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   ◆活動報告:原発裁判(JCO臨界事故)◆

  3 過去の違法操業

  3.1 はじめに

 JCOの違法操業は、転換試験棟だけで行われていたわけでも、1984年の転換試験棟の加工事業許可後に始められたものでもない。JCOの主力施設であった第一加工施設棟でも第2加工施設棟でも1984年の転換試験棟の加工事業許可前から違法操業が行われていた。転換試験棟でも、1984年の加工事業許可前の段階(核燃料使用施設)で許可条件であった1バッチ縛りも無視した操業が続けられていた。臨界事故後有名になった仮設配管での操業も、バケツ操業も報道された時期からではなくそれ以前から行われていた。直接臨界事故の原因となった沈殿槽のハンドホールからのウラン溶液の投入でさえ、かなり以前から度々行われていたのである。

  3.2 転換試験棟以外の違法操業

   3.2.1 第1加工施設棟

 捜査機関の検証等により取りまとめられたところでは、1980年以前から以下の違法操業が行われていた。
 8酸化3ウラン粉末の溶解(溶解工程)では、許認可上は溶解塔で溶解した溶液は加水分解塔を経て加水分解液貯槽に移送されることとなっているが、許認可にない可動式のレシーバータンクを設けて溶解塔からレシーバータンクへの2系統(ガドリニウム入りとガドリニウムなし用)の仮設配管工事をして溶解塔からレシーバータンク経由で加水分解液貯槽に移送していた。
 溶解槽の排気のNOx除去効率を上げるために許認可なくバブリングボックスを2基設けていた
 溶媒抽出工程で定量ポンプのエアチャンバーからの液の抜き取りに許認可に記載のないステンレスバケツを用いていた。ステンレスバケツは検証前に撤去されていた。
 溶媒抽出工程でエアチャンバーから抜き取った液を溶媒抽出工程に戻すために許認可なく追い出し用水洗タンクと称する小型ステンレス容器を設置していた。
 抽出塔からTBP洗浄槽に送液する配管が許認可上はバルブで切り替えることになっているが2系統を仮設配管の付け替えで切り替えるように勝手に工事していた。
 溶媒抽出工程及び沈殿工程で、クリーニング用の中継タンクとして許認可にないポリタンクを使用していた。
 沈殿工程で固液分離器からリップリング液貯送に送液する配管が許認可上はステンレス配管なのにプラスチック樹脂配管に勝手にかえられていた。
 
 さらに臨界事故当時の東海事業所所長の越島氏の供述によれば、二酸化ウランを収納する缶が粉末を混合機に移す際にハンマーで叩いて出すなどしていたので凸凹になっていて形状管理されていない状態になっている、設計及び工事方法の認可で認可された数以上の缶がある(従って認可を受けていない缶がある)、6フッ化ウラン漏洩検知のフッ化水素モニターがリーク後30秒以内では作動しない等の問題があった。
 また、第1加工施設棟でも次のように沈殿槽ハンドホールを利用して通常の工程にない処理をしていた。
 当初(1972年頃から)第1加工施設棟の沈殿槽には流量計しかついていなかったので貯槽内の硝酸ウラニル溶液の濃度を測定して沈殿槽に移送する液量を計算し流量計を確認しながら送液を行い所定の量になったら手作業で送液を止めるという手作業をしていた。時々間違って送液を止め忘れて所定量以上の硝酸ウラニル溶液が沈殿槽に入ってしまうこともあり、その時はモノフレックスポンプという持ち運び可能な小型ポンプをハンドホールから差し込んで溶液を抜き取っていた。数年後流量計の他にバッチカウンターが設置され送液すべき量をセットすれば自動的にポンプが止まるようになったが、送液すべき量は測定した濃度から計算で求めていたので計算間違いをして所定量以上の溶液が送られることもあった。この場合モノフレックスポンプで抜き取りをしていた。
 10年程前までは、抽出塔や逆抽出塔のクリーニングの際に濃度の薄い硝酸ウラニル溶液ができるのでそれを処理するために濃縮沈殿をしていた。そのやり方は、濃度の薄いウラン溶液を沈殿させて重ウラン酸アンモニウム層と水層に分離したところでハンドホールからモノフレックスポンプを入れて水層の水を抜き取り、残った重ウラン酸アンモニウムに硝酸を加えて硝酸ウラニル溶液にしてそこにまた濃度の薄い硝酸ウラニル溶液を加えて沈殿させることを繰り返すというものだった

