庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「朝が来る」
ここがポイント
 純朴で不器用な少女が中学生で妊娠しただけでこんなにも不幸を押しつけられるのかという監督の怒りと哀しみを感じる
 では、養子を得るために退職し専業主婦になる栗原佐都子には葛藤も悲しみもないのか、少し気になる
    
 河瀬直美監督最新作「朝が来る」を見てきました。
 映画界挙げての「鬼滅の刃」祭りの最中、公開3日目日曜日、池袋シネマ・ロサスクリーン1(193席/販売96席)午前11時55分の上映は、実に観客5名。

 夫栗原清和(井浦新)が無精子症と診断され、月1回札幌のクリニックへ通って人工授精を試みたが心折れた夫と2人での人生を誓った佐都子(永作博美)は、旅先で見た番組で紹介された子どもを育てられない母親と子どもが授からない夫婦をつなぐ活動を続けているNPOベビー・バトンを訪ね、14歳の中学生片倉ひかり(蒔田彩珠)が生んだばかりの乳児を特別養子(実親との親族関係を絶つ養子)とし、朝斗と名付けた。幼稚園児となりかわいいさかりの朝斗が幼稚園でジャングルジムの上で遊ぶ友人を押して友人が落下したという疑いを受け、悩ましく思う佐都子がその問題から解放されてホッとしたとき、佐都子に「子どもを返して欲しい」という電話が来て…というお話。

 予告編や前半の展開から、養親夫婦の視点から6年近く育ててきた子どもとの平穏で幸せな日々に、子どもを返せと闖入してきた実母への反感や抵抗感と不審感、他面での実母側の事情への理解・共感等がメインストーリーでありテーマだと予想していたのですが、ほとんど栗原夫婦の話だった前半と対照をなすように後半は片倉ひかりのストーリーが続き、ちょっと純朴で不器用な少女が中学生で妊娠するというアクシデント的な逸脱があっただけでこんなにも不幸を押しつけられるのかという河瀬監督の怒りと哀しみに圧倒されました。

 そういった展開の予想から、片倉ひかりサイドに入った後しばらくは、たぶん早めに栗原夫婦サイドに戻るものと思っていたこともあり、ゆったりした映像と展開がテンポが悪いように感じられてしまいました。

 序盤の幼稚園での子ども同士の押した押さないレベルのことで謝罪だの治療費や通院代等を言い出す親の様子に、他罰感情の強い人たちが跋扈する昨今の世相を感じます。仕事がら他罰感情が強い人の相談を受けることが多々ある身としては、私自身はそういう相談は好きではないし、たいていは絶対弁護士費用分もペイしませんよと(実際そうですし)受け流してはいますが、私たちの業界もある程度その世相に寄与しているのでしょうし、他人事と見てはいけないのでしょうけれども。

 ベビー・バトンの活動資金はどこから出ているのだろう、瀬戸内海の島とは言え、施設を持ち妊婦を長期入寮させと、結構資金は必要そうなのに、いちばん費用を請求できそうな妊婦の親については、妊婦自身が親とうまくいかずに逃げ込んでくることも多いとなると、そちらからあまり取れず、といって子どもを引き取る方から多額の寄付を取ったら人身売買と批判されるでしょうし、と訝しく思っていたら、もう今年で終わりという話が出て、元看護婦の浅見(浅田美代子)が私財を投じたという設定なんでしょうか。そこもまた、悲しいところ。
 養親の一方は育児に専念することを求めるところで、ベビー・バトン/浅見の保守性というか女性の生き方への抑圧者としての性格を見るのですが、浅見の生き様と合わせて、それもまた善良さと評価することが求められているのでしょうか。夫と同じ会社で働いていたのを、養子を取るという決心とともに、葛藤も見せずに退職して専業主婦になった佐都子、浅見に養親の一方は育児に専念する態勢を取らないと登録できないという話を聞いた直後に、来てよかった、養子が欲しいと、それが佐都子に退職しろという意味であるのにそこには触れず佐都子にその点を意思確認することもなく言う清和の夫婦を描くのは、片倉ひかりの生きにくさ、中学生での妊娠が女にのみ重荷を不幸を押しつける様を描く感性とどうマッチするのでしょう。栗原佐都子には、かわいい幼子がいる幸せがあれば、女としての生きにくさはないのでしょうか。そちらにも重さを持ってくると全体が重くなりすぎるという判断かも知れませんが、少し気になりました。
(2020.10.25記)

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