写真に写る津波が波高計の実測データのどの波かの評価の違いだけということになります。なお、東京電力は、新潟県技術委員会で田中三彦委員から、私の見解と東京電力の見解の違いは実質的にはその1点のみと解してよいかと質問されてそれを肯定しています。
 津波の進行所要時間問題は、理屈を言えば若干小難しい問題もないではないですが、結論として差が出ないので、説明はこの程度とさせていただきます。

 5 写真11の津波着岸から1号機敷地遡上まで
 国会事故調報告書の段階では議論しなかったのですが、その後の議論では4号機南側から撮影された連続写真では見えない1号機敷地にどの時点で遡上したと評価するかも議論になりました。
 写真としては、写真7〜写真12の津波が写真13〜写真14の4号機南側に遡上したこと、しかしこの津波は1号機敷地には遡上しなかったと考えられること、その後の写真15〜写真16の大津波が1号機敷地に遡上したと考えられることは、私と東京電力、原子力規制委員会の意見が一致しています。なお、写真11と写真16の撮影時刻差は52秒です。


 写真15〜写真16の大津波が1号機敷地に遡上した時期の推定については、考え方の相違が見られます。
 私は、写真15と写真16を地図に落とし、そこから1号機敷地までの距離を考えました。写真15から写真16への津波の進行方向を考慮し、その後津波が海側エリアの低い敷地、原子炉建屋やタービン建屋のある高い敷地へと進むことを考えると少なくとも写真16から30秒はかかると評価しました。図のように、写真15に写る津波の位置から写真16に写る津波の位置までの移動に15秒かかっている(撮影時刻差が15秒)ことから、そのまま1号機敷地までの距離を考えるとそれだけでも30秒近くかかると考えられますし、東波除堤、海側エリア敷地(小名浜港基準水位+4mの高さのため「4m盤」と呼ばれています)、さらに原子炉建屋やタービン建屋がある敷地(10m盤)を越えたり遡上するにはそれぞれで時間遅れが生じるはずです。写真16から30秒というのはむしろ早めの評価と考えられるのです。

 これに対し、東京電力は、平成25年以降の報告書では4号機南側の敷地で高さ10mのタンクが水没しようとしている写真18の頃には1号機敷地にも遡上していたと考えられるとしています。

 原子力規制委員会は、その1つ前の4号機敷地南側で水位が2mを越えるあたりの写真17の頃には1号機敷地にも遡上していたと考えられるとし、東京電力は柏崎刈羽原発差止訴訟ではこの見解(写真17時点で1号機敷地にも遡上)をとっています。

 写真17は写真16の14秒後、写真18は写真16の24秒後で、1号機敷地への遡上は少なくとも写真16の30秒以上後とする私の見解よりは早いですし、何よりも、4号機の敷地南側は1号機敷地と約300mも離れている上、4号機南側は防波堤の外側、1号機敷地は防波堤に守られた中央部です。4号機敷地南側が浸水している状況から1号機敷地の状況を推測するのには無理があります。その意味で東京電力と原子力規制委員会の見解は根拠に乏しいものです。東京電力の担当者は、新潟県技術委員会の課題別ディスカッションで私と東京電力が順次プレゼンをした会合の際に、写真16の約30秒後に1号機敷地に遡上という私の見解に違和感はないと答えていました。
 両者の差は、写真11の後1号機敷地遡上までの時間としては、私の主張は82秒以上、東京電力は76秒、(ただし裁判では66秒を主張)、原子力規制委員会は66秒となります。
 しかし、この程度の差は、次に述べる写真7〜12の津波が波高計実測データのどの波かについて同じ見解をとる場合には、津波の1号機敷地遡上が電源喪失の前か後かの結論には、影響しません。ここでは、原子力規制委員会には、他の論点と同様、無理をしても津波の1号機敷地遡上時刻を少しでも早くしようとする姿勢が際立っていることを指摘し、しかしそれでも結論には影響しないことを押さえておきたいと思います。

 6 写真7〜12の津波は波高計データのどの波か
 このグラフは、福島第一原発沖合1.5km地点の波高計の実測データ(0.5秒刻み)を、私が新潟県技術委員会経由で東京電力から提供を受け、作成したものです。

