庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2026年6月

32.江戸をんなの春画本 アンドリュー・ガーストル 平凡社新書
 月岡雪鼎の著作とみられる江戸時代の女子用教訓書や実用書のパロディ春本を主な題材として、江戸時代には春本が日常的に女性の手にも渡り女性も読んでいたこと、表向きとは違い性が開けっぴろげであったことを論じた本。
 源氏物語の浮舟で匂宮が「男女もろともに添い臥したる絵」を描いて見せたことで、春画が日本の王朝文化において貴族の手すさびのレパートリーとして存在していたようだとしています(81~82ページ、100~102ページ)が、どうでしょうねぇ。平安貴族の日常に春画が用いられていたなら、源氏の君が育つ過程でそういう教えを受けたみたいなくだりがあってもよさそうですが。
 取り上げられている春本でも、女性は男性に従えという男性に都合がよさそうな書きぶりが目につきますが、セックスは子作りのためだけじゃなくて、夫婦で励み楽しもうという方向性、郭に行くんじゃなくて妻と仲よく楽しもうという指向と書きぶりのおおらかさは特筆しておいてよいでしょう。
 教訓書では右大将道綱の母の「歎きつつひとりぬる夜のあくるまはいかに久しきものとかは知る」を挙げているところに、パロディ春本では「ほたえつつふたりぬる夜のあくるまはいかに短き物とかはしる」と宛て、夜が明けたのを惜しみつつ名残にもう1回という男に、女がまだ2回はできると答える(139~142ページ)など、恨み・嘆きよりも逢瀬の悦びを謳う姿の微笑ましさたくましさを感じます。

31.睡眠を科学する ヘザー・ダーウォル=スミス 東京書籍
 睡眠に関するさまざまなことがらについて、Q&A形式で解説した本。
 タイトルが睡眠の科学(原書でも)で、最初の章「睡眠の基本」の冒頭サマリー(11ページ)でも「科学的に裏づけられていく」と結び、その最初の項目タイトル(13ページ)も「睡眠の科学を知ろう」とされているなど、科学的であることを強調する本ですが、日本語版監修者による序文には、原書には「最新の科学的知見とはやや異なる箇所も見られた」(3ページ:以上のページはいずれもページ番号が振られてませんが)と書かれています。何なんだろうこれは。
 必要な睡眠時間について、本文では「一般的には、大人はひと晩に7~9時間は眠る必要がある」(202ページ等)とし、図表では年齢層ごとの必要睡眠時間を26~64歳で9時間と図示しています(19ページ)。最近は7時間を推奨し寝すぎは体によくないとか書かれることが増えている中で、ロングスリーパー(なんぼ寝ても眠い)の私には心強い限り。
 金縛りは8%近くの人が一生に一度は経験するといわれる(70ページ)とか、うとうとしかかっているときに急に落ちそうな感覚におそわれてビクッとする「ジャーキング」は大半の人が経験する(70%の人が、とも:72ページ)とかも、ホッとします。「20%の人は、目を少しあけたまま、または全開の状態で眠る」(67ページ)なんていうのは驚きましたが。

29.30.ラスト・セッション 上下 サラ・パレツキー ハヤカワ文庫
 5か月前に救おうとしていたトランス女性の学生を目の前でその父親に銃殺されたトラウマを負った私立探偵V.I.ウォーショースキーが、名付け子バーニーに勧められてバーニーのハウスメイトが所属するバスケットボールチームの試合を観戦するためにカンザス州を訪れたが、そこでバーニーの別のハウスメイトの行方不明事件、さらにはその探索過程で別の殺人事件に巻き込まれ、自らも容疑をかけられて足止めを食う中でその真相を探るという探偵小説。
 V.I.ウォーショースキーシリーズの長編第22作だそうです。私自身は、その昔、今からもう35年ほど前に日弁連広報室にいたときにインタビュー企画があった私の憧れのインタビューイがV.I.ウォーショースキーシリーズのファンだとかでその頃までに出版されていたものをほぼ読み尽くした(結局そのインタビュー企画はボツになりましたが)のですが、その後は全然フォローしてなくて、すごく久しぶりです。そのため、冒頭に出てくる学生テイラー・コンスタンザが殺害された事件とV.I.ウォーショースキーのトラウマというのが、前作でのできごとなのかもわからないで読みました。
 V.I.ウォーショースキーの自立心、闘争心は健在ですが、齢を重ねたせいか、あるいはV.I.ウォーショースキーは同じであったとしても以前に読んでいた頃と違って自立心の強い女性主人公の作品が増えごくふつうに感じられるようになっているためか、以前ほどのパンチというかわくわく感を感じにくくなっているように思えました。
 19世紀の白人による黒人の不動産の簒奪への非難、仮想通貨のシステム維持のための莫大な電力消費などの問題を、執筆時で77歳になるサラ・パレツキーが、なお追及していることは賞賛に値すると思います。
 原題の PAY DIRT は、金脈とか掘り出し物とかの意味で、最後という意味合いは何もありません。その邦題が「ラスト・セッション」なのは何故なのでしょう。「追記」(下巻367~370ページ)で作者はV.I.は「しばらくのあいだ休暇が必要だ」「わたしが新たな冒険を考え出すあいだ、V.I.は充電したいと言っている」と書いていますが、「みなさんにお約束しよう――V.I.がいずれ戻ってきて、危険と向き合い、そこへ飛び込んでいくことを」と結んでいます(下巻370ページ)。これは、ふつうには、まだ書き続けるという宣言だと思うのですが。無関係な邦題を付けてそれで誤解させて売ろうというのなら、ずいぶんと卑しい魂胆と見えます。

28.言問ラプソディ 小野寺史宣 講談社
 子どもの頃よくしてくれた祖父に勧められてオリジナルのカルタを作ったのをきっかけに言葉を扱うことを天職と考えて広告代理店に就職したが営業ばかりでコピーライターにしてもらえず挙げ句の果てに交際中の同僚大山鮎奈がクリエイティブ局に異動になったことでふてくされて退職し、今は浅草花やしきでバイトする28歳の西沢智太が、同僚や入園客らと過ごす日々を描いた小説。
 ホームベーカリーで毎朝バターロールなどを焼いてその動画をアップしている金井理亜、小さな劇団の劇団員でいずれはプロの役者になることを目指している宍戸鈴衣、小説家志望で十数年書き続けて新人賞に応募しているが最終選考に残ったことがない玉木正也らの同僚に囲まれ、それぞれが将来を考え再出発を目指すというあたりがテーマになっています。
 序盤の展開から、ラブストーリーを指向するのかと思いましたが、そこはゆるゆるとした感じです。
 小野寺作品の常とも言えますが、登場人物はみな基本的にいい人でほのぼのした展開。安心して読めます。
 「小説現代」2026年1・2月合併号(2025年12月22日発売)掲載で、2026年2月24日単行本発行って、ずいぶん早い。

