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   ◆活動報告:原発裁判(JCO臨界事故)◆

  5 臨界事故に至る経緯:常陽第9次製造

  5.1 はじめに

 常陽第9次製造は、転換試験棟での操業経験のないメンバーで行われた。渡辺職場長は常陽第8次製造で横川副長から聞かれたことに答えられず、竹村計画グループ主任は混合均一化はクロスブレンディングで行っていると誤認しており、上司は全く頼りにならなかった。
 横川副長は、経験者のN元作業員に聞くように言われ、また自らもそうすると言っていたが、実際にはわからないことがあっても聞こうとしなかった。
 溶液製造の第1工程は現場の判断で予定より早く開始され、予定より大幅に早く終了した。
 9月28日午前10時半頃、第2工程に入るにあたり作業員から混合均一化工程に沈殿槽を使うという提案があり横川副長はその方向で作業を進めさせた。横川副長は9月29日朝、竹村主任にPPS記載の15.1kgではなくそれ以上になる7バッチの再溶解をしてもよいかと聞き、竹村主任は直ちに承認した。9月29日午後0時15分頃、横川副長は竹村主任に混合均一化に沈殿槽を使用してもよいかと聞き、竹村主任は午後1時頃承認した。
 その後、9月29日中に4バッチの再溶解と沈殿槽への投入が行われ、翌9月30日のこり3バッチの再溶解と沈殿槽への投入が行われて、7バッチ目の投入中に臨界事故に至った。

  5.2 準備段階

 常陽第9次の溶液製造が開始する時点で、転換試験棟の作業を担当するスペシャルクルーは5人であった。横川副長は1997年8月にスペシャルクルーに配属され常陽第8次の粉末製造を経験していたが、溶液製造の経験はなかった。S作業員はやはり1997年8月にスペシャルクルーに配属され常陽第8次の粉末製造を経験していたが、溶液製造の経験はなかった。H作業員は1982年から1983年にかけて転換試験棟で粉末製造をした経験があったがその後転換試験棟を長く離れており、1998年8月にスペシャルクルーに配属され、溶液製造の経験はなかった。大内氏及び篠原氏は1998年10月にスペシャルクルーに配属され、転換試験棟では粉末製造も溶液製造も経験はなかった。
 渡邉職場長は1998年4月に転換試験棟の職場長(主任)を兼任することとなったが転換試験棟での経験はなかった。常陽第8次の粉末製造の時、温度が管理値を外れてしまったがその場合の粉末をどうすべきかと横川副長から聞かれ、「そんなこと俺に聞いたってわからないよ」と答えた。
 常陽第9次製造では9月6日に渡邉職場長、竹村計画グループ主任、横川副長の3人でPPS審査の打ち合わせをした。その際、竹村計画グループ主任は混合均一化工程はクロスブレンドで行うように説明し、横川副長から今は貯塔を使っていると指摘された。横川副長は、溶液製造の経験はないが経験の長いN元作業員に聞いたり手順書を見れば何とかなると述べた。渡邉職場長は、横川副長が溶液製造の工程をよく理解していないと感じて、わからないことがあればN元作業員に聞いたり手順書で確認するように指示した。
 N元作業員は転換試験棟に隣接した住友金属鉱山の技術センターに勤務していたが、横川副長は、常陽第9次製造についてN元作業員に聞きに行かずに食堂の前で偶然に出会った際に、溶液の濾過の際の濾材等について聞いただけだった。