   3.2.2 第2加工施設棟

 捜査機関の検証等により取りまとめられたところによれば、1985年頃から以下の違法操業が行われていた。
 溶解工程で溶解槽へのウラン粉末の投入は許認可上は気流搬送(吸引)によるとされているのに、許認可にないグローブボックスを設けてその中で袋を開けて投入していた。
 溶媒抽出工程で定量ポンプのエアチャンバーからの液の抜き取りに許認可に記載のないステンレスバケツを用いていた。ステンレスバケツは検証前に撤去されていた。
 溶媒抽出工程でエアチャンバーから抜き取った液を溶媒抽出工程に戻すために許認可なく追い出し用水洗タンクと称する小型ステンレス容器を設置していた。
 溶媒抽出工程で、クリーニング用の中継タンクとして許認可にないポリタンクを使用していた。
 
 臨界事故当時の製造部計画グループ長である小川氏の供述によれば、クリーニングの際に出た濃度の薄いウラン溶液などを第2加工施設棟の2階から1階に運ぶのが大変なので第2加工施設棟の2階と1階を結ぶ仮設配管を設けた。
 第2加工施設棟でも次のように沈殿槽ハンドホールを利用して通常の工程にない処理をしていた。
 第2加工施設棟の沈殿槽の場合は(1988年か1989年頃までには)プロセスコンピュータが導入されており、作業員が硝酸ウラニル溶液の濃度を測定してその濃度を打ち込めば自動で送液が始まり所定量の送液が終わればポンプが止まるようになっていた。しかし、プロセスコンピュータが時々異常を起こして所定量以上の硝酸ウラニル溶液が沈殿槽に入ってしまうこともあった。そのような場合沈殿槽のハンドホールにモノフレックスポンプを差し込んで溶液を抜き出していた。

  3.3 転換試験棟での違法操業

   3.3.1 使用施設(12%濃縮ウラン)時代:常陽第1次、第2次

 12%濃縮ウランの使用施設としての転換試験棟は、全工程で1バッチ縛り(1バッチを加水分解・溶媒抽出・沈殿・仮焼・還元・混合までの全工程を経て貯蔵に出すまで次の1バッチを工程に入れない)であった。
 しかし、この使用施設としての転換試験棟で行われた常陽第1次、第2次の粉末製造では、1バッチを加水分解しながら同時に1バッチを還元する、1バッチを溶媒抽出しながら1バッチを混合するという形で、工程内に2バッチのウランが存在する状態で操業していた。
 もっとも、この当時の主任の供述によれば、このころの転換試験棟では溶媒抽出は1バッチずつ行いそのたびに工程を止めて操業しており、第3次以降のような連続操業はしていなかった。このように1バッチ溶媒抽出しては一旦工程を止めて抜き出す作業をするとウラン溶液の濃度が低くなり沈殿条件に合わなくなることがあった。その場合には濃縮沈殿を行っていた。濃縮沈殿の方法は、第1加工施設棟で行っていたのと同様、濃度の薄いウラン溶液を沈殿させて重ウラン酸アンモニウム層と水層に分離したところで沈殿槽のハンドホールからビニールポンプを入れて水層の水を抜き取り、残った重ウラン酸アンモニウムに硝酸を加えて硝酸ウラニル溶液にしてそこにまた濃度の薄い硝酸ウラニル溶液を加えて沈殿させることを繰り返すというものだった。それ以外に余った製品ウラン粉末をビーカーで溶解して沈殿槽のハンドホールから注ぎ込んでウラン溶液の濃度を高くしたこともあった。
 使用施設としての転換試験棟では、原料は6フッ化ウランのみであり(8酸化3ウラン粉末を原料とすることは想定していなかった)、工程は常に加水分解から始まり、粉末を溶解する装置(溶解塔)はなかった。製造した二酸化ウランがスペックにあっていなかったり、仮焼炉に入れる際にこぼしてしまったりして精製をやり直す必要が生じたときには、ステンレスバケツで溶解してポンプで抽出工程に入れていた。
 また、粉末製品について1バッチ以上の混合均質化を求められたときには、製品缶を並べて二酸化ウラン粉末を少しずつ製品缶に分配するクロスブレンドを行っていた。
 このように、使用施設としての転換試験棟の時代にも、既に許可条件の1バッチ縛りに違反し、沈殿槽のハンドホールから硝酸ウラニル溶液を投入したり、バケツでウラン粉末を溶解するなどの違法操業が行われていた。

