◆たぶん週1エッセイ◆
映画「騙し絵の牙」
原作との違い:違いすぎて指摘する気にもなれない
事件を起こした俳優の排除についての問題提起がちょっと目を引く
大泉洋を主人公と想定して書かれた小説を大泉洋主演で映画化したエンタメ作品「騙し絵の牙」を見てきました。
公開3日目日曜日、新宿ピカデリーシアター3(287席)午前10時5分の上映は、8割くらいの入り。
大手出版社薫風社の社長伊庭喜之助が急死し、経営改革を推進してきた専務東松龍司(佐藤浩市)が社長となり、収益性の低い雑誌等の廃刊等のリストラが進められることになった。「小説薫風」編集部の新人編集者高野恵(松岡美優)は新人賞の応募原稿「バイバイを言うとちょっと死ぬ」を高く評価して会議で推すが、編集長江波百合子(木村佳乃)は反対し、落選となった。大物作家二階堂大作(國村隼)の作家デビュー40周年パーティーの席上、カルチャー雑誌「トリニティ」の新編集長速水輝(大泉洋)に挑発されて二階堂大作の作品の女性キャラが古すぎるから改めた方がいいと正直に指摘してしまった高野は二階堂の怒りを買い、江波編集長から販売部門への異動を命じられ腐っていた。「トリニティ」編集部員の意欲のなさに困った速水は高野に「トリニティ」への移籍を勧誘し、編集がやりたい高野はこれに応じた。速水の指示で二階堂との手打ちの会合に出た高野はワインをしこたま飲まされてベロンベロンに酔い、速水にタクシーに押し込まれたとき、「バイバイを言うとちょっと死ぬ」の原稿を落としてしまう。これを読んだ速水は、「トリニティ」で連載小説として掲載することを決め、作者とされるイケメンの矢代聖(宮澤氷魚)をクローズアップした大宣伝を打つが…というお話。
原作を先に読んだので、原作と映画の相違点をピックアップして指摘しようと手ぐすね引いて待っていたのですが、登場人物からして違う(原作では社長は死なない、常務は出てこない、原作のキーパースンの編集局長相沢が映画では出てこない、たぶん東松がその代わり、やはり原作のキーパースンのひとりの速水の同期秋村も映画には出てこない、原作では高野の父も出てこないし、伝説の作家神座も出てこないし、「バイバイを言うとちょっと死ぬ」やその作者も出てこない。名前も速水輝也が速水輝、永島咲が城島咲に変わってますし)、人間関係も違う、ストーリーも大幅に違うし、原作から残っているエピソードも行う人物が違ったりするし、ラストも全然違うという具合に、相違点を並べる気になれないくらいでした。もうこれは、違う作品だと思います。
ちょっと目を引いたのは、これも原作にはないエピソードですが、事件を起こして逮捕された人物の写真・原稿を差し替えるかという点への問題提起です。ドラマや映画に出演している俳優が逮捕されると放映・上映が中止になったり撮り直しになったりすることが、日本社会では非常に多いというか、それが慣例にさえなっていますが、本当に馬鹿馬鹿しいことだと思います。犯罪を犯したとしてもそれに対しては刑罰が科されるわけで、それを超えて社会から抹殺しようとすることには、私は強い反感を持ちます。そういう勢力のおかげで犯罪者の更生が妨げられることにもなります。この作品の中で、速水は次号の表紙と看板原稿に予定していた人物が逮捕されても、仮に広告が全部引き上げられても部数を増加して9割売れば黒字と計算した上で、差し替えを拒否します。速水に唆されて東松が取締役会で、犯罪への非難と作者の表現は別だ、文学はむしろ異端から生まれる、そういった発表の場を出版社は守るべきだと論じる姿は、この問題への問題提起となっています。もっとも、そういった正論は建前だけで、実際は儲かると踏んだからやっているという描き方ですから、社会の趨勢に刃向かう側を揶揄しているのかも知れませんが。
もし、この作品の出演者が誰か逮捕されていたら、それでもこの作品がそのまま公開されたかは興味深いところです。コロナ禍を理由に公開を2回も延期した制作・営業サイドにそんな勇断は期待できそうもないですけど。
またネットでも映像でも見ることができないもの、ここでしか手に入れられないものを売り物にするという戦略は、これからますます大切になっていくと思えます。そういう意味では、原作よりもいいラスト(正確にはラス前)と言えるでしょう。
コメディなんですが、いちばん笑えたのが最初の方の「機関車トーマツ」の映像でした。そこがピークというのでは情けないのですが。
ラストの接見室。制作サイドはアメリカ映画しか見ていないのでしょうか。日本では、少なくとも成人の場合、ああいう接見はあり得ません。法律監修までしなくても、ふつうのドラマでも接見室はそれなりに再現しているのに。ちょっと情けなく思いました。
公式サイト、予告編で繰り返される「騙し合いバトル」というキャッチはミスリーディングです。予告編に登場するシーン・台詞はすべて本編にあります(予告編だけの映像ではない)が、たぶん多くの人にとっては予告編を見たときにそこから描いたイメージとは違う場面だと思います。この映画でいちばん騙されるのは、予告編を信じた自分だということが次第に実感されていくのを面白がれる余裕があるかが作品評価のポイントになるかも知れません。
(2021.3.28記)
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