◆たぶん週1エッセイ◆
  あぁ、もんじゅ最高裁判決

 もんじゅ訴訟について、最高裁は、2005年5月30日、住民側を逆転敗訴させる判決を言い渡しました。
 判決を一読して感じたのは、安全審査に対する視線の違いです。原発訴訟で初めて住民側の勝訴となった名古屋高裁金沢支部の判決(判例時報1818号に掲載されています)は、安全審査の外側から、これで十分に安全性が確保されたと判断できるのかという視線で判断していました。最高裁の判決は、安全審査を内側から、安全審査をした側の論理に沿って見ていって不合理といえるかという視線で見ているように思えます。基本的に、そういう見方で「不合理」と判断されることは、まず、ないと思います。
 判決の内容は、法的な判断は少なく、極めて科学技術的な記述が延々と続いています。その意味で、一般読者にはつらいものがありますし、私は「もんじゅ」訴訟には関与していませんので、読みが不正確な点もあるかも知れませんが、少し踏み込んで検討してみます。

 なお、最高裁の判決は、最高裁のサイトで読むことができます。これまでは「最近の最高裁判決」で読めましたが、いつの間にか「最近の最高裁判決」から消されていました。それより前の判決は残っているのに。移転先はこちら。これもしばらくしたらリンク切れにされるんでしょうかね。(この部分2005年12月7日追記)

  もんじゅ訴訟の争点

 もんじゅ訴訟の争点は、ナトリウム漏洩事故対策の合理性、蒸気発生器伝熱管破損事故の解析条件の合理性、暴走事故評価の合理性の3点に絞られていました。

  ナトリウム漏洩事故対策

 高速増殖炉の炉心を冷却するのに使っている液体ナトリウムは、空気中に出ると激しく発熱(燃焼)します。この液体ナトリウムがコンクリート床に接触して本格的な反応が起こると炉心を冷却する系統の冷却能力が低下して、炉心溶融等の大事故に至る危険があるとされています。もんじゅの設計では、床に鋼製のライナーを貼ることで、ナトリウムが漏洩して発火してもコンクリートと接触しないとされています。
 しかし、1994年12月8日、もんじゅでナトリウム漏洩事故が起こり、動燃が行った再現実験でナトリウムが床ライナーを貫通するという事態が起こりました。ナトリウムの漏洩量が中小規模の方がかえって温度が高くなり「溶融塩型腐食」という現象で床ライナーが貫通しやすいということが、その時初めてわかったのです。安全審査の時には、そんなことは知られていませんでしたから、当然、検討もされませんでした。
 最高裁は、この問題について、安全審査の対象とされる「基本設計」の範囲も原子力安全委員会が決めることができ、この問題は「基本設計」ではなく「詳細設計」の問題とされ、原子力安全委員会がそう判断したことは不合理ではないと述べています。
 ちょっとわかりにくいと思いますので、少し説明しますと、原子炉の設置のための手続は、最初に「原子炉設置許可」があり、その後「設計及び工事方法の認可」等があります。一連の手続の中で最初の「原子炉設置許可」の段階でだけ、専門家の原子力安全委員会の安全審査が法律上義務づけられています。「設計及び工事方法の認可」等の後続の手続は担当行政庁だけで決定することができるのです。もんじゅ訴訟も含めて原子力施設についての行政訴訟はすべてこの最初の「原子炉設置許可」(核燃料サイクル施設の場合は「事業許可」等の呼び方ですが)を争っています。
 最高裁は1992年の伊方原発訴訟判決で、原子炉設置許可処分の安全審査の対象は「基本設計」のみに限られると判断しました。設計については、「詳細設計」は「設計及び工事方法の認可」の段階の問題だというのです。法律が「原子炉設置許可」についてだけ原子力安全委員会の安全審査を義務づけていることから考えれば、安全上大事なことはこの安全審査で検討しておく必要があると考えるのが普通です。伊方判決の立場に従っても、「基本設計」の範囲は法律の趣旨(法律が原子力安全委員会の安全審査を義務づけている趣旨)から判断すべきです。
 それをもんじゅ最高裁判決は、原子力安全委員会が自由に決めていいというのです。それも、もう十分に解明された現象で専門家が検討しなくても行政庁だけで十分対策が立てられると原子力安全委員会が判断して任せたのであれば、そういう考え方もできるかも知れません。しかし、この場合は、原子力安全委員会も、中小規模の漏洩でかえって温度が高くなって床ライナーが貫通するということは、知らなかったのです。わかっていて任せたのと、知らなかったから判断もできなかったのでは、全く事情が違います。
 そして最高裁は「床ライナの板厚等の具体的形状次第では漏えいナトリウムとコンクリートとが直接接触することを防止することが可能であるというのであれば」安全審査で検討しなくても不合理とはいえないというのです。後の手続で事故が防止できる可能性があれば、安全審査しなくてもよいというのです。後の手続で現実には防止できなければ、それは後の手続の問題だというのです。高裁判決は、後の手続の設計次第では事故が起こりうるのなら安全審査で検討しておく必要があるという考えでした。原子力安全委員会の安全審査を義務づけている法律の趣旨を考えれば、設計次第で危険にも安全にもなる難しい問題は、原子力安全委員会の安全審査で解決しておくべきだと考えるのが当然でしょう。「床ライナーの板厚等の具体的形状次第では」というのなら、原子力安全委員会の安全審査で最低板厚は示しておくのが当然でしょう。最高裁の言いぐさは、いかにも小役人的な世界の観念論に思えます。

