たぶん週1エッセイ◆
映画「感染列島」
ここがポイント
 救える人の命を救うため冷酷とも思える態度で行動していく小林(檀れい)と、目の前の患者を救うことを優先する松岡(妻夫木聡)らの対比には考えさせられる
 三田看護師(国仲涼子)らスタッフの生き様に感動を覚える
 この症状、どう見ても新型インフルエンザじゃないと思う

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 未知のウィルスによる感染症の感染爆発(パンデミック)をテーマに医療従事者たちの生き様を描いた映画「感染列島」をみてきました。

 未知のウィルスによる新型感染症が急速に広まり、多数の患者と死者が出る中、第1号死亡者を初診した松岡医師(妻夫木聡)らが激増する患者の治療に奔走するいずみ野市立病院にWHOのメディカルオフィサー小林栄子(檀れい)が派遣されます。小林栄子は感染症の拡大防止のために病院の隔離、苦しむ患者からの感染経過の聞き取り、治療の優先順位付けを断行、その官僚的で強圧的な姿勢が、スタッフとの軋轢を生みます。小林とかつて恋人だった松岡の「スタッフを信頼してやって欲しい」との助言を容れた小林が専従スタッフの人選を自薦に限り頭を下げて協力を申し入れたことから、小林の指揮の下スタッフが結束し、医師も看護師も病院に泊まり込んでの懸命の治療が続けられますが、ウィルスの正体がわからず治療法もわからないまま死者が増えていきます。「ブレイム」(責任、咎め)と名付けられた感染症の正体をめぐり、治癒したものの口を閉ざしていた第1号死亡者の妻(池脇千鶴)から感染前に東南アジアで診療していた医師の父が帰国していたという情報を得た松岡が東南アジアの離島に渡るなどして感染症の正体は突き止められますが、ワクチン製造にはさらに数ヶ月がかかり、治療法は確立されません。その中、いずみ野市立病院から次の感染地に移動して自らの感染を知った小林は、自身の体を用いて学問的には否定されている新治療法の実施を志願し、治療法を切り開こうとし・・・というストーリーです。
 感染爆発で、極限に達した疲労と、それにも関わらず患者が次々と目の前で死んでいく徒労感を背景に、患者の命を救いたい使命感から献身的に働く医師と看護師の思いと人間愛・家族愛、松岡と小林のもどかしい恋愛感情、泊まり込みで看護する看護師と待っている夫と幼い娘の家族愛が描かれます。

 前半、多くの人の命を救うため、救える人の命を救うため、冷酷とも思える態度で行動していく小林と、目の前の患者を救うことを優先する松岡らの態度が対照的に描かれます。しかし、小林のような人物がいなければ感染症の拡大を防げないことも病院が持たないことも事実で、このあたり考えさせられます。そして、小林の態度は、当初強圧的に描かれていますが、通常の官僚と異なり、自ら感染のリスクの高い最前線に身を置き、人工呼吸器が足りなくなり生還の可能性がほとんどない患者の人工呼吸器を外す指示をする際も誰もが躊躇する中責任を問われるリスクを背負って自ら外していきます。そして、自らの感染を知った小林は、歩けるうちはと重病患者のケアを志願してマスクもせずに重病患者の世話をし、倒れてからは自らの体で医学的に正当化されていないリスクの高い治療法を実施することを志願します。
 前半をみていると、人情派の松岡が主人公に思えますが、全体を通してみると、むしろ小林の生き様が光って見えます。もちろん、松岡の献身的な治療や家族の待つ中専従スタッフに志願して献身的に働き感染して倒れる三田看護師(国仲涼子)らスタッフの生き様にも感動を覚えるのですが。
 特にサイドストーリーではありますが、泊まり込みで看護を続ける三田看護師と妻の帰りを待つ夫(田中裕二)と幼い娘のやりとり、三田看護師の死亡のシーンには涙します。

 この感染症、当初は新型インフルエンザと判断されます。でも・・・重症化すると激しく血を吐き、鼻や目からも出血してて、素人が見てもインフルエンザに見えないんですが。この症状、ふつうに見てエボラ出血熱とかそういう系統の病気でしょって最初に思ってしまいます。
 最初は新型インフルエンザと誤解されたために近隣で鳥インフルエンザが出た養鶏場の経営者がマスコミと近隣住民から非難されて自殺したりします。このあたり、続けて見た「誰も守ってくれない」と通ずるテーマですが、こういうマスコミの姿勢があるから、第1号死亡者の妻が小林から聞き取りをされたときに真実を話さず真相の解明が遅れたのだと思います。
 最初はフィリピンでの新型インフルエンザとのつながりが想定され、さらには松岡らが東南アジアの離島に渡るあたり、何か新型感染症は常に東南アジアやアフリカから来るというパターンにちょっといやなものを感じたのですが、そういう位置づけではありませんでした。日本への輸出のためのエビ養殖池を作るためにマングローブ林を切り開いたために薪集めにこれまでは人が足を踏み入れなかった山奥まで行くようになって未知のウィルスと接して新型感染症が蔓延したということで、そのウィルスが日本で感染爆発したのは、まさに「ブレイム」だという設定でした。なるほど。

 この日、「感染列島」に続けて封切り初日の「誰も守ってくれない」も見ましたが、どちらの作品でも佐藤浩市が、家族との関係がうまく行かず家族サービスをしようとしたが失敗するという役どころなのはなぜなんでしょう?

(2009.1.24記)

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