庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2026年6月

08.最後の賭け エイブリーと消えた後継者 ジェニファー・リン・バーンズ 日之出出版
 17歳の高校生が、大富豪トバイアス・タッターソール・ホーソーンから、娘や孫たちを差し置いて462億ドルもの遺産の大部分を遺言により譲渡され、その遺言の謎を解くアドベンチャー・ミステリー小説の第3巻完結編。
 ホーソーン家のイケメン4兄弟の知識経験と警備隊長や顧問弁護士らの力、莫大な遺産の財力で進めてきた感がありましたが、最後はエイブリー自身の知力で戦い、そこまで読むと全体としての納得感がありました。それはエイブリーが成長したということでしょうか。気になって第1巻のはじめを読み直してみたのですが、エイブリーは、20年間満点の生徒がいないイェーツ先生の物理のテストで満点を取りカンニング疑惑を受けています(第1巻6~8ページ)。ずっとイケメン男たちにフラフラする様子などからエイブリーの知力を侮って読んでいたようです。敵が何者でもない若い女性(小娘)と見誤るという予言(第3巻301ページ)が敵だけじゃなくて読者にも向けられていたというところでしょうか。
 「謝辞」で作者は第3巻を出版できるほど十分な読者がいるか確信がなかったと述べています(第3巻396ページ)が、エイブリーの設定やトバイアスの手紙(第1巻57ページ)などからしても、第1巻の最初から第3巻への展望はあったように見えます。最後までの構想はあったけど、売れなくて第3巻が出版できなかったらどうしようって思ったということですね。私は、率直に言って、第3巻まで読んだから全体として納得できたのですが、第1巻と第2巻を読んでいるときはわがままで夢見がちな高校生の自己満足に付き合わされるのは大概にしてほしいと感じていたので、第3巻が無事に出版されて完結できたのはよかったと思います。

07.ホーソーン家の遺産 エイブリーと秘密の家系図 ジェニファー・リン・バーンズ 日之出出版
 17歳の高校生が、大富豪トバイアス・タッターソール・ホーソーンから、娘や孫たちを差し置いて462億ドルもの遺産の大部分を遺言により譲渡され、その遺言の謎を解くアドベンチャー・ミステリー小説の第2巻。
 第2巻では、第1巻でいったん否定されたエイブリーが実はホーソーン一族と血縁がある本来の相続人なのではないかというテーマが蒸し返され、ほぼそれを中心として展開します。第1巻終盤での謎解きに納得できないものが残ることからして別の展開が目指されるのはわかりますが、それでまた400ページ近く費やすのかなとも思います。
 主人公が17歳の高校生という設定ですからそういうものとして読むべきなのでしょうけど、イケメン男にクラクラし、2人の男を行き来しながら追い続ける、背徳感というよりもイケメン2人を本気にさせられる自分への陶酔感がにじみ出る記述を、好意的に読める読者にはいいのだろうと思いますが、そこに嫌悪感を持つ者にはページをめくるのがだんだんと苦痛に思えました。

06.相続ゲーム エイブリーと億万長者の謎の遺言 ジェニファー・リン・バーンズ 日之出出版
 7歳年上の姉と2人でコネチカット州に住む17歳の高校生エイブリー・カイリー・グラムスが、テキサス州に豪邸を構える大富豪トバイアス・タッターソール・ホーソーンの遺言で462億ドルの遺産を譲渡され、ほとんど相続財産を与えられなかった4人の孫と協力しあるいは競争して謎かけ好きの故人がその遺言を残した動機と遺言に隠された謎を解明しようと奔走するというミステリー小説。3部作の第1巻。
 読み始めて、ずいぶん前に流行り、読んだメグ・キャボットの文体、タッチを思い起こしました。そして、それは要するにジェニファー・リン・バーンズの文体やメグ・キャボットの文体の問題ではなく、訳者の文体なのだと思い直しました。
 多数の棟、図書室、ベッドルーム、隠し部屋、隠し通路に満ちたホーソーンハウスを舞台に展開する冒険は、私には11歳のハリー・ポッターがいきなりホグワーツをまるまる相続したとしたらというイメージでした。もちろん魔法は登場しませんが、ホグワーツで魔法により作られたり起こったりすることがホーソーン家のとんでもない財力で実現されているという感じです。
 最初と最後にキャラクターイラストがありますが、奥付からすると日本語版独自のもののようです。「トワイライト」シリーズで日本語版のキャラクターイラストが原書とずいぶん印象が異なり、映画化されたときにキャスティングが日本語版のイメージと大分違うと感じました。この作品も映画化されるときにはそういうことになるかもしれません。
 この巻で遺言の謎は解かれたという流れが作られますが、今ひとつ納得感がなく、エピローグでやはり謎が解ききれていないことが示唆され、第2巻に続くとされます。まぁそうだよなぁとは思いますが、400ページ超を読み続けてそう言われても、どこまで付き合う気になれるか…

