◆たぶん週1エッセイ◆
映画「デザート・フラワー」
ソマリアの遊牧民の娘からスーパーモデルに上り詰め、FGM(女性器切除)反対運動家として活躍するワリス・ディリーの自伝映画「デザート・フラワー」を見てきました。
封切り5日目役所と多くの会社が年末休暇の平日、全国で3館、東京では唯一の上映館の新宿武蔵野館の午後1時からの上映は、満席。観客層は中高年がやや多数派、次いで若い女性2人連れが目立ちました。
ソマリアの遊牧民として生まれたワリス(リヤ・ケベデ)は、3歳の時にFGMを受け、13歳の時に祖父と同年配の老人の第4夫人にされることになって逃走し砂漠を歩き通してモガディシュの祖母の元にたどり着き、駐英ソマリア大使の伯父のメイドとしてロンドンに渡るが、ソマリア内戦で帰国を命じられた大使に同行せずにロンドンに残り、不法滞在となりホームレス同様の生活を送っていた。ある日、ワリスは、ダンサー志望の店員マリリン(サリー・ホーキンス)と知り合い、マリリンの部屋に転がり込み、清掃の仕事を紹介してもらう。最初はワリスのことを疎ましく思っていたマリリンだが、ワリスの純真な人柄やFGMの過去などを知り、次第にワリスへの友情を深めていく。ファーストフード店で清掃作業中に高名なファッション写真家ドナルドソン(ティモシー・スポール)にモデルにならないかと声をかけられたワリスは、それを機にモデルとして成功し、不法滞在が発覚して身柄拘束されるがマリリンの知人との偽装結婚で労働ビザを獲得して問題をクリアし、世界的なスーパーモデルに上り詰める。その後、自らのFGMの経験を公にし、FGM反対運動の旗手となる・・・というお話。
ソマリアの遊牧民の娘で、ロンドンでホームレス生活を送っていた女性がスーパーモデルになるというシンデレラストーリーとして始まり、FGM反対運動の明確なメッセージを帯びた映画として終わっています。
シンデレラストーリー部分は、ソマリアの遊牧民の娘としてについては、それは事実なんですが、遊牧民としてはそこそこ恵まれた家族のように思えますし、それも単に母親が遊牧民の男と駆け落ちしたからで、元々は伯父が外交官(ソマリアの旧宗主国に駐在する駐英大使って外交官でもかなりエリートでしょ)という一族ということで、ちょっとニュアンスが違います。ロンドンで不法滞在でホームレス生活からという点で十分にシンデレラストーリーとして成立しますから、それでいいんですけどね。
硬くなりそうな映画を和らげているのは、ワリスの純真でひたむきな姿勢、おどおどした態度と笑顔の落差、そしてワリスのことを我がことのように喜ぶマリリンとのコンビネーションです。
前半のシンデレラストーリーの中で、親からすり込まれた風習の桎梏を解いていくことが後半への布石となっていきます。ドナルドソンにモデルにならないかと誘われても、写真を撮られるとよくないことが起こる(日本の迷信で言えば「魂を抜かれる」のたぐいでしょう)と信じていたために無視し続けたワリスがそれを踏み越えてドナルドソンのスタジオに現れる。FGMにより外性器をすべて切除されて縫合されたワリスが稚拙な施術のために痛みが取れずに倒れ込んでマリリンに連れて行かれた医者の下で医者が呼んだソマリア人にソマリアの言葉で民族の伝統に反してまで手術を受けたいのかと罵られて耐えかねて飛び出したが、思い直して縫合を解く手術を受けに戻る。こういうシーンの積み重ねで、ワリスが民族の風習の束縛から一歩ずつ自由になっていく姿が描き出されています。
終盤はメッセージが非常にストレートに出ていますから、政治性を嫌う人には受けが悪いかも知れません。しかし、前半からの積み重ねを読み込めていれば唐突感は和らぐと思いますし、問題の深刻さを受け止められれば、それほどの違和感はないかなという感じがします。
私が一つだけ気になったのは、3歳の時のワリスのFGMのシーン。何歳の子どもが演じているのかわかりませんが、下着も着せない幼児の両足を大人が押さえ込んであれだけ泣き叫ばせるのは、本人の意識的な演技とは思えませんでした。もちろん、傷つけたり性的なことをしているはずはないですが、かなり恐ろしい思いをさせたのではないかと思います。その子のトラウマになっていなければいいのですが。
日本では一般にはあまり知られておらず紹介されることもなかったFGMについて、議論を広げるためにも、たくさんの人に見て欲しいなという思いを持つ映画です。2011年から上映館が拡大していくようですので、ゆっくりと広がりを見せてくれるといいと思います。
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