 先ほど来説明してきましたように、すでに実質的な論点は、写真7〜12の津波が波高計データの第2波1段目(原子力規制委員会中間報告書では津波2−1)の波高約4.5m(高低差約3m)の波であるのか、第2波2段目(原子力規制委員会中間報告書では津波2−2)の波高7.5m超(波高計の測定限界が7.5mで測定できていない)の波であるのかの1点になっています。要するに、他の論点についてどの見解をとったとしてもそれに関係なく、写真7〜12の津波が波高計データの第2波1段目であれば波高計位置を15時33分30秒頃に通過するので写真11の津波着岸が15時35分台半ば〜後半、1号機敷地への遡上が15時36分台の半ば〜後半となり、他方、写真7〜12の津波が波高計データの第2波2段目であれば波高計位置を15時35分頃に通過するので写真11の津波着岸が15時37分頃、1号機敷地への遡上が15時38分台となるのです。
 津波を撮影した連続写真の解釈の問題に入ります。私は、写真1〜写真4が第1波(これは東京電力・原子力規制委員会も同意見です)、写真5〜写真6が第2波1段目、写真7〜写真12が第2波2段目である(写真15〜写真16は、波高計で測定できていないその次の波)と考えています。これに対し、東京電力と原子力規制委員会は写真7〜写真12が第2波1段目、写真15〜写真16が第2波2段目であると主張しています。
 まず私の主張の根拠を示します。それは写真をそのように解すると波高計を通過した各波の波形と高低差、時間間隔と概ねきれいに一致し、矛盾なく説明できるという点が最も重要です。

 波高計の波形を見ていただくと第1波は約10分間をかけて波高0から波高約4mに至る緩やかな津波です。波高計設置位置での津波の平均速度は毎秒約10m(水深約10mとして)ですので、波の形状は水平方向6000mに対し高さ4m、約60mで約4cm上昇するという肉眼ではほぼ傾きが感じられない程度の波ですから外形は満ち潮のようなものと言えます。






 この満ち潮のような第1波の写真1〜写真4はそれぞれ約30秒間隔で撮影されました。
 その後写真4のあと3分34秒間写真は撮影されず、それに引き続いて写真5と写真6が撮影されました。



 私は、この写真5と写真6の防波堤の先(向こう側)に見える細い直線状のものが津波であり、第2波1段目であると考え、他方、東京電力はこれは津波ではなく、撮影者は第1波が去って水位が低下したところを撮影したものと主張しています。
 防波堤先の直線状のものは右側に見える南防波堤先から2つの防波堤の間、さらに左側に見える北防波堤沖に退避している船のあたりまで続いていますが、一番見えやすい南防波堤先部分(右の写真5の緑枠内。黄色の線はトリミング前の写真の中心線)を拡大すると下の写真のようになります。

 解像度が低い写真(撮影時横640ピクセル、縦480ピクセル)であるため、拡大すると、1つのピクセル毎の四角が表れています。ここで、高さで見て中央付近に白い横線があり、その下にやや青黒い横線があることが見て取れます(青黒い横線の左端と右端に黄色でその高さの幅の矢印を記入しました。矢印の右側にもうっすらと見えると思いますが、比較的見やすい範囲を示しました。なお、左側の矢印の下の色が濃い部分は防波堤です)。その線は縦方向が概ね2〜3ピクセルの高さで横方向に連なっています。



 写真6でも同様に、右側の南防波堤先の部分を下の写真で拡大して示しますと、高さ2〜3ピクセルの横方向への連なりがあります。

 この写真の位置は、撮影位置から約1000m離れていますので、1ピクセルは約1.4mに相当します。縦方向に2〜3ピクセルということは、高低差が3m前後あるということになります。
 私が主張するように、写真5と写真6が第2波1段目であるとすると、第1波の5分程度後に(写真1と写真5の撮影時刻差は5分01秒)高低差が約3mの津波が来ているということですから、波高計の実測データとほぼドンピシャの波形と時間間隔になります。
 そして、東京電力は、これが津波ではないと主張しているのですが、ではいったい何なのか、海上で約1kmにも及ぶ直線状の水位の上昇があり、しかも高低差が約3mにも及ぶものが津波でなかったらいったい何なのでしょう。
 東京電力は撮影者が水位が低下したところを撮影したなどと主張していますが、撮影時刻差一覧表に示したとおり、撮影者は満ち潮のような緩やかな第1波の写真を約30秒間隔で4枚撮影した後、3分34秒間まったく撮影しておらず、(写真のオリジナルナンバリングで確認していますが、公表された写真の間に撮影された写真はありません)写真5を撮影した後すぐ11秒後にさらに写真6を撮影しているのです。常識的に考えて撮影者は、津波が来たと考えて慌てて2枚続けて撮影したと判断できます。

