庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「ブラック・ブレッド」

 スペイン内戦後の傷跡の残る村での殺人事件をめぐるダーク・ミステリー「ブラック・ブレッド」を見てきました。
 封切り2週目土曜日、全国4館、東京2館の上映館の1つ銀座テアトルシネマ(150席)午前9時45分の上映は3〜4割の入り。

 森の奥で父親の仕事仲間のディオニスとその息子のクレットが息絶えようとしているのを目撃したアンドレウ(フランセス・クルメ:新人)は、警察で目撃状況を聞かれるが、同行した父ファリオル(ルジェ・カザマジョ)が左翼活動家でディオニスとともに村八分にされ鳥の鳴き声大会などを行っていたことから警察に目をつけられ、祖母の家に預けられて父が村から姿を消してしまう。祖母の家から新しい学校に通い、まわりの子供たちから冷やかされながら、従姉のヌリア(マリナ・コマス)に大人たちが隠しているさまざまなことを知らされるうち、父親は警察に逮捕され、アンドレウはディオニスの妻から父とディオニスの秘密を聞かされ・・・というお話。

 スペイン内戦後の勝ち組と負け組がいがみ合いながら住む村、貧しい時代あるいは貧しい村という設定の下、勝ち組側、資産家側の醜さを描いていることも確かですが、結局のところ、ストーリーとしては、反体制のあるいは左翼活動家の末路は、いくら理想や理念をいっても結局は村八分にされ悪事に手を染め、その妻は夫を救うために操を捨て屈辱を忍び、子は父や母の生きた道ではなく別の道を進んで子にも見捨てられるというように、反体制派に「こっちの水は甘いぞ」と誘いかけるように見えます。こういう作品を見るたびに、特に妻が夫を救うために性的な屈辱を受けるとか夫を裏切るとかいうシーンを見ると、心をえぐられる思いをするとともに、制作者側の反体制派への悪意を感じます。

 事故で左手首から先を失い、教師と関係を持つヌリアの登場で、ヰタ・セクスアリス的な展開を予想しました。私が小学生の頃こういう年上の子に導かれたらたぶん別の人生が待っていたかもなんて幻想/願望込みで。ここでのアンドレウの潔癖さが、後の展開を哀しいものにもしているのですが。
 ただ、この映画でのヌリアの役回りは、薄幸の身で娼婦のようにいわれ蔑まれてアナーキスト的に振る舞って結局相手にされないという道化役ないしはアナーキストの末路的なもので、これまた見ていて哀しい。私は、やはり制作者の外れ者への悪意を感じてしまいます。「ゲド戦記」(映画じゃなくて小説の方)でテハヌーが希望の星とされたのとは対照的ですね。

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