庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「危険なプロット」
 教え子が友人の家庭を描写した作文に才能を見いだし指導しながら続編を持ち焦がれるようになった高校教師の躓きを描いた映画「危険なプロット」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、全国9館東京で2館の上映館の1つヒューマントラストシネマ有楽町シアター1(162席)午前10時35分の上映は4割くらいの入り。

 かつて恋愛小説を書いたが物にならず作家をあきらめた高校の国語教師ジェルマン(ファブリス・ルキーニ)は、担任を務める2年C組の生徒の作文を採点していた際、友人ラファ(バスティアン・ウゲット)に数学を教えるという口実でいつも公園のベンチから眺めていた家に上がり込みそこで「中産階級の女の香り」を漂わせ内装雑誌をめくる友人の母エステル(エマニュエル・セニエ)と遭遇したことを書いて「続く」とする作文を見つけ、興味をそそられる。ジェルマンはその作文を書いた生徒クロード・ガルシア(エルンスト・ウンハウワー)に真意を問い質すが、続きの作文を渡されてさらに興味を惹かれ、妻ジャンヌ(クリスティン・スコット・トーマス)とも意見を交わしながら、クロードを放課後残して小説の方法論等を指導するようになる。ジェルマンの指導と期待を受けてクロードはラファの家に通い詰めながらラファの家庭の中に入り込みその記述をエスカレートさせていくが…というお話。

 ストーリーは、クロードの作文で描写される友人ラファの家庭(ラファと父とエステル)、クロードの作文を読み批評する側のジェルマンの家庭(ジェルマンとジャンヌ夫婦)の2つの家庭の日常風景の描写を、ジェルマンとクロードが会う高校での会話を挟みながら進んでいきます。
 数学が苦手な友人ラファは、営業マンの父親ともどもバスケットボールが好きで、公園に面した家に住み、母エステルはかつて建築設計の仕事をしていたが今は専業主婦となりテラスを改装しようと内装雑誌をめくる日々。当初エステルはラファの元を訪れるクロードを好ましく思えず、出入りを禁止しようとしますが、クロードの策略でラファが試験で18点(フランスのテストは20点満点だそうな)の好成績を挙げたこと、夫が上司とうまく行かず独立を言いだしてその資金のために改装ができなくなったこと、夫と息子の留守を狙い澄まして訪れたクロードから母に捨てられた境遇を聞かされ同情したことからクロードを受け入れていくことになります。
 ジェルマンは、かつて恋愛小説を書いて出版したものの作家として成功せずあきらめて高校教師として勤めていましたが、クロードに才能を見いだしてその指導に情熱を注ぎ、画廊を任されている妻が有望な作品を見いだせず展覧会のアイディアに四苦八苦している様子を横目に見つつ、妻の話に生返事を続けます。妻もジェルマンから渡されてクロードの作文に興味を持ちますが、友人の家庭のプライバシーを盗み見るクロードにやり過ぎと感じ、またクロードの作文にのめり込んでいくジェルマンに対しては、ジェルマンがクロードの作文を見るようになって以降セックスレスになっていることを指摘します。
 2つの家庭の、ある種ありきたりの日常的な情景が、描写する者の視線・思惑によりスリリングで危ういように見え、またちょっとしたことで現実に危うくなるという、日常と非日常の境目あるいは境目のなさを味わう映画なのだと思います。ラファの家庭では、当初はその家庭に入り込み覗き見ようという意思、その後は母親を誘惑しようという意思を持った1人の高校生の登場によって、ジェルマンの家庭では、1人の高校生の作文に才能を見いだし引き込まれていったことによって、危うさが露呈/創出されていきますし、そもそもそのような意思を持った観察者の登場によりごくふつうの家庭でも危うさを見いだすことができるというわけです。
 原題は Dans la maison 、「家の中で」という意味です。どこの家でも、ごくふつうの家庭でも、表面上ありきたりの日常に見えてもそこにドラマがあり、危うさが潜んでいるという趣旨でしょう。
 そしてふつうで平和で平凡な家庭が危うさを孕んでいるというテーマとともに、教師と生徒という上下関係も確実なものではないという危うさもテーマとなっていると思えます。

 R15+指定ですが、ヌード系は男性陣のシャワーシーンの他はエステルと夫の短いベッドシーンが1シーンだけです。友人の家庭を徘徊して夫婦の会話を盗み聞きしたり友人の母を誘惑するというプロット自体が小中学生には見せたくないということかもしれません。

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