◆たぶん週1エッセイ◆
映画「エリジウム」
究極の格差・隔離社会で貧困者・庶民の住む地球から富裕者の居住するエリジウムに挑んだ男を描いた社会派SF映画「エリジウム」を見てきました。
封切り3週目土曜日、シネ・リーブル池袋シアター1(180席)午後0時30分の上映は1〜2割の入り。
21世紀末、汚染され人口過剰になった地球を嫌い、超富裕層は宇宙空間に建設されたスペースコロニー「エリジウム」に移住した。エリジウムの家庭にはあらゆる病気を治療できる「医療ポッド」が備え置かれていたが、医療ポッドはエリジウムの市民と認識しない限り作動しないよう設定されていた。2154年のスラム化したロサンジェルスで、かつて車泥棒として才能を発揮し保護観察中のマックス(マット・デイモン)は更生してアーマダイン社の工場で働いていたが、照射炉の故障を上司に強要されて中に入って修理していて致死量の放射線を浴びてしまう。ロボットから余命5日と宣告され薬の受領書とだまされて退職同意書にサインさせられアーマダイン社を追い出されたマックスは、生き延びるためにはエリジウムに行って医療ポッドで治療するしかないと思い定め、エリジウムの市民IDの偽造と宇宙船での密航を世話しているスパイダー(ワグナー・モーラ)に会いに行った。スパイダーはマックスをエリジウムに送り込む代償として、地球に住むエリートを誘拐してその脳のデータを盗み取ってその財産を奪うことを求め、マックスに脳のデータをやりとりする装置とロボット(ドロイド)とも闘えるアームスーツを装着する。マックスは、襲撃対象として、致死量の放射線を浴びて瀕死の自分をぼろ布のように捨てたアーマダイン社のCEOジョン・カーライル(ウィリアム・フィクナー)を選び、護衛ロボットとの激しい戦闘の末にカーライルの脳のデータを自分の脳に移行することに成功するが、そこにはエリジウムの防衛長官デラコート(ジョディ・フォスター)がクーデターを起こしてエリジウムの支配者となるためのエリジウムのシステムのリブートデータが入っていた。マックスはデラコートの命令で捕獲のために襲撃してきた犯罪歴豊富な「民間協力者」クルーガー(シャールト・コプリー)から命からがらスパイダーの元に逃げ戻るが…というお話。
格差社会で虐げられる労働者・庶民、治療技術があるのに庶民はそれを受けられずそのために命が危機にさらされる幼い娘とその娘を抱えてけなげに生きる母と、庶民の弁護士としては、共感と、悪辣な行政・企業・政治家に対する怒りを強く感じ、いろいろに考えさせられる映画でした。
幼い頃に孤児院で、天上に見えるエリジウムを眺め憧れるマックスに、修道女があちらから見ればこちらが美しいんだと宇宙空間から見た地球の写真を渡し、自分がどこで生まれたのかを忘れるな、あなたは特別な存在なんだと、貧しく生まれても自分に誇りを持てと諭すシーン、後から孤児院に来た少女フレイ(アリス・ブラガ)にマックスがいつかエリジウムに連れて行くと約束するシーンが美しく印象的です。
年を経て犯罪を重ね工場労働者として未来の展望を描けない日々を送るマックスと、看護師となり多くの患者の世話に追われ急性白血病でエリジウムの「医療ポッド」で治療しない限りは救えない娘マチルダ(エマ・トレンブレイ)を抱えて疲労の濃い顔で「私の人生は複雑なの」と語るフレイが再会し、そこからスムーズには行かないままに幼き頃のエピソードと重ね合わされていくストーリーが最後には泣けてきます。
究極の格差社会・隔離社会「エリジウム」は、おそらくは南アフリカのアパルトヘイト政策と公式にはその政策が放棄された後も残る現実を象徴しているのだと思いますが、日本社会にとっても他人ごととはとても思えません。
保護観察中のマックスは、バスを待っているときに前科者には問答無用で所持品検査を強行する警察官ロボットに冗談を言ったために反抗したとして左腕を叩き折られて連行され、保護観察ロボットに言い訳をしようとしても聞いてくれさえせずに保護観察期間を延長されます。