  5.3 常陽第9次の第1工程

 常陽第9次の溶液製造は9月13日に開始する予定であったが、実際には現場の作業員の判断で9月10日から開始された。
 溶解工程ではステンレスバケツで8酸化3ウラン粉末を硝酸で溶解した。溶解液はポリバケツに移して液量調整した上で、抽出塔に至る配管の途中に仮設配管を入れて仮設配管のホースで吸い上げて抽出塔に送液した。
 操業記録と作業員の供述によれば、各日の作業は以下の通りである。ただし操業終了時点での滞留量は理屈の上で導かれた結果である。
 9月10日はS作業員、H作業員、大内氏の3人で作業した。3バッチ分の8酸化3ウラン粉末を溶解し、その3バッチ分の抽出工程までを終え、貯塔に送液した。
 9月13日はS作業員とH作業人の2人で作業した。4バッチ分の8酸化3ウランを溶解し、その4バッチ分の抽出工程を終えた。この段階で貯塔から沈殿槽へと送液するためにガンマ線スペクトロメトリーでウラン濃度を測定しようとしたところ、パソコンが起動しなかった。JCOではトラブルが生じた際にはPPS作成者に相談することが多く、転換試験棟の場合PPS作成者は竹村計画グループ主任であったので、作業員は竹村主任を呼んだ。竹村主任はパソコンのディスクが壊れていると判断し、そのまま操業を続けるためにガンマ線スペクトロメトリーの数値からウラン濃度を読み取る検量線(グラフ)を作成して手計算での操業をすることにした。その際、竹村主任は、読み取り誤差を考えて沈殿工程のウラン量の管理目標値を2.3kgと下げたPPSを作成した。作業員は竹村主任が検量線を作成している間に貯塔への送液を続け、溶解済みの合計7バッチを抽出工程に入れ、9月13日の操業終了時点で抽出塔から貯塔までの抽出工程に7バッチの硝酸ウラニル溶液が滞留した。
 9月14日はS作業員とH作業人の2人で作業した。貯塔から1バッチ分の硝酸ウラニル溶液が沈殿槽に送液され、抽出工程には6バッチ分の硝酸ウラニル溶液が滞留した。
 9月15日はS作業員とH作業人の2人で作業した。3バッチ分の8酸化3ウラン粉末を溶解して抽出工程に送液し、他方2バッチ分の硝酸ウラニル溶液を貯塔から沈殿槽に送液し、2バッチ分の重ウラン酸アンモニウムを仮焼した。操業終了時点で抽出工程に7バッチの硝酸ウラニル溶液、沈殿槽に1バッチ分が滞留した。
 9月16日はS作業員とH作業人の2人で作業した。4バッチ分の8酸化3ウラン粉末を溶解してそのうち3バッチ分を抽出工程に送液し、他方3バッチ分の硝酸ウラニル溶液を貯塔から沈殿槽に送液し、3バッチ分の重ウラン酸アンモニウムを仮焼した。操業終了時点でポリバケツに1バッチ分、抽出工程に7バッチの硝酸ウラニル溶液、沈殿槽に1バッチ分が滞留した。
 9月17日はS作業員とH作業人の2人で作業した。2バッチ分の8酸化3ウラン粉末を溶解して前日のポリバケツ内の1バッチと合わせて3バッチ分を抽出工程に送液し、他方3バッチ分の硝酸ウラニル溶液を貯塔から沈殿槽に送液し、3バッチ分の重ウラン酸アンモニウムを仮焼した。操業終了時点で抽出工程に7バッチの硝酸ウラニル溶液、沈殿槽に1バッチ分が滞留した。
 9月18日から20日までは作業は行われず抽出工程に7バッチの硝酸ウラニル溶液、沈殿槽に1バッチ分が滞留していた。
 9月21日はH作業員と大内氏の2人で作業した。6バッチ分の8酸化3ウラン粉末を溶解してそのうち4バッチ分を抽出工程に送液し、他方4バッチ分の硝酸ウラニル溶液を貯塔から沈殿槽に送液し、沈殿槽内に残留していた1バッチと合わせて5バッチ分の重ウラン酸アンモニウムを仮焼した。操業終了時点でポリバケツに2バッチ分、抽出工程に7バッチの硝酸ウラニル溶液が滞留した。
