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たぶん週1エッセイ◆
映画「攻殻機動隊2.0」

 押井守監督の新作「スカイ・クロラ」発表に合わせて95年の前作をリメイクして発表されたアニメ「攻殻機動隊2.0」を見てきました。
 やはり客層は学生中心でしたが、夏休み期間とはいえ平日では1064席の新宿ミラノ1はガラガラ。新作の方はどうなるでしょうか。

 原作も95年のアニメも一切見ていませんので、比較もできませんが、のっぺりした2次元的な絵と少し立体感を持たせた絵とCGが組み合わされ、場面により気分転換になるようなごちゃごちゃなような、なんとなく落ち着かない画面展開に感じました。香港と思われるアジアンテイストの街の背景の少しもやっとした絵といかにもアジアっぽい音楽の醸し出す居心地の悪いような馴染むような微妙な雰囲気と合わせ、なんとなく不思議な感じの映像です。CGでも2次元的な絵でも主人公草薙素子の裸体の描写が強調されすぎる印象があり、メカの映像と合わせ、やっぱりオタクっぽい映画だなと感じます。

 テーマとしては、サイボーグの主人公草薙素子が、公安9課でサイバー犯罪を追う中で遭遇した「人形使い」が人工人体に侵入した電子情報そのものであることを知り、「人形使い」から自分にも人権がある、生物もDNAにより再製消滅を繰り返すのだから情報そのものではないかと提起され、相互にアクセスするという展開を元に、生命とは、人間とは何かということが扱われています。人体の部分が人工化されて行き、とりわけ体の全部が人工化されたとき、人間とは何なのか、脳にある記憶や情報、それにより生じる人格とは何なのか、と問われると、考え込んでしまいます。そして、その延長には、体が人工物でないとしても・・・という問いが待ちかまえているわけですし。
 生物が交配により遺伝子を混合させて多様な個体を確保し絶滅を免れ繁殖していくことのアナロジーから、情報としての人類も単なるコピーにより増殖するのでなく相互にアクセスし合体することで多様性を確保するという人形使いの主張にも考えさせられます。プログラムも高度化すると、最善解が確定するのではなくバグに見えるものが優位でもあり得るでしょうし、人形使いがいうように単一のウィルスで滅びないという耐攻撃性も増すでしょう。他方、接続・互換性は犠牲になることになり、そのあたりとの総合評価は難しいかもとも思えます。情報=人間そのものと捉えてしまえば「互換性」なんて話はもう関係ないかもしれませんが。

 人形使いとアクセスした後、破壊された体から取り出され、新たな体に移された草薙素子の脳殻は、すでに純然たる草薙素子でもなく純然たる人形使いでもない。それを草薙素子と扱い愛しく思う草薙の同僚の思い。正と反の合体というパターン自体はお話として時折見ますが、その上で人間・人格の同一性はどうなるのか、人格とは何なのか、その人格に対する愛情は・・・という重くまた不思議なテーマを考えさせられてしまう映画でした。

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