27.河鍋暁斎作品集 河鍋楠美 東京美術
 幕末から明治にかけて活躍した絵師河鍋暁斎(かわなべきょうさいなんですね。ぎょうさいだと思ってました)の画集。
 妖怪とかちょっとグロい系の浮世絵師と思っていましたが、テーマの幅は結構広いですね。日本の名所の風景画とかは掲載作品にはありませんが。
 私としては肉筆画の風神雷神図(84ページ)が気に入りました。所蔵はボストン美術館ですか。やはりすぐ海外流出してたんですね。よく見る妖怪系では百鬼夜行図屏風(118~119ページ)の剽軽さとか。こちらもゴールドマンコレクション、イスラエルかぁ。
 173ページの解説に「1890年には、パリの美術商サミュエル・ビング編集・発行『 LE JAPON ARTISTIQUE 』29号(9月)の表紙に『鵞鳥の図』が使われ、フランスでのアール・ヌーヴォーの流行に影響を与えた」と書かれています。そう書くなら是非ともその画像を掲載してほしいところなんですが…

26.いちばん使える 筋肉と関節 しくみが見える図鑑 末吉勝則、中田康夫監修 永岡書店
 人間の骨格、関節、筋肉のしくみと動作の際に主に働く筋肉などを、基本、頭頸部、上肢、体幹、下肢に分けて解説し、最後に運動器の衰えと機能訓練について解説した本。
 ことあるごとに可動域の範囲とその測定方法に言及されているのが、プロ向けの本だということを印象づけます。私の仕事等では、労災や交通事故の後遺症等級の判断基準でしか出てこない話ですが、リハビリや機能訓練の前提として把握しておく情報なのでしょう。
 人体にこれほど多数・多種の骨と筋肉があることに、まず驚きました。その構造や構成がシンプルなものではなく、部位ごとに複雑で頭であるいは理屈では容易には想起できないようなものだということを知り、それだけでも勉強になりました。
 部位ごとに、骨格の構成、関節の構造としくみ、筋肉の種類と配置(深層部、中層部、表層部別のところも…)が別々の図で解説され、その後「基本動作の主動筋」が図示されて解説されています。各別に図示することでより正確に解説がされて理解が深まるのでしょうけれども、動作に用いられる筋肉が骨格のどこに付着しているのか(それは正確にはダウンロード付録の「筋肉の起始停止早わかりBOOK」で確認しないとわからなかったりもします)を含めて、1箇所を1つの図で、関係する部位の形や名称もまとめてくれないと初心者には理解しにくいように思えます。そういう図が書きにくいから分けているのでしょうけれど。でも、そのあたり、下肢のページの基本動作の主動筋の図は水色の矢印が入っていることなどから比較的わかりやすく、他の部位もこういう形にしてもらえればよかったと思います。
 なお、足関節の内がえしの図(179ページ)は背側(ふくらはぎ)の筋肉を点線表示していますが、前脛骨筋と並んで内がえしを行う後脛骨筋(赤の点線だと思います)の名称を書かず、赤の点線のところに、黄色の点線のはずの長母趾屈筋の名称を入れていて、ミスリーディングだと思いました。

25.クロエとオオエ 有川ひろ 講談
 横浜で3代続いた宝石商の嫡男として金と女に不自由したことのない人生を送ってきた大江頼任が、合コンで鉢合わせした外注先工房の娘黒江彩に惚れ込み、仕事と私情を混同させながら関係を模索するラブコメ。
 クロエこと黒江彩の豪胆さと強情さ、職人としての腕とセンス、気っぷの良さと食べっぷりが、読みどころというか、感じがいい小説ではあります。
 宝石とアクセサリー(ジュエリー)に関するうんちくというか解説が多く、それが好きな人にはたまらないのでしょうけれども、まったく関心がない私には、もう、それいいからお話を進めてよという気持ちになり、度々読む勢いが止まり、意外に時間がかかりました。指輪の装飾技術など文字で読んでもイメージできない読者のために章末にイラストに加えQRコードで写真も見れるようにしてあるのは親切ではありますが…

24.暗中模索のフェミニズム 栗田隆子 青土社
 女性で非正規労働者で障害者でもあるという著者が、フェミニズムを中心に発言の、思想の、運動のあり方に関し、あるいは反対者や権力側の動きに関し、思うところを述べた本。
 さまざまな雑誌等に書いた文章をあわせたものなので、流れとして読みにくかったり、フェミニズムの本流の話題に見えなかったりしますが、著者のこだわりというか、ここに食いつくかという視点のユニークさに興味を惹かれる本でした。
 インターセクショナリティ(複合差別)に絡んで運動の中での差別や、運動のリーダーに対する問題指摘を隠蔽しようとする者への反発をあらわにしています。結論の中でも例えば市川房枝の戦争協力と戦後もそれを「悔いてはいない」と述べたことを取り上げています(168ページ)。私は、例えば非暴力不服従運動で知られるガンディーが度々従軍していて、その後それを反省するのを聞いたことはありませんが、それも含めてのガンディーなのだ(ガンディーの従軍の場合、それでイギリス政府に評価されたことがその後非暴力不服従運動でイギリス政府と対峙した際のイギリス側の対応に影響を与えているのではないかと、私は推測していますが)と評価しています。しかし、それを過ちと指摘したい人はいるでしょうし、それをゆるがせにしてはならないという視点もまたあっていいと思っています。

23.絶望の凶弾 安倍元首相銃撃事件 読売新聞大阪本社取材班 中央公論新社
 2022年7月8日の安倍元首相銃撃事件から2026年1月26日の1審判決までの読売新聞大阪本社取材班記者たちの取材対応と記者たちが見た事件について記したノンフィクション。
 山上徹也が事件直前にルポライター米本和宏に送っていた手紙を、事件直後に警察より早く入手してスクープした経緯は読ませてくれますし、過去の勤務先の同僚等への取材が読めるのも新聞社ならではです。しかし、それ以外は、基本的に1審判決のトーンでまとめられており、手堅いとも言えますが、建前的な評価にも見え新味は感じませんでした。
 何よりも気になるというか欲求不満になるのは、安倍晋三と統一教会の関係について取材したことを全然書いていないことです。この本を読んでいるとまるで安倍晋三は統一教会の関連団体に一度ビデオメッセージを送っただけとでも言いたいように見えます。判決は、「安倍が実際に教団と関係があったか。こうした点にはいずれも言及しなかった」(303ページ)と書いていますが、裁判所が触れなくても、それを取材して報じるのが新聞の使命だろうと言いたくなります。おわりにで「本書は教団と政治家の関係を解き明かすのが目的ではないので、その記述は必要な範囲にとどめた」(315ページ)と言い訳していますが、まるで安倍晋三がビデオメッセージ以外には統一教会と関係がなかったかのように印象づけるのは必要な範囲にも足りていないだけでなく意図的な忖度・ミスリードに思えます。
 そして、山上母が全財産1億円以上を献金した経緯について長男の右目失明をネタに家系図を書かされビデオセンターで家系に問題があると言われたことを書き、「旧統一教会の典型的な手法だ」と書きながら(251~252ページ)、この本では山上母の献金を、今も信者である本人がそう言っているからといって、成人が任意に行った自発的なものと一貫して扱っています。そうすると読売新聞は、統一教会の典型的な霊感商法の手口にあって献金した人は霊感商法被害者じゃなくて信仰心から献金したのだと見ているのでしょうか。私には驚きです。
 このような、安倍晋三と統一教会への忖度から、事件の捉え方もそれに都合のいいものへと歪められているのではないかという疑念を生じます。早い段階で「教団や縁のあった政治家が悪で、山上は人生を壊された被害者。そんな二分論に単純化してしまうと、真相を見誤ってしまう」とも書いています(82ページ)し、そういう見方を否定することがこの本の目的なのかなと。1審判決も同じ指向でそのお墨付きもあるのだから、私のような見方は少数派なのでしょうけれども。