   3.3.2 加工施設としての転換試験棟の操業開始

 転換試験棟は、1984年6月20日に加工事業変更許可を受け、1984年7月6日に設計及び工事方法の認可申請、7月20日に認可を受け、8月に着工した。11月19、20の両日、施設検査を受け、12月10日、合格証の交付を受けた。
 その後、1985年2月から6月に劣化ウラン試験を行い、8月に操業開始となった。

   3.3.3 常陽第3次製造

 加工事業としての許可後初めての操業となる常陽第3次製造(粉末製造)は、1985年8月26日に最初の溶解工程を開始した。この初日の操業記録では、6バッチの酸化ウラン粉末を溶解し、2バッチを沈殿、そのうち1バッチを仮焼している。その結果、この日の操業終了時点で4バッチの硝酸ウラニル溶液が沈殿槽以前の工程に残っていたことになり、操業初日から複数バッチ運転をしていたことがわかる。
 しかも、この操業は、常陽第1次、第2次と異なり、溶解・抽出工程に前のバッチがあるのに次のバッチをそのまま入れて前のバッチのウラン溶液を次のバッチのウラン溶液で押し出す(実際にはバッチの区切りがない)連続操業であった。
 転換試験棟では、この後も日常的に複数バッチを連続的に投入する連続操業を続けていた。
 常陽第3次製造では、納品された原料粉末が輸出元で実施した不純物分析表でもJCOの分析結果でも既に不純物が少なく動燃の要求するスペックを満たしていた。そこでJCOは抽出工程を省略して溶解塔で溶解して直接に貯塔に送り、沈殿、仮焼、還元をして納品することにした。この溶解塔での溶解後貯塔に送液する際には、転換試験棟の加工事業許可による変更工事の際に設けられた溶解塔から貯塔への直通配管を用いた。

