◆たぶん週1エッセイ◆
映画「ちはやふる 上の句」
試合に集中し終わると疲れ果ててその場で眠り込む千早の姿に共感し、惚れる
基本的には、チームの絆と三角関係を描いた青春ものとしてみるべき
競技かるたに打ち込む千早と幼なじみの新、太一ら高校生となった3人をめぐる青春映画「ちはやふる 上の句」を見てきました。
封切り3日目月曜日祝日、新宿ピカデリースクリーン2(301席)午前10時55分の上映は7割くらいの入り。
小学生の頃、永世名人の孫の綿谷新(真剣佑)から競技かるたとそれに賭ける新の思いを教えられ、原田先生(國村隼)の指導の下で競技かるたの練習に打ち込んでいた綾瀬千早(広瀬すず)は、祖父(リリー・フランキー)の介護のために福井の実家に戻ることになった新に対して「競技かるたを続けていればまた会える」と言った約束を守ろうと、瑞沢高校に入学するとさっそく、高校で再会した幼なじみの真島太一(野村周平)らと競技かるた部を創設し、全国大会を目指して、6月の東京都大会に挑む。太一と、小学生時代に新に次いで2番だった肉まん君こと西田優征(矢本悠馬)はともかく、全くの初心者の和の文化を愛する呉服屋の娘大江奏(上白石萌音)、学年2番の秀才の鉄道オタク机君こと駒野勉(森永悠希)を含む5人での団体戦を戦うためのレベルアップを図って千早はゴールデンウィークに原田先生の教室での合宿をするが、3日目のメニューで全国大会個人戦に出た太一と西田は福井から参加した新に実力差を思い知らされ、残って東京の強豪校北央学園の主将須藤(清水尋也)と手合わせした千早は須藤のなりふり構わぬ囲い手に阻まれて大敗し自信を失う。落ち込む千早らに、意外にも駒野が合宿時の千早らの癖・欠点を分析して助言し千早らは改めて東京都大会に向けて練習に打ち込むが…というお話。
試合に集中し、終わった途端に疲労しきってその場で眠り込んでしまう千早。集中すると体力を消耗するのは、経験上理解できますし、私はそういう姿には共感します。無関係の第三者から見ると、だらしなくも見え、太一は面倒くさげにしていますが、私には、そこまで打ち込んで集中しきる姿、そして無防備な姿を見せつけられたら、これはもう惚れてまうやろ〜と思ってしまいます (*^-^*)
一字決まり札「吹くからに」を読み手が「ふ」と言う前に払った千早の動きを問う太一に、原田先生は、千早は「ふ」を聞く前に「fu」の「f」を聞いていると答えています。競技かるたクイーンの書いた本で、名人戦/クイーン戦レベルでは「寂しさに」(「さ」の一字決まり札)は「s」段階で札が飛ぶ、次に来る母音によって(つまり「さ」か「し」か「す」か「せ」によって)「s」の聞こえ方が違うというのを読んだ覚えがありますから、そういうことはあるのでしょうけど、それはもう高校生の大会レベルではないと思うのですが。
天真爛漫で猪突猛進型の千早、やや引き気味でかるたではなく千早を狙っている後ろめたさを引きずる太一、デリカシーに欠ける俺様男の肉まん君、歌自体を愛する癒やし系のかなちゃん、クールを装いつつも必要とされていると打ち込んでしまう机君というキャラで、序盤は千早のハイテンションぶりが浮いている感じが否めませんが、チームの絆と三角関係を描く青春ものというのが、作品としては基本線になっています。
百人一首には43も恋の歌があるというかなちゃんの好きな歌が「田子の浦に」(打ち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ)というのは意外ですが。「ちはやぶる」(神代も聞かず竜田川からくれないに水くくるとは)が竜田川を紅葉が赤く染めているという情景を詠んだだけではなくそこに在原業平の禁断の恋に落ちた秘めた思いが込められていると読むのと同様に、これも「恋の歌」なんでしょうか。
「ちはやふる」というと古典落語「千早振る」を思い出してしまうのですが、「千早」を人の名前にする点では同じ発想で、原作者も割と高年齢なのでしょうか。
(2016.3.21記)
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