05.最新 欧米人とはこんなに違った日本人の「体質」 奥田昌子 講談社ブルーバックス
 各種の医療機関・研究機関が行ってきた生活習慣(食生活、飲酒、喫煙、運動等を含む)と疾病の発症等に関する疫学調査、それと遺伝子情報を組み合わせたゲノムコホート研究などをコンピュータ解析し、人種による差異を捉えて従来言われてきた医学・健康に関する常識が日本人に適合するかを論じた本。
 日本人は穀物から食物繊維やミネラル、植物性タンパク質を摂ってきたのでグルテンフリーダイエットなどをしたら糖尿病になるおそれがある(41~44ページ)というのですが、それは玄米や雑穀を食べていた時代との比較で、今のように白米など精製された炭水化物(糖質)中心の食事からであればグルテンフリーが体に悪いとはならないように思えます。
 和食には海藻や緑黄色野菜、大豆、小魚など骨を強くするのに役立つ栄養素が豊富で日本人は欧米人より骨が強いとして、日本人に乳糖不耐症(牛乳を飲むとおなかがゴロゴロする乳糖分解力が弱い人)が多いことと併せ牛乳の必要性に疑問を呈しています(54~58ページ)。これも、大豆や海藻の摂取量が減っている状況を考えると、牛乳も、苦手な人でなければ飲んだ方がいいように思えるのですが。
 日本人は皮下脂肪よりも内臓脂肪がつきやすく(46~47ページ、100~101ページ)、標準体重でも糖尿病になる(90~91ページ)、腎臓も元々ネフロン(浄化装置)が少ない(93~95ページ)と指摘されています。著者は、その不利な体質を跳ね返して糖尿病を避けるには、果糖と脂質を避け炭水化物と食物繊維をたっぷり摂れ(45~47ページ、101~104ページ)、「体によい油」もナッツも脂質だからダメ(51~54ページ)と言っています。「地中海食」も日本人にはよいと言えないということですね。炭水化物をたっぷり摂れというのは意外(それは玄米や雑穀を食べろということでしょうけど)ですが、果物も脂質もダメと言われると、やはり寂しく哀しい。

04.小さなパンダ レッサーパンダの謎 佐藤淳 東京大学出版会
 レッサーパンダの進化系統、体の形態・構造、生態、絶滅危惧種としての保全などについて解説した本。
 ジャイアントパンダと並んで、食肉目に属しているのに草食系で実際に食べるのはほとんど竹(葉とタケノコ)というのが、驚きの特徴になります。67ページに歯の写真があり、いかにも肉食っぽい牙(犬歯)や前歯と草食らしい奥歯(臼歯)が印象的です。また、気がつかなかったけど、腹部の毛が黒い(「腹黒い」)のも、言われてみればレッサーパンダの特徴です。
 著者は、「はじめに」でレッサーパンダの本を書きながら「野生のレッサーパンダを見たことがない」と断っていますし、「わたしの知る限り、野生のレッサーパンダを研究対象としている日本の研究者はいない」とのことです。著者自身の研究としては安佐動物公園の死んだレッサーパンダの筋肉組織の提供を受けて核DNAを用いた分子系統解析を行い2009年にレッサーパンダの系統・分類学的な位置づけを世界に先駆けて決定した(36ページ)とのことです(その著者らの研究成果がレッサーパンダ研究者に取り上げられることが少ないことを「非客観的で公平性に欠ける」と憤慨しています:140~141ページ)。ほかには、レッサーパンダの味覚に関して味覚受容体遺伝子についても成果を上げたそうです(155ページ)。しかし、ほかにはレッサーパンダに関する研究成果はない(155~156ページ)ので、基本的にこの本は主として海外の他の研究者の研究成果をレビューした解説になります。プロが第三者の目で行う道案内というところでしょうか。そういう点ではほどよく力の抜けた解説書という印象です。