22.二人キリ 村山由佳 集英社
 1936年5月18日に荒川区尾久の待合(連れ込み宿)で料理店「吉田屋」の主人石田吉蔵が愛人の住み込み女中田中加代こと阿部定に絞殺され陰茎を切断して持ち去られた事件について、事件当時尋常小学校5年生だった吉蔵の妾腹の子波多野吉弥が、30年余をかけて関係者に聞き取りを続け、最後には阿部定本人に、父の名誉のためにも真実を知りたいと突撃するという展開の評伝小説。
 タイトルは、阿部定が事件現場のシーツに吉蔵の血で書き残した「定吉二人キリ」の文字から。
 世に数多の阿部定本があり、その中で阿部定が「お定色ざんげ」の作者と出版社を訴えたことに関して、「中にはまるであたし自身の告白を聞き書きしたような体裁の文章が延々と連なっていた。嘘だ。出鱈目だ。ざんげどころか、あたしは著者の木村一郎なんて人に会ったこともないし名前を聞いたことさえなかった」(283ページ)と書き、また小説を書きたいという吉弥に対して阿部定をして「あの『色ざんげ』を書いた奴みたいに、事実と違うことをそれらしく書き散らして名声が欲しいってわけかい」と言わせている(262ページ)のは、自覚はしてますよという作者のエクスキューズなのか、それともこの作品はそのレベルを超えているという自負なのか。吉弥と語り合う映画監督Rに「仮にドキュメンタリーの看板を掲げていれば全部が真実か?違うだろ。たとえ元々が実話であってさえ、人に伝えるべく言葉や映像を使って表現されたものは、どうしたってことごとく虚構になっていくんだよ」「俺らにできるのは、伝えるべき物事の心臓がどこにあるかを見失わずにいることだけだ。そこさえ間違わなきゃ、極端な話、事実にどれだけ大きな脚色を施したっていいと俺は思ってる」(416~417ページ)と言わせているのは、作者の本音か、開き直りか。
 時代の流れによる性のあり方への見方の変化、許容度の変化と作者の価値観で、阿部定を中心とする女の生き様を再評価する試みですが、そこは好みの問題かも知れませんが、私としてはそうであれば阿部定以外の女性にももう少し自由度・意志の強さを加えてみてはと思いますし、とりわけせっかくはっちゃけたキャラ設定をした水沢粧子を、吉弥から見て理不尽だとか苦い思いをさせるレベル(461~467ページ)を超えて深掘りするなり突き抜けさせてほしかったと思います。

21.DANGER デインジャー 村山由佳 新潮社
 ゼミのコンパで隠し芸を強いられた後輩に代わり即興で披露した回転技(グラン・フェッテ・アン・トゥールナンだそうな:32ページ)を見て以来、ゼミでも職場でも先輩の水野果耶に憧れていた週刊誌記者長瀬一平が、親会社主催のボリショイ・バレエ団招聘の宣伝のため、水野果耶と組んで月刊誌と週刊誌にバレエにまつわる連載記事を書くことになり、世界でも屈指の名振付家久我一臣を取材することになったという設定で、久我が語るロシア革命から逃げてきたバレリーナが開いたバレエスクールによる伝授、上海での稽古、招集され衛生兵として送られた満州での日々、敗戦後のシベリア抑留などを聞き調べて行くという展開の小説。
 基本的に、長瀬視点の現在の語り、久我の話す過去の事実、久我の話から水野が書いた記事が混在する形で進みますが、途中(第4章)から満州に移住した副島翠視点の話(改めて読むと、最初に回想であることが示唆されていますが)が入ってきて少し混乱しました。
 満蒙開拓団として国に踊らされて満州に移住した人々が、関東軍に切り捨てられて逃走する過程で受けた暴力や恐怖、長期間帰国できず多くの者が死亡した事実、戦争が庶民に与える苦痛と恐怖を中心的なテーマとし、それをバレエの歴史とエピソード、長瀬と水野、久我をめぐるラブ・ストーリーを絡ませることで読みやすくした作品です。
 戦争をしたい、戦争を賛美する政治家たちが世界と日本を牛耳る現在、政治好きでない人にも読んでもらいたい、作者のそういう思いが伝わってくる作品で、私もまた共感します。

20.PRIZE プライズ 村山由佳 文藝春秋
 売れっ子作家だがデビューの際の新人賞と本屋大賞以外の文学賞を取れず直木賞受賞を渇望する天羽カインと学生時代から天羽カインに憧れていた担当編集者緒沢千紘が直木賞に向けて奔走するという小説。
 前半は天羽カインの傍若無人の態度と言い草に圧倒されます。もっとも作家はそれくらい我が強く強い自負がないと尖った胸に刺さる作品は書けないのかもとも思います。それで突っ走る作品かと思っていたら、後半は、常識的で謙虚さを備えた社会人に見える緒沢千紘ののめり込みというか思い込みというかの怖さを含めた毒の吐きっぷりの方が読みどころになり、驚きます。ただ、その展開をするときに、緒沢千紘を性暴力被害者と設定した(166ページ)ことが、どう読めるか、天羽カインに有名人の昔の所業についてずっと黙ってきたのに最近になって匿名でセクハラ告発する女性を批判させた(161~163ページ)こととの対比で作者は性暴力被害者について本音ではどう思ってるの?という疑問をうっすらと感じました。
 天羽カインのモデルは誰かが当然に気になるところです。さすがに作家がこれを書くときは自分をモデルにした自虐でないと書けないと思うのですが、作者は2003年に直木賞を受賞済みです(他方、本屋大賞は未だ取っていません)。本人は、インタビューで、デビュー以来10年間の直木賞を取れなかった時期のことを書いたというのですが、おそらく業界からは、最初のノミネートで受賞した作者に何度も受賞を逃した者、編集者に囲まれた待ち会をして落選し苦汁をなめた者の気持ちがわかるのかという怨嗟の声が聞こえてきそうです。もちろん、といって実は直木賞多重落選者(女性作家で本屋大賞受賞後に複数回直木賞候補となって落選し、その後受賞したのは恩田陸、今なお未受賞は湊かなえくらい、デビュー3年で本屋大賞というのは湊かなえっぽい…おぉくわばらくわばら)を揶揄した小説ですなんてことだったらたいへんなことになりそうですが。
 「オール讀物」の編集長が選考会の司会を務める(233ページ)直木賞の舞台裏を書くこの作品が「オール讀物」に連載され文藝春秋社から発刊されているのは大胆というべきか、直木賞の選考過程には一切のごまかしがあり得ないことを繰り返し説く(56ページ、108ページ等)のは文春との出来レースと読むべきか。

