庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「ケナは韓国が嫌いで」
ここがポイント
 生きづらければ母国にこだわらず生きやすい場所で生きればいいというメッセージを緩く描いた作品
 映画は原作よりもケナの意志を強めている感じがする
    
 韓国で生きづらく思う女性の海外渡航の選択を描いた映画「ケナは韓国が嫌いで」を見てきました。
 公開2週目木曜日祝日、新宿武蔵野館スクリーン2(83席)午前10時の上映は4割くらいの入り。

 ソウルの勤務先に毎日2時間かけて通勤する28歳のケナ(コ・アソン)は、正しくマニュアル通りに評価して取引先会社を外して改めて入札する稟議を上げて上司から非常識と叱責されるなどし、ゲーム三昧の妹と寝室をシェアし狭い団地の建て替えで広い部屋に移るために拠出する費用の一部を貯金から出すように母親から強くいわれるなどするうちに、自分は韓国では生きてゆけないと思い詰め、7年越しの恋人で新聞記者を目指しているジミョン(キム・ウギョム)の反対を押し切って、ニュージーランドに渡航し…というお話。

 競争社会に疲れ、生きづらく思うのなら、韓国にこだわらず、生きやすい場所で自由に生きて行くという選択があるよというテーマです。
 それを、底辺の本当に生きづらい人ではなく(それが主人公なら海外渡航自体非現実的でもありますし)、有名大学を出て大手企業に勤務している(トップエリートではないものの)そこそこ競争の勝者とも見える者を主人公として、海外移住後もさまざまなバイトをしながらさまざまな男とデキ、しかし韓国にも帰って、ジミョンともよりを戻してみたりという揺れ動き逡巡する展開で描いたところ、つまり底辺層や思想的に固い層ではなく、中間層に向けて、決意を固めなくても緩くやっていいんだよという描き方をしたところにこの作品の持ち味があるように思えます。原作の作者が、延世大学出で元東亜日報記者の男性という、ジミョンの立場(ジミョンよりもさらにエリート)だったことが、それにどの程度影響しているのかは興味深いところですが。

 ケナの渡航先が原作ではオーストラリアなのをニュージーランドに変えたこと、ケナの勤務先での担当業務が原作ではクレジットカードの利用承認審査でケナが何か信念を持って主張したことなどないのを映画では取引先の評価について上司と対立したことにしたこと、原作ではジミョンが「僕が幸せにするよ。結婚してくれ。僕と一緒にこの国にいてくれ」っていってくれたらどうなっていたのかなとも思う(45ページ)というように、渡航前にはジミョンはプロポーズしなかったことになっているのに映画ではプロポーズされたがそれでも渡航したことにしたこと、原作では政治の話は出てこないのに映画ではケナが北朝鮮の核問題等についてコメントしていること、映画では大学の同期生で(薬剤師)受験を続けるキョンユニが死んでしまうことなど、原作の設定が変更されています。
 それらの変更は、(渡航先をニュージーランドにしたことと、キョンユニの件は、関係ないでしょうけど)基本的には、原作では逡巡し揺れ動くケナを、より意志の強いキャラに見せる意図かと思われます。そうであるならば、原作でジミョンが「なあ、僕のこと好きなんだろ? 僕を愛しているならどこにも行かないで、僕のそばに、韓国にいるのはだめか? オーストラリアに行くのがそんなに大事なのか?」と聞いたのに、「あなただって私のこと好きなんでしょ。私を愛してくれるなら私についてオーストラリアに来るのはだめなの? 記者になるのがそんなに大事なの?」と切り返す場面(46ページ)は、残すべきだと思うのですが。
(2025.3.20記)

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