庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「愛、アムール」
 2012年の第65回カンヌ映画祭パルム・ドール受賞作品「愛、アムール」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、2013年5月31日閉館の銀座テアトルシネマ(150席)午前9時(!)の上映は5〜6割の入り。観客の多数派は中高年層。

 ジョルジュ(ジャン=ルイ・トランティニャン)とアンヌ(エマニュエル・リヴァ)の夫婦はパリの高級アパルトマンで悠々自適の老後を送っていたが、アンヌの弟子のピアニストアレクサンドル(アレクサンドル・タロー:本人)の演奏会の翌朝、突然アンヌが固まったまま反応しなくなり、狼狽したジョルジュは医者嫌いのアンヌを説き伏せて医者に診療させ、医者の勧めに従って頸動脈の手術をさせるが成功率95%の手術に失敗し、アンヌは右半身不随となった。車椅子で自宅に戻ったアンヌは、もう2度と病院に戻さないでと言い、ジョルジュは約束した。ジョルジュの介護を受けつつ、自分は障害者じゃないと自力で動こうとするアンヌだったが、病状は次第に悪化し・・・というお話。

 悠々自適で夫婦仲も問題なく満ち足りた生活を送っていた老夫婦が、妻を襲った病魔により、ヘルパーの心のこもらない介護からの諍い、別居している娘との病院・老人ホーム入りについての方針をめぐる対立、妻自身の病状悪化への苛立ちと屈辱感、夫自身の介護疲れといった事情から、次第に疲弊していく様子がテーマであり、作品そのものとさえいえます。人生の勝利者であったはずの夫婦でさえ、病気によってこのような末路を迎えるという人生のあるいはこの社会の残酷さ、誰にも訪れうる避けることのできない運命に思いを馳せざるを得ません。
 妻に愛情を注ぎ、焦ることなく根気強く話しかけ介護を続けるジョルジュにおいてさえ、介護する側と介護させる側でのリズムというか、思いのズレが垣間見えます。自分が介護する側になったら、相手の思いをきちんと受け止められるか、不安に思いました。そして、主観的にはよかれと思って言っていることがわかる娘の言動も、ふだん姿を現さぬ子が時々やってきて言っても無責任でありがた迷惑と思える様子も、胸に染みました。それぞれが善意でも、それで解決できないことに、この問題の本質があり、だからこそ悩ましい。
 いろいろと身につまされる作品です。

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