◆たぶん週1エッセイ◆
  志賀原発2号機運転差し止め判決

 金沢地裁は、2006年3月24日、志賀原発2号機(北陸電力)の運転の差し止めを命じる判決を言い渡しました。原発訴訟での住民側の勝訴はもんじゅ訴訟の控訴審判決に続き2度目ですが、商業用の原発については、日本では初めてのことです。
 判決文全文は、まだ見ていませんが、裁判所が作成してマスコミに配布した判決要旨に基づいて、検討してみます。

  勝訴の理由

 判決要旨によれば、住民側が勝訴した理由は、耐震設計が妥当でないということに尽きます。
 具体的には、(1)直下地震の想定が甘いこと、(2)政府の地震調査委員会が付近の「邑知潟(おうちがた)断層帯」で発生しうると指摘している規模の地震を想定していないこと、(3)最大想定地震を決める手法(大崎の方法)が実際の地震の観測結果とあわず妥当性がないことの3点です。
 もう少し説明すると、(1)の直下地震については、どの原発でもマグニチュード6.5、震源距離10kmしか想定していません。それは、以前の研究ではマグニチュード6.5を超える地震では地表に震源断層が現れるとされていて、そのことから活断層がない(正確には単に発見できない)地域では過去にマグニチュード6.5を超える地震が起こったことがない(だから今後も起こらないだろう)と判断されたためです。しかし、鳥取県西部地震(2000年10月6日)は活断層がない地域でマグニチュード7.3の地震動を生じました。文部大臣(当時)の諮問機関の測地学審議会地震火山部会が1997年6月に発表した報告書でもマグニチュード6.8未満の地震はどこで起こるか分からず、マグニチュード6.8〜7.1の地震でも活断層が認められない場所で起こる可能性があると明記していました。それなのに原発の耐震設計では活断層が見つからない地域ではマグニチュード6.5までしか想定しなくてよいとし続けてきたのです(今でもそうです)。
 (2)の邑知潟断層帯については、政府の地震調査委員会が「邑知潟断層帯は、全体が1つの区間として活動する場合、マグニチュード7.6程度の地震が発生すると推定される。」「本断層帯は今後30年の間に地震が発生する可能性が我が国の主な活断層の中ではやや高いグループに属することになる」という内容の報告書を2005年3月9日付で発表しています(報告書はこちら)。
 (3)の大崎の方法は、どの原発の安全審査でも用いられている方法で、活断層の長さから最大地震のマグニチュードを算出する「松田式」、地震のマグニチュードと震源距離から原発敷地での地震動の最大速度(または加速度)を算出する「金井式」、地震動の周波数特性等を評価する「大崎スペクトル」等で構成されています。松田式は、提唱者自身が最近の観測とあわないというので別の式を提唱しています。金井式は、もともと日立鉱山の地中深くのものすごく堅い岩盤でマグニチュード5クラス以下の地震による地震動を観測して作られたものです。私自身、原発訴訟で金井式の検証を担当してきましたから自信を持っていいますが、最近になって公開されるようになった地震の岩盤中の最大速度観測データと比較すると、原発の設計で問題になるマグニチュード6.5以上、震源深さ100km以内、震源距離200km以内の場合、東海第二原発や福島原発、柏崎刈羽原発、六ヶ所村核燃料サイクル施設などが立地されている比較的柔らかい岩盤では、全然あいません。現実の地震より圧倒的に過小評価になります。そして2005年8月16日の宮城県沖地震では、マグニチュード7.2の地震で女川原発の岩盤で観測された加速度が設計上の最大想定地震を上回りました。

  ようやく普通に勝敗が判断される時代が来た

 この判決を見て、私の最大の感想は、ようやく日本の原発裁判でも、普通に勝敗が判断される時代になったんだなということです。
 金沢地裁判決の判断は、上で説明したとおり、地震学の現在の知見からすれば、ごく自然なものといえます。
 そして、この(1)と(3)の論点は、全ての原発に共通です。(2)も多くの原発に当てはまると思います。少なくとも柏崎刈羽原発では同じように地震調査委員会が、2004年10月13日付で、長岡平野西縁断層帯について「長岡平野西縁断層帯は、全体が1つの区間として活動した場合、マグニチュード8.0程度の地震が発生する可能性がある。」「今後30年の間に地震が発生する可能性が、我が国の活断層の中ではやや高いグループに属することになる」という内容の報告書を発表していました(報告書はこちら)が、安全審査ではそのような地震は想定していません。
 要するに、この金沢地裁判決の判断からすれば、ほとんどの原発訴訟について、住民側が勝訴することになります。
 それにも関わらず、これまで全ての原発訴訟で、耐震設計、最大想定地震の不十分性について、裁判所は住民側の主張を退けてきたのです。例えば東海第二原発訴訟の控訴審判決では、阪神大震災の時に観測された岩盤中の最大速度観測データが金井式の数値を超えているという住民側の指摘に対して、住民側の指摘したデータは地表のデータだと明らかな誤認をして(本来誤認しようがないんですけどね)退けました。柏崎刈羽原発訴訟の控訴審判決では、政府の地震調査委員会の最新の報告よりも30年も前の東京電力の評価を優先しました。六ヶ所村のウラン濃縮工場の1審判決では、最大想定地震の想定や耐震設計が十分でない点について、ウラン濃縮工場は潜在的危険性が低いから厳重な耐震設計の必要性がないと判示しました。
 もんじゅ訴訟の控訴審判決は、高速増殖炉の危険性について踏み込んで判断した画期的なものでしたが、それでも、実は、地震については住民側の主張を全て退けていました。他の原発訴訟に波及する地震の論点では住民側の主張を採用せず、あくまでも高速増殖炉(それも実用化されていない開発中の原子炉)特有の問題を強調して、他の原発訴訟には影響を与えないという配慮をしての判決だったわけです。
 しかし、この金沢地裁判決は、そういうある種政治的な配慮をせずに、真正面から大地震の際の原発の危険性と(最大地震を予め確実には予想できない)地震学の限界を判断しました。このことを見ると、まさしく、ようやく日本の原発裁判でも、政治的な配慮なしに証拠上当たり前に勝敗を判断する時代が来たことを感じたのです。もちろん、個別の裁判ではいろいろぶれることも不当判決もあるでしょう。でも、もう原発訴訟だから、商業用原発だから絶対に裁判に勝てないという時代は終わったのです。
 自分が担当している原発訴訟もこの金沢地裁判決に続けるようにがんばりたいと、決意を新たにしました。
東海第二原発訴訟最高裁判決へのコメントはこちら
柏崎刈羽原発訴訟控訴審判決へのコメントはこちら
もんじゅ最高裁判決へのコメントはこちら

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