  蒸気発生器伝熱管破損事故解析

 蒸気発生器伝熱管破損事故については、高速増殖炉では多数の伝熱管が破損すると炉心溶融や暴走事故といった大事故になる危険があります。安全審査では、少数の伝熱管が比較的ゆっくりと破損するパターンのみを検討し、「高温ラプチャ型破損」という多数の伝熱管が急速に破損するパターンは検討しませんでした。
 高裁判決は、蒸気発生器伝熱管破損の時に急速ブロー系機器が故障した場合、「高温ラプチャの発生はほぼ避けられない」と認定しています。最高裁判決もその点は否定していません。しかし、最高裁判決は、原子力安全委員会の指針で想定する「単一故障」は「原子炉停止、炉心冷却及び放射能閉じ込めの各基本的安全機能を直接果たす」設備についての故障であり急速ブロー系機器は直接にこの機能を果たす設備でないから、その故障を想定しなくてよいというのです。本来故障を想定すべき重要な機器よりも重要度が低い機器の故障でとんでもない事態が起きることがわかっていても、それは指針で書いてないから故障を想定しなくてよいというのです。ちょっと目を疑います。最高裁は急速ブロー系機器が信頼性が高いという認定もしていません。ただただ指針の故障想定対象でないから検討しなくてよいというのです。これまた小役人の詭弁と思えます。最高裁の伊方原発訴訟判決では審査に用いられた基準自体が不合理であるかも司法審査の対象であることが明言されていました(もんじゅ最高裁判決でもその部分も一応引用はしています)。もんじゅ最高裁判決では、まるで原子力安全委員会の指針が法律以上の絶対のものであるかのように扱い、指針が不合理ではないかということは全く検討もしていません。

  暴走事故の評価

 暴走事故の評価についても、最高裁は、指針が技術的観点からは起こるとは考えられない事象をあえて想定するとしていることを理由に、その発生頻度は無視し得るほど極めて低いものと位置付けてよいなどと述べています。ここでも指針が絶対で、それが合理的といえるかは検討さえされていません。
 全体としていえば、事故が十分防止できるというところまで安全審査で検討しきれなかった以上は、違法としたのが高裁判決。原子力安全委員会は、自分で決めた指針に従って、自分が審査したいと思った範囲だけ審査すればよく、その範囲内で不合理と立証されない限り違法とは判断されないとしたのが最高裁判決。市民/庶民の安全が頭の片隅にでもあればどちらになるかは、明らかですね。

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