   3.3.4 常陽第4次製造

 常陽第4次製造は、従前からの粉末製品に加え、溶液製品も発注された。粉末製品の製造は1986年10月17日から1987年6月23日、溶液製品の製造は1986年11月25日から1988年2月19日まで行われた。
 常陽第4次製造のためにドイツのNUKEM社から納入された8酸化3ウランは精製するまでもなく当初から動燃の要求したスペックを満たすものであることが発送書の記載から明らかであった。そこでJCOは粉末製品については第3次製造と同様に溶媒抽出工程を省いて溶解塔で溶解して直接に貯塔に送り、沈殿、仮焼、還元をして二酸化ウラン粉末にしてクロスブレンドにより混合均一化して納品することにした。また、溶液製品については第1工程を省略して第2工程(再溶解、混合均一化)のみを行うことにした。もちろん、JCOはこのことを動燃には伝えなかった。
 溶液製品の製造は初めてであったため、JCOでは溶解塔での溶解テストを行い第2工程の溶解を行ったが、1バッチ目はうまく溶解できず、9バッチ目までは動燃の要求する濃度に達しなかった。10バッチ目以降は動燃の要求する濃度になり、その後はうまく溶解できるようにようになった。うまく溶解できなかった1バッチ目は沈殿槽にそのまま投入して粉末製品として納品した。
 溶液製品の混合均一化は、動燃から1ロット(6バッチないし7バッチ)の混合均一化を求められ、粉末ではクロスブレンドの方法でやっていたことから、溶液でもクロスブレンドで行うことになった。
 常陽第4次製造では、原料に不純物が少なかったため粉末製造と溶液製造を同時並行で行うことができた。本来は原料に不純物が多く(だからこそ精製を行う)、粉末製造の工程や溶液製造の第1工程で使用した溶解塔を溶液製造の第2工程で使用するためには、十分に洗浄して不純物を除去しなければならない。しかし、元々不純物が少ない原料だったので粉末製造に使用している溶解塔を洗浄せずにすぐ溶液製造の第2工程にも使用できたのである。そのためJCOの契約担当者は、溶液製品の納品について1ロットあたり7日でできると動燃に伝えた。常陽第4次製造では第1工程を省略し、第2工程だけであり、また溶解塔も粉末製造で使用しているものをすぐに洗浄せずに使用することができた。それで1ロット平均4日ほどで製造できたのであるが、本来の工程を前提とするとおよそ不可能な日程であった。このことが第6次製造以降でJCOの首を絞めることになった。
 なお、第4次製造から第6次製造までの間転換試験棟の主任であった垣内氏は、混合均一化に貯塔を用いることについて、「最初貯塔に入れることを考えましたが、貯塔に配管を取りつけることは許可を取ることになるので、そのようなことをやっていると時間がかかり、操業が始まれないことや、配管をすれば、後々配管が腐食してピンホールが出来て熱いウラン液を被るようなことになり危ないと考えて、貯塔に替わって安全な容器でやった方がよいと思い」ステンレス製の特注ビンを作成してクロスブレンドを行ったと述べている。しかし、溶解塔から貯塔への直通配管は転換試験棟の加工施設としての変更工事時点で付けられており、前任の主任はこの直通配管の存在を認識していたし、第4次製造でも粉末製品の製造では溶解塔から抽出工程を省略して直接貯塔に送っていたのだから直通配管を使ったはずであり、信用できない。他の証拠から見て第4次製造の際の混合均一化で貯塔ではなくクロスブレンドを行ったことは事実と思われるが、どうしてこういう事実に反する供述をしているかには疑問がある。

   3.3.5 常陽第5次製造

 常陽第5次製造は粉末製造のみであり、1988年7月19日から1989年4月12日まで行われた。

   3.3.6 原研粉末製造

 1991年7月頃、原研の依頼で1.5kgの8酸化3ウラン粉末(濃縮度19.05%)を2酸化ウラン粉末に精製することになった。この際、精製するウラン量が非常に少ないので抽出塔や逆抽出塔を使用したら配管に溶液が残ってしまい貯塔に出てこないことが明らかだったのでどうやって溶解・溶媒抽出を行うか問題となった。検討した結果、ステンレスバケツ2個を使用して溶解を行い、フラスコとポリバケツを使用して攪拌機で溶媒抽出を行った。沈殿以降の工程は転換試験棟の施設を用いて行った。

   3.3.7 常陽第6次製造

 常陽第6次製造は、粉末製品については1990年10月22日から1991年秋まで行われた。
 溶液製品については1993年1月23日から同年6月9日まで行われた。
 溶液製造について、第4次製造で1ロット7日で受注してしまったことから、このときも同じ期間で製造することになったが、正規の工程ではとても不可能であった。1992年暮れから1993年1月頃にかけて垣内主任、加藤製造1課長らが集まって製造方法を検討した結果、溶液製造の第2工程の溶解(再溶解)をステンレスバケツで行うことになった。これにより第1工程の溶解と第2工程の再溶解を並行して行うことができ、また第2工程で溶解塔を使用するための洗浄をする必要がなくなり、期間が短縮できるからである。加藤製造1課長が1993年1月9日付で決定事項の一覧表を作成し、その指示に基づいて1月20日付の「常陽第6次溶液製造手順書」が作成された。この手順書はステンレスバケツによる溶解とクロスブレンドを明記している。1993年1月23日、加藤製造1課長は、転換試験棟で垣内主任、N作業員らの前で手本を見せると言って自らバケツ溶解を実施した。これ以降、転換試験棟の作業員は、当然のことのように再溶解工程ではステンレスバケツで溶解するようになった。