まったく人情味のない行政官に実際には行政側の都合を「規則だ」といわれて市民が窓口で追い返される姿は、日本の生活保護行政で前々から指摘され近年生活保護バッシングのキャンペーンを経てさらに強化されている水際作戦を始め、さまざまな場面で見ることができます。
エリジウムでは、医療技術が完璧になり技術上はどんな病気も治せるにもかかわらず、その治療を受けられるのは富裕層だけで、庶民はその完璧な治療を受けることができずに死んでいく運命です。
現在の医療技術は完璧にはほど遠いですが、今でも、医療技術の発達により治療できる病気は増えていても、最先端の治療を受けられるのは富裕層だけで、庶民は経済的事情からその治療を受けることができません。近年では、企業がリストラをやり放題で社会保障が手薄なために経済事情で健康保険料を滞納している人が増えていますが、そういう人々から保険証を取り上げて医療を受けさせないというようなことが、平然と行われています。貧しい者は医療など受けられなくていい、ましてや先端医療が受けられないのは当然だという冷酷な価値観が、この国の役人や政府に共有されつつあるのではないでしょうか。
左腕を骨折しても休むと解雇されることを恐れるマックスはそのまま業務に就きます。そのマックスに上司は後ろから遅刻で半日分の給料を差し引くと宣告します。マックスが担当する照射炉のドアが故障して閉まらなくなると、上司は何を作業を遅らせているんだと言いがかりをつけ、中を見たマックスがドアが中のもので引っかかっていると伝えると、中に入って直せと命じます。マックスが拒否すると、上司はそれなら中に入れる奴を雇う、おまえは首だと言い、マックスがしかたなく炉の中に入って引っかかりを外すとドアが閉まって放射線の照射が始まります。照射炉は「有機物反応」と警報を出しますが、自動停止する設定ではなく、周りの労働者が助けようとするのを上司は手遅れだと言って追い散らします。照射が終わって倒れているマックスをロボットが運び出して致死量の線量を浴びており余命は5日と宣告し、それを窓越しに見たCEOのカーライルは汚いから会社から追い出せと指示し、その意を受けたロボットがぐったりしているマックスを薬の受領書とだまして退職同意書にサインさせます。
不安定な労働者に対しておまえの代わりはいくらでもいると脅しつけて低賃金の過酷な労働を強いてそれにより企業が儲けているという構図は、非正規雇用が増え、正社員もリストラに脅えあえぐ日本社会でも見られます。労働者を犠牲にして儲けたいという欲望をむき出しにして「労働規制の緩和」「産業競争力の強化」などといって派遣法の抜本改正とか「解雇しやすい特区」(私の感覚では、「ブラック企業野放し特区」)などを次から次に言い出す連中と、消費税増税で庶民から巻き上げた金を法人税減税と公共事業で大企業と土建屋にばらまくような庶民の犠牲で企業を優遇する政府の下では、日本社会はこの映画で描かれている地球の姿へとどんどん近づいていくことでしょう。カーライルの姿に1年365日1日24時間死ぬまで働けと言っていたという今は国会議員になってしまった経営者をダブらせたのは私だけでしょうか。
この映画の公式サイト、私が度々けなしているソニーピクチャーズにしては破格の情報量で、登場人物紹介がきちんとなされている上に、アーマダイン社のWebサイトが作られけっこう充実しています。ただ、会社概要の「IR」(投資家向け情報)で、「2158年はアーマダイン社にとって記念すべき年でした。アーマダイン社史上初めて、利益が18兆ドルを超えました。」としたうえで、CEOとして、映画では2154年に死んだはずのジョン・カーライルの言葉を掲載しているのはケアレスミス。慣れないサービスするからかなぁ。
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