 写真に戻りますと、写真6の後約1分後により大きな津波が押し寄せ、撮影者はそこから写真7〜写真12を続けて撮影します。














 ここでは写真8の津波の高低差を見てみましょう。右側に見える南防波堤を津波が超える様が写っていますが、防波堤に当たり変化する前の防波堤外側の部分(写真8の緑枠内)を切り出しますと下の写真のようになります。

 ここでは青黒い津波の前面が高さ4〜5ピクセルで横方向に連なっています。この位置は撮影場所から約700mですので、1ピクセルは約1mに相当します。単純に考えてもこの津波の高低差は4〜5mと考えられますし、私が、この写真を撮影したカメラと同機種(Finepix460)で近似実験したところでも5ピクセルがほぼ同色になるための被写体の大きさは1ピクセル相当の大きさの約4.6倍以上でしたから、この津波の高低差は4.6m以上はあったと評価することができます。波高計を通過した津波の第2波1段目の高低差は約3mであるのに対し、第2波2段目は波高が7.5mを超えたため測定できず(というよりも、波高計業者の判断では、測定が7.5mに達した15時35分以降の上下はデータが異常値をくり返しているだけで測定できておらずこの時点で波高計が故障したと考えられるということです)、高低差は3m以上というだけでそれ以上はわかりません。私は、波高計が測定できなかった波高7.5m超の津波が写真7〜写真12に写っていると考えます。

 私の主張のように考えると、防波堤先に、高低差約3mの第2波1段目(写真5と写真6)の後約1分で高低差が4.6m以上の第2波2段目が来たということになり、ここでも波高計の実測データと、高低差、時間間隔がうまく一致し矛盾もないということになるわけです。

 これに対し、東京電力の主張は、積極的な根拠は、写真7〜写真12の津波が、連続写真上津波第1波の後「初めての津波」であるということだけです。それ以外の「積極的根拠」はこれまでまったく主張されていません。この東京電力の主張の積極的根拠は、先に説明した写真5と写真6の防波堤先に写っている津波をなかったことにすることです。確かに写真上見えにくく、紙ではかなり大きめにプリントしないと判別しにくいのです(デジタルデータとして画面で開く限り、その存在は明白です)が、どう見ても存在するもの、それも横方向に約1kmもの直線状の存在、ピクセル数から所在場所での高さに直すと高低差約3mにも及ぶものを津波ではないとか、そもそも存在しないことにするなど、私には想像もできません。
 そして、東京電力の消極的根拠(私の主張に対する批判)は、写真5と写真6に写っている津波が存在するのであれば写真7〜9の手前側(敷地付近)に津波が到達して水位が上昇しているはずだがそれが見られないということほぼその1点です。これについては、私はなるほどと思える回答を持ち合わせていません。私は、最初に明らかにしたように、証拠から明らかに言えることだけを主張する姿勢を貫いており、自己の主張の弱みに当たる部分があることも否定はしません。しかし、私が、写真5の時刻に津波が到達したことを「推定」「推認」しているのであれば、その津波があればその後生じるはずのことが生じていないことはその推論の重大な弱点となるでしょうが、写真5と写真6に津波は厳然として写っているのです。私は写真5と写真6に津波が「写っているはずだ」と推論をしているのではありません。写真5と写真6に写っている津波がその後どうなったかについて写真7〜9でうまく説明できないのは、私だけではなく東京電力も説明できないのです。言い換えれば、私は写真5と写真6に現実に写っている津波の存在を合理的に説明できるが、それが写真7〜9でどうなったかをうまく説明できないのに対し、東京電力は写真5と写真6に現実に写っている津波の存在もそれが写真7〜9でどうなったかもどちらも説明できないのです。
 ビデオではなく「連続」しているといっても切れ切れという写真の性質上、その間のことはわからないという問題点を埋めるため、私は、国会事故調で、この写真撮影者のヒアリングを要求しました。まず平成24年1月14日の最初の質問から撮影者の所属と氏名等を要求しました。東京電力はこれに対し、撮影者情報については別に相談させてくださいと回答しました、その後東京電力から何らの応答もないまま経過したので、私の方で2月7日に再質問しますと、今度は撮影者の氏名等を口外しない約束で写真を入手したと回答されました。その後東京電力に撮影者のヒアリングを要求すると、今度は撮影者が誰かわからないと言い出しました。結局、この写真の撮影者についてはヒアリングを実施することができませんでした。私が国会事故調で、ヒアリング申請をしてそれが拒否されたのは、この写真撮影者ただ一人です。ちなみに国会事故調終了後に新潟県技術委員会から写真撮影者に対するヒアリングを申し込んだのに対しても東京電力は拒否したと聞いています。
 写真5と写真6の防波堤の先に写っているものが津波かどうか、その津波はその後どうなったのか、今論点として残されている、東京電力が私を批判しているそのことは、いずれも写真撮影者のヒアリングをすれば明らかにできることです。東京電力が、頑なに、極めて例外的と言えるほどの頑なさで(先述の通り、国会事故調で私がヒアリング申請をして拒否された人は他にはいません)写真撮影者のヒアリングを拒否したのは何故でしょうか。いずれにしても、東京電力が写真撮影者のヒアリングを拒否したために明らかにできなかった部分を利用して私の主張にケチをつけ続けていることには、強い怒りを禁じ得ません。

