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たぶん週1エッセイ◆
映画「100,000年後の安全」

 フィンランドで建設中の世界最初の原発の使用済み燃料の最終処分場をめぐるドキュメンタリー「100,000年後の安全」を見てきました。
 封切り7週目土曜日、東京で2館の上映館の1つヒューマントラストシネマ有楽町の午前9時50分の上映は2〜3割の入り。

 フィンランドのオルキルオトで岩盤を深く掘り抜いて建設中の世界最初の原発の使用済み燃料の最終処分場の建設計画と工事の映像に、関係者のインタビュー映像、イメージ映像+ナレーションで構成されています。
 強い放射線のため近くに寄る者は放射線障害で死亡する危険があり、しかも放射線は五感の作用で検知できないので放射線に気付く前に致死量の被曝をする危険が高く、無害になるまでに10万年かかる使用済み燃料を岩盤深く埋めて埋め戻す施設について、主として何万年も後の人類に危険物の存在を、そして決して掘削すべきでないことをどうやって知らせるかが主要な論点として提示されます。

 果たして10万年後の人類は、どのような文明を持っているか、現在の文字を解読できるか。10万年前と言えばネアンデルタール人の時代、今からそれだけの気の遠くなるような年月を経た後のことをどうやって予測するというのか。6万年後にはまた氷河期がやってきて文明は壊滅するかも知れない。この岩盤を掘削できる技術があれば、放射能も検知できるだろう。いや、掘削は高度の文明がなくても可能で、放射性物質を扱う技術がなくて掘削はできる文明の状態が最も困る・・・
 文字が読めたとして、危険だと告知されて掘削をやめるだろうか。ピラミッドは封印されていたが、盗掘を免れなかった。古代ルーン文字で「不届き者、触るべからず」と記載された石碑を学者はまったく無視して遺跡の発掘を続けている。

 映画で議論されているのはこのあたりですが、そもそも数万年後の人類に原子力発電に関する知識が承継されている可能性はほとんどないでしょう。なぜなら高速増殖炉が行き詰まりプルトニウムサイクル技術の完成が絶望視されている以上、原子力発電はウラン資源に依存し、そのウラン資源は数十年程度で枯渇するのですから、原子力発電という技術は、大事故が起こってもなお反省せずに推進し続けたとしても今世紀いっぱいの過渡的な技術に過ぎないわけです。そのような過去の一時期になされた、成功したとは言えず控えめに言ってもその後の世界では有用性のない技術に関する知識を、何世代も語り継いでいくことはおよそ期待できません。
 推進側の連中は、有用な資源のない最終処分地を掘り返す動機はないと主張しています。しかし、数万年後の人類にとって何が有用な地下資源か、誰にわかるというのでしょう。現在の原発推進派が有用と考えるウランが原子力発電(というより核兵器)に使えると人類が考えるようになったのはせいぜい数十年前です。岩盤を数百メートル掘削する技術ということなら、現在石油を得るためには数千メートルの掘削が行われています。数万年後どころか数百年後に、どのような技術が開発され、今は利用価値のない地下資源が貴重な資源と目されるようになるか、その頃の掘削技術がどのようなものか、今の知識でどうやって判断するというのでしょうか。わずか数か月前には、日本の太平洋側のプレート境界でマグニチュード9の地震が起こることはあり得ないと言っていた連中が、数万年後のことをどうして自信を持って予測できるのでしょうか。

 ちょっと映画で触れていないことに話がそれましたが、原子力発電という技術が、仮に事故を起こさなかったとしても、いかに不毛でやっかいなものかを考えさせる、時宜を得た映画だと思います。

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