◆たぶん週1エッセイ◆
映画「クライマーズ・ハイ」
不器用だけど、一所懸命全力投球。そんな人生もあるさと、ややほろ苦く見る渋めの映画
「察官ならイエスです」という佐山の報告に対する悠木の判断は、私には疑問
1985年の日航ジャンボ機墜落事故の報道をめぐり地元新聞社内の確執と記者の苦悩・思いを描いた映画「クライマーズ・ハイ」を見てきました。
封切り3週目土曜日で、土曜午後渋谷という混みそうな選択をしてみましたが、入りは半分くらい。ちょっと寂しい。
1985年8月12日の墜落事故から1週間の新聞記者たちの動きに2007年(原作では20年後2005年でしたけど)の悠木と安西の息子燐太郎の衝立岩登りをかぶせてストーリーを進行させています。
事故当日、日航全権デスクを任された遊軍記者悠木(堤真一)と若手記者がスポットライトを浴びることに嫉妬して邪魔する社会部長等々力(遠藤憲一)・編集局次長追村(螢雪次朗)や販売局長伊東(皆川猿時)らの確執、せっかく書いた記事が掲載されなかったり扱いが小さかったりで不満を持つ若手記者の葛藤など、社内の人間関係がストーリーの中心となっています。そして、記者としてデスクとしての判断に加え、くも膜下出血で倒れた親友安西とその家族、家庭を顧みずに働いてきたことで壊れた自らの家族関係などでの悠木自身の葛藤、心の揺れが見せ所となります。
社内関係は、原作と比べると、専務が登場せず社長派と専務派の争いがなくなり、悠木が初期は社長に気に入られているとか、部下の死亡の内容が変わりその遺族からの追及もなくなるなど、簡素化されています。でも、それでも関係者多数のため、登場人物の肩書き・悠木との関係の把握がちょっと大変。
様々なことをきっかけに文句を言い罵り合う悠木と等々力・追村、悠木の味方となる幹部は整理部の亀嶋(でんでん)だけという状態。とにかく、映画の全体を通じて怒鳴り罵るシーンの多いこと。それが新聞作成の追い込みになり、最後のスクープがかかる場面では締切を遅らせるためにトラックの鍵を隠したために、怒りに燃えて怒鳴り込む販売局の部隊から編集局が一体となって悠木を守るシーンが静かな共感を呼びます。
その中で、葛藤し奮闘する悠木と、記事を没にされても縮小されても立ち直り食らいついていく警察キャップ佐山(堺雅人)の演技が光っています。
クライマックスとなる事故原因のスクープの判断、玉置(尾野真千子)の伝聞をチェック・ダブルチェックするために事故調主任調査員を佐山に当てさせた悠木が、佐山から「察官ならイエスです」(相手が警察官ならあの反応は「イエス」です)という連絡を受けながら、100%ではないと、俺には打てないと撤退する判断。社内では大きな判断になると逃げると悠木を詰る声も出ますが、「ベルトとサスペンダーの人」(悠木が子どもの頃見た映画の新聞編集長がベルトをした上でサスペンダーをしていたことから)だからということで結果として肯定的に描かれます。様々な場面で降りる勇気が必要なことはありますし、新聞人としては、それもありかもしれません。でも、原作を読んだときにも思ったのですが、現場として、また組織として見たとき、この判断はどうでしょうか。悠木としては北関東新聞社のスペードのエースとして警察キャップの佐山を送り込み佐山の感触にすべてを賭けるという判断をしたわけです。佐山は警察官に当てて本音を探ることに長けているから送り込んだわけで、警察官以外はふだん接触していないし、事故調の調査員と会ったことがないのもわかっているわけです。それでも佐山の相手の感触をつかむ能力に賭けたのですから、佐山がふだん相手にしている警察官を基準にする限りイエスだというなら、ここは佐山と心中(もちろん、「責任は俺がとる!」で)が指揮官としての判断じゃないでしょうか。ここで引くくらいなら佐山を送り込むという方法論自体がおかしいわけですから。
不器用だけど、一所懸命全力投球。そんな人生もあるさと、ややほろ苦く見る渋めの映画です。
(2008.7.19記)
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