庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「64−ロクヨン−前編」
ここがポイント
 原作と違って事件から入るのは映画として正解だと思う
 誘拐殺人事件で娘を奪われた雨宮の姿、やっぱり切ない

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 横山秀夫の警察小説を映画化した映画「64−ロクヨン−前編」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、新宿ピカデリースクリ−ン6(232席)午前11時20分の上映は8割くらいの入り。

 7日間しかなかった昭和64年の1月5日に発生し未解決の少女誘拐殺人事件、通称「64」が時効まであと1年となる平成14年12月、私生活では父親に似た自分の顔が気に入らないと家出して音信不通の娘あゆみ(芳根京子)とその娘の身を案じて憔悴する妻美那子(夏川結衣)を抱え、日常業務では交通事故の加害者の妊婦の匿名発表で記者クラブからつるし上げを食い上司の赤間警務課長(滝藤賢一)との板挟みになり窮地に陥っている広報官三上義信(佐藤浩市)の元に、警察庁長官が64の視察に来るという連絡があった。赤間の指示で遺族雨宮(永瀬正敏)に訪問の同意取りつけに行った三上は、妻も亡くし一人になって抜け殻のようになっている雨宮から長官の訪問を断られ…というお話。

 ミステリーを、原作を読んでから見るっていうのはちょっとねぇと思いましたが、映像は映像としての緊迫感があってよかったと思います。
 導入部を、原作の三上の主観・立ち位置・悩みからではなく、事件から入ったのは、映画としてはわかりやすいし正解だと思います。他方、長官訪問をめぐる刑事部と警務部の確執・さや当て、64の暗部「幸田メモ」をめぐる三上の探索が、原作と比べてあっさりし過ぎていて、ミステリーとしての溜がなく、前編のラストの刑事部「籠城」をめぐる三上の思い・激情が見ていて理解しにくいと思いました。
 キャスティングでは、松岡捜査一課長(三浦友和)は原作を読んだときの私のイメージではもう少し若くてスマートな印象でしたが、「ストロベリー・ナイト」に続き、捜査一課長は三浦友和という相場観があるんでしょうか。東洋新聞の記者秋川(瑛太)は、原作でも少しチャラい印象はあるのですが、私の印象以上に浮いた感じ。記者は主人公ではなく、あくまでも警察から見た記者なんてこんな感じという表現でしょうか。
 誘拐殺人事件で娘を奪われた雨宮の姿、やっぱり切ない、泣ける。自分の顔が気に入らないといってキレて騒ぎ家出するあゆみ、やっぱり全然共感できない。それでもそんな娘でもいなくなると心配で身が細る、それが親心というのも哀しい。このあたりは、原作を読んだときの感情とほぼ同じでした。
(2016.5.15記)

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