◆たぶん週1エッセイ◆
映画「もうひとりのシェイクスピア」
シェイクスピア別人説を材料にエリザベス1世時代の宮廷の権力闘争と芝居と言葉の力を描いた映画「もうひとりのシェイクスピア」を見てきました。
封切り4週目日曜日、新宿武蔵野館スクリーン2(84席)午前10時20分の上映は7割くらいの入り。
エリザベス1世時代のイギリス、オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィア(リス・エヴァンス)が評判の芝居を見ていると、宰相のウィリアム・セシル(デヴィッド・シューリス)の軍隊が上演中止を命じ、劇作家ベン・ジョンソン(セバスチャン・アルメストロ)を逮捕した。セシルの娘婿の地位を利用してベンを釈放させたエドワードは、ベンに自ら書いた戯曲「ヘンリー5世」の脚本を渡し、これをベンの名前で上演するように求めた。おもしろくないベンは中身を読みもせずに役者に渡し上演させたが、観客は熱狂して脚本家の登場を要求、ベンが当惑している間に役者のウィル・シェイクスピア(レイフ・スポール)が名乗り出てしまう。エドワードは、その後もベンに次々と脚本を渡し、シェイクスピアは人気作家の地位を確立する。宮廷では、老齢のエリザベス1世(ヴァネッサ・レッドグレイヴ)の後継をめぐり、スコットランド王のジェームズ1世を推すウィリアム・セシル、ロバート・セシル(エドワード・ホッグ)父子と、エリザベスの隠し子と噂されるエセックス伯を推すサウサンプトン伯(ゼイヴィア・アミュエル)の対立があった。エセックス伯らを宮廷から遠ざけるためにアイルランド遠征に追い払いエセックス伯の後任の相談役に息子のロバートを就任させたウィリアム・セシルの陰謀に巻き返しを図るエセックス伯らに対し、武力蜂起によるのではなく芝居の力で民衆を立ち上がらせようと提案したエドワードはロバート・セシルを悪役にした「ヘンリー3世」を上演させ、興奮した民衆は宮廷を目指すが・・・というお話。
シェイクスピアの正体よりも、エリザベス1世時代の宮廷の権力闘争とその中での人間関係・思惑の交錯を描いた人間ドラマと考えた方がいいでしょう。渋好みの人向けの映画です。
歴史ミステリーと銘打ち、現にいくつかのどんでん返しもあるのですが、公式サイトのストーリーで最初から最後までストーリーが書いてあるのは、親切なのか、ネタバレなのか(一番核心の部分はさすがに「衝撃的な真実」とだけ書いてありますが)。
書く才能にあふれ、知的で理想に燃えるエドワードと、父親の力で地位をなした陰気でせむしのロバートの対立構造ですが、単純な対比になっていないところがいい。終盤のエドワードとロバートの直接対決で、エドワードを思慮深い改革のリーダーから世間知らずのお坊ちゃんに落とし込むシーンは圧巻です。そういう含みもあり、年を取った後のエドワードのもの悲しい目が印象的です。また、人を見る目はあるというエドワードの計画が、見込んだベンとシェイクスピアの対立で頓挫するところも象徴的です。
宮廷の人間関係も、エドワードを引き取り教育して娘と結婚させたウィリアム・セシルの狙い、それを横で見ていたロバートの思い、奔放でありながら側近の言葉にのみ耳をかたむけ冷酷でもあるエリザベス1世、単純で激しやすいエセックス伯と、性格の悪さ・陰湿さは感じますが、セシル父子の用意周到さ・思慮深さが目につきます。やっぱりこういう人たちが生き残っていくんだろうなって。
それにしても、エリザベス1世って Virgin Queen と呼ばれたんじゃなかったでしたっけ・・・
宮廷の権力闘争劇としては、エドワードは抑え込まれた異端者として見ることができますが、同時に貴族として民衆の「力」は認めるものの自らが民衆を指導するというかコントロールするという意識がありありと見え、ベンらに対する態度もいかにも偉そうで、しょせん貴族の遊びという印象が残ります。この映画のベースとなっているシェイクスピア別人説自体、商人の息子にあんな作品が書けるものかということが理由の1つとされているわけですし。
特に、民衆側からの視点で描かれた「レ・ミゼラブル」を見た後だと、そう見えてしまいます。
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