 東京電力は、私のごく自然な論証に対して、津波の形状は進行に応じて変化するものであるのに波高計位置の津波がそのままの形状で敷地に到達したと考えるのは誤りであるという趣旨の批判をしています。私も、津波というものの性質上、その形状がまったくそのまま維持されると考えているわけではありません。そういう意味で、概ね一致する、うまく説明できるといっているのです。東京電力が主張するように、波高計位置から福島第一原発敷地までに津波の形状が変化するというのであれば、どのように変化するのが合理的かを議論する必要があります。東京電力は私に対する批判としてはそういうことを言いながら、自らの主張に見合う変化があることをまったく論証していませんし、これまでに東京電力が公表した「解析」はすべて東京電力の主張を裏付けないものとなっています。
 東京電力の主張に合わせれば、写真5と写真6に写るものは波高計設置位置では存在しなかったが敷地に押し寄せる過程で第2波1段目の前の水位が上昇した(新たな波が生じた)ということになりますし、写真8の津波が第2波1段目であるためには波高計位置で高低差約3mにとどまる第2波1段目が敷地に近づく過程で高低差約4.6mにまで増幅する必要があります。ところが、東京電力がこれまでに公表した4つの解析は、どれもそういう傾向を示さず、むしろ逆方向の変化さえ示しています。
 最初に、内閣府の波源モデルを元に東京電力が行った解析を示します(この裁判で国の準備書面で、これを内閣府が行った解析と書いているのを目にしました。東京電力はよくミスリーディングな物言いをしますので、私もかつてはこれが内閣府自身が行った解析と誤解していたこともありますが、新潟県技術委員会での説明で、解析をしたのは東京電力(実際は下請会社でしょうけど)だと聞いています。部外者が誤解するのはしかたないとして、国が、内閣府が行った解析と主張していることには、書面作成時に何一つ確認もしないのかとあきれました)。下の図は、東京電力が公表している解析結果に、私が左側の位置関係図に波高計の位置、写真5と写真6,写真8の津波の位置を書き込み、それぞれの解析点での第2波1段目(解析で第2波1段目の存在が再現されているか自体が怪しいので、より正確に言えば第1波の次の波)の高低差と、第1波の後その次の津波の前の水位低下部の変化を書き込んでいます。