19.傷つきやすいものたち ドナテッラ・ディ・ピエトラントニオ 小学館
 イタリア中部のアブルッツォ州の片田舎で28年前に2人の女性が殺害されたキャンプ場跡のある狼の牙と呼ばれる土地を所有する父ロッコからその土地を生前贈与したいと言われた理学療法士ルチアが、ミラノの大学に入学したがコロナ禍のロックダウン直前に戻ってきてそのまま引きこもる娘アマンダとうまく意思疎通ができず、一人で出て行きトリノに住む夫ダリオからはアマンダのことで責められながら、28年前の事件とその後疎遠になりカナダに行ってしまった親友ドラリーチェを思うというような小説。
 現在のアマンダと28年前のドラリーチェが暴力を受けて傷つき、それを防げなかったことを悔やむルチアの心情がメインストーリーとなっていますが、情報が小出しにされ現在、近過去、28年前を行き来するので少しわかりにくい印象です。ミステリーっぽいと思えばそれでいいかもしれませんが。
 傷ついた人への思いはつのるが、その回復、関係の修復は思うにまかせず、時間が解決する、それに向けてできることをやっていくしか…という切なさと軽い諦念と軽い楽観が混ざる読後感でした。
 作者の落ち度ではないのですが、ドラリーチェという登場人物名が、私にはドラえもんズのドラリーニョ(ブラジル)を想起させ、シリアス/しんみり系の話なのに度々頭がポワンとしてしまいました。

18.インモラル 杉本彩 新潮社
 売れっ子のセクシー女優森野美咲が、プロのギタリストの夫小川敏也と離婚した後、共演した6歳年下の無名の俳優や機内で知り合った奴隷志願のビジネスマン、既婚の写真家などと次々と肉体関係を持つ官能小説。
 セクシー女優として売り出した作者が作家になった第1作で、どこまでが実話かと興味を持たせて自己プロモーションする作品かと思います。
 自分の性欲には忠実だが、金では売らないという姿勢を見せスポンサー話で2人での海外旅行に釣ろうとした企業の会長を袖にするのはあっぱれですが、トークショー10回で3000万円払うというのをネタに誘ってきた女社長には近づくのに罪悪感がないというのはどうしたものか…
 最後の方は、そういう感覚・考え・性的嗜好の人もいるのかもしれませんが、パートナーの設定・選択がちょっと都合よ過ぎじゃないかなと思いました。

17.西のゴリラは樹上で眠る パパ・ジャンティとその家族 安藤智恵子 京都大学学術出版会
 学生の頃にゴリラ研究者ダイアン・フォッシーの実話を元にした映画「愛は霧のかなたに」を見てゴリラの虜になったという著者(16~17ページ、21ページ)が、JICAの青年海外協力隊として東アフリカの国立公園の保護官になった後、京都大学の山極壽一調査団のガボンでのニシローランドゴリラの長期調査の先遣隊としてゴリラの人付け(要するに人になれさせること)を任されてガボンのムラカバ-ドゥドゥ国立公園内の村に住み着いて22頭前後のゴリラからなる「グループ・ジャンティ」と名付けたゴリラたちをはじめとする周囲の森林のゴリラたちを調査観察した日々を中心に著者の半生と研究活動、地域振興についての考えなどを述べた本。
 著者自らが直接間近で見聞きしたゴリラたちの生態が読みどころで、ゴリラはあまりに怖い思いをしたりストレスを受けたりするとすぐ下痢便をし人間を見ると一目散に逃げ逃げた後には点々と下痢便が落ちている(35~36ページ)とか、メスが授乳中でも(つまり発情期でなくても)性交渉していた(179ページ)とか、重傷を負い片腕となったゴリラをグループの長「パパ・ジャンティ」をはじめグループ全体で気にかけかばう様子(183~186ページ)など、興味深い話が満載です。
 ダイアン・フォッシーに憧れてゴリラ研究者の道に入った著者ですが、ダイアン・フォッシーがゴリラが現地の人になれて密猟されることを避けるために現地の案内人をゴリラと引き離したことを批判し、地域住民がゴリラや森を守りたいと思って行動しない限りこの先ゴリラとその生息地を守れないと述べています(70~71ページ、229ページ)。研究者は師を超えて行かねばということでもあり、現地の人々と協力しともに学び成長したという自負を感じます。

16.専門医の壁 「総合診療医」が超高齢社会を救う! 和田秀樹、徳田安春 九十九シンシャ
 高齢者医療に携わってきた精神科医と総合診療医の著者たちが、現在の日本の医療が臓器ごとの専門医による臓器別医療中心で全身を一人の人間として診る総合診療医が非常に少ないことを嘆き、総合診療医を増やすべきことを提言する本。
 著者の1人(和田秀樹)が、「高齢者が元気になり、現役世代の手取りが増える社会をめざして、政治団体『幸齢党』を立ち上げました」(4ページ)と述べているように、読者が自分の健康のためにどのような医療・医師を選択するかということよりも政策提言的な論調が前に出ている感じです。
 それでも、臓器別医療による多剤併用について動脈硬化や心血管疾患の予防等のために脂質低下薬を使用することが免疫反応抑制によって感染症に対する抵抗力を低下させたり脳内のコレステロール代謝に影響を与えてうつ症状や認知機能低下を引き起こす可能性がある(65~67ページ)とか、高齢者は動脈硬化が進んでいるのがふつうで加齢による高血圧や高血糖は体が動脈硬化に対処して脳に酸素やブドウ糖を行き渡らせるための適応現象と考えられ医師が指導して基準値まで血圧や血糖を下げると相対的に脳が栄養不足・酸素不足になって頭がぼんやりしたりだるさや足がふらつくなどの不調が現れるし指導自体が心理的ストレスになる(67~70ページ)などの指摘には、なるほどと思います。医学的にどこまで正しいのかは、素人の私にはわかりませんけど。

