たぶん週1エッセイ◆
映画「運命のボタン」
ここがポイント
 スチュワードの「雇い主」やその多数の従業員たちの正体・構造が、あまりにも荒唐無稽
 「究極の選択」が、果たして誰の選択なのかがこの映画の約束上あいまいになってしまうため、一番考えさせられる点で焦点がぼけてしまう

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 キャメロン・ディアス主演のサスペンス映画「運命のボタン」を見てきました。
 封切り2週目土曜日午前中は、2〜3割くらいの入り。

 医療過誤で片足の指を失った大学講師のノーマ(キャメロン・ディアス)とノーマの足を治したいと願っているが十分な収入がないNASAの研究者アーサー(ジェームズ・マースデン)夫婦の前に、ある朝箱が届けられた。夕方現れた頬に深い傷を負った男スチュワード(フランク・アンジェラ)は、その箱のボタンを押すと知らない誰かが死に、100万ドルを受け取ることができる、制限時間は24時間と説明した。最初はアーサーは本気にせず、ノーマもためらっていたが、制限時間が近づき、ノーマはボタンを押し、スチュワードは100万ドルを持ってノーマの元を訪れた。その日NASAの職員ジェフリー・カーンの妻が心臓を撃ち抜かれて死に、ジェフリー・カーンは消息不明となった。アーサーは銃声がした時刻がノーマがボタンを押した時刻と同じだと知り、真相を知ろうとするが・・・というお話。

 予告編や広告からすると、金のために見知らぬ誰かの死を引き起こしてよいのかという「究極の選択」に悩む人間ドラマかと思いましたが、ボタンを押すまでは比較的あっさり目でむしろその先に「サスペンス」ともう一つの究極の選択がという作りでした。
 ただサスペンスとしては、スチュワードが決して教えないというスチュワードの「雇い主」やその多数の従業員たちの正体・構造が、あまりにも荒唐無稽で、ほとんど「スリル」を感じられません。それだけの科学力を持ちながら、何でこんなまわりくどいまどろっこしいことしてるのかの説明もほとんどなく、そういう全体構造に説得力がまるでないため、どうも展開にのめり込めませんでした。
 そしてこの映画のたぶん一番のポイントとなる究極の選択が、果たして誰の選択なのかがこの映画の約束上あいまいになってしまうため、一番考えさせられる点で焦点がぼけてしまいます。その理由を説明すると、もろにネタバレになるので、言い方が難しいんですが、ジェフリー・カーンの妻が殺害されたのは誰の選択なのか、殺害者には選択の余地があったのか、それともノーマの選択によってすべてが決まり殺害者には選択の余地はなかったのか、ここが不明確です。殺害者自身は自分が選択したという認識を説明しています。他方、ノーマも自分でボタンを押すことを選択しています。殺害者に自由意思による選択があるのならボタン装置の前提が崩れます。殺害者に選択の余地がないのなら究極の選択にならず終盤に感慨も感動もなくなります。
 繰り返しサルトルの「出口なし」が引用されるところからは、最初の選択がすべてだったと解すべきなんでしょうか。しかし、ノーマの境遇を考えると、それはちょっと酷だと思いますが。それも「不条理」がテーマでしょうか。

 かつてラブコメの女王と呼ばれたキャメロン・ディアスが、ここのところ母親役が続き、それも笑顔よりも眉間に皺寄せたような(実際には眉間には皺が出ないんですけど)表情が目立つ役なのは、ちょっと哀しい。メリル・ストリープなんて老けて太っても(むしろ老けてからかも)笑顔で勝負してるのに。

(2010.5.15記)

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