庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「徒花 ADABANA」
ここがポイント
 臓器提供のためのクローン人間の苦悩を描いた「わたしを離さないで」を、臓器提供を受ける側から見てその苦悩を描いたバージョン
 冒頭のシーンが制作側のマイナ保険証への反感を感じさせる
    
 クローン人間による臓器・身体の提供を受けることの苦悩を描いた映画「徒花 ADABANA」を見てきました。
 公開3日目日曜日、メイン上映館のテアトル新宿(218席)午前10時10分の上映は1割くらいの入り。

 上級国民には事故・病気に備えて自分のクローンが用意されるようになった近未来、政略結婚の末富裕な家庭の跡取りとされている新次(井浦新)は死期が近づき医師から頭部を新次のクローンに移植する手術を勧められ、手術までの間臨床心理士のまほろ(水原希子)のカウンセリングを受けるよう指示された。まほろから繰り返し質問を受けるうちに、若き日、子どもの頃のことを思いだした新次は、ただ「それ」と呼ばれる自分のクローンに面会することを求め…というお話。

 臓器移植用の臓器を提供する目的で造られたクローン人間の苦悩を描いた「わたしを離さないで」(原作カズオ・イシグロ)の、それを提供を受ける側から見たバージョンの作品です。自分が生き残るために他人(別の自分)を殺していいのかという苦悩、そこまでして自分は生きながらえたいのかという問いを、井浦新が淡々と演じています。
 「わたしを離さないで」とは異なり、クローン側の悩みは描かれません。むしろ自分は提供のために生きている、提供できることになって嬉しいという様子が、生まれてすぐからそのように教え込まれ、洗脳されてきた人生の悲哀を感じさせます。
 もっとも、「わたしを離さないで」のような不特定多数者への提供ではなく特定の相手への提供を予定したクローンの場合、移植手術なくその相手が死んでしまったらそのクローンはどうなるのでしょうか(生かし続ける理由もなくなるでしょう)。そうすると、新次の苦悩は何のためだったのかという疑問も残ります。

 また感情の起伏を見せないまほろの姿、まほろが新次に感情を爆発させたことがありますかと問う場面は違和感をも感じさせました(それを聞くあんたこそ人としての感情がないんじゃない?)が、それがラストへの伏線となり、クローンを利用する社会、管理社会への疑問・問題を投げかけているように思えました。

 全体として光を絞った粗い映像が、ノスタルジーよりも絶望感・閉塞感を持たせます。それでも月夜の海のシーンは美しかったですが。

 冒頭に、小児癌の娘を連れてクローン製造の申し込みに来た母が、担当者から「国民カード」の提示を求められ、それをカードリーダーで読んだ担当者からあなたには資格がないと突っぱねられ、上流階級しか受け付けないのか、差別だと叫びながら強制的に排除されて行くシーンが印象的です。現時点ではそうなるわけではないと思いますが、制作側のマイナ保険証/管理社会への反感が感じ取れ、個人的には共感できます。
(2024.10.20記)

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