たぶん週1エッセイ◆
映画「羅生門 デジタルリマスター版」
ここがポイント
 原作「藪の中」に目撃者を追加して真実を提示し、むしろ人間は体面のために嘘をつくものだということをテーマとし、人間は嘘つきだけど希望はあるということで終わらせて味わいと感動を与える
 繰り返しのリズムに巧さを感じるが、同時に作品とテーマに興味を持てなければ催眠作用もある

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 世界のクロサワの出世作「羅生門」のデジタルリマスター版が映画館で上映されるというので、平日の午前中に空き時間を作って見てきました。

 武士と妻が盗賊(多襄丸)に襲われ、武士は刀で一突きにされた死体で藪の中から木こりに発見され、妻は行方不明だったが後に寺で保護されているところを見つかり、盗賊は捕らえられ、裁かれます。ところが、盗賊と妻と武士(巫女に呼び寄せられた幽霊)の話が、武士が縛り付けられてその目の前で妻がレイプされるところまでは一致するのですが、その後の展開や殺人犯についての話が三者三様・・・という芥川龍之介の小品「藪の中」を原作にしています。映画では、裁判に呼ばれた木こりと僧侶(殺される前の武士と妻を目撃)がどしゃ降りの羅生門で雨宿りしながら裁判での三者三様の話をわからない、恐ろしいとぶつぶつ言っていたところに、雨宿りのために駆け込んだ男が話を聞くという体裁で話を進めています。
 「藪の中」は、三者三様で、真相はわからないというところにテーマがあります。法律家の業界では、事件の真実解明というのはことほど難しいものだよという例えとしてよく使われています。「羅生門」ではここに目撃者を追加して真実を提示してテーマを変更し、むしろ人間は体面のために(殺人犯が誰かというような重大なことについてさえ)嘘をつくものだということをテーマとし、そしてラストシーンで、人間は嘘つきだけど、希望はあるということで終わらせています。読み物としては「藪の中」に深さがありますが、映画としては「羅生門」の方が味わいと感動があります。
 「藪の中」自体に同じ事件をそれぞれの立場から語る繰り返しパターンがすでにありますが、「羅生門」では、最後に登場する目撃者によってさらに繰り返されます。そして、木こりが節目ごとに繰り返す「嘘だ。みんな嘘だ」という語り、僧侶が繰り返す「恐ろしい」という語りが、繰り返しのリズムをつくっています。そのあたり、昔話のようなエピソードとリズムの繰り返しパターンが踏襲されていると感じられました。そこに巧さを感じますし、同時に興味を持てなければ催眠作用もありそうです(隣の人は寝てました)。 

(2009.6.12記)

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