03.書物を楽しむ あえて今、紙の本を読む理由 林望 朝日新書
 作家で書誌学者の著者が、読書は電子書籍や図書館で借りて読むのではなく紙の本を買って読むべきことを強く主張するとともに、自己の書籍収集と読書の経験等を披露した本。
 モニターで見る文書よりも紙の方が圧倒的に一覧性があること(20~22ページ)は、私も常々感じているところで、仕事で目を通すような内容をきちんと頭に入れないといけない文書(相談者から送られてくる判決等や裁判資料)は必ずプリントアウトして読んでいます。デジタルネイティブ世代はどうなのかわかりませんが、私のような紙で育った人間は画面で読んだだけでは何か見落とすような、十分頭に入らないような不安がつきまといます。また、買った本を捨てがたい(68ページ等)というのも、同じです。
 しかし、だから読書は必ず紙の本を買って読めというのは、いかがなものかと思います。「図書館の本を片っ端から借りてきては『自分は、月に何十冊読んだ』とか言って自慢する人がいますが、」(124ページ)と非難されていますので、サイトで「年間300冊読む読書術」というコーナーを持ち、図書館で借りて読むことを推奨している(→こちらのページ)私としては(もちろん、面識のない著者が私のことを想定して書いていることは考えられませんけど)、ここは一言述べておきたい。
 この本で電子本に関して述べるところでは「著作をしても儲からない」などというややいじましい見出しがあり(42ページ)、図書館で借りることへの批判では著作者の印税が減ることを論じてはいますが、著者は自分の本について古本ででも買って一読して欲しいと勧めている(193ページ。もちろん古本で売れても著者に印税は入りません)ことからしても、著者の本意は銭金のところではないのではないかなとは思うのですが、まず印税関係の話について検討します。ベストセラー本について公共図書館が多数購入してただで貸すことへの批判(137~144ページ)は、それで購入者が減って著者への印税が減るというのも少しは当たっていると思うのですが、それが大きな影響があるとするのは、そもそもベストセラー本では図書館での貸出の割合自体が微々たるものでそれほど影響があるとも思えない上に、図書館が貸さなかった場合にその人たちが本を買うということを前提とする議論です。率直に言って図書館で借りて読む人の大多数は、ただなら読むけど買ってまで読む意欲は持てないのだと思います。私も読書好きですが、もし著者が言うようにすべて買って読めと言われたら、今どきだったらそれなら動画配信のサブスクの方に金を払って基本的なスタンスを読書から映画に変えるだろうと思います。そして著者が引き合いに出す初版4000部くらいの「良書」について言えば、その実売のかなりの部分が公共図書館で(私もその昔初版3000部の本を書いたとき担当編集者にそう言われました)、出版社もそれを想定して出版しているわけです。もし公共図書館が購入(もちろん、それは無料で貸し出すため)しなければ、そういう本は出版企画自体が通らなくなって出版さえされなくなると思います。私は、著者の言い分とは逆に、公共図書館が購入して無料で貸し出すことにより、売るだけなら読まない人に読者層を広げ(せめて減少を食い止め)売れ行きが期待できない本でも出版できる基礎が保たれているもので、公共図書館は大いに出版文化に寄与し、それを支えているのだと考えています。
 読む本をすべて購入するという著者の考えは、本好きの場合、多額の費用と置き場に困るという問題を生じます。自宅地下に2万冊を収納できる図書館並みの集積書庫を設置している(79ページに写真付きで解説)というような恵まれた人なら可能なんでしょうけど。
 歳を重ねて経験を積むことで読む側の受容力が増して若い頃に読んだのとは違う感銘を受ける(88~92ページ)というのは、よく聞くことですし、そうだとは思います。しかし、さまざまな経験を積んだことで読み方が深まることは、新たな本を読んでもそうなわけで、そのために昔読んでつまらなかった本を再読することにチャレンジする必要はないと、私は思います。それが理由で読んだ本は持ち続けた方がいいというのはどうかと思うのです。私も買った本は捨てられない方なので、若い頃に読んだ本を持ってはいますが、学生の頃のなら親元の家の物置に、その後でも押し入れの奥に段ボール箱に詰めてあるはずで、持っていることがわかっていても実際探せません。もし再読しようとするなら図書館で借りる方が圧倒的に早いと思います。
 著者の言い分もわからないではないですが、その論拠とするところはどこか最初に結論ありきで並べているように、私には思えますし、自分がやりたいようにするのはいいけど、他人に命じるようなことじゃないと思います。全部買ってたら置き場等に困ることに加えて、むしろ買うとそこで安心して積ん読になりがち(図書館で借りると返却期限があることが実際に読むモチベエーションになる)ということや、ただで借りるからこそ気軽に間口を広げられる(こう言っては何ですが、もし読む本は全部買う前提なら、私がこの本を読むことはなかったと思います)ということもあります。私はそういったメリットがあることから、本をたくさん読みたければ図書館を利用した方がいいと他人にも勧めているのです。
 私には、むしろ、本は買って読めという著者の持論の部分よりも、源氏物語や平家物語に対する著者の経験や思いの部分や、愛読書を紹介する8章の方が味わいがあったと思います。