   3.3.8 貯塔のインターロック解除

 JCOでは、従前から2本の貯塔に複数バッチのウラン溶液を滞留させ、そこから沈殿槽に送液していたが、沈殿槽に送液する際の微調整を省略するために、貯塔で滞留している複数バッチのウラン溶液を循環させて濃度を均一化することにした。貯塔にはオーバーフローを避けるために液量が一定量に達すると自動的に定量ポンプが停止して溶媒抽出工程が止まるインターロックがあった。このインターロックが作動すると溶媒抽出が停止する上に再開時には定量ポンプと逆抽出塔の間にあるフィルターに溶液が流れ込んで不純物が逆抽出塔以降の工程に流れ込むという問題点があった。そこでインターロックの作動を避けつつ2本の貯塔のウラン溶液を循環させるために、1993年3月頃、現場のN作業員の判断で貯塔の上限インターロックを解除した。N作業員はインターロック解除の実施後、実施済みの改善として社内の改善提案書に記載して1993年3月20日に提出した。これに対し垣内主任は「今回の常陽は精UN2バッチ混合後沈殿工程へというやり方で現場には大変苦労を掛けて申し分けなく思っています。この改善はその苦労を少しでも楽にまた作業性を上げようとの熱意から生れた結果だと思います。どうもありがとう。」と記載して押印し、加藤製造1課長も押印している。なお、この改善提案はAからGまでのうちEランクと評価され1500円の褒賞金が出された。
 転換試験棟の設備には設備内の溶液がなくなったにもかかわらず設備が稼働し続けないように、液量が一定以下になるとポンプが停止するインターロックがあった。常陽第6次製造が終わった後、洗浄を行う際に、1つの設備から溶液を全部出してしまうとポンプが停止してしまい、他の設備に洗浄用の溶液を送ることができず不便であったこと、操業開始時もポンプを稼働させるために予め水を張り込む必要があり不便であったことから、N作業員の判断で貯塔の下限のインターロックも解除した。これについてもN作業員は実施済みの改善として社内の改善提案書に記載して1993年10月20日に提出した。これに対しても垣内主任は「今までだれも気づかないでいた様ですね。この改善により今後の操業がスムーズにできる様になりありがとうございました。」と記載して押印し、加藤製造1課長は「スイッチの切り変え忘れがない様に徹底してください。」と記載して押印している。この改善提案もEランクの評価で1500円の褒賞金が出された。

   3.3.9 粉末特性試験

 1994年5月、常陽第7次製造のために粉末特性試験を行うことになった。これは精製済みの3.4%濃縮の8酸化3ウラン粉末を用いて行ったが、試験後の溶解塔や貯塔の洗浄の手間を省くためにバケツで溶解し沈殿槽のハンドホールから沈殿槽に投入して沈殿以降の工程を実施した。

   3.3.10 常陽第7次粉末製造

 常陽第7次粉末製造は1994年8月23日から同年9月20日まで及び1995年6月から1996年2月まで行われた。なお。常陽第7次溶液製造は1995年10月から1996年2月にかけて行われる。
 この粉末製造では溶解工程もステンレスバケツで溶解することになった。常陽第7次粉末製造の操業記録からはバケツで溶解した後に溶媒抽出工程に入らないままのものが毎日複数バッチ残存していることが読み取れる。このウラン溶液はステンレスバケツで溶解した後、ポリバケツに移されて濃度調整し、溶媒抽出塔付近に置かれていた。

