庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「伏 鉄砲娘の捕物帖」
 人と犬の血を引く「伏(ふせ)」と兄に誘われて伏狩りに参加する猟師の少女の心のつながりを描いたアニメ映画「伏 鉄砲娘の捕物帖」を見てきました。
 封切り4週目土曜日、テアトル新宿(218席)午後2時の上映は7割くらいの入り。観客の多数派は若者のカップルと女性2人連れ。

 山で祖父に学び鉄砲の腕を上げた猟師の少女浜路(はまじ)は、祖父が死んで一人となり、兄に呼ばれて江戸に出てきた。江戸の町では、人と犬の血を引き人に化けて暮らし人の生き珠を喰らうという「伏」に懸賞金がかけられ、狩られた6人の伏の生首が晒されていた。それを見てまだ子どもじゃないかと憤る浜路は、賞金稼ぎと犬の仮面をつけた白髪の青年信乃(しの)の争いに巻き込まれる。字の読めない浜路は兄の手紙を見せて信乃に兄の住む長屋まで案内してもらう。長屋でくすぶる兄は、仕官のために伏狩りで手柄を挙げたくて浜路を呼び寄せたのだった。兄に伏狩りを誘われた信乃は兄について吉原に赴くが、兄とはぐれたところで信乃に会い着物をプレゼントされる。兄を見つけたところで太夫凍鶴(いてづる)のパレードにぶつかり、浜路は凍鶴が伏だと見抜くが・・・というお話。

 作品全体が、南総里見八犬伝の翻案で、その中でさらに滝沢馬琴が登場して南総里見八犬伝の読み本を発表していて、信乃が看板役者の若衆歌舞伎でその南総里見八犬伝の贋作として伏姫の8人の子が今「伏」となっているという芝居を演じているという劇中劇があり、そこで南総里見八犬伝は恋愛ドラマだといわせています。その主張通り、全体としては、浜路と信乃のラブ・ストーリーです。
 最初に狩られた伏の生首を見て「まだ子どもじゃないか」と憤る浜路と、兄から伏狩りを誘われ兄の賞金と仕官のために特段迷いを見せず積極的に伏狩りに身を投じる浜路の間に矛盾や戸惑いはないのか。また賞金稼ぎからおまえが生き残りの伏だなといわれて闘う信乃、後ろ姿を見てきれいな毛並みをしていると思う信乃を、浜路は伏と疑いもしなかったのか。伏と知りつつ愛情をもつ後半はいいのですが、前半の浜路の心情がちょっとわかりにくいように思えます。狩る者と狩られる者がつながるとき狩りができるという祖父の教え、同様におあいこを求める浜路の感覚は、人間は獲物と自然に生かされているという思想で、そこには狩られる者への連帯感や感謝が組み込まれてはいるのですが。

 江戸に出てきて初めて貨幣経済にさらされた浜路。懸賞金によだれを垂らす兄を尻目に、「分割で」、そのわけを聞かれて「一夜のお大尽では悲しすぎる」といえるのは立派。見習わねば・・・人間としてのたがが外れ浪費癖で身を滅ぼすリスクと取りっぱぐれリスクをどう見るかという問題はありますが。

 気っぷのいい総菜屋の船虫(ふなむし)、オタクっぽい瓦版屋の冥土(めいど)ちゃんなどの脇役キャラも味わい深い。
 江戸の町の映像などの色彩のケバさ、着物の下にボクサーパンツやキャミソールといった出で立ちなど、たぶんあえてキッチュ感を出してるんでしょうけど、そのあたりの違和感をうまく流せるかも1つのポイントかなと思います。 

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