15.炎と水 中村哲と名もなき人たちの旅 山岡淳一郎 集英社
 戦乱と飢餓に襲われるアフガニスタンで、ハンセン病治療のみならず貧しい人々の命を救うために食料を配り、井戸を掘り、用水路を造るという事業を進め、2019年12月4日、今もその真相がわからない暗殺に斃れた医師中村哲の活動と生涯を綴ったノンフィクション。
 生前の中村哲に一度も会ったことがない(89ページ)著者が、中村哲の死後4年近くたって取材を始めたものなので、記憶の曖昧さや欠落は出てくると思いますが、その分冷静に俯瞰できるところもあるでしょう。故人を神のように崇めるのとは別の1つの見方と受け止めるべきでしょう。
 医師としての献身的な働きという面を遙かに超えて、人の命を救うという信念と、そのために資金を用意し人を動かす実行力に感嘆します。ガンディーにせよキング牧師にせよ、非暴力不服従の思想性に心酔する人が多いのですが、非暴力不服従を唱えていれば、個人的に実践していれば現実を動かせるわけではありません。運動の先を読み、ときには冷徹な判断をしても目的に向けて前進し続ける実行力があればこそ世の中を動かせたわけで、私はそこにこそ彼らの偉大さを見ます。そして、運動・計画を進める中で、さまざまな勢力の利害と圧力、関係者の思惑、メンバーの能力不足や裏切りに悩まされる姿に、そして迎えた理不尽な死に涙します。世の中には身勝手でそれでも自己を正当化し自分のしていることは正しいと思い込んでいる人が実に多いことは、仕事がら(?)哀しくも実感するところです。
 人間、一度は死ぬものだと言いつつも、20年先を見通せるまでまだまだ働かなければならないと心に期して70歳前後から食事を野菜中心に変えゆっくり咀嚼するように心がけタバコもすっぱりやめた(373ページ)というエピソードが、志半ばで殺害された無念を改めて感じさせます。「クレヨンしんちゃん」を愛したという故人の人柄と偉業に思いをいたしました。

14.何がダサいを決めるのか 平芳裕子 ポプラ新書
 ネットで広がったパーカーを着ているおじさん批判を主たる素材として、パーカーの起源、スーツの起源を紹介し、元来は簡略化された活動しやすい服であるスーツがビジネススタンダードとなっている現在、同じくさらに活動しやすい服として開発されたパーカーが反権威と意図的な逸脱の象徴としてあり得ることを示し、変革への志向を煽る本。
 弁護士とスーツ着用について、よいスーツは着ている人の能力と信用を表すものとされています(164ページ)。そういう目で見ている人が多くいるのは事実で、常日頃めんどうだなぁと思っています。この本では、立派なスーツを着て堂々と仕事をしていれば、弁護士資格がなくても誰もそれを疑わないとも書いていて(165ページ)そういう世間の目を揶揄的に見ているとも言えますが。
 著者は、「逸脱したスタイルにもかかわらず、それが『おしゃれ』として好意的に受け止められるのは、揺るぎない立場にある人や、名誉を獲得した立派な人物です」(244ページ)としています。例としてはスティーブ・ジョブズとか。著者はその上でそうでない者も勇気を持ってやって見ろといい、「スーツを脱いでカジュアルにしてみましょう。パーカーを着てみましょう」(261ページ)、いきなりスーツを脱ぐのが難しければ「たとえば襟のないジャケットにしてみる、ジャケットを脱いでシャツだけにしてみる、派手な色や柄のトップスにしてみる、柄付きの靴下にしてみる、短パンをはいてみる」(259ページ)というのですが…
 そして最後に著者は、「『ダサい』は、規範から逸脱し、自由になるための力です。その気づきが、自分の心に余裕を生み、社会にも真の安定をもたらします」と、「ダサい」と言われることを恐れるなと述べています(268~269ページ)。う~ん、この甘言というか挑発に乗っていいものか、少し考え込んでしまいます。

13.ノスタルジア 島本理生 河出書房新社
 高校生の時に母親が父親と無理心中して児童養護施設に引き取られ高校卒業後派遣の仕事をしながら小説を書きため新人賞を受賞して作家となったが、8年前に恋した男が自死した5年前から原稿が書けなくなっている39歳の岸田紗文が、少し前に関係を持ったが別れた今はノンフィクション部門にいる元週刊誌記者の川名の紹介で信仰がらみの殺人事件で有罪判決を受けて自死した東雲凛子の20代半ばの息子創を預かることになり、2人で過ごす間の心の動き、トラウマのような記憶から解放されて行く様子を描いた小説。
 読み終わってこのように整理しましたが、岸田紗文の持つトラウマや思い起こす過去の記憶には父母の様子や児童養護施設で出会った5歳児や押し寄せる津波の映像などもあり、人生や人間はそう単純ではないと描かれているように見えます。しかし、話が進むうちにほかの過去は現在の岸田紗文に影響を与えている感じではなく自死した恋人のことが重要なことがわかります。私には、それならそこに集中してもらった方がわかりやすいように思えました。小説は、わかりやすければいいというのでもないでしょうけど。
 その5年前に自死した恋人の名前が、前半では「A」で、後半では「青野」とされているのも、前半は記号にした趣旨の説明もなく、ストーリー上隠しておく必然性もなく、なんなのかなと思いました。
 岸田紗文が持つさまざまなトラウマに関連するのでしょうけれども、手がガラスを突き抜けたり蛍光灯が次々破裂したり爆発が起こったり、妄想のような場面が度々現れ、創がパラレルワールドを示唆するけれどもそれ以上の説明もなく流されて行きます。それがメインではないのですが、これってオカルト?SF?という疑問が残り、ふつうに小説を読んだ気がしません。
 巻末に挙げられている参考文献が5本中3本まで原発関係で、先にそれを見てしまったため原発ないし福島原発事故がテーマか重みのあるエピソードとして出てくるものと思っていました。しかし、原発が絡む場面は、恋した自分の気持ちを核分裂・臨界に例えた、爆発音と煙の妄想を福島原発3号機の爆発に見立てた、自死した男が死ぬ前に行ったイギリスの町の海岸に原発があったというだけで、それが何を意味するのかも語られず、ただ飾りのように配置された断片以上には思えませんでした。

12.チャックの数奇な人生 スティーヴン・キング 文藝春秋
 引退した富豪の老人ジョン・ハリガンに朗読と雑用をするよう雇われていた子どもクレイグが賞与代わりに渡されたくじで大当たりしたときにハリガンにプレゼントした iPhone でのハリガンの死後の交信にまつわる「ハリガンさんの電話」と、破滅に進む世界でなぜか突如街中にあふれた「チャールズ・“チャック”・クランツ、39年の素晴らしき歳月!ありがとう、チャック!」の広告映像の主人公チャックの過去にまつわる「チャックの数奇な人生」の2編からなる作品集。
 いずれも恐怖感を持つほどではない不思議な現象を扱った怪奇譚というところです。
 後者が映画化され(「サンキュー、チャック」:アメリカでは2025年6月6日公開、初週末興行成績はなんと19位で翌週末の9位が最高で以後トップ10に入れず。日本では2026年5月1日公開、初週末が9位でその後トップ10に入れず。映画の予告映像に「スティーヴン・キング映画の最高傑作」の文字があるのが虚しいというか図々しい)、それに合わせてこの本が出版されたので予約したのですが、結局は映画の方は見ませんでした。
 子ども時代にこのような経験をしたチャックがその後自分の人生をどう考え受け止めていくのかについて、哲学的なあるいは人生論的な考察は(自分で)できるとしても、読者の関心は何よりも映画の予告編でも目につく街中に掲げられたチャックの広告、そしてこの作品の冒頭に示されるカリフォルニア州の消滅をはじめとする世界の崩壊に向かう状況に関して、その原因とそれがその後どうなるのかに向けられると思います。それについての回答(211~212ページあたり)を、これでよしとする人もいるのかもしれませんが、私には、何だよこれというもので、釈然としない読後感でした。