 9月22日はH作業員と大内氏の2人で作業した。4バッチ分の8酸化3ウラン粉末を溶解してそのうち1バッチ分とポリバケツ内の2バッチ分を合わせて抽出工程に送液し、他方3バッチ分の硝酸ウラニル溶液を貯塔から沈殿槽に送液し、2バッチ分の重ウラン酸アンモニウムを仮焼した。操業終了時点でポリバケツに3バッチ分、抽出工程に7バッチの硝酸ウラニル溶液、沈殿槽に1バッチ分が滞留した。
 9月23日はH作業員と大内氏の2人で作業した。1バッチ分の8酸化3ウラン粉末を溶解してポリバケツ内の3バッチ分を抽出工程に送液し、他方4バッチ分の硝酸ウラニル溶液を貯塔から沈殿槽に送液し、沈殿槽内に残留していた1バッチと合わせて3バッチ分の重ウラン酸アンモニウムを仮焼した。操業終了時点でポリバケツに1バッチ分、抽出工程に6バッチの硝酸ウラニル溶液、沈殿槽以降に2バッチ分が滞留した。
 9月24日はH作業員と大内氏の2人で作業した。ポリバケツ内の1バッチを抽出工程に送液し、他方3バッチ分の硝酸ウラニル溶液を貯塔から沈殿槽に送液し、沈殿槽以降に残留していた2バッチと合わせて4バッチ分の重ウラン酸アンモニウムを仮焼した。操業終了時点で抽出工程に4バッチの硝酸ウラニル溶液、沈殿槽に1バッチ分が滞留した。
 9月25日、26日は作業は行われず、抽出工程に4バッチの硝酸ウラニル溶液、沈殿槽に1バッチ分が滞留していた。
 9月27日は大内氏と篠原氏の2人で作業した。2バッチ分の硝酸ウラニル溶液を貯塔から沈殿槽に送液し、沈殿槽に残留していた1バッチと合わせて2バッチ分の重ウラン酸アンモニウムを仮焼した。操業終了時点で抽出工程に2バッチの硝酸ウラニル溶液、沈殿槽に1バッチ分が滞留した。
 9月28日は大内氏と篠原氏の2人で作業した。1バッチ分の硝酸ウラニル溶液を貯塔から沈殿槽に送液し、沈殿槽に残留していた1バッチと合わせて2バッチ分の重ウラン酸アンモニウムを仮焼した。操業終了時点で工程内の滞留はなくなった。
 以上の作業を合わせると27バッチ分の溶解・抽出がなされ、26バッチ分の沈殿・仮焼がなされている。この間で1バッチ分計算が合わず消えていることになる。これは実際にはバッチ運転ではなく連続運転のためバッチごとの区切りがなく溶解工程の1バッチと沈殿工程の1バッチで量が一致していないこと、配管等のデッドスペースでのロスがあるためと考えられる。作業員が当時パソコンに打ち込んでいた作業状況でも溶解したウラン量は27バッチ分で61666gに対し仮焼で得たウラン量は26バッチ分で60677gとなっている。
 なお、竹村計画グループ主任の指示に従えば沈殿工程のウランは1バッチ2.3kgとならなければならなかったが、2.3kgで26バッチ分は59.8kgであり、実際の操業はこれを超えていたことになる。
 このように第1工程の作業では連日抽出工程にぎりぎりいっぱいの7バッチを滞留させ、入りきらないものはポリバケツ等に残留させたまま操業を続けていた。
 第1工程の作業は、渡邉職場長の考えでは10月中旬までに終われば出荷の日程上十分余裕があった。実際、9月29日に、作業員が毎日の操業実績をパソコンに打ち込んで作成していた「11年9月分転換棟操業」の資料を横川副長から見せられて、9月28日までに第1工程が終わったことを聞いた渡邉職場長は、早く終わりすぎでありこれでは10月7日の科学技術庁の巡視の際に見せる工程がないと思った。

