庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「2012」

 2012年12月21日に地球が滅亡するという映画「2012」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、新宿ミラノ1は1〜2割の入り。興行成績はかなりいい数字で、こういう映画はできる限り大きなスクリーン、東京で見るならミラノ1で見たいところなのに、このガラガラ具合は何?

 古代マヤ暦が2012年12月21日で終わっていることと、太陽の活動が活発化してニュートリノの放出量が飛躍的に増えニュートリノが透過時に発生する熱で地球の核が溶解して大災害を引き起こすという理屈で2012年12月に地球が滅ぶというお話。太陽活動と地下深くの温度上昇、ニュートリノの観察からそのことを知った地質学者エイドリアンが大統領補佐官に報告し、大統領は各国首脳と極秘裏に箱舟による避難計画を進め、政府首脳と官僚と大富豪と生存させるべき動物種だけを救出する計画を進めていた。一方、異変がもっとも先行していたカリフォルニア州のイエローストーン国立公園に別れた妻の元にいる子供たちと久しぶりのキャンプに来た売れない作家ジャクソンは、その秘密を知り、子供たちと元妻とその恋人の整形外科医とともに崩壊するカリフォルニアから危うく脱出、次々と襲ってくる危機をギリギリでかわしながら秘密の箱舟にたどり着くが・・・というストーリーです。

 地球の核が溶解するって言っても、核の外側のマントルはもともと流動性がある液体状のものだから核が溶解したから地殻(大陸)が沈むって話にならないと思うんですが。それよりは同じことなら地殻が溶解するとか、マントルの流動性が高まるという方が、同じ荒唐無稽な話でもまだどこか納得できるような気がします。
 大富豪を優先したことを非難されて、大統領補佐官がこの計画には巨額の金がかかるんだから仕方ないだろうって話をしたときに、かかる金が数十億ドルって。大富豪から1人あたり10億ユーロとったのだから、数十億ドルなら1家族だけで足りてしまいます。「数十億ドル」がまちがいなのか(billionがふつうは10億だけど1兆を意味することがありますからそのあたりの間違いとか)、算数ができないのか、アメリカ政府がボロ儲けの商売をしたか・・・
 最初の大前提が荒唐無稽な話だからまじめに考えちゃいけないんでしょうけど、最初の大前提以外はそれなりにきちんと作って欲しい。

 ひたすら特殊効果の迫力を堪能するための映画で、その点では十分成功していると思います。私もそのために新宿ミラノ1の大スクリーンの前の方で見ましたし。前半のジャクソンらが大地の陥没に追われ倒壊するビルの隙間を縫って車や飛行機で脱出するシーンは手に汗を握ります。
 冒頭の宇宙のシーンの太陽系はちゃちいし、火山の大噴火の噴煙の中を飛行機が飛べるのか(粉塵や火山灰ですぐエンジンがやられると思うんですけど)とか、気になりましたが、そういうことは忘れることにしましょう。

 人間ドラマとしては、このような大災害に際して、誰が救われるべきか、危機に瀕して誰をどこまで守りたいかというあたりがポイントになっています。
 今は一人住まいのジャクソンが、別れた妻の元にいる子供たち(うち1人はパパっ子だけど、1人は生意気でママの恋人の方になついている)と元妻とその恋人とともに逃走するというドラマに、現代的な苦悩を感じます。
 危機を最初に発見したエイドリアンが手違いで脱出できずに家族とともに津波に呑まれたり、10億ユーロ払って乗船券があったのに乗る予定の船の不具合で乗れない富豪のあがきとか、乗れないはずだったのに門番の裁量や政府のギリギリの決断で乗れた人々などの悲喜こもごもも描かれています。そのあたりの運命のいたずらや政治家たちの議論には考えさせられます。
 と同時に、人類全体が滅亡の危機にあるというシチュエーションで、自分(たち)だけでも生き残りたいかということも考えてしまいます。映画では、どんな状況でも絶対にあきらめないということが語られますが・・・
 むしろ、当然に脱出する権利があるのに、民衆とともに滅びることを選択した政治家たちや官僚の家族の方に、私は感動と共感を覚えました。

 箱舟に乗らずに避難民たちの収容施設で避難民を慰めて回るアメリカ大統領がオバマよりもマンデラのイメージだったり、アフリカ大陸が残り喜望峰が文字通り人類の希望となるとか、監督が南アフリカびいきなんじゃないかと思ったのは、私だけでしょうか。

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