◆たぶん週1エッセイ◆
映画「愛さえあれば」
中高年男女の出会いを描いた映画「愛さえあれば」を見てきました。
封切り2週目土曜日、全国14館東京で2館の上映館の1つ新宿武蔵野館スクリーン2(84席)午後3時30分の上映は4割くらいの入り。観客の多数派は中高年でした。
癌の治療が一区切りついたイーダ(トリーネ・ディアホルム)が帰宅すると、夫のライフ(キム・ボドニア)は会社の経理担当者ティルデ(クリスティアーネ・シャウムブルグ=ミューラー)とセックスの真っ最中。イーダが詰め寄るとライフは君が病気になって自分も辛かったんだなどと言って出て行ってしまった。妻を事故で亡くし仕事中毒になった野菜果物貿易商フィリップ(ピアース・ブロスナン)は、南イタリアの別荘で息子パトリック(セバスチャン・イェセン)が結婚式を行うことになり、イタリアに向かう途中、コペンハーゲンの空港で車をぶつけてきた相手が息子の婚約者アストリッド(モリー・ブリキスト・エゲリンド)の母イーダと知り、別荘に同行する。別荘には、結婚式の準備を頼まれたパトリックの友人で密かにパトリックに思いを寄せるアレッサンドロ、フィリップの死んだ妻の妹でフィリップにあからさまな好意を寄せるベネディクテ(パプリカ・スティーン)とその娘、さらにはライフとともに現れライフの婚約者と自己紹介して回るティルデ、ライフに怒りを見せるライフとイーダの息子ケネト(ミッキー・スキール・ハンセン)らが集結し…というお話。
妻を事故で亡くして、ワーカホリックになり、息子をほったらかしたという負い目があるフィリップ。職場で部下からデートの誘いを受けても、もっと若い男を誘えと言って仕事の話に切り替え、義妹から度々色目を使われても応じず最後には妻は最高の女性だった、君が妻と姉妹だとは信じられないなどと罵り明確に拒絶。妻を忘れられないという話ならそれも一つの心情ですが、一方で癌治療中の人妻で、息子の婚約者の母イーダには惹かれていきます。部下は、どんなに魅力的であっても恋愛対象外というのは、セクハラ防止の観点・倫理感覚で理解できます(というか今どきは当然の感覚と思います)が、その倫理感覚は息子の婚約者の母親には当てはまらないんでしょうか。ちょっと局面が違うかなぁ…どっちにしても好きになるのはもう理屈じゃないってとこでしょうか。
これに対して、部下と不倫の関係を続け、挙げ句の果ては娘の結婚式にその不倫相手を同行するライフ。倫理観も羞恥心もない、何だろ、この人って感じ。
結婚式を前に怖じ気づき、婚約者から誘われても応じず1人テラスや海岸で物思いにふけるパトリック。
基本的に傷ついた中高年の男女フィリップとイーダの出会い、そしてその子どもたちパトリックとアストリッドの男女間の心情の機微がテーマの作品ですが、登場する男たちの生き様の対照もまた気になりました。
映像面では、南イタリアの海沿いの町ソレントの海と町並みと夕日の美しさが印象的です。デンマーク映画だからということもありますが、イタリアでの場面とデンマークでの場面で色彩・明るさを対照的に描いていて、イタリアの明るさ、イタリアへの憧憬が画面だけからでも感じられる作品です。
**_****_**