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  思い遥かのフランス語

 女の子が楽しく読める読書ガイドで「タラ・ダンカン」や「ペギー・スー」の著者のサイトの内容を紹介していることから気づいている方もいると思いますが、大学時代、私の選択した第2外国語はフランス語です。もちろん、大学時代の学習は身に付いておらず、ヒアリングは言うまでもなく、文字で見ても意味はわかりませんが、少なくとも怖じ気づかずに辞書を引く気にはなる、という程度ですけれども。

 私がフランス語を選択したのはなぜでしょう。単に情報収集が不足していただけです。私は高校3年の夏休みに文系への転向を決断し、文系のことがよくわかっていないので一番つぶしの利きそうな法学部を選択しただけです(結局一番つぶしの利かないタイプだったから今のようになったわけですが)。日本の法律や法律学の多くが英米法系かドイツ法系で、法律を学ぶ人はふつうドイツ語を選択するなどということを全く知らなかったのです。で、基礎知識なく、大学から渡された書類に、第2外国語はドイツ語、フランス語、中国語、ロシア語から選べと書いてあったので、なんとなくフランス語の方がメジャーかなと思ってそう書いたのです。加えて、1978年当時の(今のことは知りませんが)京都大学は、フランス語だけ外国人教師による授業も必修で、フランス語だけは週3コマありました。ドイツ語はそんなのないのに。そういう情報を得ていれば、当然にドイツ語を選んだはずなのですが。
 教養部のクラスは語学選択別に組まれていて、法学部は当時定員330人を7クラスに分け、1組から5組がドイツ語、6組がフランス語、7組がフランス語と中国語とロシア語の混合クラスでした。私は6組になりました。法学部内の少数派ですので、どこかクセのある人々が集まっていた、のでしょうね。
 フランス語は、英語と違って発音の規則はかなりシンプルです。昔から外国語の苦手な私でも、外国人教師のバンジャ先生(今、どうしておられるのでしょうね)の叱咤激励を受けながら、少なくとも日本人が聞けば「あっフランス語だ」と思わせられる程度に読むことはできるようになりました。フランス語は単語同士を切らずにくっつけて読むので、ヒアリングから文字をイメージするのはしんどいのですが、文字から発音だけは簡単なのです。でも、意味は取れないし、女性名詞とか男性名詞とか複雑怪奇な時制とか、身に付きませんでした。そのためか1回生の時のリーダーとグラマーの先生の名前、覚えていません。ごめんなさい。

 2回生では、外国人教師の授業はなくなり、リーダー2科目となり、講義を選択できるようになりました(京都大学は、少なくとも私が学生だった頃は、必修科目がほとんどなく、必修科目も先生を選べることが多かったのです。象徴的な話として、法学部は法律科目を1つも履修しなくても卒業できるシステムでした)。この2回生のフランス語、私は2科目とも生田耕作先生の講義でした。
 生田耕作先生と言えば、フランス文学の大物であるとともに反骨の人でした。しかし、当時の私はそれを知って選択したのではありません。生田先生は、学生の間では単位の甘い教授として非常に有名でした。毎年卒業を賭けた留年生を始め、多数の希望者で初回の教室は立錐の余地もないほど学生が集まり、箱に入れた申込用紙を生田先生が自ら引いて当選者を選ぶ抽選会が行われました。競争率は何倍くらいだったでしょうか。私は幸運にも(先輩のアドヴァイスに従い厚紙の申込用紙を少しカーブさせておいただけなのですが:前後に隙間ができるのでつかみやすい)2科目とも当選し、以後1年間生田先生の講義に通うことになりました。
 シルバーグレイの髪でスリムな、つやのある声の生田先生が、2回目以降は数人しか出席していない教室を闊歩しながら読み上げるフランス語は、何かとても格好のよいものでした。1度も出席しなくても単位は取れると聞いていましたが、生田先生の姿に惹かれて、2科目ともほとんど休まずに出席してしまいました。
 秋頃だったかと思いますが、生田先生が出版に関わった「バイロス画集」が、わいせつ物だとして捜査がはじまったことが報道されました。当時すぐ書店で見てみましたが、モノクロの線画で描かれた幻想的というか官能的な絵で、性器も描かれていました。今だったら、ふつうに本屋で売ってるし図書館にもあるし美術展でも何のためらいもなく展示される程度の露出です(実際、ピカソ展とかに行ったら、たいてい線画・デッサンのコーナーに子ども連れでは困るようなもっと露骨な絵が展示されています)。
 そして、年度の終わり、生田先生が最後の授業で、僕は大学をやめることになりましたと言い、大学を去りました。たぶん、生田先生の最終講義に年度を通して通い続けた数少ない(2科目を通じてとなるとたぶん唯一かと)学生の私は、つい目を潤ませて、先生頑張ってくださいねとつぶやきました。
 2回生のフランス語、私は2科目とも90点以上(はっきり覚えていませんが93点と95点だったかと)でした。力を入れなくても取れるものに力を入れてしまうのが、私の悪いくせでした。でも、大学を去ることになった生田先生の思いには答えたいと思ったものです。当時生田先生の講義で使ったテキストだけは全文意味がわかるようになりましたが、それ以外は、結局のところ身に付きませんでした。

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