◆たぶん週1エッセイ◆
映画「つぐない」
実は人生論や恋愛の映画というより反戦映画かも
「ブライオニーがついた悲しい嘘」というキャッチコピーは適切か?
その点も含めどう解釈すべきかあいまいな点が多々あり、事実認定の教材に使えるかも
13歳の少女ブライオニーが、自分が好きだった使用人の息子ロビーと姉セシーリアの情事を目にしてしまい、その夜親戚の娘ローラが庭でレイプされていた場面を目撃して、犯人はロビーだと証言したことから、ロビーは刑務所送りとなり、引き裂かれたセシーリアとロビーの悲劇、後悔するブライオニーの心の揺れを描いた映画「つぐない」を見てきました。う〜ん、紹介が長い。
この映画、基本的には人の生き方とか恋愛の映画だと思ってたんですが、印象としてはむしろ反戦映画という感じもします。ロビーが刑期を短縮するために従軍を志願して北フランスの戦場に派遣され、セシーリアは(たぶん、ロビーを追って)看護師になり、ブライオニーは贖罪の気持ちでやはり看護師になったことから、ロビーは戦場(但し戦闘シーンはなし)、セシーリアとブライオニーは戦場から送られてくる負傷兵が入院する病院で過ごしています。ロビーたち兵士の士気は非常に低く、何のための戦争だか・・・と愚痴り、海岸にたどり着いてイギリスへの帰還を待つ様子だけが延々と描かれています。ブライオニーたちの前に送られてきた負傷兵たちは酷い怪我で苦しみ、正気を失っていきます。ここで描かれている戦争は、第2次世界大戦でナチスドイツに占領されたフランスを支援するための戦いで、正義の戦いであることが疑われることもほとんどなかったものです。それですら、戦争そのものの無意味さ無惨さが切々と描かれています。
兵士たちのシーン、負傷兵のシーンに加えて、軍にチョコレートを納入して肥え太る富豪が真犯人(?)のポール・マーシャルだということが、無実のロビーがその戦争に兵士としてかり出されていることとの対比で、戦争で得をするのは/被害を受けるのはという方向に注意を向けることになります。
戦争がメインテーマではないにもかかわらず、むしろそこに感じ入るというかそこを考えさせられました。
恋愛映画としてみると、セシーリアの思いが美しい。名家の娘が使用人の息子を恋い慕い、しかもその相手がレイプ犯として刑務所に送られても3年半も待ち続けて、家を出て看護師に志願してロンドンまでフランスへ行く前のロビーに会いに行く。いかにも一途で、このロンドンでの再会シーンは胸キュンものです。ロビーの方も、まぁすぐ刑務所送りでその後は戦場だから浮気のしようもないとも言えますが、やはりセシーリアを思い続けます。しかし、その恋の行方は・・・
この2人の美しい純愛を引き裂いたのがブライオニーの証言です。ブライオニーはそれを後悔して大学に行かず看護師に志願し、その後作家となって最後の作品として事実をすべて実名で書いた作品を発表する、その作品の内容が映画のストーリーだという形に最後まとめられていきます。
ストーリーは、終盤に、ブライオニーが真実を告白するシーンになります。ここで、これまでのストーリーの流れからは唐突な感じがして、やや違和感を持ちつつ、よかったねという思いとこれでよかったんだろうかという思いが交錯しました。ラストでもう一捻りあって、またそうだろうなという思いとそれはそれで残念な思いが交錯します。いずれにしても、見てスッキリする映画ではなく、複雑な思いが残る映画です。
さて、映画の公式サイトその他の紹介では「ブライオニーのついた哀しい嘘」と書かれていますが、ブライオニーは嘘の証言をしたのでしょうか。客観的に誤った証言であることは、間違いありません。しかし、ブライオニーは証言当時、つまり事件当日に、犯人がロビーでないと知った上で犯人はロビーだと証言したのでしょうか。そこはあいまいな感じがします。
ブライオニーが庭でローラを発見したときの映像では、懐中電灯で照らされた範囲では男の顔は見えておらず、その後逃げ去る後ろ姿だけが見えています。顔を見せてしまったら展開上困るから撮していないといえますが。ブライオニーは事件が起こる前にセシーリアとロビーの情事を目撃していて、それをローラに対して、姉が襲われていたのを自分が助けたと説明しています。その上、ロビーがブライオニーに託したセシーリア宛の手紙には、ボクは夢の中で君の××××(女性器ずばり)にキスしているなどということが書かれていて、ブライオニーはそれを読んでいます。ブライオニーはこの××××の言葉にショックを受け、フラッシュバックしています。13歳の少女にとっては、この内容は変質者と受け止めても不思議はありません。そういうことからすると、ブライオニーは、ロビーが女好きの変質者と考えて、ローラがレイプされたと聞いてそういうことをするのはロビーに違いないと思いこんだためによく見えなかったにもかかわらずロビーが犯人と証言してしまったと考えられます。もっともこの説の弱みは、ではブライオニーは後になぜ自分の証言が誤りだと気づいたかが説明しにくいことと、後の映像ではポール・マーシャルの顔を見ていることをどう説明するかにあります。ローラがポール・マーシャルと結婚することを聞き、その機会にそういえば自分があのとき見たのはポール・マーシャルではなかったかと思い至ったというパターン(もっともそういう場合、実はポール・マーシャルだったという記憶自体危ないと思いますが)くらいでしょうか。
他方、ブライオニーがはっきりポール・マーシャルの顔を目撃しつつ、つまりロビーが犯人ではないと知っていながらロビーが犯人だと証言したと考える場合、ブライオニーが真犯人を逃がし、ロビーを陥れる動機が問題になります。ブライオニーがロビーを好きだったのにロビーは姉とできてしまったことを知り逆上したという線は考えられますが、自分が好きな人を陥れる気にまでなるか、そして真犯人を野放しにしておいてよいと考えるかに疑問が残ります。
さらに言えば、レイプがあったのかについても、実は疑問が残ります。ローラが手首にひっかき傷があるのを弟たちにやられたと説明する場面が挿入されていますが、これは事件前にも庭の藪の中で情事にふけっていたことの暗示とも受け取れないではありません。ローラは突然後ろから押さえ込まれて相手が誰だかわからないと述べていますが、情事を隠し相手をかばうためにそう言った可能性もあります。ローラにとってポール・マーシャルとの結婚は苦渋の選択だったか、予定/もくろみ通りだったか・・・。
そのあたり、いろいろあいまいなというかどちらとも解釈できる事柄があって、事実認定の教材としても使えそうな感じがしました。そんな見方する奴いないって?
それにしても、この映画。1930年代の設定ではありますが、登場人物がいまどき考えられないほどタバコを吸い続けています。特にセシーリアなんてニコ中としか考えられない。いまどき、発癌や心臓病のリスクに言及しないでこれだけ開けっぴろげにタバコを宣伝できるのって映画ぐらいだなぁって改めて感じました。きっとタバコ会社が多額のご寄付をしているんでしょうねなんて邪推していまいましたね。
(2008.5.11記)
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