たぶん週1エッセイ◆
映画「麒麟の翼」
ここがポイント
 労災隠し、派遣切り、メディアスクラムといった社会派っぽい前半と、父と子の愛情・ねじれを描く後半それぞれに見せ場がある
 昔の父親像というか、父親の復権というか、そういうものに対する作者の年齢層の男たちのノスタルジーが感じられる

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 東野圭吾の加賀恭一郎シリーズ・テレビドラマ「新参者」を映画化した「麒麟の翼」を見てきました。
 封切り6週目日曜日、ヒューマントラストシネマ渋谷のシアター1(200席)午後1時45分の上映はほぼ満席。観客層の中心は若者。

 腹をナイフで刺されたメーカーの製造部長青柳武明(中井貴一)はなぜか助けも求めず日本橋の翼のある麒麟像まで歩き続けて絶命した。緊急配備された警察官の職務質問を受けて逃げ出した八島冬樹(三浦貴大)はトラックに跳ねられ意識不明になるが、青柳のカバンを持っており、後に半年前青柳の会社に製造業派遣で勤めていたが勤務中に負傷し労災隠しの上、首を切られたと判明する。捜査本部は八島による恨みによる犯行という線で落着ムードになるが、日本橋署の刑事加賀恭一郎(阿部寛)は、青柳が勤務と関係ない日本橋界隈に出没していたことや青柳が刺された後に麒麟像まで歩き続けたことを聞いた息子悠人(松坂桃李)の態度の変化に疑問を持つ・・・というお話

 労災隠し、派遣切り、メディアスクラムといった社会派っぽい前半と、父と子の愛情・ねじれを描く後半それぞれに見せ場があり、格差社会の底辺を生きる三浦貴大・新垣結衣カップルの行く末、心を開かぬ息子に戸惑い真摯に対応しようと苦しむ中井貴一の姿に涙します。
 父子関係を描く映画で、近年はダメな父親が過ちを犯した過去を悔いて子どもを偲ぶというパターンが多い中、子どもの方が父親に感化されるというものですが、「人生はビギナーズ」のような自由に生きる明るい父親ではなく、正しく湿っぽく重苦しい父親像を前に出しています。昔の父親像というか、父親の復権というか、そういうものに対する作者の年齢層の男たちのノスタルジーが感じられます。こういうの、今どきの若者が見てどう思うんだろ。
 ミステリーとしてはそれなりに布石を回収していますが、犯行の動機部分は若者は理解できない行動をするというやはり作者の年齢層の、というかテレビであれこれ発言する人たちの感覚に依拠していて、私には違和感がありました。青柳とすれ違った八島が青柳の後をつけたという説明と、八島がその後ずっと麒麟像の下で座っていたというのが、折り合えるのかも疑問が残りましたけど。

 テレビドラマの方は見てないので、当然のように訳ありっぽく出てくる「ジャーナリストの卵」黒木メイサや、加賀の父を看取った「お節介な看護師」田中麗奈が、ストーリーとはあまり関係なく出番を作ってる感があり、ちょっと戸惑いました。田中麗奈は私の好みなので、それでも出てきてもらって得した感がありましたが(って思ってたら、カミさんに「今日の映画ではあなたの好みは田中麗奈でしょ」っていわれてドッキリ。「私と同じ福岡の女だからね」って、おい、そっちかよ)。 

(2012.3.4記)

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