   3.3.11 貯塔仮設配管工事

 1993年12月頃、動燃から常陽第7次ではこれまでの2ロット分をまとめて混合均一化して欲しいとの要請があった。JCOでは加藤製造1課長の指示で垣内主任が混合均一化の方法を検討し、クロスブレンドによる方法と貯塔による混合均一化の方法を検討した。貯塔による場合は仮設配管を設置しなくてはならないので時間と費用がかかること、貯塔と仮設配管を使用して循環させても濃度が均一になるという保証がないことが不都合として考えられた。1994年5月末頃、同年6月1日から垣内主任が異動になることが決まったので垣内主任はそれまでの検討結果を取りまとめて後任の藤井主任に引き継いだ。動燃からの2ロット均一化の要請はなくなったが、1995年1月頃、藤井主任は貯塔1本による混合均一化の構想をまとめ、1月に工事見積もり依頼を出し、5月30日付で工務課宛に工事依頼書を出した。藤井主任は技術課にも検討依頼し、技術課からは1995年6月16日付で吉岡技術課長の承認印のある「許認可上の問題無し」との検討結果が返ってきた。これを受けて1995年6月中か7月上旬に仮設配管工事が行われた。

   3.3.12 社内の安全専門委員会

 常陽第7次製造の原料受け入れの際に原料ウランを入れた5ガロン缶を貯蔵室ではなく通路に大量に仮置きするため、1995年6月か7月に小川製造1課長がO技術課員に臨界安全性の検討を依頼した。その際、小川製造1課長は転換試験棟でのバケツ溶解についてもバケツの置き場所について臨界安全性の検討を依頼した。これを聞いたO技術課員が転換試験棟の作業を見に行ったところ、ステンレスバケツで溶解したウラン溶液を家庭でゴミを入れるのに使うような容量30リットルないし40リットルくらいの青いポリバケツに入れるなどしていた。これを見て驚いたO技術課員は、社内の安全専門委員会の事務局であったことから、小川製造1課長の依頼に応じて臨界計算を行うとともに、小川製造1課長らと協議してこれらの問題を社内の安全専門委員会の議題としてあげることにした。
 安全専門委員会は1995年9月8日に行われ、委員長である吉岡技術課長、核燃料取扱主任者でもある越島技術部長、M安全管理室長、U輸送業務室長、小川製造1課長、Y工務課長、加藤製造部長とO技術課員が出席した。O技術課員が転換試験棟での臨界管理方法の実態調査結果として、溶解工程では溶解塔を使用せずにステンレスバケツで溶解し、溶解後抽出工程に入れる前はポリバケツに貯蔵していること、操業中貯塔には2〜3バッチのウランが入っている状態であること、粉末製造では3〜5バッチを製品混合用缶に入れて混合していること、溶液製造では貯塔を用いて撹拌混合することを報告した。これに対し、ポリバケツでの貯蔵については、ポリバケツで強度上問題はないのか、ぶつかって割れてこぼれないかという意見が出されたが、その他には意見・指摘はなかった。
 この安全専門委員会については社内用と保安規定遵守状況調査用の2部を作成し、保安規定遵守状況調査用の方については「転換試験棟の臨界管理方法について」は議題からも削除して一切触れず、5ガロン缶の仮置きについても「5ガロン缶の仮置き」という言葉は使わず「常陽原料受入について」として受入日と量のみを記載した。

   3.3.13 常陽第7次溶液製造

 常陽第7次溶液製造は、1994年8月23日から9月20日にかけて精製した8酸化3ウラン粉末を使用して、溶液製造を行った。つまり1994年のうちに第1工程を行い、1995年に第2工程を行ったことになる。この第2工程は1995年10月24日から1996年2月5日にかけて行われた。このときには別の粉末製造も並行して行われた。
 常陽第7次溶液製造では、混合均一化は、その直前に公示された貯塔で仮配管を接続して行われた。常陽第7次製造については、刑事記録上、操業記録による裏付け作業がなされていない。