10.11.立ち上がる時 上下 メリッサ・ダ・コスタ 講談社
 ベテランの演出家の妻イザベルの計らいで成功しつつあった舞台俳優フランソワ・ルヴィエが妻を裏切り18歳年下の劇場案内係の学生エレオノール・ランブレイと新たなアパルトマンを借りて引っ越すことにしていた矢先、交通事故に遭って半身不随となり、打ちひしがれ自暴自棄になったときからの3年間を描いた小説。
 ジコチュウで見栄っ張りで現実を直視できず、愛人が尽くすことを当たり前と考え、すぐに気分が変わってかんしゃくを起こし八つ当たりをし嫉妬深く、再就職の努力もせずにいるとんでもなく嫌な男が、周囲の善人たちの人情にほだされながら現実と身の程を少しずつ認識し、しかし度々揺り戻しながら、成長ないし再生するという様子を、コンビを組む弱々しく依存的であった女が少しずつたくましさを持ち自立する様子と組み合わせながら、人生とカップル、家族の難しさと良さを描く作品と読みました。心情的な安定が見られて少し成長したなと思うとぶち壊しにするような感情の爆発があったり、一方がよくなるともう一方が悪くなるような間の悪さを繰り返して、なかなかすんなりとは進まない700ページ余の長編ですが、元々がジコチュウの上に容易には受け容れがたい事態ですので、まぁこれくらいかかるのかなと思いました。
 私自身は、どうもフランソワやエレオノールには共感できなくて、イザベルの方に心情を寄せて読みました。

09.取調室のハシビロコウ 黙っていたら、壊された。ある弁護士の二五〇日勾留記 江口大和 時事通信社
 犯罪(無免許運転者に車両を提供した罪)を犯した依頼者のために運転者に提供者をかばう供述をするよう教唆したという犯人隠避の教唆または共謀をしたという容疑で逮捕・勾留・公判請求され250日間身柄拘束された(最終的に執行猶予付きの有罪判決確定)弁護士である著者が、取調や身柄拘束中、さらに刑事裁判及び国家賠償請求訴訟(一部勝訴)の経緯について綴ったノンフィクション。
 タイトルにされているように、著者が受けた取調での検察官の言動(後日国家賠償請求訴訟で開示された取調録画による再現)が一番の読みどころです。この検察官による罵倒、嫌がらせと、多くの検察官が書く被疑者との腹を割った信頼関係の構築による供述の獲得という話のギャップをどう読むべきでしょうか。検察官が書く本が建前で本書のようなものが実態なのか、本を書くような検察官は人前で言えるような実践をしていてこの検察官は違うという人による違いなのか。興味深いところです。
 私には、検察官のひどさと別に、取調を受ける者の心理、動揺ぶり、元々刑事事件を専門とする弁護士が、弁護人が交代で毎日接見(面会)するという被疑者としてはかなり恵まれた条件でもなお、これだけ動揺し弱気になったりするということに衝撃を受けたというか、自分が刑事事件をやっていた頃の認識が甘かったなと痛感しました。私が捜査段階の刑事弁護をしていた頃は20日間で原則6回接見に行くということを実践し、周囲からはそんなに接見に行くのかと瞠目されていましたし、自分では十分にやっていると認識自負していたのですが。もっとも著者に対する取調は被疑者が弁護士であることと完全黙秘を貫いたことから通常より長時間にわたりかつ厳しいものとなっていたのだと思いますが。
 この本全体としては、取調は250日のうち最初の20日だけですし、取調がなくなった後の身柄拘束の方が著者へのダメージとなっていることもあり、全体をこのタイトルで見ると印象が違うかなと思いました。

08.最後の賭け エイブリーと消えた後継者 ジェニファー・リン・バーンズ 日之出出版
 17歳の高校生が、大富豪トバイアス・タッターソール・ホーソーンから、娘や孫たちを差し置いて462億ドルもの遺産の大部分を遺言により譲渡され、その遺言の謎を解くアドベンチャー・ミステリー小説の第3巻完結編。
 ホーソーン家のイケメン4兄弟の知識経験と警備隊長や顧問弁護士らの力、莫大な遺産の財力で進めてきた感がありましたが、最後はエイブリー自身の知力で戦い、そこまで読むと全体としての納得感がありました。それはエイブリーが成長したということでしょうか。気になって第1巻のはじめを読み直してみたのですが、エイブリーは、20年間満点の生徒がいないイェーツ先生の物理のテストで満点を取りカンニング疑惑を受けています(第1巻6~8ページ)。ずっとイケメン男たちにフラフラする様子などからエイブリーの知力を侮って読んでいたようです。敵が何者でもない若い女性(小娘)と見誤るという予言(第3巻301ページ)が敵だけじゃなくて読者にも向けられていたというところでしょうか。
 「謝辞」で作者は第3巻を出版できるほど十分な読者がいるか確信がなかったと述べています(第3巻396ページ)が、エイブリーの設定やトバイアスの手紙(第1巻57ページ)などからしても、第1巻の最初から第3巻への展望はあったように見えます。最後までの構想はあったけど、売れなくて第3巻が出版できなかったらどうしようって思ったということですね。私は、率直に言って、第3巻まで読んだから全体として納得できたのですが、第1巻と第2巻を読んでいるときはわがままで夢見がちな高校生の自己満足に付き合わされるのは大概にしてほしいと感じていたので、第3巻が無事に出版されて完結できたのはよかったと思います。

07.ホーソーン家の遺産 エイブリーと秘密の家系図 ジェニファー・リン・バーンズ 日之出出版
 17歳の高校生が、大富豪トバイアス・タッターソール・ホーソーンから、娘や孫たちを差し置いて462億ドルもの遺産の大部分を遺言により譲渡され、その遺言の謎を解くアドベンチャー・ミステリー小説の第2巻。
 第2巻では、第1巻でいったん否定されたエイブリーが実はホーソーン一族と血縁がある本来の相続人なのではないかというテーマが蒸し返され、ほぼそれを中心として展開します。第1巻終盤での謎解きに納得できないものが残ることからして別の展開が目指されるのはわかりますが、それでまた400ページ近く費やすのかなとも思います。
 主人公が17歳の高校生という設定ですからそういうものとして読むべきなのでしょうけど、イケメン男にクラクラし、2人の男を行き来しながら追い続ける、背徳感というよりもイケメン2人を本気にさせられる自分への陶酔感がにじみ出る記述を、好意的に読める読者にはいいのだろうと思いますが、そこに嫌悪感を持つ者にはページをめくるのがだんだんと苦痛に思えました。

