たぶん週1エッセイ◆
映画「時をかける少女」

 母親がかつての想い出を手がかりに開発したタイムリープ薬で母のメッセージを伝えに1974年にタイムリープした少女がそこで出会った青年と恋する恋愛映画「時をかける少女」(2010年版)を見てきました。
 封切り4週目土曜日午前中は3〜4割くらいの入り。観客層は、原作と時代設定を反映した中高年層とアニメ版や俳優を反映した若者に2極化された感じ。

 薬学者となった芳山和子(安田成美)は、仕事の傍ら密かにタイムリープ薬を開発していたが、ある日友人の浅倉吾朗(勝村政信)から中学生時代の写真を渡されて、中学生時代に遭遇した深町一夫(石丸幹二:写真は違うと思うけど)との記憶が一部蘇り、ぼぅっとしていたところを交通事故にあう。和子の一人娘あかり(仲里依紗)は、意識が戻った母から1972年4月の土曜日の実験室にタイムリープして深町にメッセージを届けるよう頼まれて母の研究室に忍び込みタイムリープするが、間違えて1974年2月に来てしまう。そこで出会ったSF映画オタクの青年溝呂木涼太(中尾明慶)とともに2年前に世田谷西中学3年生だったはずの深町一夫を捜すが、深町の痕跡はなく、高校生になっていた芳山和子(石橋杏奈)を見つけるが当の本人も深町のことを知らないという。途方に暮れながら、涼太の下宿に居座り、涼太とその仲間たちの映画作りに立ち会ううちにあかりは涼太に惹かれていき・・・というお話。

 いかにも現代っ子のあかりと、いかにも初心な涼太の2010年と1974年のカルチャーギャップ、そして1974年組も、学生にしては大人びたちょい悪親父っぽいゴテツ(青木崇高)と、当時の基準でも初心な涼太、当時の基準でも古風な和子のギャップで、人間関係の深みとコミカルさを出し、様々な年齢層を狙っている感じがします。基本的には、神田川(かぐや姫)と春だったね(吉田拓郎)が繰り返し登場し、私より少し前の全共闘に少し乗り遅れた世代がコアなターゲットとなる感じではありますが。
 タイムリープ(タイムトラベル)が「薬」によってできるという設定には、私の子どもの頃の薬万能の期待に満ちていた時代の記憶を呼び覚まされます。アニメでも薬を飲むことで赤ちゃんや大人に変身できる「ふしぎなメルモ」とか、ありましたし。当時は既にサリドマイド禍やスモンなどの薬害も起きていたのですが、まだメディアの中では製薬会社の売る夢が圧倒的だったのですね。
 時代というと、深町一夫ことケン・ソゴルは、2698年からやってきたというのですが、出てくるコンピュータのインターフェイスがほとんどiPadを透明にしたレベルなのは笑ってしまいます。今から688年経ってもまだ四角いボードを持たなきゃコンピュータにアクセスできないって、SFとしても想像力がなさ過ぎ。2030年くらいの設定ならわかるけど。

 SFとしてみると、かなり無理があり、映画の中で涼太が撮っているSF映画「光の惑星」の観客から見たちゃちさ加減は、制作サイドの自己認識・言い訳でもありましょう。
 ただ、そのSF映画の使い回しや、原作の踏まえ方、あかりと父親の関係とか、巧みに仕組んである感じがします。
 SFとしてよりも、設定の荒唐無稽さは度外視して、人間ドラマとして見ることができれば、現代っ子のあかりと初心な涼太のラブ・ストーリーと、あかりがタイムリープでかいま見るあかりの両親の青春時代とそれに対するあかりのまなざしなどが見どころの映画だと思います。

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