   3.3.14 2酸化ウラン粉末リワークでのバケツ溶解

 1995年秋から冬頃の常陽第7次粉末製造で、製品2酸化ウラン粉末に不純物が大量に混入してしまい、精製のやり直し(リワーク)を大量にすることになった。
 2酸化ウラン粉末の溶解は、8酸化3ウラン粉末の溶解に比べて反応が激しいので、転換試験棟の主任、作業員の他に小川製造1課長も立ち会ってバケツ溶解を行った。このときバケツ溶解でうまく溶解できたので、それ以降は2酸化ウラン粉末のリワークも全てバケツで溶解することになった。

   3.3.15 常陽第8次製造

 常陽第8次製造については、刑事記録上ほとんど証拠が出されていないが、1996年8月から1月にかけて溶液の製造、1996年9月から1997年1月及び1998年3月から1998年6月にかけて粉末の製造が行われ、第7次製造と同じ方法で作業がなされたとされている。

  3.4 バケツ溶解の評価

 バケツ溶解については、技術的には合理的であるとか、沈殿槽への投入とは関係がない等の評価が散見される。
 しかし、刑事記録を検討する限り、バケツ溶解について正当化したり沈殿槽への投入と関係がないと言うことにはかなりの抵抗がある。
 本件臨界事故当時スペシャルクルーの一員であったS作業員は次のように述べている。
「私は、スペシャルクルーとなって初めてバケツでウランを溶解するということを知ったのですが、最初にその話を聞いたときは、まさにそんなことやっていいのかよという印象を強く持ちました。私は、バケツ操業を直ちに臨界発生とは結びつけて考えたことはなかったのですが、少なくとも、ウランが体についたり、溶解時に発生するガスを吸い込むなど汚染や被曝の危険性が高いものであり、そのような操業を行うことには躊躇する気持ちがありました。ですが、前からずっとバケツでの溶解を続けているということであり、それが会社の方針のようでしたから、私もそれに従わざるを得なかったのです。そして、転換試験棟では、このようにバケツでウランを溶解するという手作業が常に行われており、しかも、そのウランは濃縮度18.8%という高濃縮度のものでしたから、私としては、定められた手順を守ってはいましたが、バケツでの操業を続けるうちに、転換試験棟での操業全般に対してこのようないい加減な作業でも構わないのかという気になってきて、緊張感が薄れてきたことも確かでした。」
 そして横川副長は次のように述べている。「私は、溶解でバケツを使うこと自体は、それ以前にN作業員から話を聞いて知っていたのですが、実際にバケツを電熱コンロの上に乗せ、そこにウランと水と硝酸を入れ、棒で掻き混ぜるという操業方法を目にしたときは、なんて雑な操業なんだという印象を持ちました。転換試験棟で扱うウランは濃縮度が19%近くもあり、臨界の危険が高いものだったのですが、そのウランをバケツで溶解していたのであり、いかにも仕事をなめたような操業であり、転換試験棟では、こんな適当なやり方で粉末を製造すればいいのかという思いを持ったのです。」「例えば、転換試験棟では、製造グループ長などの上司が転換試験棟内に巡視に来るということが全くと言っていいほどなく、職場長もスペシャルクルーが休憩する固体廃棄物処理棟の休憩室には毎日のように来ていましたが、転換試験棟内まで来ることはほとんどありませんでした。そして、転換試験棟では、第1加工施設棟、第2加工施設棟と違って、操業記録に副長や職場長がチェックして判を押す欄がなく、操業記録の管理すらいい加減な印象がありました。しかも、転換試験棟での操業は、溶解工程をステンレス製バケツを使っており、この上なくいい加減な印象を受けたのでした。私は、これら転換試験棟で随所に見られた緊張感のなさからも、転換試験棟は責任を持ってやるのは最終的な品質の管理だけであり、その過程は、現場任せの職場なのだという印象を持ち、スペシャルクルーとなった当初に持っていた危機意識と緊張感は完全に薄れていってしまいました。」

4 規制当局の巡視状況に進む

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