たぶん週1エッセイ◆
映画「スカイ・クロラ」
ここがポイント
 ショーとしての戦争のための消耗品で、戦死しない限り降りられない立場に置かれたとき、人は命や生き甲斐をどう考えどのような死生観を持つかがたぶんテーマだが、どこかぼやけた感じがする
 メインのキャラたちではなく、整備士長の笹倉さんが一番落ちついていて、りりしい

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 平和を実感させるための「ショーとしての戦争」に従事する「キルドレ」と呼ばれる歳をとらない若者たちを描いたアニメ「スカイ・クロラ」を見てきました。
 平日のミラノ1ですから、封切り7日目でしたがやはりガラガラでした。

 映像は、メカオタクとフライト・シミュレータファンが喜びそうな、CGを駆使した風景と飛行機に、人とか建物は手書きアニメの組み合わせ。タイトルもあって、空の画はけっこう染みましたが。
 アニメ部分の人の顔で、気がついたこととしては、司令官の草薙水素が正面を向いたまま長くしゃべるシーンがあるのですが、しゃべっている間、口だけを動かしていて、これってけっこう変。人間はしゃべってたら口以外も動くはずですよね。
 アニメの画で感心したのは、予告編にもある函南優一の同僚パイロットが新聞をたたむシーン。四つ折りにして少しふわっとしている新聞紙をきちんと折り目を付けて行く画って、曲面から平面へと文字の載ったものをずらしていくことになってアニメにするのけっこう手間がかかるんじゃないかと思います。舞台が明らかにヨーロッパなのに日本の新聞を読んでいるのも何だかなぁですが。

 平和が実現された社会で、平和のありがたみを実感させるためにどこかで現実に戦争が行われている必要があるとして、戦争請負会社のロストック社とラウテルン社が永続的に戦争を続け、その戦争には遺伝子操作で永遠に青年のまま老化しない「キルドレ」が従事するという設定です。この「キルドレ」は、遺伝子操作により作られるのですから赤ちゃんから成長しそうなものですが、射殺されたキルドレに新たな記憶が植え込まれて別のキルドレとなったり、戦死したキルドレと同じクセを持つ新たなキルドレが現れたりします。そうなると成長している時間もないですし、体はどうするんでしょうか。サイボーグではないようですし。記憶は継承しないとすると「同じクセ」はどうして?そういうあたり説明はないので、結局キルドレがどうやって作られるのか、死んだキルドレの後釜は前任者とどういう関係になるのか、今ひとつわかりませんでした。
 ショーとしての戦争のための消耗品と位置づけられ、しかも老化しないから戦死しない限り降りられない「キルドレ」という立場に置かれたとき、人は命や生き甲斐をどう考えどのような死生観を持つかというあたりがたぶんテーマなんでしょうけど、キルドレの位置づけが今ひとつはっきりしないのでそのテーマもぼやけた感じがします。

 登場人物が、司令官の草薙水素とパイロットたちは「キルドレ」ですが、画にも声にもどうも覇気がない。草薙水素は毅然としたところも激情に走るシーンも超然としたところもあるのですが、どこか不安げでアンバランスというか捉えどころがない。函南優一はエースパイロットとされているのですが、強い意志を感じさせません。最後戦争相手のラウテルン社のエースパイロット「ティーチャー」に挑むときも、普通に行けば草薙水素から戦争を継続するために超えられないルールとしてティーチャーは撃墜できないようになっていると説明されてそれを壊しに行くという意気込みがあるはずですが、なにかそうではなくてキルドレの自分を終わらせたくて死にに行ったのかとも思えてしまいます。
 登場人物で一番存在感があるのは、整備士長の笹倉さん。この人が一番落ちついていて、りりしい。

 エンドロールが終わった後、ちょっとだけ続きがあります。それを見ずに帰っても大きな違いはなく、ある程度予想されたことをはっきり確認しているだけとも言えますが、でも笹倉さんのやりきれない様子、草薙水素の淡々とした様子は見ておいていいかと思います。

(2008.8.8記)

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