◆たぶん週1エッセイ◆
ダリ回顧展
上野の森美術館で開催中の「ダリ生誕100年記念回顧展」(1904年5月11日生まれのダリの生誕100年記念ってどうして今頃やるんでしょうね)に行ってきました。
私は、小学生の時小学校で描画クラブなんてのに入っていたりして、絵はわりと好きな方です。ダリは、その政治姿勢とか金持ち志向とか、人物的には好きになれませんが、絵には学生時代から憧れていました。それに、ダリの絵は、クリアなタッチで細部が異様に細かいので、やっぱり現物で見たい画家ですし。
東京に来て(弁護士になるときからですから、もう21年もたちましたが)残念なことは、どこに行っても人だらけなことですが、特に美術展に行くとそのたびにそれを痛感します。名作をゆったりとのんびりとそして間近に見てみたいのですが・・・
いうまでもなく、ダリ展は満員。主催者の新聞社は、入場者何万人なんて煽る記事を載せてますし。名作に多くの人が触れることは、いいことなんでしょうけど、まるで月の石やパンダ(例が古いですね。年ですから)のように物珍しさで人をかき集めて行列を作ってまともに見られないようなら、文化事業とは言えないと思うんですけどね。
満員に加えて、会場係が、線から中に入るなとか携帯の電源を切れとか模写するなとか、うるさいことうるさいこと。絵は少しは静かな環境で見たいんですけど、そういう感覚ないんでしょうか。
絵の品揃えはそこそこで(もちろん、威張るほどの品揃えでは全然ありませんが)、著名な作品(わたしが興味のある画家だから知っている作品が多いだけかも)の現物を見ることができました。しかし、今回出品されている作品はサイズの大きいものがほとんどなく、それでも線を引かれて「中に入るな」とうるさく怒鳴られるので、ダリ特有の細部の詳細さを間近で見るということには、満足感を得られませんでした。大きなサイズの作品は「万国公会議」くらいで、今回の目玉の「記憶の固執の崩壊」とか「ミレーの晩鐘の考古学的考察」なんて、こんな小さな絵だったのかというのが第1印象でした。今回の展示しか知らない人なら「まあ、大きな絵なら細かいところまで書く気がしないだろう」なんて感想を持ちかねません。ダリには、大きな絵が結構あるはずなんですが。ダリは、私の感覚では、「現物の絵を見たい画家」のかなり上位だったのですが、今回の作品展で言う限り、自宅で画集でゆっくり見た方がいい画家に変わりますね。
細部を間近に見るという、一番の期待は満足できませんでしたが、美術展に行くと、画集には掲載されない無名作やその画家らしくない作品を見るチャンスがあり、意外な掘り出し物を見つけるという楽しみもあります。今回は、ダリらしくない絵で、「ラス・クレウス塔から見たカダケス」「雄羊(亡霊のような雌牛)」が結構気に入りました。いつもと同様、そういう観点から私が気に入った絵は、売店の複製にも絵はがきにもなっていませんでしたが。
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