02.貝殻航路 久栖博季 文藝春秋
 根室市歯舞(旧歯舞村)で漁師をしていてロシアの沿岸警備船に拿捕されて8か月間勾留されて以来海に出ることなくロシアを恨みロシア船が入港した際に放される「ロシア犬」を撲殺し続ける父を持ち、今は結婚して釧路でパート勤めの凪が、夫の長期不在を契機に義妹の夕希音とともに、幼い頃父に連れられて眺めていた貝殻島灯台の記憶と自分のこだわりを見つめ直すという小説。
 タイトルは、凪の住む釧路から貝殻島灯台までの旅程の物理的・心理的距離から(83ページ)。貝殻島の名の由来カイカライ(波の上面低いもの:満潮になれば水没する小さな島の意味のアイヌ語。34~35ページ)を示し、ロシア名のシグナリヌイ島と並べ(36ページ)、夫と義妹がアイヌと設定しているのは、故郷を追われた日本人(和人)と占領するロシアとは別の存在を置いて複合的な視線を意識させる狙いがあるのかもしれません。どちらからも疎外されている先住民アイヌの権利や被害を直視すべきというような主張がなされているようには見えませんが。
 父を通じて北方領土を巡るロシア側の不法・不条理を表現し、凪は領土返還を求める署名用紙を見かけるたび必ず名前を書いていた(45ページ)といい、北方領土なんてもういらないという夕希音に痛みを感じて「ずっと手の届かないものを求め続けなければならないとも思う」(99ページ)というのですが、他方でいつか領土回復が叶うなら同時にそれは誰かの故郷の喪失になるだろう、かつての日本人と同じように今あの島に住む人が強制退去を迫られる(8ページ)、返ってきた先に何があるのか正直なところわたしたちの世代にはもう想像がつかない(96ページ)ともいっています。そういった凪の複雑な心情、揺れる心情を描き、こだわりを持ちつつも今を生きて行くというようなことを描いているのでしょう。

01.小児科医が伝えたい発達障害の子どもをしなやかに、楽しく育てる考え方 岡田剛 現代書林
 発達障害の子どもへの接し方、教育のあり方などを、幼児期、小学校、中学校の各段階に応じて説明し論じた本。
 著者は、「発達障害とは、発達特性により適応困難が起こること」と定義し、「発達障害の『障害』とは発達が止まることでも、ゆっくりなことでも、ましてや間違っていることでもなく、特性があるために『困っている』ことをいうのです」、「困っていなければ『その子の個性』だとも言えます」としています(16~17ページ)。そして、その困っているのは誰なのか(子ども自身なのか、保護者なのか教師なのか)を繰り返し問いかけ、子どもの困りごとの原因を取り除くことが大事で、そのためにその子どもの個別の成長に必要なことを考え子どもが過ごしやすい環境を作ること、子どもの安心感、自己肯定感を確保することなどを繰り返し説いています。周りのために困ったちゃんの子どもを矯正するというのではなくて、あくまでもその子ども自身が困っていることをその子どもに寄り添い解決していこうということですね。
 コミュニケーションの苦手な子どもにとっての円滑な社会生活とは「相手に嫌な思いをさせない。そして自分も嫌な思いをしない」ことではないかと思うとして、前者では相手の気持ちに思いを巡らせることを意識付けさせて結果として社会的振る舞いができることを期待する、「ルールとしての所作」(自分が悪いわけではなくても軽く謝る)を身につけさせるとし、後者では「できない、やりたくないと思うことは頼まれても断る、絶対に間違っていると思うときは正しいと思う意見を伝える」としています(152~155ページ)。それはそうなんでしょうけど、そういう矛盾をはらんだ指示にうまく適当に対処できないのが発達障害の人なんじゃないかなと私は思うのですが(それが偏見だと言われるのかもしれませんが)。

**_**区切り線**_**

私の読書日記に戻る私の読書日記へ   読書が好き!に戻る読書が好き!へ

トップページに戻るトップページへ  サイトマップサイトマップへ