 東京電力の主張を支持するためには、@波高計位置から写真5と写真6の位置である解析点E16またはE17までに第2波1段目の前の部分が水位上昇して新たな波が発生すること、A波高計位置から写真8の位置である解析点E17またはE18までに第2波1段目の高低差が増幅することが必要です。
 しかし、内閣府の波源モデルを用いた東京電力の解析では、いずれも生じません。
 東京電力は、内閣府の波源モデルを用いた解析の外に、新潟県技術委員会に提出した解析では、JNESの波源モデルを用いた解析、佐竹教授の波源モデルを用いた解析、東京電力自身の波源モデルのうち新しい方のL67という波源モデルを使って行った解析があります。
 以下、それらの解析として東京電力が新潟県技術委員会に提出した解析結果に、私が内閣府の波源モデルを用いた東京電力の解析について行ったのと同様の書き込みをしたものを示します。





 @の第2波1段目の前の水位の上昇(新たな波の発生)は、佐竹教授の波源モデルを用いた解析でのみ若干見られますが、波高計位置から写真5と写真6の位置の観測点E17まででの上昇はほとんど見られません。Aの第2波1段目の高低差の増幅は、わずかにJNESの波源モデルに基づく解析でのみ若干見られますが、増幅の程度は1割程度にとどまり、約3mが約4.6m以上(5割以上)まで増幅するような結果にはなっていませんし、東京電力の波源モデルL67による解析ではむしろ敷地に近づく過程で減衰しています。
 津波の波形は変化すると、抽象的にその一言だけ言って私の主張を批判した気になっている東京電力は、その津波波形の変化によって自らの主張が裏付けられることを一度として論証できていないことはもちろん、具体的な主張さえできていないのです。
 そもそも「解析」は所詮推論に過ぎず、きれいな解析結果が出たとしてもそれで事実が解明されたと簡単には言えないものですが、東京電力は、この問題に関しては、解析でさえ、自己の主張を裏付ける結果を出せていないのです。
 なお、原子力規制委員会は、津波の写真と波高計の津波実測データの関係については、東京電力の主張を追認するだけで積極的な主張はしていません。東京電力以上の根拠は持ち合わせていないはずです。

 7 まとめ
 以上に説明したとおり、津波の連続写真が波高計実測データのどの波に当たるかについては、私が主張する写真7〜写真12の津波は波高計実測データの第2波2段目と解するのが合理的で、そうすると、あとは他の論点でいかなる考えをとっても、写真7〜写真12の津波が波高計位置を通過したのは15時35分頃となり、その結果写真11のその津波の着岸は15時37分頃、1号機敷地に遡上したと考えられるその次の津波である写真15〜写真16の津波の1号機敷地遡上は15時38分頃かそれより後ということになります。
 なお、ついでに言えば、東京電力の主張どおりに写真7〜写真12の津波が波高計実測データの第2波1段目であると解した場合でも、1号機敷地遡上は15時36分台の後半(原子力規制委員会は15時36分24秒〜41秒:中間報告書34ページ、東京電力は報告書で明示はしていませんが、東京電力の主張から計算すると15時36分50秒台)になります。先に説明したように、東京電力と原子力規制委員会は、写真16の後、1号機敷地遡上までの時間をかなり無理に短くしていますので、ここを合理的に修正すると、それでも結局1号機敷地遡上が15時37分台になるということも十分に考えられます。
 また、1号機A系非常用交流電源喪失時刻についての検討で述べましたように、1号機A系の非常用交流電源喪失時刻が15時36分台のかなり早い方と考えると、東京電力と原子力規制委員会の主張そのままでも、1号機A系の非常用交流電源喪失は津波の1号機敷地遡上前となり得ます。
 つまり、写真等から合理的に説明できる私の考えをとった場合には当然に1号機A系の非常用交流電源喪失は津波の1号機敷地遡上前となり、仮に東京電力や原子力規制委員会の主張を採用した場合であっても、1号機A系の非常用交流電源喪失が1号機敷地遡上前である可能性がある(疑いは残る)ことになります。

