庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「革命の子どもたち」
ここがポイント
 ウルリケ・マインホフの闘争をまるで病気のためであるかのように描くのはあんまりだと思う
 親が自己の信念で社会の多数派とは違う生き方を選ぶときの親子関係について考えさせられる

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 日本赤軍のリーダー重信房子とドイツ赤軍のリーダーの1人ウルリケ・マインホフの娘たちの母への思いを描いた映画「革命の子どもたち」を見てきました。
 封切り3週目土曜日、全国5館東京で唯一の上映館テアトル新宿(218席)午前11時35分の上映は1〜2割の入り。

 重信房子については、極右の父親の下で平凡な人生を歩んできた重信が明治大学2部(夜間部)の学生となって学費値上げ反対運動に加わり、1971年にはパレスチナに出国し日本赤軍を結成しレバノン等をベースに活動を展開し、2000年に日本国内で逮捕されるまでを、ニュース映像と娘重信メイ、パレスチナでの同志足立正生、赤軍派議長塩見孝也、日本での裁判を担当した大谷恭子弁護士の語りで描き、重信メイの母房子への評価、思いを挟み込んでいます。ウルリケ・マインホフについては、学生運動を経て左翼雑誌記者となり、編集長と結婚して2子をもうけた後離婚し、地下組織に参加して、後にドイツ赤軍となる「バーダー・マインホフグループ」を結成したが1972年に逮捕され1976年獄中で自殺するまでを、ニュース映像と娘ベティーナ・ロール、当時の同志たちの語りで描き、ベティーナ・ロールの母への評価と思いを入れています。

 ウルリケ・マインホフは本人が死んでしまい、活動期間も短い上、娘のベティーナ・ロールが母親への怨みが残り母親の活動を受け入れられず母親に対して否定的なコメントをするため、暗く冷たい印象が強くなっています。
 しかも、ウルリケ・マインホフが脳の手術を受けその際に脳に金属片を入れて、その後人格が変わってしまったというアナウンスが数回あり、闘争に身を投じたのが病気のためというニュアンスになっています。

 他方重信房子については、映画制作時点で裁判継続中で、娘も同志も弁護人もみな好意的なコメントをするので、その活動も肯定的で明るいニュアンスで描かれます。
 重信メイが映画制作時点で39年の人生のうち母親と一緒に過ごせた期間は合わせて5〜6年、28才まで無国籍で自分の存在は認められなかった、幼い頃から逃げ続け秘密を持ち続け素性に関していつも嘘をついて過ごさねばならなかったと語りながら、母親の活動に理解を示し母親を慕う姿は感動的です。

 親が自己の信念で社会の多数派とは違う生き方を選ぶとき、社会からはというか近親者などから子どものことを考えろ、子どもを巻き添いにするなというプレッシャーをかけられがちです。親の背を見て育つ子どもたちは、容易ではないふつうでない子ども時代を過ごして「ふつうに生きたかった」と親を恨むのか、「ふつうでない」親を誇りに思うのか。親として悩ましく、考えさせられるところです。
 そういう点からは、重信メイの語りには心を打たれ感動しますし、ベティーナ・ロールのコメントには胸が痛みます。

 個人的には、長らくお会いしていませんが、重信房子の生き様を語る大谷恭子弁護士の姿が、年輪を経てますます素敵に思えました。
(2014.7.19)

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