庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「メッセージ」
ここがポイント
 原作は文明論的な提起に重きが置かれているが、映画は平和的解決と人類の協力の重要性がテーマ
 エイリアンと宇宙船の神秘性や政治的なメッセージで原作より感動的な作品になっている
 地球上に12か所現れた浮遊物体を通じてエイリアンとの会話を試みる言語学者とエイリアンの発するメッセージを描いたSF映画「メッセージ」を見てきました。
 封切り3日目日曜日、TOHOシネマズ新宿スクリーン7(407席)午前11時40分の上映はほぼ満席。

 ある日、モンタナ州(アメリカ)、中国、ロシア、スーダン、北海道など世界各地の12か所に長さ約450mに及ぶ巨大な長楕円盤状の浮遊物体が現れた。言語学者ルイーズ・バンクス(エイミー・アダムス)は、理論物理学者イアン・ドネリー(ジェレミー・レナー)とともにモンタナ州の浮遊物体でエイリアンの言語を分析してエイリアンの目的を解明することを要請された。18時間おきに2時間の間浮遊物体の下部が開き、透明の隔離壁越しにエイリアンとの面接が可能となっていた。ルイーズとイアンは、現れる2体の7本脚(ヘプタポッド)のタコ型エイリアンをアボットとコステロと名付け、エイリアンが肢先から発する煙状の物質を用いて描く環状の文字の解読を試みるが・・・というお話。

 得体の知れないエイリアンとの面接に臨むという使命をあまりにもあっさりと受け入れるルイーズの姿/職業意識の高さに、私はまず胸を打たれましたが、そこはごく淡々と描かれています。
 この作品では、当然のことながら遅々として進まない解明作業に倦まず数十回の面接を続け、エイリアンとの信頼関係を作りコミュニケーションを図ろうとするルイーズの冷静さと粘り強さを、不気味なエイリアンへの疑心と恐怖心に煽られて攻撃を主張する軍人や民衆と対比させ、恐怖を煽りまた疑心から好戦的な対応をとることを戒め、平和的な解決へと粘り強い/地道な対応をすることの価値を示しているように思えます。終盤で、中国が先行し、ロシアとスーダンがそれに続いてエイリアンへの宣戦布告をし、またデータ交換を拒否するという展開は、アメリカと中国・ロシア・スーダンは、お互いをエイリアンよりもさらに信じられないのかという疑問を提起しているのだと思いますし、ルイーズが解いたエイリアンのメッセージは人類が協力し合うことの大切さを示しています。
 SFとしての部分は、最初に示される、もし時が流れるものでなかったらという問いかけがキーポイントになっていますが、エイリアンとのミッションの「現在」の合間に度々挟まれるルイーズと娘と過ごす日々の喜びと切なさがうまくストーリーに織り込まれて心に染みるようになっています。また、ルイーズのイアンに対する、もし未来がわかったら選択を変えるかという問いかけは、人生論として、重いものがあります。もっとも、その時間をめぐる部分は、原作よりしかけが多用され、その分数々の疑問を呼び起こしますが。

 原作では、エイリアンの登場とエイリアンとの交信はごく淡々と描かれ、アメリカ以外の国の対応やエイリアンへの宣戦布告などの政治的対応はまったく描かれず、エイリアンは、人間の科学・数学への信頼/過信に対してまったく違うアプローチがあり得ること、人間がすでに常識として疑わない現在の物理学や数学の基本定理/公式も当然ではないのではないかという文明論的な問題提起の道具となっています。映画は、エイリアンと宇宙船をより神秘的に描き、原作にないエイリアンへの宣戦布告などを入れることで政治的なメッセージを追加しています。映像表現による驚きも含め、映画作品の方が感動的になっています。
 基本的な設定と展開は原作に沿っていますが、大きいところでは、原作ではエイリアンに対して宣戦布告をする中国やロシアなどの動きが全くないことのほかに、原作では姿見( looking glass )と名付けられた高さ10フィート(約3m)幅20フィート(約6m)程度の小さな交信スペースがアメリカに9か所世界に112か所現れるというのが、映画では巨大な宇宙船が12か所現れることになり、原作ではエイリアンは円盤状のディスプレイに文字を示すのに、映画では肢先から出す煙状の物質で空間に文字を示す(イメージ的にはハリー・ポッターふう)、原作では物理学・数学サイドからの解明の方が進みそこで人間の物理学・数学の常識への文明論的な問題提起がなされるのに対し、映画ではそこはほとんど登場しない(言語学者とともに物理学者が参加している意味が、映画ではほとんど不明)などの違いがあります。小さいところでは、物理学者の名前(原作ではゲーリー)、ルイーズがつけたエイリアンの名前(原作ではフラッパーとラズベリー)、ルイーズの娘の名前の明示(原作では最後まで「あなた」、映画ではハンナ:Hannah )、ルイーズの娘の死因(原作では山岳での遭難、映画は癌に思える病死)、ルイーズの離婚の原因(原作では明示されず、映画では・・・これはさすがにネタバレが過ぎるか)、映画では印象的な小道具となる娘の絵「動物と話すパパとママ」が原作にはないなどの違いがあります。全体としての作品の印象は、かなり違っているように思えます。
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(2017.5.21記)

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