第4 その他若干の話題
 1 1号機B系について

 1号機B系の非常用交流電源の喪失時刻は、運転日誌上15時37分とされています。東京電力が平成25年5月10日に公表した過渡現象記録装置の1分周期データでは15時36分59秒時点で電流が低下していますが0ではなく電圧は定格状態とされています。この過渡現象記録装置の1分周期データが正しいとした場合でも、15時37分台の停止と考えて矛盾はしません。
 非常用交流電源の喪失時刻を15時37分台と考えますと、写真7〜写真12が波高計実測データの第2波2段目と解すれば、1号機敷地への津波遡上時刻が15時38分かそれ以降となりますので、1号機B系の非常用交流電源喪失も、津波の敷地遡上前となります。
 1号機A系の場合と違って、B系は、海側エリアの4m盤上にある非常用ディーゼル発電機冷却系の海水ポンプが被水停止したときに非常用ディーゼル発電機の停止信号が出ますので、海水ポンプの被水停止による非常用電源喪失も検討する必要があります。しかし、写真14までは1号機等の前にある東波除堤が水没していないことからその時点まで海側エリアへの津波遡上はないものと考えられます。写真7〜12の津波が波高計の実測データの第2波2段目と考える場合、写真11の津波着岸が15時37分頃ですから、1号機海側エリアの海水ポンプの被水停止があったとしても15時37分台ということになります。1号機B系の非常用ディーゼル発電機停止信号は、海水ポンプの吐出圧が低下して0.098MPaに達してから60秒後に出る設定ですので、海水ポンプの被水停止が15時37分台なら停止信号が15時37分台のうちに出ることはありません。
 以上から、写真7〜12の津波が波高計データの第2波2段目と解する限りは、1号機B系の非常用交流電源の喪失も、津波が原因ではないということになります。

 2 東京電力の第5回進捗報告について
 東京電力は平成29年12月25日に公表した報告書で、原子炉建屋・タービン建屋敷地(10m盤)境界から非常用交流電源関連機器までの「経路長」と各機器の機能喪失時刻に相関が見られるとして、電源喪失の原因が津波であることを補強する材料であると主張しています。
 しかし、この主張は、大前提となる「経路長」の取り方が事実に反しています。東京電力は下図の赤線からの距離を基準としています。これは、津波が真東から真西へと進んだことを前提としています。

 しかし、実際には写真15と写真16を見れば明らかなように津波は、南東方向から北西方向に進行しています。
 第3の5で説明済みですが、もう一度示しますと、1号機敷地に遡上した大津波は、写真15では南防波堤に沿った形で北東から南西への直線状の前線を持っています。それが写真16で防波堤内に突き進んでいます。



 それを地図に落とすとこのようになり、津波の進行方向が真東から真西ではなく、南東から北西方向であることが写真自体から読み取れるのです。

 そもそも「経路長」をとるスタート地点を現実の津波の位置と方向とはまったく異なるように設定している東京電力の主張は、前提を欠いていて、論証の初めから間違っています。
 スタートをごまかして自己の主張の有利にゲタを履かせてもなお、東京電力の主張で「経路長」がほぼ同じになる2号機の電源関係機器と3号機の電源関係機器で機能喪失時刻が大きく違う(実際の津波で考えるとより早く津波が到達する3号機の電源関係機器の方が機能喪失時刻が大幅に遅い)など、経路長との相関関係があるという評価も無理な読み方をしたものです。
 東京電力の平成29年12月25日の報告書は、冷静に読めば何も論証できていないものを、何かが論証できたかのように見せかけているだけのものだと考えます。

 3 第1波のピークについて
 この論争の過程で、私が第1波のピークと写真1〜写真4の位置づけを、津波写真の読み方の正しさの根拠としたことがあり、それについて、東京電力から、第1波については敷地到達後に折り返す反射波がありそれが合成される(重複波として評価する)ことでピークが変わるからその論証は正しくないという趣旨の指摘がなされました。
 その点については、東京電力の解析がどの程度正しいかは、解析がブラックボックスとなっていて、私には評価しかねますが、第1波のような非常に緩やかな、ピークがはっきりしない波を用いて、論証の根拠とすることには限界がありますので、私としては、その後、その点は自説の根拠としては挙げないことにしました。
 先に述べたように、第1波のピークの時刻と写真の関係を挙げなくても、私の写真評価が波高計の波形、高低差、波の時間間隔と一致した自然で合理的な解釈であることは十分に立証でき、ご理解を得られたと考えています。
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以上
(2019.3.2記)

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