◆たぶん週1エッセイ◆
映画「武士の家計簿」
猪野山家の財政事情を、度々登場する食事のシーンで描いているところが巧み
堺雅人の冷酷な官僚魂という感じの演技に寒気がする
加賀藩御算用者猪野山家の家業とお家建て直しを描いた映画「武士の家計簿」を見てきました。
全国公開から4週目(地元石川県内で先行公開)日曜日、シネリーブル池袋での午前11時10分からの上映は6割くらいの入り。観客層は中高年者が多数派でした。
猪野山家は代々加賀藩の御算用者(経理係)を務めてきた。7代当主信之(中村雅俊)は、殿の嫁取りの儀式の時に建てる赤門の朱塗りを節約のために表側だけにしたことが自慢の種だった。その信之の下で幼少期から算盤の勉学に励んできた直之(堺雅人)は、頭角を現すが、周囲からは算盤バカと呼ばれていた。帳簿の確認の過程で不審な点を発見した直之は、御救済米が蔵出し通りに民の元に届いていないという訴えを契機に奉行の蔵米を調査して御救済米の横流しの不正を発見するが、上司の怒りを買い能登への左遷を言い渡される。しかし、その直前、横流しの事実が発覚して関係者は処分され、直之は藩主の秘書役に抜擢される。しかし、猪野山家の財政はいつの間にか破綻に貧しており、直之の息子直吉の4歳の着袴の祝いの直前になって直之の知るところとなった。直之は、自力での借金返済を決意し、徹底した倹約と家財の売却を実行することにし、嫌がる父母にも実行を迫った。こうして借金を返済しながら、直之は直吉に幼いうちから御算用者としてのスパルタ教育を施していくが・・・というお話。
浪費生活を見直して生活をスリム化して借金を返済していこうという志はすがすがしくも見え、特に破産できない立場を前提にすると再生は現実的にはそうするしかないということになるでしょうし、借金を返し終わって明るさが見えるという終盤から、希望の見える映画と見ることができるでしょう。
その時々の猪野山家の財政事情を、度々登場する食事のシーンで描いているところも巧みといえるでしょう。
家業を代々継ぎ、御算用者としての分をわきまえという猪野山家、特に直之の姿勢も、また食事の際の席の配置に見える家長と他の家族の序列の厳格さなども、時代劇である以上、まぁそういうものだと思っておきましょう。
しかし、直之の姿勢は、あまりにも官僚的で、ひょっとしたら森田監督が官僚制のパロディでやってるのかと一瞬思ってしまうほどです。幼い直吉に猪野山家の経理を担当させた上で、4文銭を落としたために帳尻が合わなくなったのを自分の責任で何とかしろと言い放ち、翌月帳尻が合っている理由が河原で4文銭を拾ったためと聞くとそれは乞食のすることだと直ちに元のところに戻してこいと夜道を一人行かせ、父信之が死んで通夜が執り行われ家族が涙しているときにも一人別室で葬式の勘定をしているというのは、かなり異様。これをいかにも暴君ふうに怒鳴るのではなく、堺雅人が平然と当然のように振る舞うところが、いかにも冷酷な官僚魂という感じで、寒気がします。
基本的には、スパルタで叩き込まれたことが後に身を助け、よかったというストーリーなのですが、ここまでやられると、素直にそれでよかったとは、思いにくいですね。
(2010.12.26記)
**_****_**