06.相続ゲーム エイブリーと億万長者の謎の遺言 ジェニファー・リン・バーンズ 日之出出版
 7歳年上の姉と2人でコネチカット州に住む17歳の高校生エイブリー・カイリー・グラムスが、テキサス州に豪邸を構える大富豪トバイアス・タッターソール・ホーソーンの遺言で462億ドルの遺産を譲渡され、ほとんど相続財産を与えられなかった4人の孫と協力しあるいは競争して謎かけ好きの故人がその遺言を残した動機と遺言に隠された謎を解明しようと奔走するというミステリー小説。3部作の第1巻。
 読み始めて、ずいぶん前に流行り、読んだメグ・キャボットの文体、タッチを思い起こしました。そして、それは要するにジェニファー・リン・バーンズの文体やメグ・キャボットの文体の問題ではなく、訳者の文体なのだと思い直しました。
 多数の棟、図書室、ベッドルーム、隠し部屋、隠し通路に満ちたホーソーンハウスを舞台に展開する冒険は、私には11歳のハリー・ポッターがいきなりホグワーツをまるまる相続したとしたらというイメージでした。もちろん魔法は登場しませんが、ホグワーツで魔法により作られたり起こったりすることがホーソーン家のとんでもない財力で実現されているという感じです。
 最初と最後にキャラクターイラストがありますが、奥付からすると日本語版独自のもののようです。「トワイライト」シリーズで日本語版のキャラクターイラストが原書とずいぶん印象が異なり、映画化されたときにキャスティングが日本語版のイメージと大分違うと感じました。この作品も映画化されるときにはそういうことになるかもしれません。
 この巻で遺言の謎は解かれたという流れが作られますが、今ひとつ納得感がなく、エピローグでやはり謎が解ききれていないことが示唆され、第2巻に続くとされます。まぁそうだよなぁとは思いますが、400ページ超を読み続けてそう言われても、どこまで付き合う気になれるか…

05.最新 欧米人とはこんなに違った日本人の「体質」 奥田昌子 講談社ブルーバックス
 各種の医療機関・研究機関が行ってきた生活習慣(食生活、飲酒、喫煙、運動等を含む)と疾病の発症等に関する疫学調査、それと遺伝子情報を組み合わせたゲノムコホート研究などをコンピュータ解析し、人種による差異を捉えて従来言われてきた医学・健康に関する常識が日本人に適合するかを論じた本。
 日本人は穀物から食物繊維やミネラル、植物性タンパク質を摂ってきたのでグルテンフリーダイエットなどをしたら糖尿病になるおそれがある(41~44ページ)というのですが、それは玄米や雑穀を食べていた時代との比較で、今のように白米など精製された炭水化物(糖質)中心の食事からであればグルテンフリーが体に悪いとはならないように思えます。
 和食には海藻や緑黄色野菜、大豆、小魚など骨を強くするのに役立つ栄養素が豊富で日本人は欧米人より骨が強いとして、日本人に乳糖不耐症(牛乳を飲むとおなかがゴロゴロする乳糖分解力が弱い人)が多いことと併せ牛乳の必要性に疑問を呈しています(54~58ページ)。これも、大豆や海藻の摂取量が減っている状況を考えると、牛乳も、苦手な人でなければ飲んだ方がいいように思えるのですが。
 日本人は皮下脂肪よりも内臓脂肪がつきやすく(46~47ページ、100~101ページ)、標準体重でも糖尿病になる(90~91ページ)、腎臓も元々ネフロン(浄化装置)が少ない(93~95ページ)と指摘されています。著者は、その不利な体質を跳ね返して糖尿病を避けるには、果糖と脂質を避け炭水化物と食物繊維をたっぷり摂れ(45~47ページ、101~104ページ)、「体によい油」もナッツも脂質だからダメ(51~54ページ)と言っています。「地中海食」も日本人にはよいと言えないということですね。炭水化物をたっぷり摂れというのは意外(それは玄米や雑穀を食べろということでしょうけど)ですが、果物も脂質もダメと言われると、やはり寂しく哀しい。

04.小さなパンダ レッサーパンダの謎 佐藤淳 東京大学出版会
 レッサーパンダの進化系統、体の形態・構造、生態、絶滅危惧種としての保全などについて解説した本。
 ジャイアントパンダと並んで、食肉目に属しているのに草食系で実際に食べるのはほとんど竹(葉とタケノコ)というのが、驚きの特徴になります。67ページに歯の写真があり、いかにも肉食っぽい牙(犬歯)や前歯と草食らしい奥歯(臼歯)が印象的です。また、気がつかなかったけど、腹部の毛が黒い(「腹黒い」)のも、言われてみればレッサーパンダの特徴です。
 著者は、「はじめに」でレッサーパンダの本を書きながら「野生のレッサーパンダを見たことがない」と断っていますし、「わたしの知る限り、野生のレッサーパンダを研究対象としている日本の研究者はいない」とのことです。著者自身の研究としては安佐動物公園の死んだレッサーパンダの筋肉組織の提供を受けて核DNAを用いた分子系統解析を行い2009年にレッサーパンダの系統・分類学的な位置づけを世界に先駆けて決定した(36ページ)とのことです(その著者らの研究成果がレッサーパンダ研究者に取り上げられることが少ないことを「非客観的で公平性に欠ける」と憤慨しています:140~141ページ)。ほかには、レッサーパンダの味覚に関して味覚受容体遺伝子についても成果を上げたそうです(155ページ)。しかし、ほかにはレッサーパンダに関する研究成果はない(155~156ページ)ので、基本的にこの本は主として海外の他の研究者の研究成果をレビューした解説になります。プロが第三者の目で行う道案内というところでしょうか。そういう点ではほどよく力の抜けた解説書という印象です。

