庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ
ハリー・ポッターと謎のプリンス(映画)
 2009年7月26日、「ハリー・ポッターと謎のプリンス」を見てきました(「不死鳥の騎士団」までは力入れて「先行上映」に行ってましたけど、今回は封切り2週目。パッションが落ちてます。今回は「先行上映」自体なかったけど)。
 封切り2週目日曜日午後で、まだ9割くらいの入り。観客の年齢層は、思いの外高い感じでした。字幕版を見たからでしょうか。
 その後、封切り4週目日曜夕方の吹き替え版も見てきました。こちらは3割くらいの入り。お子様連れは日曜の夕方はあまり来ないか。
 やっぱり映画にするには原作が長すぎるんでしょうね。これまではかなり無理してもエピソードを詰め込んできましたが、今回は、ストーリーの展開に必要な限度でしかエピソードを入れないという姿勢のように思えます。
 特に、原作では、ストーリーというか読者の興味(いや、ハリーとダンブルドアの興味かも)の根幹となる、ヴォルデモートの過去をめぐるシーンを大幅にカットして孤児院のシーンとホークラックス(分霊箱)の会話のシーンだけにまで削り落としたのはビックリ。モーフィンもメローピーも、ゴーント一族が全く出て来ず、ゴーントの指輪の説明さえない!(原作を読んでいない方は気にせず読み飛ばしてください)
 確かに、原作を読んでいてもヴォルデモートの過去に関する部分は陰うつで今ひとつ読んでいて楽しくないし、映像化しても華がないことは間違いないですが、でもここまで削る?
 タイトルにまでした「謎のプリンス」も、そもそもプリンスの謎を解こうとするシーンもなく(ハーマイオニーが図書館で調べてみたけど何もなかったと一言いうだけ)、それが明かされるシーンでも、なぜその人物がHalf−blood Prince(松岡訳の「半純血のプリンス」って訳語はちょっと・・・)なのかの説明が全くありません。
 「アズカバンの囚人」「炎のゴブレット」「不死鳥の騎士団」で、原作で何度も叫ばれながら映画では一度も触れられなかった「ホグワーツでは姿くらましができない」というエピソードが、「謎のプリンス」になって初めて入りましたが、それも、それを言っておかないとマルフォイが「姿をくらますキャビネット」の工作をする必要性が出て来ないためですし。しかも、その場面、ハリーが「学校では姿現わしはできません」と言ったのに、ダンブルドアが「ワシだけは特別での」と答えています。こう言ってしまうと、映画でも「秘密の部屋」でドビーがホグワーツで姿くらましをしていますから、ダンブルドア以外はホグワーツでは姿現わし・姿くらましができないはずなのに、どうしてドビーはできたのかという疑問がクローズアップされてしまいます(原作では「死の秘宝」で解説されていますが、原作の解説はダンブルドアの「ワシだけは特別」という台詞とはフィットしませんから、映画の「死の秘宝」ではどう説明するつもりでしょうか)。

 他方、エピソードをかなり削ぎ落としたわりには、ハリーがウェイトレスにナンパされるシーンとか、レストレンジらが隠れ穴を襲撃するシーンとか、原作にないシーンが追加されてました。隠れ穴がなくなったら、ウィーズリー家はどこに住むんでしょう。それに、「死の秘宝」の旅の始まりはどこからになるのか、また原作を変えなきゃならなくなると思いますけど。
 ホグワーツ特急でマルフォイに叩きのめされて透明マントを掛けられたハリーを助けるのがルーナになっている(原作ではトンクス)のは、人気が出たルーナの出番を増やすためだろうと推測できましたが。

 登場人物の恋愛関係が、ようやく原作通りになってきて、ハーマイオニーがロンへの思いを映画でもはっきりさせるようになります。それでもなお、ハリーが隠れ穴に現れたときにハーマイオニーがハリーに抱きつく抱擁シーンを作ったり、ダンブルドアにハリーとハーマイオニーの関係を疑わせる台詞を言わせたりするのが未練たらしいですけど。

 これまで三面鏡付きの大きな洗面台だったペンシーブが、ようやく原作通りの浅い水盆になったのはホッとしましたけど。

 「死の秘宝」は2部作になって、第1部が2010年11月、第2部が2011年夏って、またずいぶんと引っ張りますね。17歳のハリー・ポッターを演じるダニエル・ラドクリフは22歳になってしまいます。せめて予定通りに進めばいいですが。
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(2009年7月27日記、2009年8月9日吹き替え版でも見て訂正)

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