◆たぶん週1エッセイ◆
映画「デス・レース」
囚人たちが釈放を賭けて命がけのカー・レースを繰り広げるアクション映画「デス・レース」を見てきました。
封切り2日目日曜午前中の新宿ミラノ1、予想通りガラガラでした。新宿ミラノ側も1064席のミラノ1での上映は1週間だけで、翌週からはミラノ3(定員216名)まで落とす予定で最初から不入りを予想しているわけです。でも、こういうアクション映画はやはり大スクリーンで見たい。この映画をミラノ1の大スクリーンで見れる幸せは1週間しか続かないのですから、カー・アクションファンが詰めかけてしかるべきだと、私は思うのですが。
お話は、2012年の完全民営化されたアメリカの凶悪犯刑務所が釈放(5回優勝したら釈放)を餌に機関銃付きの装甲車両での命がけのカー・レース「デス・レース」を実施してインターネットで有料生中継でボロ儲けしていたところ、4連勝した大人気の覆面レーサーフランクが死亡して人気が落ちて収入が減ったために、ヘネシー所長(ジョアン・アレン)の指示で元レーサーのジェンセン・エイムズ(ジェイソン・ステイサム)をその妻を殺害した挙げ句に妻殺しの冤罪で収容してフランクの代わりに覆面をつけてレースに出すというハチャメチャな設定。
市民に「パンとサーカス」を与えて不満をそらせたローマ時代のコロッセオでの剣奴の殺し合いを彷彿とさせますが、経済が悪化して首切りが横行し不満をつのらせる民衆に「血の娯楽」を提供するのがアメリカ政府でなく民間というあたりが、制作者側がちょっと日和ったところでしょうか。善良な市民を金儲けのために平然と殺害した挙げ句に被害者(遺族)である夫に罪を着せて犯罪者として収容するという悪事を行うのが民間というのも。血の興行の実施者が誰であれ、メディアを通じて血に飢えた民衆が刺激を求め続けるのは、おぞましい人間の業ではありますが。いずれにしても、そういった社会派色部分は導入部だけで、レースが始まってしまえば、ただひたすらカー・アクションと銃撃戦で、基本的には頭を空っぽにしてみる映画です。
アクション部分は、さすがにミラノ1の大スクリーンで見ると迫力満点です。展開の速さと派手さにちょっと何が何だかわからなくなることも多々ありましたが、レースの場面の間は思わず手に汗握るというか、ずっと手を握りしめて見てしまいました。
ジェンセンの渋さと、ナビゲーター役の夫殺しの囚人ケース(ナタリー・マルティネス)のかっこよさに痺れます。第1日のレースでケースが銃撃の間を縫って車から上半身を出して後続車両を撃ち抜いて火だるまにするシーンがいい。
ジェンセンの敵役のマシンガン・ジョー(タイリース・ギブソン)と力を合わせて所長が繰り出した「戦艦」を撃破するシーンは、予告編でも売りになっていますが、これが圧巻で爽快です。
人間ドラマ部分では、見かけによらず愛妻家で子煩悩のジェンセンが、愛する妻を殺害された挙げ句に妻殺しの罪を着せられ子どもとも引き離されるのは、あまりに残酷。その悲惨な運命となんとか折り合おうとするジェンセンと、冷酷非情で金儲けもしくは興行のためには手段を選ばないヘネシー所長の対比が際だちます。
その間で、釈放を餌にフランクやジェンセンを裏切らされ、それを借りに思いレースを通じてジェンセンとの連帯感を深めていくケースの役どころも見どころです。
そして、ジェンセンのピットの「コーチ」(イアン・マクシェーン)が、意外に重要な役回りで、いい味を出しています。
銃やその他の武器での戦いが前に出すぎてカー・レースとしての見どころがかえって少ない感じもしますし、暴力シーンが多すぎる、音がうるさすぎるという感じですが、アクションシーンの迫力と後半の流れの爽快感は、なかなかいい線いっていると思います。
エンド・ロールのラストは、「汚い言葉が嫌い」な人のパロディでしょうか、それとも次回作への含みでしょうか・・・
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