03.書物を楽しむ あえて今、紙の本を読む理由 林望 朝日新書
 作家で書誌学者の著者が、読書は電子書籍や図書館で借りて読むのではなく紙の本を買って読むべきことを強く主張するとともに、自己の書籍収集と読書の経験等を披露した本。
 モニターで見る文書よりも紙の方が圧倒的に一覧性があること(20~22ページ)は、私も常々感じているところで、仕事で目を通すような内容をきちんと頭に入れないといけない文書(相談者から送られてくる判決等や裁判資料)は必ずプリントアウトして読んでいます。デジタルネイティブ世代はどうなのかわかりませんが、私のような紙で育った人間は画面で読んだだけでは何か見落とすような、十分頭に入らないような不安がつきまといます。また、買った本を捨てがたい(68ページ等)というのも、同じです。
 しかし、だから読書は必ず紙の本を買って読めというのは、いかがなものかと思います。「図書館の本を片っ端から借りてきては『自分は、月に何十冊読んだ』とか言って自慢する人がいますが、」(124ページ)と非難されていますので、サイトで「年間300冊読む読書術」というコーナーを持ち、図書館で借りて読むことを推奨している(→こちらのページ)私としては(もちろん、面識のない著者が私のことを想定して書いていることは考えられませんけど)、ここは一言述べておきたい。
 この本で電子本に関して述べるところでは「著作をしても儲からない」などというややいじましい見出しがあり(42ページ)、図書館で借りることへの批判では著作者の印税が減ることを論じてはいますが、著者は自分の本について古本ででも買って一読して欲しいと勧めている(193ページ。もちろん古本で売れても著者に印税は入りません)ことからしても、著者の本意は銭金のところではないのではないかなとは思うのですが、まず印税関係の話について検討します。ベストセラー本について公共図書館が多数購入してただで貸すことへの批判(137~144ページ)は、それで購入者が減って著者への印税が減るというのも少しは当たっていると思うのですが、それが大きな影響があるとするのは、そもそもベストセラー本では図書館での貸出の割合自体が微々たるものでそれほど影響があるとも思えない上に、図書館が貸さなかった場合にその人たちが本を買うということを前提とする議論です。率直に言って図書館で借りて読む人の大多数は、ただなら読むけど買ってまで読む意欲は持てないのだと思います。私も読書好きですが、もし著者が言うようにすべて買って読めと言われたら、今どきだったらそれなら動画配信のサブスクの方に金を払って基本的なスタンスを読書から映画に変えるだろうと思います。そして著者が引き合いに出す初版4000部くらいの「良書」について言えば、その実売のかなりの部分が公共図書館で(私もその昔初版3000部の本を書いたとき担当編集者にそう言われました)、出版社もそれを想定して出版しているわけです。もし公共図書館が購入(もちろん、それは無料で貸し出すため)しなければ、そういう本は出版企画自体が通らなくなって出版さえされなくなると思います。私は、著者の言い分とは逆に、公共図書館が購入して無料で貸し出すことにより、売るだけなら読まない人に読者層を広げ(せめて減少を食い止め)売れ行きが期待できない本でも出版できる基礎が保たれているもので、公共図書館は大いに出版文化に寄与し、それを支えているのだと考えています。
 読む本をすべて購入するという著者の考えは、本好きの場合、多額の費用と置き場に困るという問題を生じます。自宅地下に2万冊を収納できる図書館並みの集積書庫を設置している(79ページに写真付きで解説)というような恵まれた人なら可能なんでしょうけど。
 歳を重ねて経験を積むことで読む側の受容力が増して若い頃に読んだのとは違う感銘を受ける(88~92ページ)というのは、よく聞くことですし、そうだとは思います。しかし、さまざまな経験を積んだことで読み方が深まることは、新たな本を読んでもそうなわけで、そのために昔読んでつまらなかった本を再読することにチャレンジする必要はないと、私は思います。それが理由で読んだ本は持ち続けた方がいいというのはどうかと思うのです。私も買った本は捨てられない方なので、若い頃に読んだ本を持ってはいますが、学生の頃のなら親元の家の物置に、その後でも押し入れの奥に段ボール箱に詰めてあるはずで、持っていることがわかっていても実際探せません。もし再読しようとするなら図書館で借りる方が圧倒的に早いと思います。
 著者の言い分もわからないではないですが、その論拠とするところはどこか最初に結論ありきで並べているように、私には思えますし、自分がやりたいようにするのはいいけど、他人に命じるようなことじゃないと思います。全部買ってたら置き場等に困ることに加えて、むしろ買うとそこで安心して積ん読になりがち(図書館で借りると返却期限があることが実際に読むモチベエーションになる)ということや、ただで借りるからこそ気軽に間口を広げられる(こう言っては何ですが、もし読む本は全部買う前提なら、私がこの本を読むことはなかったと思います)ということもあります。私はそういったメリットがあることから、本をたくさん読みたければ図書館を利用した方がいいと他人にも勧めているのです。
 私には、むしろ、本は買って読めという著者の持論の部分よりも、源氏物語や平家物語に対する著者の経験や思いの部分や、愛読書を紹介する8章の方が味わいがあったと思います。

02.貝殻航路 久栖博季 文藝春秋
 根室市歯舞(旧歯舞村)で漁師をしていてロシアの沿岸警備船に拿捕されて8か月間勾留されて以来海に出ることなくロシアを恨みロシア船が入港した際に放される「ロシア犬」を撲殺し続ける父を持ち、今は結婚して釧路でパート勤めの凪が、夫の長期不在を契機に義妹の夕希音とともに、幼い頃父に連れられて眺めていた貝殻島灯台の記憶と自分のこだわりを見つめ直すという小説。
 タイトルは、凪の住む釧路から貝殻島灯台までの旅程の物理的・心理的距離から(83ページ)。貝殻島の名の由来カイカライ(波の上面低いもの:満潮になれば水没する小さな島の意味のアイヌ語。34~35ページ)を示し、ロシア名のシグナリヌイ島と並べ(36ページ)、夫と義妹がアイヌと設定しているのは、故郷を追われた日本人(和人)と占領するロシアとは別の存在を置いて複合的な視線を意識させる狙いがあるのかもしれません。どちらからも疎外されている先住民アイヌの権利や被害を直視すべきというような主張がなされているようには見えませんが。
 父を通じて北方領土を巡るロシア側の不法・不条理を表現し、凪は領土返還を求める署名用紙を見かけるたび必ず名前を書いていた(45ページ)といい、北方領土なんてもういらないという夕希音に痛みを感じて「ずっと手の届かないものを求め続けなければならないとも思う」(99ページ)というのですが、他方でいつか領土回復が叶うなら同時にそれは誰かの故郷の喪失になるだろう、かつての日本人と同じように今あの島に住む人が強制退去を迫られる(8ページ)、返ってきた先に何があるのか正直なところわたしたちの世代にはもう想像がつかない(96ページ)ともいっています。そういった凪の複雑な心情、揺れる心情を描き、こだわりを持ちつつも今を生きて行くというようなことを描いているのでしょう。

01.小児科医が伝えたい発達障害の子どもをしなやかに、楽しく育てる考え方 岡田剛 現代書林
 発達障害の子どもへの接し方、教育のあり方などを、幼児期、小学校、中学校の各段階に応じて説明し論じた本。
 著者は、「発達障害とは、発達特性により適応困難が起こること」と定義し、「発達障害の『障害』とは発達が止まることでも、ゆっくりなことでも、ましてや間違っていることでもなく、特性があるために『困っている』ことをいうのです」、「困っていなければ『その子の個性』だとも言えます」としています(16~17ページ)。そして、その困っているのは誰なのか(子ども自身なのか、保護者なのか教師なのか)を繰り返し問いかけ、子どもの困りごとの原因を取り除くことが大事で、そのためにその子どもの個別の成長に必要なことを考え子どもが過ごしやすい環境を作ること、子どもの安心感、自己肯定感を確保することなどを繰り返し説いています。周りのために困ったちゃんの子どもを矯正するというのではなくて、あくまでもその子ども自身が困っていることをその子どもに寄り添い解決していこうということですね。
 コミュニケーションの苦手な子どもにとっての円滑な社会生活とは「相手に嫌な思いをさせない。そして自分も嫌な思いをしない」ことではないかと思うとして、前者では相手の気持ちに思いを巡らせることを意識付けさせて結果として社会的振る舞いができることを期待する、「ルールとしての所作」(自分が悪いわけではなくても軽く謝る)を身につけさせるとし、後者では「できない、やりたくないと思うことは頼まれても断る、絶対に間違っていると思うときは正しいと思う意見を伝える」としています(152~155ページ)。それはそうなんでしょうけど、そういう矛盾をはらんだ指示にうまく適当に対処できないのが発達障害の人なんじゃないかなと私は思うのですが(それが偏見だと言われるのかもしれませんが)。

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