◆たぶん週1エッセイ◆
映画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」
外敵からの攻撃の連続に考える暇なくついて行かされるという感じ
未来を描いているはずなのにどこかノスタルジーを感じさせる
謎の敵「使徒」の攻撃に対して少年少女パイロットが操縦するヒト型兵器「エヴァンゲリオン」が戦うバトルアニメの映画化新シリーズ第2部「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」を見てきました。
封切り6週目日曜日、半分くらいの入り。観客層は、昨日見た「それでも恋するバルセロナ」と逆に圧倒的に男性でした。
私は、TVアニメシリーズも一度も見てないし、新劇場版の第1部「序」も見ていません。で、一家言以上ある方が、とりわけネットの世界では、山のようにいるこの作品を、いきなり「破」を見てそれだけで論評するのはいかにも無謀なことと思います。予備知識ゼロのおじさんがいきなり「破」を見たらどう感じるかの感想として書いておきます。
まず戸惑うのは、敵である「使徒」が何者かも(人間なのか宇宙人なのかも)、どこから攻撃してくるのかも、その目的が何なのかもわからないまま、ひたすら攻撃が続くことです。「使徒」の殲滅を目的とする国連の特殊機関NERVとエヴァンゲリオンのパイロットの少年少女たちの側の短いエピソードが挟まれるものの、次々と「使徒」の攻撃があるので考える暇なくついて行かされる感じ。
戦うことに疑いを差し挟まない式波アスカや真希波マリに対して、戦いやエヴァとの関係に疑問を感じる碇シンジや寡黙な綾波レイの態度は、戦うことの意味を考えさせようとしているように見えますが、絶え間ない攻撃に追われて、結局考えてる余裕がない感じでした。
NERV内部とパイロットの少年少女たちの人間関係の軋轢・心の交流が若干あった以外は、バトルシーンが続いていた印象です。
映像としては、電車やメカの描写に力が入っていた感じがしましたし、ストーリー上の必然性が全く感じられない女性キャラのヌードシーンが目につきました。
時代設定は、当然未来だと思いますが、電車はまるっきり現在のままという感じでしたし、葛城ミサトと加持が飲んでいる居酒屋でかかっていた曲が「恋の季節」(ピンキーとキラーズ)って・・・
幻想的な場面で使っている曲が「今日の日はさようなら」と「翼をください」っていうセンスも含めて、未来を描きながら、どうもどこか日本的なノスタルジーを感じてしまいました。タイトルの「ヱヴァンゲリヲン」という仮名づかいもそういうことなんでしょうか。単に作っている人たちの世代の問題なのかも知れませんが。
(2009.8.2記)
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