  5.4 再溶解工程から臨界事故まで

 9月27日、横川副長は、スペシャルクルーの応援に来ていた作業員から「加藤さんがペンキを塗れと言っていた。今度STAが来るけど、さびが多いからペンキを塗っとけと言っていた。」と言われ、その作業員と2人でペンキ塗りをした。
 9月28日午前10時半頃、横川副長が転換試験棟に行くと篠原氏が沈殿槽のクリーニングが終了したと述べ、第1工程の沈殿が終了し、そのクリーニングも終了したことを伝えた。その時大内氏は最後のバッチの仮焼をしていた。これで第1工程が終わるので第2工程に入る準備を始めることにして横川副長と篠原氏の2人で貯塔の上部仮配管を接続した。
 横川副長の捜査段階での供述によれば(その信憑性については後に検討する)、ここで横川副長は「これでやるんだけど、デッドスペースが多いし、抜き口が低いからやりづらいな」と述べ、これに対して篠原氏が「じゃあ、沈殿槽を使ったら」と述べ、大内氏も賛成し自分も非常にすばらしいアイディアだと思ったので、沈殿槽で混合均一化をしようと考えた。その際、これまで沈殿槽が使われなかったのは不純物が入ったり重ウラン酸アンモニウムが残っていると製品の品質に問題が生じるためと考えて、沈殿槽を念入りに洗浄すれば対応できると考えた。
 そこで、横川副長は、沈殿槽に希硝酸を張り込んで一晩おき翌日ヒーター部分をばらして確認するように、大内氏と篠原氏に指示した。
 横川副長は、9月29日朝、竹村計画グループ主任に再溶解でPPSの通り15.1kg溶解すべきか、7バッチ溶解してもよいかを聞いた。竹村計画グループ主任は「余ったのは次のロットに回せばいいですから、仮焼のバッチ単位で7バッチ溶かしてもいいですよ。」と答えた。このとき、横川副長は10月5日に2ロット目の再溶解をしたいと言い、竹村計画グループ主任は9月30日朝にサンプルを出せば10月4日には結果を出すことができると答えた。(なお、サンプルの期限は、9月30日朝に横川副長が計画グループの担当者に確認したときには9月30日の午後1時頃までに出せば10月4日に分析結果を出せるということだった)
 横川副長は、9月29日午前10時半頃に転換試験棟に行き、沈殿槽の洗浄ができ、ヒーター部分をばらしても重ウラン酸アンモニウムの付着がないことを篠原氏から聞いて確認した。
 9月29日午後0時15分頃、横川副長は、食堂の前あたりで、竹村計画グループ主任に、実際には貯塔で混合均一化しても間に合うが沈殿槽で混合均一化したかったので、「沈殿槽を使ってもいいか。沈殿槽を使わないとサンプルを出すのに間に合わない。貯塔だと時間がかかる。沈殿槽は洗ってある。」と言った。竹村計画グループ主任は、不純物が入らなければ沈殿槽を使ってもいいのかなと思ったがすぐには返事をせず、野球の練習に行き、昼休みが終わって自席に戻り、午後1時からの生産計画会議に行く前に横川副長に電話をしてOKを出した。
 9月29日午後1時過ぎ頃から、横川副長、大内氏、篠原氏の3人で再溶解及び硝酸ウラニル溶液の沈殿槽への投入を開始した。1バッチ目はステンレスバケツで再溶解した後に濾過して再度バケツで受け、篠原氏がバケツで沈殿槽のハンドホールに差し込んだ漏斗に注ぎ込んだ。バケツからの投入はやりづらかったので2バッチ目からはバケツで再溶解した後濾過した溶液を5リットルビーカーで受け、ビーカーから沈殿槽に投入することにした。2バッチ目が終わったところで横川副長は排水処理作業に移り、3バッチ目以降は大内氏と篠原氏で作業した。この日は4バッチまでの再溶解と沈殿槽への投入をした。
 9月30日午前10時過ぎ頃、横川副長が転換試験棟に行くと、3バッチの再溶解が終わりバケツが3つ並んでいた。ビーカーによる投入の5回目までは大内氏が濾過作業をし、横川副長が漏斗を支え、篠原氏が沈殿槽に投入していた。5回の作業が終わり2バッチ半(前日からの合計で6バッチ半)の硝酸ウラニル溶液が投入され、最後の1回となったところで濾過作業を終えた大内氏が横川副長に代わり漏斗を支え、横川副長は沈殿槽のウラン濃度の計算をすることになった。横川副長が机で計算を始めようとしたときにバシッと音がし青白い光が走った。

6 沈殿槽への投入の動機に進む

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